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  2月11日(月)は休み宿題
  年齢とともに進む読書力
  幼稚園年長−小学3年生の保護者の皆様へ
   毎日の自習の習慣作りを
  小学4−6年生の保護者の皆様へ
   作文教室と塾との両立を
  中学生の保護者の皆様へ
   中学生の作文学習は小論文の前段階です
   中学生から受講料が変わります
  高校生の保護者の皆様へ
   大学受験問題を中心に学習をしていきます
   高校生からも受講料は変わりません
  大学生・社会人の皆様へ
   年齢に応じて考える力は更に向上します
   卒業後も言葉の森と連絡を取れるように
  デフレの時代は研究開発を
 
言葉の森新聞 2008年2月1週号 通算第1017号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
2月11日(月)は休み宿題
 2月11日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
年齢とともに進む読書力
 これまでいろいろな生徒を教えてきた感じたことは、読書力と作文力と学力に深い関連があるということです。
 教えてきた子供たちの中に、小学校低学年から作文の勉強を始めて、途中中学受験のときに一時休み、その後再開し高校3年生まで続けたという子がかなりいます。その子たちの多くは大学入試で小論文を使いませんでした。理科系だったり、小論文のない大学を受けたりする子がなぜか多かったからです。しかし、小論文の試験があればみんなハイレベルの文章を書ける子たちばかりでした。
 それらの子供たちを見ていて、共通する特徴があるように思ったことがあります。
 まず、小学校低学年から作文の勉強をするぐらいですから、教育熱心な家庭の子供たちが多かったと思います。しかし、その熱心さは、知識の詰め込みをするような熱心さではなく、子供の本当の成長を考える落ち着いた雰囲気の熱心さでした。
 どの子も、小学校低学年から本をよく読んでいましたが、このころはほとんどの子が本をよく読むので、それは、それほど目立ったことではありませんでした。勉強はみんな普通によくできていましたが、作文も普通に上手という程度でした。
 その子たちが中学生になるころでも、作文は普通よりもよく書けるが、特に優れて上手だということはありませんでした。むしろ、教える私の方が、よく勉強をしているわりにものたりないと思うことも多かったのです。もちろん、字数も構成も表現も表記も全部できているので、欠点はないのですが、とりたてて光るものもないという感じの文章でした。
 それがやがて、早い子は中学生の途中から、遅い子は高校生の後半から、普通は中学生から高校生にかけて、ある時期からぐんぐん上手になっていくのです。この上手さというのは、ひとことでは説明しにくいものですが、書いている本人が書くことを楽しんでいるという感じが伝わってくるような文章です。
 そして、このように途中からぐんぐん上手になる子に共通しているのが、中学生や高校生になってもよく本を読んでいるということでした。

 
幼稚園年長−小学3年生の保護者の皆様へ
毎日の自習の習慣作りを
 幼稚園年長−小学3年生のころは、だれでも好きなことを自由に書ける時期ですから、作文の勉強を特にする必要はあまり感じないと思います。
 しかし、このあと、小学校高学年から、中学生、高校生へと進むと、作文の勉強は小論文の勉強へと発展していきます。
 言葉の森では、大学受験生の小論文・現代文の指導につながるかたちで小学生の作文の勉強を位置づけています。小学生のときに上手な作文を書くことが目的なのではなく、大人になってからも必要な表現力と思考力を育てていくことが指導の目的です。
 国語の勉強は、学校で習う範囲よりも日常の生活の中で身につける範囲の方がずっと大きい、特殊な勉強です。英語や数学は、学校や塾で勉強すればそれに応じて成績は上がりますが、国語は、生活の中で年齢に応じた読書の習慣をつけていかなければ塾や学校でいくら勉強をしても、その効果は限られています。
