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  9月20日(月)・23日(木)は休み宿題
  小学校4年生での上手さと高校生での上手さとの違い
  低学年で勉強しすぎ、中学年でくたびれてしまう子
  受験に勝つために―そして、受験後にも
  受験作文は、練習しないと書けないか
  「より豊かに」から「よりよく」という生き方
  読む練習が書く文章の雰囲気を作る
  受験作文小論文と、反対意見に対する理解
 
言葉の森新聞 2010年9月2週号 通算第1142号

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森新聞
9月20日(月)・23日(木)は休み宿題
 9月20日(月)・23日(木)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
小学校4年生での上手さと高校生での上手さとの違い
 小学校4年生前後は、小学生のうちで作文がいちばん上手に書ける時期にあたります。
 小学校2年生のころまでは、まだはっきりと他人にどう見られるかという意識が出ていません。小学校低学年の子供たちは自分の書きたいことを書くだけで満足しています。他人の目という意識がまだありません。
 小学校6年生以上になると、作文の課題が難しくなり感想も一般化した大きい感想が要求されるようになります。そのころになると、文章を書いて他人から見られるということに逆に抵抗を感じるようになります。
 そういう意味で、小学校4年生前後が自由に生き生きと生活作文を書ける時期になるのです。
 小学校4年生のころは、他人がどう見るかという一種のサービス精神も出てきます。そこで、作文を面白く書く工夫をするようになり、家族や身近な人の面白い場面をわざと取り上げて書こうとします。
 小学校4年生で作文コンクールなどによく選ばれる子は、上手に書くコツというものを知っています。しかし、ここであまり上手に書くことを追求しすぎないことが大事です。なぜなら、小学校中学年の作文で上手に書くことを目的にしてしまうと、かえってその後に行き詰まることがあるからです。
 小学生のころの作文の上手さは、題材(実例)の表現の上手さです。つまり、出来事に依拠した表現の上手さです。社会に出てから書く文章の上手さは、主題(感想)の表現の上手さです。つまり、考え方に依拠した表現の上手さです。
 高校生の後半になって優れた小論文を書ける子供たちを見ていると、その子たちも小学生や中学生のころは特に上手に書いていたわけではありません。ただし、書く実力はあったので、しっかりまともな文章を書いていたという印象です。
 生活作文を上手に書ける小学校4年生のころの作文の目標は、まともに書くこと、つまり正しい表記と読みやすい表現で安定した文章が書けることです。サービス精神のある子は、これに加えて面白い文章を書くことを目指していくとよいでしょう。そして、作文を書く練習と並行して読む力をしっかりつけることです。
 小学校低学年の作文の目標は、毎週楽しく書くことと、やはり読む力をつけることです。
 そのためには、できるだけいいところを見て褒めることと、毎日の暗唱と読書を欠かさないことの二つが大事です。その反対に、避けなければならないのは、書いた作文の欠点を注意することと、勉強に追われて暗唱や読書を後回しにすることです。
 高校生になって優れた文章を書けるようになることを目標に、本質的なことに力を入れた勉強をしていってください。
低学年で勉強しすぎ、中学年でくたびれてしまう子
 低学年で勉強をしすぎ、中学年でくたびれてしまう子がいます。
 
