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  自習の暗唱はオプション方式に
  森リンの点数を一部修正
  暗唱のコツは早口で繰り返すこと
  競争から発表へ―勝ち負けにこだわらない生き方
  心の教育の具体例
  作文指導の裾野、中腹、山頂
  中学生や高校生になるほど上がりやすい国語の成績
  森リン開発秘話―点数の中心は語彙の多様性
 
言葉の森新聞 2009年12月2週号 通算第1106号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
自習の暗唱はオプション方式に

 △12月3日現在のグラフ

 生徒のみなさんが言葉の森の勉強を続けていく際に、自習の負担が大きいという声がときどきありました。

 そこで、この12月より、自習はオプション方式にすることにしました。自習として暗唱を選択した生徒は、その暗唱を毎週先生がチェックします。しかし、忙しくて時間がとれないとかひとりでできないとかいう理由で自習ができない人は、毎週の作文だけをしっかり書けばよいということにしました。

 12月3日現在の自習オプションの内訳を見ると、小学5年生までは、自習オプションに暗唱を選択する生徒の方が多くなっています。小6、中学生、高校生は、多忙などの理由により暗唱オプションはなしとする生徒が半数ぐらいになっています。

 毎日の作文をしっかり書くだけでも十分に力はつきますから、自習オプションなしとした人は、翌週の作文の準備だけをしっかりしていってください。また、自習オプションは、途中で変更できますから、自分の学習時間との兼ね合いを見て先生とも相談しながら判断していってください。

 この自習オプションについては、今後、暗唱以外に、読書日記や問題集読書なども選択できるようにしていく予定です。小学6年生や中高生は、暗唱よりも問題集読書などの方が取り組みやすいと思っています。
森リンの点数を一部修正
 森リン大賞の点数で、表現点などの点数が、個人の点数と学年別ベストテンの一覧表の点数でずれていました。
 現在、一覧表には個人の点数と一致したものが載っています。ご指摘くださった方、ありがとうございました。
 総合得点の変更や順位の変更はありません。
 
暗唱のコツは早口で繰り返すこと
 小学校低学年の生徒は、暗唱の自習がすぐにできるようになります。暗唱の長文が事実中心のストーリーのある文章なので読みやすいということもありますが、それ以上に素直に何度も繰り返し読めるということが大きいようです。

 中学生以上になると、急に暗唱が難しくなります。それは、中学生や高校生の読む文章が説明文でストーリー性がないことも大きな理由ですが、それとともに、この時期が物事を理屈で理解する時期にあたるからです。これは、大人でも同じで、大人の人が暗唱をする際は、どうしても覚えようとしてしまうために逆に暗唱がなかなかできないということがあります。

 私(森川林)は、学生のころから覚えることが苦手で、記憶力に関しては全く自信がありませんでした。しかし、この回数を数える暗唱をしてから、どんな文章でも、ただ早口で自分の耳に聞こえるように反復すれば覚えられるようになるという確信ができました。イメージ記憶という方法を利用すれば、長い文章でも短時間で暗唱できるようになるということもわかりました。
 中学生以上の生徒でなかなか暗唱ができないという人は、まず、記憶力の有無の問題では全くないと思ってください。暗唱のコツは、早口で何度も繰り返すことです。

 百人一首などで、最初の数文字を言うと、一瞬でその続きを思い出せるという人は多いと思います。暗唱する文もちょうどそういう感じです。最初の数文字を言えば、すぐに最後の「。」までが一瞬で思い出せるというのが理想の読み方です。途中で意味を考えながら次の語句を思い出すという読み方では、長い文章の暗唱はできません。

 ただし、慣れもあるようで、最初はなかなか暗唱ができなかった人がだんだんと楽に暗唱できるようになるということはあるようです。シュリーマンも、「古代への情熱」という著書の中で、「最初は記憶する力が弱かったが、大声で音読をしているうちに、長い文章でも数回読めば暗唱できるようになった」と述べています。

