言葉の森新聞
2011年9月2週号 通算第1191号
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森新聞 |
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■9月19日(月)は休み宿題 |
9月19日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987) 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php |
■「脱アメリカ時代のプリンシプル(原田武夫著)」を読んで―無の文化と日本 |
これは、教育の話を論じる予定です。出だしは、経済と政治の話ですが、根本にあるものを論じていくと、文化全体に通じるものになり、したがって、教育の話にもつながっていくのです。 この本の中で原田さんは、現下の世界経済の動きを、欧米とアジアの文化的抗争という視点からとらえています。 戦後、世界の経済力の中心であったアメリカは、1970年代から衰退を始めていました。当時、多くの人の目には、豊かな欧米と貧しいアジアという構図が映っていましたが、現実の経済の活力の点では、アメリカやヨーロッパに代わって日本がアジアの牽引車として台頭しつつあったのです。 しかし、このアジア台頭の予測に危機を感じたアメリカは、経済的に発展する日本とアジアを、政治的に支配する道を計画し始めました。 それは、ひとことで言えば、日本とアジアの生産力を欧米の金融によって合法的にコントロールする仕組みです。そして、アジアがこの支配から脱け出ないように、政治的には、アジアどうしを反目させる仕組みが残されたのです。そのひとつが、今も、日本、中国、韓国の間に残る領土問題や、政治的に醸成された国民どうしの反感です。 著者の原田さんは、この欧米による金融支配を打破し、平和なアジアを築くために大事なことは、アジアの共通原理(プリンシプル)を持つことだと述べています。 そのプリンシプルとは、日本、中国、韓国に共通する陰陽の思想だと言うのです。 現在の政治と経済の問題を、数百年単位の文化のサイクルの問題として考え、欧米の文化に対置するアジアの文化を陰陽の思想と考えたのは、歴史の本質を独創的にとらえた見方です。 私は、日本及びアジアの文化の特徴を、陰陽の文化の更に先にある無の文化としてとらえています。それは、具体的には老子の無の思想、日本文化における無常観などとして考えることもできますが、もっと広く文化の全般にわたって流れているものです。 日本及びアジアの文化を無の文化と考えることによって、陰陽の思想も、また、政治、経済、科学、教育も、新しい視点で見ることができるようになるのです。(つづく) 【参考】カテゴリー「知のパラダイム」 http://www.mori7.com/beb_category.php?id=45 |
■無の文化と経済 |
陰陽の文化というものも、無の文化を前提にして生まれています。 有の文化と無の文化の違いを簡単に説明すると、有の文化は、その言葉のとおり、ある物事が「有る」というところを出発点にした文化です。 |
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デカルトの「我思う。ゆえに我あり」は、意識における有の思想ですが、物理的な物事に関しても、ある物を定義するのに、それが何かということを分析し細分化します。すべての「有る」にさかのぼる発想をするのが有の文化です。 現代の日本人も、学校教育の中でこのような有の文化の洗礼を受けるので、ごく自然に、ある物事を考えるときに、それを分析する立場から見ようとします。 しかし、日本の文化に本来あったものは、無の文化です。無は、物事を「無い」ものと見るところから出発します。ある物事が「無い」のに、それが物事として成立しているのは、その物事の周囲がその物事をその物事たらしめているからだという考えです。 例えば、ドーナツの本質は、穴があることです。では、穴とは何なのでしょうか。それは、何も無いことです。しかし、単に無いのではなく、穴以外のものに取り囲まれていることによってその「無いこと」が穴として存在しています。 