 中学年で勉強をしすぎて、高学年でくたびれてしまうということもありますが、小学校中学年ごろからは、本人も反発する力ができてくるので、それほど大きなマイナスにはなりません。しかし、強制力がある形で勉強させると、やはり反動も大きくなります。
 やりすぎたためにやる気がなくなった子は、いったん無気力な状態を過ごしたあとに、やがて時間がたってから再び普通の状態に戻ります。それぐらいなら、最初からのんびり遊ばせておけばよかったということです。
 大事なのは、バランスのよい生き方です。人間はやはり、自然に成長するのに近い状態で育てるのがいちばんいいのです。
 人間が自覚して勉強を始めるのは、中学生の終わりごろからです。この自覚した時期からあとに、心ゆくまで勉強した親は、子供が小さいときに無理な勉強はさせません。勉強というものは、いずれやる気になったときにやればいいのだと思っているからです。
 本当に勉強のできる人は、早くやらないと間に合わないというようなことは思いません。しかし、家庭での知的な環境には気を配っています。知的な環境とは、読書をする、テレビは制限して見る、親子でいろいろな対話をするなどということです。
 勉強にくたびれた子供たちに共通しているのは、長い時間をかけて勉強することです。なぜかというと、早くてきぱきと仕上げると、追加の勉強が待っているという環境でこれまで勉強してきたので、いつの間にかそういう環境に適応してしまうのです。
 勉強は、時間をかけてやるものではありません。分量を決めてやっていくことが大事です。そして、決めた分量が予想よりもかなり早く終わったとしても、決してそこで追加の勉強をさせることはせずに、明るく褒めておしまいにすることです。
 そして、そのように早く終わりすぎる状態が継続的に続くようでしたら、そこで初めて分量を再度決めなおすようにすればいいのです。
受験に勝つために―そして、受験後にも
 例年、「受験生は、夏休み前までに過去問を」と、もう何十年も言い続けているのに(笑)、あいかわらず秋から過去問に取り組むという人がかなりいます。
 受験勉強は、情報戦です。旧日本軍と同じように、情報戦で戦略的に既に大きく後れをとっているのに、個々の戦闘でだけがんばるという勉強の仕方をする人が多いのです。
 夏休み中に、自分流の勉強をした人と、ただ漫然と塾や予備校の夏期講習に通った人とでは、大きな差が出ます。夏休み中に自分流の勉強をするために、夏休み前の過去問分析が欠かせないのです。
 夏休み前までの模試はあてになりませんが、夏休み後に行われる模試は、ほぼ正確に実力を反映します。
 受験を左右するのは、偏差値ではなく総合点です。まだ過去問に取り組んでいない人は、過去問を、答えを書き込みながらでもいいので、全教科解いてみて、どの教科でどのぐらい得点するかという作戦を考えていきましょう。
 塾や予備校でも、過去問は仕上げにやると言っているところが多いようですが、それは、生徒が早い時期に過去問に取り組むと対応しきれなくなるという教える側の都合によるものです。
 受験に全責任を負っているのは、本人と保護者だけです。他人に頼らずに自分の判断で勉強に取り組んでいきましょう。

