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  訂正:「リーマンショックの影響で」→「バブル崩壊の影響で」
  現在の経済情勢と子供の教育4
  現在の経済情勢と子供の教育5
  賞品のページを更新
  点数で励ますより共感で励ます(facebook記事より)
  花を咲かせる前に根を広げよう(facebook記事より)
  国語のテストの成績が悪かったとき
 
言葉の森新聞 2012年1月2週号 通算第1207号

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森新聞
訂正:「リーマンショックの影響で」→「バブル崩壊の影響で」
 1.1週号の記事「現在の経済情勢と子供の教育2」の記事の中で、「リーマンショックの影響で山一証券が」と書いてあるのは、「バブル崩壊の影響で山一證券が」の誤りです。
 バブル崩壊(1990年ごろ)→山一證券(1997年)→リーマンショック(2008年)です。
 と書いていてふと思ったのが、後世の歴史は、1990年の日本のバブル崩壊と、その後のアメリカのITバブル崩壊と、その後のリーマンショックと、今起きつつある経済危機を、同じ流れのものとして記述するだろうということでした。
 共通しているのは、生産活動に使うのでは使いきれなくなったマネーをギャンブルにつぎこんで、最初はうまく行っているような気がしていたものの、結局返せなくなったということだからです。
 この出口は、ひとつしかありません。それは、使いきれなくなったマネーを新しい産業の創造にふりむけることです。
 その新しい産業とは、昔ながらの公共事業の延長にはありません。タヌキしか通らないような道に高速道路を作っても仕方ないのです。(タヌキさんごめんね)
 新しい産業は、上からの指示で作られるような大きな産業ではなく、ひとりひとりの人間がその産業に従事することを喜びとするような、下から作っていく産業です。
 私は、そのひとつとして森林プロジェクトを考えています。人間が、その地域で、周囲の人に喜ばれながら自分の提供する何かを受け取ってもらえるような仕事です。
 そして、それを受け取った人が、自分も同じように周囲の人に喜ばれる何かを提供できるのだと気づくような仕事です。
 その芽は、実は既にいろいろな形で現れています。その具体的な話を、今後書いていきたいと思います。
現在の経済情勢と子供の教育4
 私の周囲に、いろいろなセミナーに出かけ、そこで資格を取得したり技術を身につけたり、自分でも新たにそういうセミナーを主宰したりするようになっている人がいます。
 物が豊かに溢れる日本の社会では、もちろんまだ欲しい物はたくさんありますが、物よりも心を引きつけるものは、自分を向上させて自分でも何かを始めるという、物以外のものなのだと思います。
 豊かな消費者という目標はもはや過去のもので、消費者としての豊かさをいくら追求しても、大した喜びが得られないと思うようになってきたのです。
 消費の喜びより、もっとわくわくするものは、たとえ小さなものであっても、生産者として自分を豊かにする喜びです。消費者としての豊かさから、生産者又は供給者としての豊かさを求める時代に変わりつつあるのです。
 そして、このニーズがこれからの日本の経済を切り開くエネルギーになっていきます。日本が新しい経済をスタートさせるということは、世界の経済の先に進む方向が明らかになるということです。
 では、それはどのような形で進むのでしょうか。
 例えば、ある家庭の主婦が、ふと思い立ってスピリチュアル系のちょっと不思議な講座を受講したくなったとします。占いとヒーリングと運勢改善の講座です。その内容自体に賛成してくれる夫は少ないと思いますが(笑)、それ以上に、もしその費用が20万円もかかるとしたら、たとえその講座を受講することによって自分もその講座を開く資格が得られるとしても、常識ある社会人である夫は、まず頭から反対すると思います。客観的に見ても、その反対意見の方が説得力があります。
 ところが、世の中の半数は女性で、ある女性が関心を持っている何かは、他の多くの女性も関心を持っています。
 
