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  2月11日(金)は休み宿題(再掲)
  小2の2月の暗唱長文にふりがなのミス
  領収書のページ
  書く力のある子、読む力のある子
  作文の勉強がなぜ大切か
  小論文は予備知識がなくても書ける―国立大学後期入試
  小学生から高校生までの一貫指導
  作文だけの専門指導
 
言葉の森新聞 2011年2月2週号 通算第1162号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
2月11日(金)は休み宿題(再掲)
 2月11日(金)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
小2の2月の暗唱長文にふりがなのミス
 小2の暗唱長文1月分【2】にふりがなのミスがありました。訂正してくださるようお願いします。
△台所(だいしょ)を見ると → ○台所(だいどころ)を見ると
領収書のページ
 受講料の領収書が必要な場合は、下記のサイトで生徒コードとパスワードを入れ、表示された領収書を印刷してお使いください。
http://www.mori7.com/paypal/ryousyuu.php
書く力のある子、読む力のある子
 まず、書く力です。
 作文や小論文の試験で課題が難しくなると、書く力のある子と、書く力のあまりない子との差がはっきり出てきます。
 そこで、受験の作文では、その学年の子供にとってはかなり難しいと思われるような課題が出されることが多いのです。
 書く力のある子は、書きようがないように見える課題であっても、必ず何かしら書いていきます。しかし、書く力のない子は、すぐに、難しい、わからない、書けないなどと考えてしまいます。
 これは、普段の作文の練習でも出てきます。
 作文を上手に書くかどうかという以前に、どんな課題でも何かしら書いていくという実力をつけることが大事です。

 次に、読む力です。
 読む力があるかどうかは、読解問題のテストなどをしなくても話をしていればわかります。
 難しい話でもじっと聞いている子と、少し長い話になると飽きて上の空になってしまう子とがいます。
 作文の書き方で、似た例などを説明するときに、読む力のある子は、先生の話をじっと聞いていて、その話をうまく作文の中に消化して書いていきます。こういう子が、読む力のある子です。文章を読む力があるということは、文章を聞く力があるということだからです。
 こういう子供は、学校の成績が今はあまり芳しくなくても、心配する必要はありません。いざ受験が近くなって本気で取り組むようになると、どんどん力をつけていくことができるからです。
 
 読む力や考える力があるということと、学校の成績がよいかどうかということは、多少違います。今の学校は、考える力のある子にとっては興味の持ちにくい機械的な勉強も多いからです。
 数学者の岡潔(おかきよし)さんは、中学生のころ、数学の問題を考えるのは好きでしたが、授業の数学の勉強はほとんどしなかったそうです。勉強しないと、当然よい成績は取れないので、試験の前になるとその単元の問題と解答を全部丸暗記したそうです。学校の勉強は丸暗記で処理しておき、本当に自分の好きな考える勉強だけをしていたのです。丸暗記というのもすごいですが(笑)。
 こういうタイプの生徒は、今の社会生活には適応しにくいと思いますが、ある意味で、本人にとっては人生は楽しいと思います。そして、本当はみんながそのような勉強をができることが将来の理想的な教育の姿なのだと思います。。
作文の勉強がなぜ大切か
 学力には、大きく分けて理解力と表現力があります。
 現在の受験体制を中心とした勉強の中では、理解力の基礎となる記憶力が特に重視されがちです。それは記憶の再現という形の試験が、○と×をつけやすい単純な試験だからです。
 多くの受験生を短時間で採点するためには、答えが一意的に決まっている再現型の問題を出す方が能率が上がります。しかし、そのために子供たちは、記憶することや理解することが勉強の中心だと思ってしまうのです。
 しかし、これからは、理解力ばかりでなく、表現力が理解力以上にもっと重視されるようになります。
 記憶力や理解力が必要とされた社会は、同じ作業を正確に続けることが要求される工業型の社会でした。しかし、与えられた課題を与えられたとおりに正しく遂行する能力は、次第に人間ではなく機械やソフトウェアによって代替されるようになってきます。
 これからの社会では、与えられた仕事を決まったやり方で取り組む人よりも、新しい課題を自分で発見して創造的に解決する能力を持つ人が求められてきます。そこで、創造力の土台となる表現力を育てることがこれからの学力の中心になってくるのです。
 作文というのは、何もないところに自分の考えを創造していく勉強です。特に、言葉の森で行っている構成図をかきながら考えるという作文は、創造的に考える力を育てるのに役立ちます。
 今、目の前に置かれている勉強の状況を見るだけでなく、将来の社会によって求められる学力という観点から、子供たちの勉強の重点を考えていく必要があります。
 将来の学力として必要なものは、第一に自分の考えを創造的に表現するという意味での作文力、第二にその表現力の基礎となる読解力を育てるという意味での国語力、第三に創造性を数学的にも適用できるようにするという意味での数学力です。
 しかし、数学や英語は、学年が上がってからでも、取り組み方によって比較的短期間に成績を上げることはできますが、作文力や国語力は、子供のときからでないと得意にさせることはなかなかできません。だから、小学校1年生の楽しく勉強できる時期から作文の勉強を始めていくことが大事なのです。
小論文は予備知識がなくても書ける―国立大学後期入試
 東工大の後期の小論文入試の過去3年間の問題は、次のようなものでした。(テーマのみ。実際の問題は100−300の短い文章や図)
○2010年「河川管理のあり方(災害防止と環境整備について)」
○2009年「経済成長率と人々の信頼感の関係」
○2008年「食品産業での偽装の社会的背景と対策」
 これらのテーマを見ると、その話題について何らかの予備知識がないと書けないような気がします。
 取り上げられた課題は、その年の主要な時事問題と絡んでいますから、予備知識の対策が立てられないわけではありません。しかし、受験生が日々のニュースに関心を持ち、新聞を読むというような余裕はまずありません。まして、関心のある時事的な話題について、自分の考えを深めるために参考になる本を読むというようなことは通常はありません。予備知識がある人は、たまたま偶然その話題に関する知識があったというだけでしょう。
 では、なぜこのような予備知識の有無によって出来具合が大きく違ってくる小論文課題を、大学側は出題するのでしょうか。それは、後期の試験での選抜の基準を次のように考えているからだと思います。
 