 国語の成績を上げるコツは、ある意味で簡単です。一つは問題文を読む練習をすることです。もう一つは、選択問題の解き方のコツを学ぶことです。選択問題の解き方は、1、2時間もあればすぐに理解できます。
http://www.mori7.com/index.php?e=769
 さて、人生で大事なのは、受験に勝つことでありません。受験が終わったあと、どういう勉強をして、どういう人間になるかということです。
 受験に合格することを目的にしてしまうと、合格したあとに勉強が途絶えてしまいます。
 合格することが目的なのではなく、合格後、又はたとえ第一志望に合格しなかったとしてもその後、社会に出て立派な社会人になり、世の中に貢献していくことが本当の目的なのだと今から話しておくといいと思います。
受験作文は、練習しないと書けないか
 公立中高一貫校の入試は、学習塾に頼らないでもできるような勉強で受験生の実力を見るということが前提になっています。そのため、詰め込みの知識を見る問題ではなく、考えて解くような問題を出すという工夫がなされています。
 そういう考える問題を毎回作るのは、かなり大変です。しかし、教科の問題作成よりももっと大変なのが作文の問題作成です。
 最初のころの中高一貫校の作文課題は、受験生の実力を軽く見る程度の身近な課題が中心でした。しかし、すぐに受験生がそういう課題に対策を立てるようになると、作文の評価に差がつかなくなりました。
 受験用のテストは差をつけることが目的なので、作文の課題は年々難しくなっていきました。まだ入試が始まってから4、5回しかたっていないのに、今の中高一貫校の入試の作文の課題は、普段の実力だけで準備なしで書ける子はまずいないというぐらい難度の高いものになっています。
 それは、課題が難しいこともありますが、課題のわりに時間がかなり短いことも大きな理由になっています。学校の中には、30分で800字の作文を書くような課題を出すところもあります。大人でも、このスピードで書ける人は限られていると思います。
 そういう無理な試験をするよりも、作文自動採点ソフト「森リン」を使った作文検定を参考にする方がずっと生徒の実力を無理なく正しく評価できると思います。我田引水ですが、「森リン」はこの9月に正式に特許を取得することになりました。
 それはともかく、現状では、作文課題が難しくなっているのはやむをえない面もあります。実力のある子は、練習すればすぐに書けるようになるが、実力のない子は練習してもなかなか書けるようにはならないという差があるからです。
 では、実力のある子は、受験作文のスピードに対応するためにどうしたらよいのでしょうか。それは、スピードを上げる練習をすることではありません。まずは、じっくり充実した作文を書く力をつけることです。中身がしっかり書けるようになったあとに、受験の1、2ヶ月前あたりからスピードを上げる練習をしていくのです。
「より豊かに」から「よりよく」という生き方
 これまでの教育は、耐久消費財の需要に対応した工業時代の教育というものでした。
 工業社会で、性能のいい歯車となり、高い所得を得、豊かな消費生活を送るという人生を目指す教育がこれまでの教育でした。それは、社会の側からの都合で学ぶことが決められ、そこで育てられる個人の能力はだれでも共通するものであるが故に、だれにとっても代替の可能なものでした。
 このような社会でいい仕事につくためには、いい学校に入り、いい成績をとる必要があります。しかし、その場合の「いい」という基準は、ある限られた枠で数値化され採点されるテストの形式で評価されるものでしたから、当然優劣が生じます。
 受験のための勝ち負けのある教育というものに、多くの生徒や保護者が疑問を感じつつも、しかし、負けるわけには行かないということで、競争にあおられながら勉強をしてきたのがこれまでの教育でした。
 しかし現在、これまでの工業社会に代わる新しい社会が台頭しつつあります。
 社会を動かす原動力は、人間の欲望です。これまでの多くの日本人の欲望の焦点は、豊かな消費財のある生活でした。例えば、いい家、いい車、いい服、いい食事などが、人間の生活の目標になっていました。
 しかし、このような消費財がいったんある程度手に入り、快適で便利な生活が送れるようになると、その欲望は、それ以上の充足は必要としなくなります。今は、いい家、いい車、いい服などにそれほどのワクワク感は持てなくなってきたのです。特に、お金を動かす力の大きい、資産や収入の多い人からのお金の流れが止まったことが、日本の社会の需要減少の背景となっています。
 では、魅力的な消費はどこに行ったのでしょうか。これからの人間がいちばんワクワクするものは、消費財よりも自己の向上のようなものになります。自分が、より美しく、より知的で、より創造的で、より社会に貢献できるような人間になりたいという欲望です。つまり、「より豊かに」から「よりよく」という欲望の変化が、これからの経済の動向を決めていくようになったのです。
読む練習が書く文章の雰囲気を作る
 文章を模倣する練習というのは、家庭や学校のような場所でなければなかなかできません。民間の学習塾などが文章指導と銘打って、ただよい文章を書き写す練習をしていたのでは、人が集まらないでしょう。
 しかし、そういうことを言ってもいられません。言葉の森では、現在、約千字の文章を暗唱する練習をしていますが、これを今後、暗唱から暗写へという形の練習に発展させていきたいと思っています。
 文章の暗唱の成果というものは、すぐに出てくるわけではありません。その文章を暗唱したことを忘れたころに、暗唱した文章の雰囲気が作文の中に表れてきます。
 先日、小学校5年生の生徒たちの「痛かったこと」という作文の課題で、子供たちが構成図を書いたあとに、その痛かった場面の描写を特に詳しく書くようにアドバイスしました。
 ちょうど1年ほど前に、水泳の文章の暗唱で、ごく短い時間の話を詳しく描写するような文章を暗唱する練習をしていましたが、その文章の雰囲気と同じような盛り上がりのある描写が、今回の「痛かったこと」の作文の中に自然に書けていました。書く対象が違うので、表現する言葉は全く違いますが、そのピークに向かって盛り上がるという雰囲気がとてもよく似ていたのです。
 暗唱の成果というものは、このように文章の雰囲気が似ているという形で表れてきます。ですから、暗唱の成果がすぐに出るのではなく、それがすっかり自分の中に消化されて、その文章を暗唱したことなど忘れたころに、自分の書く文章の中に暗唱の経験が生きてくるのです。
 本の好きな子は、その本の文体と似た文章を自然に書くようになります。読む練習は、書く練習と深く結びついているのです。
受験作文小論文と、反対意見に対する理解
 昨日、突然、高校3年生の子が慶応大学文学部の推薦小論文入試の書き方を教えてもらいたいというのでやってきました。
 そこで、持ってきた過去問の課題を見て、書き方を説明しました。その際に、「結びの意見には、『反対意見に対する理解』を入れていくのがコツだよ」という話をしました。その子は、「何でそんなものを入れるのか」と納得できないような顔をしていましたが、その後実際に書いたものを見てみると、反対意見に対する理解が文章の印象をよくするのにかなり役立っていました。
 受験の作文小論文のコツは、文章をよく見せるだけでなく、書いている自分自身をよく見せることです。ただ自分の考えを述べていればいいというのではなく、こんなに深く考えて述べているということもアピールする必要があるのです。
 もちろん、こういうコツは、ある程度書く力があることを前提としていますから、実力がまだ伴っていない生徒の場合は、実力をつけることをまず最初に優先しなければなりません。
 受験生をおおまかに分けると、まず実力のある子と実力のない子がいます。更に、実力のある子の中に、上手に書ける子と上手に書けない子がいるということになります。

