言葉の森新聞
2009年1月4週号 通算第1064号
https://www.mori7.com/mori/ |
森新聞 |
|
■1.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文 |
1月4週は、読解問題と清書です。幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習です。自由な題名で作文を書いてください。項目シールは、予備のものを使ってください。 小学1年生以上の生徒は、第4週に読解問題と清書を行います。 読解問題の時間がかかるため、清書の時間が取れない場合は、清書を省略してもかまいません。 なお、清書が保存されると勉強の記録になりますから、生徒又は家族がパソコン入力ができる場合は、パソコンで書いた清書を作文の丘から送ってください。 |
●読解問題の仕方 |
「山のたより」についている読解問題は、課題フォルダにはさんである読解マラソン集から出しています。 読解問題の答えを作文の丘から送信する人は、作文の丘に答えを入れる欄がありますから、清書と一緒にそこから送信してください。 読解問題の答えを作文用紙に書く人は、作文用紙に問題と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。住所シールは、清書の1枚目にはってください。問題の方にははりません。 |
●清書の仕方 |
今月の清書のうち、上手に書けたものは、翌々月第1週に優秀作品としてプリントされます。 清書は、パソコンで書いても手書きで書いてもどちらでも結構です。 パソコンで書きインターネットから送信した清書は、ホームページに保存されます。 パソコンで清書を書いて送信した場合、手書きの清書は提出する必要はありません。 インターネットからの送信の仕方は、「学習の手引」をごらんください。 http://www.mori7.com/mori/gate.php 手書きの清書を提出する人は、清書がホームページに表示されなくなりますので、先生に送る前にコピーしておかれることをおすすめします。 よく書けた清書は、自分で小学生新聞などに投稿してください。ただし、同じものを複数の新聞社に送らないようにしてください。 新聞社などに投稿する場合、手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を新聞社への投稿用に、コピーを言葉の森の先生への提出用にしてください。パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして新聞社へ投稿用にしてください。 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。 |
|
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください) (2)学年 (3)自宅の住所 (4)自宅の電話番号 (5)学校名とふりがな (6)学校所在地(町村名までで可) |
|
これまでの優秀作品は、「入選清書」のページでごらんください。 http://www.mori7.com/seisyo/nyuusenn.php |
■言葉の森のホームページの記事更新 |
言葉の森のホームページの記事は、現在ほぼ毎日のように更新されています。 言葉の森新聞に掲載していない記事も多いので、インターネットにアクセスされたときは、ときどきごらんください。 なお、言葉の森のホームページは、ブログのようにRSSを配信していますので、RSSリーダーに登録しておくと更新されたことがリアルタイムでわかるので便利です。 |
■作文に詰まったら教室にお電話を |
先生の電話の説明を聞いたあと作文を書き出したが、途中で詰まって書けなくなった、というようなことがあると思います。 そういうときは、いつでもお気軽に教室にお電話ください。やさしく説明をしなおします。 子供は、10分ほど考え込んでしまうと、もうそのあとは時間がたてばたつほど書くことが難しくなります。こじれる前に早めに教室にお電話くださるようお願いします。 |
■高速聴読のページが利用しやすくなりました |
高速聴読のページで、速聴ファイルをダウンロードできるようにしました。ipodなどにダウンロードすると、利用しやすいと思います。 http://www.mori7.com/nami/ 毎日10分の暗唱が難しいときは、速聴を10分聴くだけでも効果があります。私(森川林)が実際にやってみたところ、毎日10分聴いているだけで、4、5日で300字の文章が空で言えるようになりました。 この暗唱でなぜ頭がよくなるかということは、次回書く予定です。 |
■センター試験国語の解き方 |
センター試験の国語は、原則として満点を取れるテストです。 そのコツは、次のとおりです。(今回は概要だけ) 1、問題文は、理解できたところに線を引きながら、気合を入れて一気に読みます。 2、設問は、それぞれの選択肢のどの部分がおかしいかということとを×△?などで記号をつけていきます。 3、消去法で、×や△や?のなかったものが◎です。 もとになる学力は、ややこしく長い問題文を一気に読める読解力です。この読解力は、過去の国語入試問題集を復読(繰り返し読むこと)することで身につきます。 なぜ復読がいいかというと、文章の表現や構造が、単なる知識としてではなく自分の血や肉として消化されることによって、読む力が自由に使えるようになるからです。これは、英語や数学など、他の教科の勉強とも共通する学力の本質です。 しかし、点数をよくするためには、消去法のコツをつかむことが必要です。 国語力と国語の成績の間には高い相関がありますが、センター試験や入試問題のように差をつけることを目的とした試験では、一致しない部分も大きくなります。 消去法の考え方を理詰めで説明してくれる先生に教わって、何年間分かの過去問を満点近くになるまで解いていきましょう。 |
■幼児、低学年での文字の習得について |