 暗唱がなかなかできないという人は、声を出して、なるべく早口で、30回繰り返すという方法でやってみてください。また、30回やって暗唱できないという場合でも、反復の回数を増やしていけば必ずできるようになります。今回の暗唱の自習は、決して無理なものではありませんから、暗唱の時間がとれ人は、「暗唱の手引」に沿ってできるだけがんばってやっていってください。
競争から発表へ―勝ち負けにこだわらない生き方
 10月、11月の森リン大賞の発表で、ベストテンの表示をどのようにするか考えました。

 小学校1、2年生の生徒については、順位の表示をはずすことにしました。しかし小学校3年生以上でも、順位の表示をすることにはやはり抵抗がありました。

 確かに、競争がゲームを楽しくする効果を持つことも理解できます。私が高校生のとき、定期テストの上位十数名がそれぞれの教科ごとの職員室の前に張り出されるようになっていました。それを見るときの感覚は、競争というよりも明るくフェアなコミュニケーションというようなものでした。

 しかし、高校生のように自分というものが確立して、競争を相対化して見ることができる時期であれば問題はありません。小中学生のころは、本人の自覚なしに競争の枠組みに追い込まれるという面があります。しかも、ちょうどそのころは、競争に燃えやすい時期でもあるのです。

 競争の中でいつも自分を見られている子供は、たとえその子が競争の上位にいたとしても、その子自身がやはり競争の目で社会を見るようになります。

 相対化され意識化された競争は向上のバネになりますが、無意識のうちに持つ競争的な世界観は、人間をあまり幸福にするようには見えません。

 そこで、競争に頼らない意欲とはどのようなものかと考えました。それが、発表の喜びになると思います。

 次回の森リン大賞は、得点上位の表示ももちろんしますが、それ以上に全員の発表という要素をもっと打ち出したものにしたいと思っています。
 
心の教育の具体例
 あまりやる気の見られない、何しろ早く書いておしまいにしたいという、いたずら好きの小2の男の子にこんな話をしました。

「いいかい。君が大きくなって、やがてお父さんになるんだ。そうすると、やはり子供が生まれてその子が小学校2年生ぐらいになるんだ。するとある日、その子が、『ねえ、パパが小学校2年生のときは、どんな作文を書いていたのぉ』(子供の真似をして)と聞くんだよ。そこで、君が今書いているこの作文を見せるんだ。すると、その子が、『わあ、パパっておもしろい作文書いていたんだねえ』って喜ぶ。いいかい。そういうことを考えて、いい作文を書くんだよ」

 その日は、ていねいな字でしっかり内容のある作文を書いていました。

 書き方のテクニックのような話はいくらでもできます。しかし、そういう話をする以前に、いい作文を書こうとする子供の心がいちばん大切なのです。

 家庭でも同じです。たくさん書いたらごほうびをあげるとか、出来が悪かったら勉強を増やすとかいうのも、たまにはゲームのような感じで面白いかもしれません。しかし、賞や罰に適応した子供は、賞や罰がなければ動かないようになります。

 人間は、心意気で動くときにいちばん力が出ます。話の内容というよりも、その話をしているときの親や先生の雰囲気で心を動かされるのです。
作文指導の裾野、中腹、山頂
 従来の作文指導の弱点は、三つありました。

 第一は、コンクールに入選するような上手な子を育てることを指導の中心にしているので、クラスの中でうまい子が固定化する傾向があったということです。基礎力がない子は、努力しても報われない感覚を持ちがちでした。

 第二は、小学校の生活作文のジャンルでよい作文を書くこと目指していたことです。生活作文では、事実や感情を細かく描写することが中心になります。生活作文が上手に書ける子は、その成功経験が逆に中学生や高校生の説明文や意見文を書くことを妨げていた面があります。

 第三は、作文を指導する教師の負担が大きかったことです。作文の添削はかなり時間がかかります。その時間的負担をものともせずに行う献身的な先生によってしか、指導ができないという面がありました。

 これらの弱点を克服する道は二つあると思います。

 一つは、発表の場を設けるということです。それも上手な子を中心にした発表ではなく、同じ水準の子供たちのグループで発表し合う場を作るということです。その際、作文だけでは読みにくいので、それぞれの作文を書いた子が説明のための四コマの漫画を入れるというようなことも考えられると思います。

