言葉の森新聞 編集用
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  2月29日は休み
  【重要】3.1週作文進級テスト。先取りも可(再掲)
  清書の仕方
  内輪の「父母の広場(掲示板)」を開設予定
  2.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文で
  1.4の読解問題小3の8番ミスプリ
  教育の大きな流れが変わる
  得意のテーマ(うさぎ/きら先生)
  「まずは○○してみよう」(いろは/いた先生)
  キーワードは「つなげる」?(はち/たけこ先生)
 
言葉の森新聞 2008年2月4週号 通算第1020号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
2月29日は休み
 2月29日(金)は第5週でお休みです。先生からの電話はありません。
【重要】3.1週作文進級テスト。先取りも可(再掲)
 3.1週は作文の進級テストです。
 3月8日ポスト投函が締め切りなので、3月1週に作文が書けない人は、2.3週又は2.4週の間に、3.1週の作文試験を先取りして行ってください。
清書の仕方
 今月の清書のうち、上手に書けたものは、翌々月第1週に優秀作品としてプリントされます。
 清書は、パソコンで書いても手書きで書いてもどちらでも結構です。
 パソコンで書きインターネットから送信した清書は、ホームページに保存されます。
 パソコンで清書を書いて送信した場合、手書きの清書は提出する必要はありません。
 インターネットからの送信の仕方は、「学習の手引」をごらんください。
http://www.mori7.com/mori/gate.php#129
 手書きの清書を提出する人は、清書がホームページに表示されなくなりますので、先生に送る前にコピーしておかれることをおすすめします。
 よく書けた清書は、自分で小学生新聞などに投稿してください。
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を小学生新聞などの投稿用に、コピーを言葉の森の先生への提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして小学生新聞などの投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所  104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中 ●毎日小学生新聞の住所  100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中
★二重投稿は絶対にしないようにしてください。
 これまでの優秀作品は、「入選清書」のページでごらんください。
http://www.mori7.com/seisyo/nyuusenn.php
内輪の「父母の広場(掲示板)」を開設予定
 父母と講師のみが、閲覧や書き込みのできる掲示板を作ります。匿名の投稿も可で、携帯からも利用できるページにしたいと思います。
 ここは、外部の人も、生徒も入れない仕組みにし、勉強のこと、子育てのこと、おすすめの本のことなど、自由に書き込みのできるページにしたいと思います。
http://www.mori7.com/hubo/
 
2.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文で
 2月から、幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習をすることにしました。自由な題名で作文を書いてください。項目シールは、予備のものを使ってください。
 小学生以上の生徒は、第4週に読解問題と清書を行います。読解問題は、長文を読む練習と、国語の問題を解く練習をするために行います。
 読解問題の時間がかかるため、清書の時間が取れない場合は、清書を省略してもかまいません。
 なお、清書が保存されると勉強の記録になりますから、生徒又は家族がパソコン入力ができる場合は、パソコンで書いた清書を作文の丘から送ってください。