 小学校の低学年の時期は、この学習習慣を無理なくつけることのできる最も大事な時期です。学校の勉強だけしていれば十分なこの時期に、家庭で毎日決まった勉強をする習慣をつけ、特にその中でも年齢に応じた読書の習慣をつけていくことが、その後の勉強の進み具合に大きく影響します。
 言葉の森では、毎日の自習として、1日10分程度の長文音読の自習を生徒にすすめています。長文音読は、簡単にできてしかも文章力・読解力の上達に大きな効果のあるものです。3ヶ月間に数編の長文を毎日音読していれば、学期の終わりころには長文の一部を暗唱できるぐらいになります。いい文章を暗唱できるということは、そのまま自分が書く作文にも自然にその文章のリズムを応用していくことができるということです。
 現代は、知的に理解すればそれで終了というかたちの勉強が多いので、暗唱の効果ということはなかなか理解されにくいようですが、国語の学習はほかの教科の勉強とは異なり、頭で理解するだけでなく心でまるごと感じとるという要素が必要ですので、ぜひ毎日の自習に取り組んでいってくださるようお願いします。
 保護者の皆様に特に見ていただきたいことは、自習を単なる作業にしないということです。小学生のころは、自ら勉強をするという自覚が少ないので、自習が一種のノルマをこなすための作業になりがちです。子供にまかせておくと、長文をただざっと黙読するだけだったり、読書もいちばん簡単そうな本を10ページ読むだけだったりというかたちの勉強になることが多いと思います。
 たまに、勉強をしている様子をごらんになり、「長文は心をこめて、自分もこういう文章が書けるようになったらいいなあと思いながら読むこと」「読書は、自分の読める範囲でできるだけ難しいものを選んで読むこと」などをアドバイスしてあげてください。
 長文音読は、できるだけお母さんやお父さんが近くで聞いてあげるようにしてください。
 また、読書は低学年のうちに毎日の習慣として身につけておくものです。習慣として定着させるためには、本を読む日があったり読まない日があったりするような読み方ではなく、毎日欠かさず読むということが必要です。自分で読むことがまだ難しいうちは、お母さんやお父さんが読んで聞かせてあげてください。
小学4−6年生の保護者の皆様へ
作文教室と塾との両立を
 現在の受験体制のもとでは、高学年になるにつれて、塾などに通わないと学習がしにくくなるという状況があります。しかし、学習の主体はあくまでも家庭学習にあります。家庭学習での主体性がないと、塾のスケジュールに流されたり、志望校の受験とは部分的な関係しかない偏差値に左右されたりしてしまいます。(毎年、偏差値の高い学校に受かり、低い学校に落ちるという現象がありますが、それは、偏差値が志望校の過去問の傾向には対応しているわけではないということを示しています)
 小学生も高学年になると、塾に通う時間が増え、一時期、言葉の森との両立が困難になることがあります。しかし、両立が困難な時期は、大体数カ月で終わり、そのあとは、時間的に忙しくはなるものの、再び同じようなペースで学習を続けていけるものです。
 当教室では、6年生の中学受験前から作文教室での学習を続け、中学入学後もそのまま学習を継続している生徒が多数います。
 作文の学習は、ちょうど高学年から「説明文」「意見文」の段階に入り、思考力を要求されるようになります。この段階の学習は学校などでもあまりなされず、本格的な国語力をつける点でとても重要なものです。
 当教室では、曜日・時間の変更は、随時できるようになっています。また、通信指導による学習も、他の教室の通信指導と比べて、きわめて継続しやすいものになっています。(通信指導では、毎週決まった時間に担当の先生からの電話があります。そのため、通信学習にありがちな「出し忘れ」がなく、時間的にも余裕をもって学習することができます。更に、通信の時間は、平日午後3時〜9時、土曜午前9時〜12時の間で、本人の都合に合わせて自由に選ぶことができます)
 高学年になり、塾の時間が増えて忙しくなった方も、曜日の変更や通信クラスへの移動などで、できるだけ両立させていけるように工夫していってくださるようお願いします。ただし、塾によっては言葉の森との両立が時間的に困難になるところもあります。そのためにやむをえず退会される場合は、中学入学後のなるべく早い時期に再開されることをおすすめします。



                                   
 