 もう一つは、基礎力をつけるということです。その方法は、毎日の暗唱、読書、日記などになります。

 基礎力が底辺の底上げをし、発表が頂点の引き上げをする中で、初めてその中間の作文指導が効果的に行えるようになるのだと思います。
 
中学生や高校生になるほど上がりやすい国語の成績
 小学生のころの国語力は、学校や塾の勉強で成績が上がるというよりも、家庭での生活時間の中で上がる面があります。

 例えば、毎日1時間は読書をする子と、毎日テレビしか見ないという子がいた場合、1週間で7時間もの日本語生活の質の差が出てきます。この差は、塾で国語の勉強を2時間や3時間しても到底逆転できません。小学生のころの国語力は、身近な文章を読む力ですから、読書や対話ある家庭生活をしている子の方が国語の成績はよくなります。

 しかし、中学生や高校生になると、これがそうではなくなるのです。中学生や高校生に必要な国語力は、より難しい文章の読解力になります。ところが、日常生活でそのような難しい文章を読む機会は、どの子も等しく少なくなっていきます。本をたくさん読む子でも、学年相応の難しい本ではなく、軽い読み物ばかりであれば、本を読まない子と基本的には変わりません。

 そこで、中学生や高校生になると、意識的な国語の勉強の有無が大きな差になってきます。この場合の意識的な国語の勉強とは、入試の問題に出てくるような比較的難しい説明文や物語文を読むことです。

 言葉の森の生徒の中で、小学生のころは国語が苦手だったが、中学生の間に次第に国語の力がつき、中学3年生になるころにはいつのまにか国語が得意になっていたという子がいました。その子は、英語と小論文で難関大学にストレートで合格しました。

 国語というのは、学年が上がれば勉強の仕方次第に得意になることのできる教科です。小学校高学年で国語が苦手だという人は、国語力はこれからの勉強次第なのだと考えていってください。
森リン開発秘話―点数の中心は語彙の多様性
 作文小論文の自動採点ソフト森リン(もりりん)を開発しているときのことです。

 高校生の上手な子の作文をいくつもずらっと並べて見ていました。それぞれの作文にいろいろな計算方法で抽出した語彙の数値が載っています。それらを並べて見ているときに、ふと語彙の多様性と上手さがきれいな正比例関係になっているのに気づきました。

 語彙の多様性といっても機械でやっと抽出できるぐらいの数値ですから、人間が目で見ても到底わかりません。しかし、語彙の多様性が高い作文を読んでいると、感覚として「この作文はうまいなあ」と思ってしまうのです。

 もちろん、語彙の多様性のほかにも、上手さと相関の高い数値がいろいろありました。考える語彙の多さ、難しい語彙の多さ、文の長さのバランスなど、ある範囲で上手さと相関する数値がいろいろ見つかりました。「ある範囲で」というのは、どの数値も、ただ高ければよいというのではなく、ある程度以上高い数値が出るとかえって読みにくくなる面があるからです。

 この結果を、言葉の森の講師数十人にも見てもらいました。その結果、森リンの出す点数と人間の感じる上手さがかなり高い相関になっていることがわかったのです。

 語彙の多様性とは、ひとことで言えば、同じことをいろいろな言葉で表すことです。文章力のある人は、文章を書いていて同じ言葉が続きそうになると、それをほかの言葉で言い表すということをよくします。同じ言葉が単調に続くことに、美的にしっくりしないものを感じるからです。

 しかし、語彙力(読むための語彙力ではなく、書くための語彙力)の乏しい人は、しっくりしなくてもほかの言葉が思いつかないので、そのまま書いてしまいます。よく、小さい子は、作文の結びを「とても、楽しかったです」と書いて終わりにします。それがよくないというのではありません。語彙力の少ない年齢では、ほかの言葉が出てこないだけなのです。

 したがって、森リンの点数を上げるためには、作文を直すのではなく、語彙力を育てるための読書に力を入れていく必要があります。ただし、読むための語彙力は、そのまま書くための語彙力ではありません。読む語彙力を書く語彙力にするためには、何度も繰り返し読むことが必要です。暗唱は、書くための語彙力を増やす勉強にもなっています。
 
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