ある物事が、その物事の「有」によってではなく、その物以外の「有」によって、つまりその「物」自体の無によって規定されるというのが無の文化の発想です。 この無の文化がアジアの文化の背景にあり、そして、それは、この日本で最も深く根づいていたのです。 陰陽の考え方も、この無の文化から来ています。陰は、陰だけで単独に存在するのではなく、つねに対比されるものとの関連で陰になります。だから、場合によっては他のものとの関連で陽になることさえあります。 陰が極まると陽になるというのも同じです。過ぎたるは及ばざるが如しというように、ある「有」は、それを追求していくと、有の極まったところで無に転化します。しかし、その無を突き詰めていくと、再び無の極まったところで有に転化します。 木火土金水の五行の関係も同じです。例えば、木は、単独で木であるのではなく、水からは生じられる関係で、金からは剋される関係で初めて木として存在します。 風水も同じです。ある土地や物自体がよかったり悪かったりするのではなく、その土地や物が周囲の場所や状況との関連でよくなったり悪くなったりします。 ところが、欧米の有の文化の発想は違います。問題になるのは、常にその物自体であり、他との関連は二義的です。まして、その物自体は「無い」のに、他との関係だけが「有る」というようなことは考えつきません。 この欧米の有の文化が、世界の標準の考え方になってきたのは、わずかここ2、300年です。産業革命が成功し、市民革命が成功し、その圧倒的な軍事力と策略の力で、思想的な面でも、世界中の文化を有の文化に変えることができたのです。 ところが、日本は、明治の開国と、太平洋戦争の敗北によっても、有の文化は社会に浸透しませんでした。日本人のものの考え方の根底には、今も、無の文化が生きているのです。 欧米の有の文化は、世界に広がり発展するにつれて、次第にその限界を見せてきました。 経済学の分野では、アダム・スミスが述べたように、「個人の利益を追求することが、社会全体の利益にかなう」という考え方が、実際に有効だった時代もありました。しかし、やがて、個人の利益という「有」がガン細胞のように際限のない増殖を始め、社会全体の利益に反するばかりか、自身の存立基盤をもむしばむようになったというのが、現代の金融資本主義という有の文化の行きついた姿です。 それは、運営の仕方がたまたま悪かったためでも、民主的な規制ができなかったためでもなく、有の文化そのものが持つ限界だったのです。 とすれば、現在の世界の政治的経済的行き詰まりを打開できるのは、日本及びアジアに残る無の文化ではないでしょうか。 無の文化における経済の目的は、個人の利益という「有」を追求するためにあるのではありません。個人の利益を「無」と考え、相手の利益を豊かにすることを第一の目的とすることによって、初めて現代の人類の豊かな生産力をコントロールすることができるようになるのです。 そういうことが果たしてできるのでしょうか。それができることを示したのが、日本の3.11の経験でした。 日本は、世界で唯一と言ってもいいほど、無の文化が社会の隅々にまで息づいている国です。しかし、そうでありながら、欧米の有の文化の成果である科学技術、政治経済、学問教育の分野でも、本家の欧米以上の成果を達成しています。 単に欧米の有の文化を否定するのではなく、自身の中にもある有の文化を生かしつつ、それをより大きな無の文化に包摂するというのが、世界史におけるこれからの日本の役割なのです。 |
■無の文化と教育1 |
無の文化は、日本の社会においては、経済だけでなく、教育の世界にも流れています。 日本の近代の欧米流教育は、有の文化の教育でした。教育の対象として「個人が有る」ということと、「その個人が身につけるべき何かが有る」という考え方が前提とされていました。 その「身につけるべき何か」について、「何を」「どこで」「だれから」教わるのかと特定していったものが、教材であり、学校であり、先生でした。 だから、現在の社会では、教育というと、教科書、学校、先生が不可欠であるかのように思われています。しかし、これは決して教育の本質にとって普遍的な要素ではなく、近代という時代の歴史に限られた要素なのです。 もちろん、このような近代教育の採用は、日本が明治維新以降、西洋の文化という異質なものを急速に取り入れる必要があったために避けることのできないものでした。 