中学生の保護者の皆様へ
中学生の作文学習は小論文の前段階です
 文章表現力・読解力のうち、意見文を書く力と論説文を読みとる力は、中学生以降に本格的にのびる分野です。小学生の間に既に意見文を書いたり読んだりする段階にまで進んでいる生徒もいますが、全体的にみて、構成の形式を身につけたり文章を要約をしたりすることが精一杯で、内容のある意見文を読み書きすることのできる生徒はかぎられています。これは、表現力・読解力に、まだ、本人の内面的な成長がともなっていないためです。
 小学6年生までに学習する、生活文中心の作文と、物語文中心の読書は、表現力・読解力の半分にすぎず、もう半分は、中学生以降の意見文・論説文の練習によって完成します。
 しかし、実際には、中学・高校では、作文・読書の学習はほとんどなく、あるとしても、その多くは、小学校の延長のようなかたちでおこなわれています。
 また、中学生の時期は、作文の学習がいちばん続けにくい時期でもあります。その理由は、(1)中学生の時期が、無邪気に出来事を書くわけにもいかず、かといって、自由に意見文を書くほどには語彙が充分ではないという過渡的な時期にあたること、(2)宿題や定期テストなど、外から拘束される勉強の時間が比較的多くなり、自主的な勉強の時間がとりにくくなること、(3)中学校自体も、作文や読書の指導をほとんどしなくなるので、学習の意義やきっかけを見つけにくくなること、などという事情があるからです。
 現在の受験体制のなかで行なわれる勉強は、人生にとって価値のある分野というよりも、点数の差がつきやすい分野に重点がおかれがちです。もちろん、基礎的な知識を身につけるという点で、点数で測られるような勉強も大切ですが、生涯にわたって役立つのは、考える力、読書する力、勇気や思いやりなど、点数の差のつけにくい、したがって現在の受験体制の中では、重点のおかれにくい分野です。
 しかし、最近では、大学入試でも小論文や面接が重視されてくるなど、単なる知識の量よりも、それらの知識を活用する力を評価するようになってきました。中学生での作文・読書の学習は、小学生の学習の延長としてではなく、高校生以降の小論文学習や論説文読書の先取りであるという前向きの姿勢をもって取り組んでいくことが大切です。
 中学生が、作文・読書の学習を継続していけるように、当教室では、学習の時間に弾力性をもたせています。具体的には、(1)曜日・時間の変更や振替は、いつでもできるようにしています。(2)テスト期間中の欠席は、その前後にふりかえることができるようにしています。(3)帰宅がおそい生徒のために、通信学習を併用して学習ができるようにしています。
 3月から4月にかけては、決まった時間に授業を受けることがむずかしいことも多いと思いますので、出席できるときに出席するというかたちにして、新しい生活のペースを早く作っていってくださるようお願いします。
中学生から受講料が変わります
 小学生までの受講料は8,200円でしたが、中学生からは受講料が9,100円になります。4月の引き落とし分から受講料が変わりますので、ご了承ください。
高校生の保護者の皆様へ
大学受験問題を中心に学習をしていきます
 高校生からの教材は、大学入試問題が中心になります。これは、実際に小論文や国語の問題で出された文章を読んで、小論文を書くものです。
 高校生の教材になると、国語の力は、めきめきついてきます。これは、高校生が、中学生までと違って自分で自覚をして勉強することができる年齢になるためです。
 高校生の場合、言葉の森での作文の学習は、次のような意義を持っています。(1)国語の読解力をつけること、(2)小論文の力をつけること(推薦入試では、内申と小論文と面接で合否が決まるところが増えています)、(3)社会人になってからも必要な文章表現力をつけること、以上の三点です。
 言葉の森で小論文の学習をしていれば、予備校などで特別に小論文の勉強をする必要はありません。逆に、予備校や通信教育の小論文では勉強が進まない生徒が、高3の終わりになって、言葉の森にやってくるというケースが、例年数多くあります。