※2月の読解問題は、普通に長文を読めばわかるような基本的な問題を中心にしました。あまり難しく考えずに普通に解いてください
1.4の読解問題小3の8番ミスプリ
×神経細胞が消えてしまう→○神経細胞のネットワークが消えてしまう
(ルビのタグの中に「のネットワーク」という文字が入っていたため気がつきませんでした。^^;)
 したがって、小3の8番も全員正解にしています。
教育の大きな流れが変わる
 言葉の森がスタートしたのは20年以上も前です。そのころに作った受講案内を、途中何度か読み返すことがありましたが、ほとんど直さずにここまで来ました。ということは、言葉の森の基本路線は、最初のころから今まで、時代の流れに沿っていたということだと思います。
 しかし、ここに来て、教育の流れが今大きく変わろうとしています。それは、ゆとり教育の行き過ぎに対する反省から、昔流の知識教育をしっかり行おうとする流れです。そのこと自体は歓迎すべきことですが、私は教育の根本の見直しがまだ足りないように思います。
 今の教育は、受験に合格するようなところを目標にしているため、単純に知識教育を復活させることは、どうでもいい知識の詰め込みをまた復活させることにもつながる可能性があります。
 そんなことをふと思い、受講案内の大幅改訂を考えている今日このごろです。
得意のテーマ(うさぎ/きら先生)
 さて、今年の私を占う初夢は、なんと料理バトルに出場してカレーを作っているというものでした。年末年始と、芸能人が料理に挑戦するような番組が多かったせいかもしれません。すっかり影響されて、豆腐と納豆と豆乳とあれこれミックスした奇抜なカレーを作っておりました。この夢から受け取れるのは、やはり「今年もしっかり主婦をして健康料理を作りなさい」とのお告げでしょうか。
 いえいえ、これはカレールーを筆頭に値上げの年が来たことへの警鐘だったのかもしれません。初春早々ため息まじりの話題は気がひけますが、庶民の生活を脅かす物価上昇。その原因であるという原油価格の上昇。その元の元の大元の原因をさぐって「喝」を入れようとたぐり寄せていくと、最初の波を引き起こしたのは自然を壊した私たち人間でした。
 このように、あることがらから出発して樹形図のように考え続けてみると、おもしろい発見があります。
 たとえば、わが家の冬休みの宿題でこんなことがありました。娘たちは同じ高校の同じ学年ですから、宿題の内容はほぼ同じです。なかに800文字ほどの小論文もありました。テーマは年間を通して個人が取り組んできたものらしく(高校生にも総合学習ってあるのですね。?)、もうすでに決まっていました。ひとりは「宗教」もうひとりは「科学技術」ということです。文理しっかり分かれたテーマ選択のようです。ところが、それぞれが主題となる意見を決めて、その原因対策をさぐって書き進めて行くうちに、微妙に作品がシンクロしていくことに気づいたそうです。 (盗作したわけではないということですが、おんなじような作品ができちゃったそうです。)
 つまり、これからの私たちに必要なものは「科学技術を補いうめていく宗教」であり、これからの科学は「宗教性をもった人間的なもの」にすべきという、お互いのテーマが補填しあう内容になったというのです。テーマは全く違うのに、結果として同じような文章を書いた娘たち。これはたんなる双子のテレパシーではないと思います。さまざまな話題や議論があったとしても、それらはじつは深くつながっているから、ひとつ自分のものにしておけば、どんなテーマでも書き進めていくことができるということではないでしょうか。
 今年はお正月の特別番組で、地球温暖化を考えるものが目立ちました。そういった今このときの話題をただ聞き流すだけにしないで、自分が論文を書くつもりで吸収しましょう。温暖化の原因をどこまでもたどってみるのです。「自分が書くという意識」で見聞きするという姿勢は、かなり力を発揮します。

 自分のお得意のテーマをつくってみましょう。それを今年の目標にしてアンテナをたてると、毎週の課題も、学校の勉強も、毎日のニュースも、自分に語りかけてくれる興味深い刺激になってくるはずです。楽しく進めていきましょう。
                               きら
「まずは○○してみよう」(いろは/いた先生)
 「まずはやってみよう」。私が何かに挑戦するときにいう言葉です。いい加減に聞こえるかもしれないけれど、この言葉のおかげでたくさんの楽しみを今まで見つけてきました。頭でぐるぐる考えていたって答えが見つかることなんてないし、未来なんてだれにも分からないんだもの。ならば「まずやってみよう」。いつもそう考えています。