幼児期や小学校低学年のころは、文字を先行させないことが大事です。このころは体験を味わう時期だからです。十分な体験がないと、物事を言葉で済ませるようになってしまいます。 例えば、リンゴ見たときに、「わあ、赤くて、つやつやして、しっとりしていて、きれいなリンゴだなあ」というふうに感じる子もいれば、「リンゴがある」という言葉だけで済ませしまう子もいます。 どちらが心を豊かにする感じ方かというと、言葉で済ませるのではなく、実感を感じる感じ方の方です。 しかし、これは周りの人の接し方に左右されます。言葉や文字を先に覚えたから言葉で理解するようになるのではなく、体験と感動がある生活が少ないから言葉の理解だけになってしまうのです。問題は文字を教えるのかどうかということではなく、体験と感動がある生活をいかに作っていくかということになります。 小学校低学年までの時期は、文章を書くことが目的ではありません。このころは、上手に作文を書くという意味は、あまりありません。 書く楽しさは、小学校中学年になってから育ってきます。このころになると、本人も上手な作文や面白い作文を書こうという気持ちがわいてきます。 しかし、中学年の時期は、まだ感想文を書く年齢には達していません。ですから、感想文を上手に書くということは、まだあまり意味がない時期です。 感想文に深まりが出てくるのは、小学校高学年からです。このころになると感想文を書くということが大事になってきます。そして、意見や感想が更に深まるのは、中学生、高校生になってからです。 ですから、小学校低学年までの時期は、書くこと自体よりも、書く習慣をつけること、作文の勉強を通して読む習慣をつけること、この二つが勉強の目的として大切なことになります。 小学校の低学年までに作文の勉強を始めた子は、文章を書くことや読むことが生活の一部になってきます。 これは、サッカーやバスケットボールなどのスポーツでも同じです。小学校低学年の時期までに、何かのスポーツを始めた子は、そのスポーツの感覚が自分の体の一部になっていきます。 言葉の森の勉強は、高校生まで続けられる勉強だからこそ、小学校低学年までの間にこの勉強を習慣にしておくといいのです。 ただし、文章書く力について個人差はかなりあります。ですから、小学校低学年までの時期は、上手に書くことを目標にしないことが大事です。また、表記のミスについては、読む力をつけることによって、自然に直していくという姿勢が必要になります。つまり、作文の勉強と並行して、読書、対話、暗唱、音読の習慣をつけていくことが大事な時期なのです。 そして、その一方で、生活の中でできるだけ体験と感動をふやしていくことが大切になります。 勉強の進め方について、ご不明な点は、いつでもお気軽にお問い合わせください。 |
|
■暗唱でなぜ頭がよくなるか |
暗唱でなぜ頭がよくなるのかということについて、理論と実例を述べてみたいと思います。 まず、理論の世界では二つのことが考えられます。 第一は、日本語を繰り返し音読すると脳波がΘ波になるということです。これは、私(森川林)も実験をして確かめたことがあります。大阪大学の政木氏は、昔パラメモリーという装置を作っていました。これもやはり、脳波をΘ波化するもので、頭をよくするという効果があるということでした。現在、残像訓練でも脳波がΘ波になりやすいということが科学的に確かめられています。これは既に、スポーツの分野で利用されているようです。 日本語を音読することによって脳波が変化するというのは、私は母音言語の特徴なのではないかと思っています。母音言語は世界の中で日本とポリネシア地域にしかないと言われています(ポリネシアというのは、ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結んだ三角形の中の地域です)。そういう背景があるので、日本には念仏を唱えるという文化があるのではないかとも考えられます。しかし、以上の話はまだはっきりとは検証できていないものですから、今後更に研究する必要があります。 第二は、もっと根本的な理論です。人間の思考力のほとんどは言語的な思考力だと思います。このほかに、数学的な思考力というものもありますが、これもその仕組みは同じです。言語による思考力があると、物事を平面的、羅列的に見るのではなく、構造的にとらえることができるようになります。この構造的なとらえ方を、その場限りの単なる知識的な理解に終わらせず、手足の一部のように自由に使えるようになるところに暗唱の意味があります。つまり、物事を構造化する能力が、確実に自分のものになっているということです。 これは数学の勉強を考えるとわかりやすいと思います。数学の得意な人は、反復練習によって数学的な考え方が自分の身体の一部のように自由に使えるようになっています。そこで、苦手な人からみると、数学の得意な人は理解しがたいひらめきがあるように見えるのです。 次に、具体例を三つあげたいと思います。 第一は、湯川秀樹の例です。湯川秀樹は、「旅人」という自伝の中で、自分の子供のころの勉強の様子を書いています。それによると、小学1年生のころ、祖父から論語の素読をさせられたそうです。それが後年、自分が本を読むときに大いにプラスになったと述懐しています。 第二は、貝原益軒です。益軒は、江戸時代に80代という高齢で「養生訓」や「和俗童子訓」という著書を著しました。それだけにこの書物は、人生経験の裏づけを持つ説得力のある内容となっています。益軒の思想は、当時の日本のかなり田舎の方にまで広まっていたそうです。たぶん、このことが、教育を重視する日本の国民性の土台の一つになったと思います。彼は、その著書の中で、四書五経などを毎日100字分100回暗唱することをすすめています。そして、これは子供の勉強に限らず、大人にとっても大きな効果があると述べています。 第三は、現代の例です。言葉の森では、昔、長文音読のほかに短文暗唱もしていました。この短文暗唱を小学校低学年のころから真面目にやっていた子は、確かに頭がよくなりました。ただし、頭のよさと学校の成績は、普段は一致しない面もあります。学校の勉強は、その場でその場で真面目にやっている子の方が成績がよくなるからです。ところが、受験勉強などを本格的に始めると、頭のよい子は、すぐに成績が上がってきます。例えば普段のクラスの成績は40人中10番ぐらいだとします。ところが、受験の時期に入り本格的に勉強しだすと、半年か1年ぐらいで学年のトップクラスなってしまうのです。 今、暗唱を始めた子は、これからだんだん大きな成果が出てくると思います。ただし、家庭での学習で、暗唱のほかに大事なこともいくつかあります。それらは、読書、対話、愛情のある生活です。(つづく) |