 高校2年生までは一般的な小論文の勉強をしますが、高校3年生の後半からは、志望校の出題傾向に合わせた小論文課題も取り入れて学習していきます。
高校生からも受講料は変わりません
高校生からの受講料は、引き続き中学生と同じ9,100円です。
 
大学生・社会人の皆様へ
年齢に応じて考える力は更に向上します
 作文力・読書力は、大学生や社会人になっても伸びていく学力です。その点では、記憶力中心の学力とは性質が異なります。しかし、現在の日本では、大学生時代に、思考力や読書力を伸ばす学習はあまりなされていません。また、大学によっては、他の大学との交流が少なく、勉強への知的刺激が高校時代より少なくなってしまう場合もあります。
 言葉の森の教材は大学生になっても継続できるように作られていますので、大学生・社会人になっても言葉の森での勉強を続けていくことができます。
 大学生・社会人の受講料は、中学生・高校生と同じ9,100円です。継続する場合の手続きは、特に必要ありません。
卒業後も言葉の森と連絡を取れるように
 しかし、大学生・社会人の場合、マスコミに受験するために作文の試験があるとか別の大学の編入試験を受けるために小論文が必要であるなどという場合を除き、大学生は作文の勉強を続ける動機に乏しくなることも事実です。
 そのために、言葉の森では、大学生・社会人の方は、作文教室とは別に、参加自由な作文クラブに参加できるような仕組みを新たに作っていきたいと思っています。この作文クラブは、インターネットを活用して、様々な大学や職業の人が、時事的な問題や学問的な問題を自由にディスカッションしあう場にしていく予定です。
 また、作文の勉強以外に、今後、コンピュータプログラミングの勉強や古典の勉強なども自由なサークル活動として行なっていきたいと思っています。
 卒業される方は、メールアドレスなどの連絡先を言葉の森までお知らせくださるようお願いします。
デフレの時代は研究開発を
 現在は、物が余っている時代です。また、本当はお金も余っている時代です。人類の生産力が発展したことにより、人間は過去のどの時代よりも豊かな時代に暮らしています。
 しかし、その豊かな時代のゆえに人口増加が起こっていることと、富を分配するシステムがうまく機能していないために、豊かな生産力が富の偏在という形で現れているのです。
 こういう時代に、多くの人が幸福に暮らすためには、政治の力が必要です。そして、人間の知恵は、富のよりよい配分を行う政治を作り出していくと思います。
 しかし、個人のレベルで言えば、また違った心がけが必要になってきます。それは、新しいものに取り組むということです。
 インフレの時代は、富が成長する時代でした。この時代には、既にある技術を前提にして、人よりも早くたくさん手に入れることが自分も社会も豊かにしていくことでした。これは、量の時代と呼べるものです。
 しかし、デフレの時代には、これまでの豊かな富は成長速度をゆるめ、そのかわりに新しい富の可能性が発見されるようになります。
 電気、鉄道、自動車など、現代の生活に欠かすことのできないインフラは、人類の長い歴史から見れば、ごく最近登場したものです。同じように、これまで想像もしなかったような新しいインフラが、これからの時代に生まれてくるのです。そのひとつは、インターネットという形で既に登場しました。しかし、私たちが予想もしない新しい発見や発明がこれから更に生まれてくると思います。
 こういう時代に個人が対応するためには、新しい知識を常に吸収する姿勢を持っていることが必要です。
 ここで、勉強の意味とつながりますが、勉強は何のためにするのかと言えば、ひとつには、この新しい知識を吸収する土台を作るためです。
 高校生の現在の勉強は、受験に合格するために、受験の教科に絞った勉強をするスタイルになりがちです。しかし、受験に合格することは小さい目標です。大きな目標は、合格したあとに社会に貢献できるような人間になることです。大学に入ってからそういうことを考えればいいという人もいるかもしれませんが、物事は出発点のときの心構えがいちばん大切なのです。
 勉強の目的を現在の社会との関連で考えて、ぜひ大きな目標をもって取り組んでいってください。
 
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