 でも、この「まずはやってみよう」ということ。意外と難しいようです。先生の子どもも算数を解きながら「ねえ、ねえ。○○ってこれ以上約分できないかなあ」とか「ねえねえ。ここにはこの数字であっているかなあ」などと聞いてきます。「まずはやってみる」。こんな楽しいことをしない手はないのに、その先で止まってしまうのです。もったいないなあ、と思わずにいられません。答えに到達するまでの道のりが楽しい、自分で導き出すことが楽しいはずなのに、答えがあっていることの方が大切だと思うなんて悲しいと思いませんか? 答えなんてしょせん数字そのものです。数字を当てるだけのゲームなんて運がよければそれでオッケー。自分の頭なんて関係ないのです。本当にもったいない! でもこれはきっとわが子だけに当てはまる例ではないと思います。

 昨年暮れ、国際学習到達度調査(PISA)の結果が出ました。日本の順位が著しく低下していることはみなさんご存知のとおりです。日本の学生を困らせた問題はそれほど難しものなのか、と問題例を見てみるとなんのことはない、「自分の考えを書く」というものです。
 科学的応用力の問題の一部をみると二つのグラフを比べて二人の意見が出されます。なぜそのような意見が出るのか、を問う問題が二問、三問目の答えは「だれも正しい答えが分かっていない」ことを答えさせるものです。問題文が多少難しく書かれていますが、かいつまんで説明すれば小学生でも答えることの出来る問題です。それが正答率、17.6% OECD平均18.9%よりも劣っているというのですから驚きます。

 原因の一つは正しい答えを出すことを「勉強」と位置づけた考え方だと私は思っています。「まずは答えてみる」。この部分に重きを置かなければならないのではないかと思うのです。
 この世の中で、きれいに「正しい答え」が出せることはほとんどありません。ああでもない、こうでもない、を繰り返し出た結果、「正しかった」というのがほとんどです。そして、ああでもない、こうでもない、の部分があるからこそ成長できることも多々あるのです。

 私が学生の頃、パソコンが普及しはじめました。とある出版社でバイトをしていた私は新しいものを目の前に、困っていました。下手にさわって壊してしまったらどうしよう、と思っていたのです。すると、その会社の方が一言「大丈夫だよ。そんなに簡単に壊れるものでもない。バイトの子が失敗したことが大きな問題になることも無い。だから好きにいじってごらん」と言ってくれました。ああでもない、こうでもない、が本当に楽しかったことを覚えています。

 大人になり講師になった今、生徒に伝えたいのは「まずはやってみよう」の一言。頭の中で考え続けても答えなんて出てきません。まずは鉛筆を持って書いてみよう。頭の中で考えていたときにはつかみどころのない大きなもやもやだったものが、形となる喜びを感じて欲しい。感想文だってそう。正しい答えを書こうとするから、話がおかしくなるのだと思うのです。正しい答えなんて無い。筆者が言っていることに沿って書こうとするから難しく感じるのです。感想文で大切なことは「自分の感じたこと」を書くことです。それがたとえ世間の考えとは違っていてもあまり気にする必要はないと思っています。学力到達度調査のテスト内容で分かるように、考え方を示すことが今、世界では求められているのですから。
 「まずはやってみよう」。失敗なんて気にしなくていいのです。まずはやってみての失敗なんてたいしたことはないのだから。「やってみた」ことからどんな世界が広がっているのかは後のお楽しみです。(^o^)

                                 
 
キーワードは「つなげる」?(はち/たけこ先生)
 クリスマスプレゼントやお年玉で、ほしかったゲーム機やソフトを買ってもらった生徒さんも多いのではないでしょうか。私はもしかしたら、子どものころ、携帯電話、インターネット、携帯ゲーム機などの「デジタル機器」を経験しなかった「最後の世代」になってしまっているのかな、と考えている今日このごろです。