     予備知識ある予備知識ない
文章力ある  ◎     △  
文章力ない  ×     ×  

 つまり、本当は文章力(思考力)のある生徒を採用したいのですが、予備知識の有無にかかわらず文章力のある人を選抜するのは大変なので、予備知識のある人の中で文章力のある人を選抜するようにしたということです。だから、文章力はあるが予備知識のない人(△の人)は、実力はあるが合格しなくてもやむをえないということです。
 こうなると、予備知識をつけるための勉強を今からしなければならないかという気がしてきます。実際に、過去問の載っている赤本の解説にも、「様々な社会問題について関心を持とう」などと書いてあります。しかし、受験生が様々な社会問題に関心を持っている余裕はありません。
 ところが、これらの課題は、実は小論文の力がある人であれば、予備知識はほとんどなくても書けるのです。それは、与えられたテーマを立体的に考え、構成的に書く方法によってです。
 例えば、河川管理のあり方についてであれば、災害防止と環境整備の割合を(1)過去、(2)現在、(3)未来にわたって論じ、そのそれぞれについて背景や対策を考えるというような書き方です。
 経済成長率と信頼感の関係では、(1)成長率が高く信頼感が高い国、(2)成長率が低く信頼感が低い国の原因分析を中心に、(3)成長率が低いのに信頼感が高い国、(4)成長率が高いのに信頼感が低い国の分析を行っていくことです。このように論点を4つぐらいに分けると、1000字ぐらいの小論文を書く見通しが立ちます。1000字120分という枠ですから、文章力のある人であれば、字数も時間も比較的余裕があります。
 食品産業での偽装については、考えられる原因を、(1)途上国の追い上げ、(2)内部告発意識の高まり、(3)顧客志向から利益志向へ、(4)保存加工技術の進歩など4つぐらいに分け、そのそれぞれについて250字ずつ書いていけば1000字の小論文になります。
 このように、本当に考える力があれば、予備知識がなくても、構成のはっきりした小論文を書くことができます。構成が明確で、わかりやすい小論文であれば、予備知識の裏づけがなくても合格圏内に入る文章を書くことができます。更に、表現力のセンスがある人でしたら、考え方の光る意見を書くことができます。これで合格の確率はかなり高まります。
 小論文対策は、予備知識をつけることよりも、普段から考える力をつけ、表現力をつけておくことなのです。