 日本では、中学高校での作文小論文の指導はほとんどありませんが、そのわりには、かなりの子が一定の文章力を持っています。
 話は少し変わりますが、 フランスの調査会社が2010年2月にツイッターで使われている言語を調査した結果によると、英語が50パーセントで第1位で、日本語がそれについで14パーセントで第2位だったそうです。
 日本人がいかに文章を書くことが好きな民族であるかがわかると思います。この原因は、日本語が漢字かな混じり文という視覚的な言語であることが大きな理由になっているように思います。日本語は、喋るよりも書いてみたときの感覚が美しくて楽しいという気持ちを持ちやすいのです。
 この日本語を書く人口が多いということは、これからの日本の社会の可能性を大きく広げています。
 近代の社会では、マスコミが情報を作り出し、一般大衆はそれを受け入れるだけという構造で運営されてきました。ところが、インターネットの普及によって、日本の場合は一般の人が情報を作り出す力があるということが次第に明らかになってきました。
 これまでの工業社会は、今後次第に創造社会に移行すると思われます。このときに、国民ひとりひとりが自ら情報を作り出すことができる日本と日本語は、新しい時代を作るうえで世界の中で最も有利な位置にいると思います。

 さて、言葉の森では、受験作文小論文コースは入試の5ヶ月前からということにしているので、9月から受験作文コースに切り換える生徒が多くいます。
 作文の実力はこれまでの練習の中でつけているので、この受験コースは仕上げという位置づけの勉強になります。つまり、今ある実力の中でどれだけ上手に書くかということを中心にした指導です。このため、講師は生徒に対して、普通の練習では注意していないようなところまで注意します。
 これまでの作文の練習では、生徒の努力を評価していましたが、受験作文小論文の指導では、努力よりも結果を評価します。例えば、いい表現を入れようとして書いているだけでは不十分で、実際にいい表現になっていないとだめだということです。教える方は簡単ですが、書く子供の方は大変です。(^^ゞ
 
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