 実は、先月の作文で、エアコンの温度設定(デジタル)と、だんろやたき火などの温度(アナログ)について考えてくれたものがありました。エアコンの温度は、たとえば「27℃」と設定したら、その温度きっちりにしてくれます。しかし、キャンプファイアのたき火の温度は一定ではありません。火がついてから燃えさかり、消えていきます。便利かどうかはわかりませんが、その味わいはエアコンにはないものでしょう。私はとてもおもしろいところに気がついたと思って、電話でほめるとともに、作文で気がついた違いは、こんなふうに発展できると説明しました。時計などで見てもわかるとおり、「デジタル」は「ある一点」を示していて、「点」と「点」の間は「切断」されています。しかし「アナログ」のほうは、一瞬正確な時刻を秒単位まで読み取ろうとしても、じわじわと針はすすんでいくのが見えます。つまり「連続」が見えるのだと。


 そう思っていたら、今度は専門学校で教師をしている友人がネットの日記におもしろいことを書いていました。TVゲーム、パソコン、携帯電話など、デジタルを通して生きてきた自分たち世代はいきなり「グローバルな視野をもて」と言われても、感覚的につかめないのではないか、と。これもなるほどと感心しました。「グローバル」ということは、「地球規模」ということですから、つまり「連続」しているのですね。「切断」になれた日常では、意識的にものの見方を切り替えなければならない、という指摘なんです。テレビのニュースで世界のことをやっていてもチャンネルをきりかえたらそこには違う世界が。でも、本当は頭の上の空はずっとつながっていて、世界のどこかのその事件はそこにいる人たちにとってはずっと続いている「連続」しているものなのです。


 おりしも、お正月から読売新聞で連載されていた「日本の知力」でも、東大教授吉見俊哉氏がくりかえしコメントしていました。「電子図書館は便利だが、検索技術の進歩では、『木は見えても森は見えない』。我々は図書館に何度も通い、横並びの図書から知識の地図を頭に描いて理解を深めてきた」(1月6日)「検索で得た知識が役にたつのはある程度まで。一つの知識とほかの知識がどういう構造的なつながりがあるのか全体構造が見えなければならない」(1月9日)


 デジタル世代のみなさんは、これから好きなことについて、「その先をつなげる」ということを意識していかねばならないでしょう。なぜなら生命というのはアナログで連続しているものだから、そのほうが生理的に心地よいはずなのです。
 たとえば、もしあなたの好きな人がサッカーが好きで、中でもトルコのナショナルチームのある選手が好きと知ったら、あなたもひそかにトルコのニュースが出たら目を向けるようになるかもしれません。あ、あんな国の選手が好きなんだ、って。ちょっとでも話題が出たら、知ったかぶれる?かもと気をつけて聞いたりします。でもそれからふしぎと関心をもつと、トルコのお菓子の試食にあたったり、いいなと思って買ったグッズがよく見たらトルコ製だったり、なぜかあちらから近づいてくるんです。しかし残念なことに失恋してしまうとします。……もうトルコなんか見たくない! ……でも本当は、わくわく片思いしながら調べていたトルコは、いい出会いから始まっているのです。時が流れ、あるとき大人になったあなたは、トルコからの留学生に会うかもしれません。昔知ったトルコについてのことを話してあげて喜ばれるかもしれません。しかもその女の子のお兄さんは、昔好きだった人があこがれていたトルコのサッカー選手に、サッカーを習ったことがある、と言い出すかもしれません。とても気に入って、好きになっていれば、ある時消えたように見えても、思いもよらぬところでよみがえったりするのです。どうしてかというと、見えない深いところで、意識していなくても、つながりつづけていたからです。そしてそれは、新しい展開へと「つながっていく」ものなのです。

 「つなげる」というのは、長い長い間、実は自分の喜びになっているのです。トルコというのは思いつきの例で、別に外国でなくてもなんでもいいのです。好きなことをつなげていけば、いつも意識していなくても、忘れたようでいても、そちらのほうから一生にわたって、出たりひっこんだり、思わぬときにあなたを喜ばせてくれるでしょう。努力しなくてもいい。ただまわりに注意をはらって、「あ、ここにもある!」と喜べばいいのです。「つなげる」とはそんなことから始められるのかなと思います。

 
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