小学生から高校生までの一貫指導
 以下の記事は、言葉の森のホームページの記事「言葉の森と他の作文教室との違い(1−6)の一部です。

 第四は、小学校1年生から、高校3年生までの長期間の展望を持って作文指導をしていることです。
 言葉の森は、もともと大学生の文章指導の教室からスタートしました。それを、高校生や中学生や小学生の作文指導にも広げていったのです。ですから、最初のころの小学生の指導は、かなりレベルの高いものでした。小学校4年生のぐらいの子に、今の6年生が勉強するのと同じようなことを教えていました。しかし、当時の子供たちはなぜか、どの子も文句を言わずに勉強していました。
 今、学校や他の国語教室などで教えている作文は、その学年で上手に書くことを目的にしたものが多いと思います。小学生が、小学生のときに上手な作文を書くことももちろん大切ですが、もっと大切なのは、中学、高校に進んだときに必要な力をつけていくことです。
 わかりやすい例で言うと、生活作文における情景や心情の描写力は、小学生のときには高い評価を受けますが、中学生や高校生になったときに書く意見文や論説文の文章ではあまり書く機会が出てきません。意見文や論説文で重要になるのは、社会実例を幅広く入れる力や、自分の意見に対する反対意見を考える力などです。
 一般に、女の子は、会話やたとえや心の動きなどを上手に書くことができます。男の子は、そういうことにはあまり関心がなく、それよりも、数字や名前など堅い説明を書くことに関心を示します。これは、文章力の差ではなく、興味や関心の差なのですが、小学校の間は、女の子的な作文の方がずっと高く評価されます。
 しかし、言葉の森では、中学生や高校になったときの展望があるので、数字や名前や説明中心の味気ない男の子の作文にも、将来優れた意見文を書く素質があることを見抜きます。学校の先生やお父さんやお母さんが、決して上手だと思わないような作文の中に、実は将来伸びる可能性があるのを見ることができるのです。
作文だけの専門指導
 第五は、言葉の森の作文指導は、作文だけの専門の指導だということです。
 作文教室という名前をつけているところでも、作文だけの指導をしているところは実は少なく、ほとんどは国語の勉強の一部として作文もやっているという形のところが多いと思います。それは、なぜかというと、国語であれば教えることはたくさんあるが、作文では教えることがあまりないからです。
 言葉の森は、それとは逆です。国語の勉強のようなことは、自分の力だけでもできる勉強です。特にだれかに教えてもらう必要などありません。
 国語の得意な生徒を見ればわかるように、それらの子供たちは国語の勉強の仕方を特にだれかに教わったから得意になったというわけではありません。学校の勉強にも、塾の勉強にも関係なく、ただ生まれつき国語が得意だったという子がほとんどです。
 しかし、実は、それは生まれつきではありません。ひとことで言えば、難しい文章を読む習慣があり、その文章を理解して考える習慣があるから国語が得意になったということです。ですから、国語力は、低中学年では多読力に、高学年では難読力に比例しています。
 言葉の森で勉強をしているとなぜ国語力がつくかというと、小学校高学年からは難しい長文を読んで感想文を書く勉強が中心になっているからです。
 そして、更に重要なことを言うと、今の中学、高校での国語の授業における国語力には、作文力はまず含まれていません。中学、高校では、作文の授業をすること自体が難しいからです。そのため、中学生や高校生で国語が得意だと思っている生徒でも、その国語力は作文力を除いた国語力であることを自覚している人はあまりいません。
 しかし、社会に出てまずいちばんに必要な国語力は、この作文力、表現力で、その次が読解力です。読解力は、正解がほぼ決まっていますから、できるできないの差があるというのは、国語の苦手な人も含んだ場合の話であって、あるレベル以上の人になれば読解力の差はなく、みんな同じように文章を読み取る力を持っています。すると、最も大きな差になるのは、作文力、表現力の方なのです。
 この作文力は、他の教科の勉強と違い、独学で身につけるのが最も難しいものです。それは、作文を書く勉強というものが、他の教科の勉強に比べて負担の大きい勉強であることもありますが、それよりももっと本質的な違いは、作文というものが自分で評価できない面を持っているからです。
 自分の書いた作文は、自分で評価することはできません。これが、正解が決まっている他の教科の勉強との最も大きな違いです。そのために、作文以外の教科の勉強は、よい参考書と問題集があれば自分ひとりの力でも勉強を進めていけますが、作文だけは第三者に評価してもらう必要があるのです。
 言葉の森が、作文指導を専門にしているのは、このような事情があるからです。そして、作文の指導をする中で、文章を読む力も自然に育っていくのです。ただし、自然に育つとは言っても、その際の最低限の条件として、毎日何らかの形で文章を読むという習慣を作っておくことは必要です。

 
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