しかし、今日では、西洋の文化は、日本の社会の中にすっかり消化されて取り込まれています。これからは、日本が本来持っていた無の文化を教育の中に生かし、これまでの有の文化を包み込んだ教育を作り上げていく時期なのです。 無の文化においては、人間は、個人として独立した実体であるよりも、社会関係の中で規定された相対的な何かとして見なされます。ある個人は、家族、地域、歴史、社会的役割などによって多層的に、その個人の外側から関係づけられた存在です。 有の文化においては、教育とは、未完成な個人が何かを身につけていく過程でした。しかし、無の文化においては、個人は周囲の社会から既定された何かとして最初から完成されています。それは、あたかも、自然の中の動物が、生まれたときから完成されているのと似ています。 例えば、ライオンやウサギは、教育を必要としません。自然の生態系の中で、自分の生きるポジションが決まっているので、よりよいライオンやウサギになるために、トレーニングに励むというようなことをしないのです。(あたりまえですが) 無の文化においては、人間も、自然の生き物たちと同じように最初から完成している存在だと見なされます。 しかし、人間は、成長の過程で、人間の自然にとって本来なくてもよい余分なものを身につけていきます。だから、それらの曇りや汚れを拭うために教育があるという考え方をするのです。 有の文化の教育が「外にある何かを身につける教育」であるのに対して、無の文化の教育は、「内にある曇りを拭いとる教育」です。 しかし、これはもちろん、何かを身につけることを否定するのではありません。外の何かを身につける前に、まず内の何かを拭わなければならないという考え方です。曇りを拭い続けているうちに、おのずから必要なものが身につくというのが、無の文化の教育の方法論です。 例えば、日本では、技芸の修行をするときに、雑巾がけを5年、10年と続けながら、師匠の技を盗む、というようなことが行われます。 有の文化の視点から見ると、このような教え方は全く非効率であるように見えます。しかし、ここに無の文化の教育の特徴があります。 有の文化では、教えるものを特定します。Aという技術とBという知識を習得したあとに、Cを身につける、というような教え方です。それらを教えやすくするために、必要に応じて技術を更に細分化し、順序を決め、教材とカリキュラムを完備していきます。 しかし、このような教え方をすると、教わるべき教育の内容が、教え手の教え方によって最初から偏っているということに気づきにくくなります。教育の内容が、特定化されることによって一面的になってしまうのです。 また、教えることが特定されることによって、それをすべて身につけるということが可能になります。すると、限定されたものをすべて身につけることにより、慢心が生まれやすくなる一方、師匠の水準を超える弟子が生まれにくくなります。 一方、日本のように雑巾がけをしながら技を盗むという教え方は、教える内容が教え手の主観によって一面化されていません。 無の文化では、人間にはもともと自分の内側に完璧なものがあり、それを自分で悟るために、雑巾がけをしたり、師匠の技を盗んだりするという考え方をします。 だから、進歩には際限がなく、永遠の完成を目指して精進を続けるという教育観が出てきます。そのときの教材は、自分であり自然であるのです。 二宮尊徳の言葉に、「あめつちは書かざる経をくりかえしつつ」というものがあります。本を読んで、その限られた知識を身につけることが教育なのではなく、天地自然から学び続けることが教育だという考え方です。 本居宣長は、「なぜ、日本には、インドの仏典や、中国の四書五経に匹敵する思想体系がないか」と問い、「それは、日本が、そのような事々しい教えを必要としないほど、いい社会だったからだ」と述べています。 もし、教育において、教材が特定されていれば、その解釈をめぐって対立が生まれ、批判や論争が生まれ、最後は、物事の真実よりも、議論の巧みさや力関係の強弱によって正しさが決められるようになります。それが、今日の世界の支配的な宗教となっているものの現実の姿です。 日本における無の文化の教育は、教材を特定して、それを教え込むというような方法をとりませんでした。人間は既に自分の内側に完全なものがあるから、それを自分で悟るために、日々精進し、師匠の技を盗み、天地自然に学ぶという教え方をしました。だから、教える人に必要なのは、教え方ではなく後ろ姿でした。 ところで、曇りを拭うという無の文化の教育にも、方法論があります。人間はもともと完全な存在であるのに、後天的に、曇りや汚れや余分なものや不純なものを身につけます。その不純物を拭う方法として、日本の文化は、自然、喜び、反復などの方法を編み出しました。(つづく) |
■無の文化と教育2 |
無の文化における方法論の主なものは、自然、喜び、反復などです。 日本人は、解決しがたい大きな問題にぶつかると、自然の中に戻って答えを探そうとする傾向があります。人や文献に頼るのではなく、自分で直接、自然や現場に赴いてその問題と一体となろうとするのです。 また、日本人は、暗いことは悪いことで、明るいことがよいことだというもともとの価値観があります。だから、議論をして勝つようなことは、議論すること自体に暗さを感じてしまうのです。 多数決で決めることも同じです。多数決で少数者の声を否定して決めざるを得ないことに、本来の姿ではないものを感じるので、日本人の最も理想とする決定の仕方は、満場一致になります。決をとるのではなく、全体の雰囲気で決まるともなく決まるというのが理想の決まり方です。この根底にあるのは、だれもが明るく納得することがよいという価値観です。 日本の無の文化にあるもうひとつの特徴的な方法論は、反復の重視です。道元は、只管打坐という座禅の方法を確立しました。理屈による理解や技術の段階的な修得という方法ではなく、ただ黙って最初から最後まで座り続けるという方法を方法論として定式化したのです。 日本の仏教に見られる念仏も同じです。念仏においては、同じ言葉を唱え続けることが方法なのです。欧米の有の文化が、修行を何かを得るためのものと考えているのに対し、日本の無の文化は、修行を曇りや汚れを拭いとるものと考えています。このため、無の文化の方法は、ただ拭うために繰り返すことになるのです。 これは、日本の運動やスポーツの技能に対する考え方にも生かされています。例えば、日本では、野球でも剣道でも素振りという練習をよく行います。相撲でも、四股を踏むという繰り返しの練習が行われます。 テニスの練習法の素振りは、欧米の人にとっては、なぜそういう練習をするのか理解に苦しむところがあるようです。欧米の有の文化ででは、運動とは技能を身につけるものですから、技術を理解し修得する練習が中心です。日本の無の文化では、同じ動作を繰り返すことによって不純物を拭い去り、その運動に必要な本来の自分の姿を明らかにするということが中心になるのです。 学習についても同様です。日本では江戸時代の国語教育の中心となった方法は、素読と手習いでした。素読とは、同じ文章を何度も声を出して読み、暗唱するまで繰り返し読むことです。手習いとは、手本となる文字をなぞり書きし、紙が墨で真っ黒になるまでそのなぞり書きを繰り返すことです。 有の文化では、文章は一度読んで理解できたらそれでよしと考えます。文字は書き方を理解し書けるようになったらそれで練習は終わりです。なぜなら、文章も文字も、自分の外側に「有る」ものですから、それが自分の身についたら学習は完成なのです。 日本の無の文化では、読めるようになるとか書けるようになるとかいうこと自体が教育の目的なのではありません。文章や文字は、自然と同じように本来人間と一体のものであるはずだからです。ところが、人間は生きる過程で曇りや汚れをつけてしまうので、自分の中に本来ある文章や文字が自分のものとして出てきません。だから、同じものを繰り返し読み、繰り返し書くことによって、自分の表面にある不純物を拭い去り、その文章や文字との一体感を取り戻すということが教育の目的になっているのです。 日本人は、念仏にしても、素振りにしても、写経にしても、千羽鶴にしても、同じ動作を繰り返すことが好きです。それは、なぜかというと、同じことを繰り返すことによって何かが浄化されていくという感覚があるからです。 有の文化は、自分が「有り」、対象が「有る」ことを前提にして、自分がその対象を獲得することを目的とします。これは、誰でもわかる論理です。デカルトの「我思う。故に我あり」は、デカルトの青年期の思索の結果でした。だから、欧米の有の文化の論理は、よく言えば青年の論理、悪く言えば子供の論理なのです。(つづく) |