 その女性が夫を説得し、20万円の講習を受けて、技術を身につけ、自宅でささやかにその仕事を始めたとします。
 ここで大事なことは、価値は、需要から生まれるということです。
 その女性のもとに、同じような関心を持つ女性たちが集まります。すると、当初の金額はわずかであるとしても、それは立派な仕事です。そして、需要が増えれば金額増えるという関係から考えれば、その女性の始めた仕事がこれからどれぐらい発展するかはだれにもわからないのです。
 社会には、いろいろな資格があります。それらの資格を支えているものは、もともとのニーズです。しかし、生のニーズでは不安定なので、資格を独立した形で存続させるものとして、制度や法律や組織ができます。
 会社に入るというのも、大きな意味ではその会社に入るための資格を手に入れるということです。そして、いったん資格が手に入ったら、風邪で休んで仕事ができないときでも、つまり、仕事をするという生のニーズに応えられなくても、報酬は保障されます。しかし、報酬のもとになっているものは、あくまでもニーズです。
 ところが、今の日本の社会では、戦後の歴史の経過の中で、既にニーズのなくなった制度があちこちに残っています。それが、旧体制です。その旧体制のもとになっているものの多くは、物不足の工業時代に生まれた大量消費の価値観に基づくニーズです。
 それらのニーズは、なくなったわけではありませんが、供給する側が圧倒的に増えたために、ニーズとして経済を牽引するパワーをもう持たなくなっているのです。
 昔の物不足の時代には、物を手に入れることはわくわくすることでした。今はそうではありません。
 今生まれている新しいニーズは、自分も生産者として創造に参加したいというニーズです。
 そのニーズを担っているのは、主に、現実の仕事に追いまくられていない女性です。男性の多くは仕事に追われ、自分の本当のニーズがどこにあるか考える時間もあまりありません。しかし、心の奥では、定年になったら自分の力でできる何かを始めたいと思っています。
 仕事に追われていない女性は、もっとストレートに、今、自分のしたいことは何かを創造することだと実感しているのです。
 その最初の出発点は、スピリチュアル系でも、ヒーリング系でも、あるいは、マインドマップでも、速読法でも、記憶術でもいいのです。自分の持っている力で、たとえ女性の起業家というほどではなくても、自分が生産者として社会に参加する機会を作りたいと思っているのです。(つづく)
現在の経済情勢と子供の教育5
 工業時代のニーズは消費でした。その消費のためにお金を稼ぐというのが仕事でした。
 これからの文化の時代のニーズは生産です。生産といっても、物作りのような生産とは少しニュアンスの違う文化の生産です。それが物の形をとることもありますが、本質は物ではなく文化です。だから、生産という言葉より創造という言葉の方が合っているかもしれません。
 自分が何かを創造し、それを提供することによって人々が喜び、その喜びの返礼としてお金が手に入るという結果がついてきます。これが新しい経済の流れです。
 最初は、小さな流れがあちこちに生まれるだけかもしれません。先ほどのスピリチュアル講座を開設した女性も、最初は近所の人の相談にのるぐらいかもしれません。しかし、やがてそういう流れの中から、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが現れてきます。
 ゲイツやジョブズは、IT(インテリジェンス・テクノロジー)という工業の世界から生まれました。だから、スタートは自分の頭の中にあるアイデアでしたが、作られたものは物であり、多くの人が消費することを前提とした製品でした。
 これからの文化の時代に作られるものは、単なる物ではありません。自分もその生産あるいは創造に参加できるという新しい資格のようなものなのです。
 だから、女性を中心とした多数のミニ起業家の中からやがて現れてくるのは、ゲイツやジョブズというよりも、女性の松尾芭蕉や女性の千利休といった方が近いでしょう。
 俳句を作るのに、工場や機械設備は必要ありません。お茶を飲むのも同様です。占いやヒーリングや運勢改善も、基本は同じです。マインドマップや速読法や記憶術も同様です。
 今の世界ではまだお金を動かすために、物という形をとることも多いのですが、やりとりされる本質は物ではなく文化です。
 そして、文化の本当の楽しみは、自分も創造に参加できるということにあるのです。
 iPhoneを買うのも喜びですが、自分で俳句を作るのも喜びです。同じように、自分でだれかをヒーリングするのも喜びです。そして、自分のヒーリングが売れるとなれば、あるいはヒーリング講座が売れるとなれば、それは物を手に入れる消費の喜びとは質の違った喜びになるでしょう。
 時代の象徴となる人物は、工業時代には、本田総一郎や井深大でした。江戸の文化の時代には、松尾芭蕉や千利休でした。そして、もう少しさかのぼれば清少納言や紫式部でした。
 いずれも、登場した最初のころは、それらの人物が担う製品や文化が社会の中で大きく育つとは思われていませんでした。
 今、日本は、そういう新しい文化の時代が始まる歴史の前にいます。
 言葉の森が、森林プロジェクトとして考えているのも、そういう新しい文化としての教育です。(つづく)
賞品のページを更新
 賞品交換のページを更新しました。
http://www.mori7.com/yama/syouhinn.php
 賞品交換は、現在のものまででいったん終了し、そのあとは、読解マラソンのページと連動したバーチャル賞品にしていく予定です。お楽しみに。
点数で励ますより共感で励ます(facebook記事より)
 点数で励ませば、
 点数が下がれば意欲も下がる。
 共感で励ませば、
 長続きする意欲が育つ。

 他人との競争でがんばらせるよりも、その勉強の中身を見てあげよう。

 例えば、国語の成績が返ってきたら、点数を見るよりも、どういう問題でどういう答えをしたのかを見るのです。
 そこで見る子供の実力が本物です。
 場合によっては、点数が悪くても、「この問題は別にできなくてもいい」ということもあります。
 また、逆に点数がよくても、「これはちょっと対策を立てないと」というのもあるでしょう。
 そして、子供の国語の実力は、普段、家庭で子供と話をしていればおのずからわかってくるものです。
 実力がまだ足りないと思ったら、国語の問題集をやらせるよりも、まずもっと本を読ませて、もっと知的な対話に時間を使うようにすればいいのです。
 そして、国語の勉強というのは、もともと全部できて当然のものであるはずなのに、今の競争社会では子供たちの間に差を作りそれで意欲を引き出そうとしています。
 むしろ、国語の勉強は、作文を書かせることによって、その書かれた内容に共感する形で伸ばしていけばいいのです。
 ということで、今日のテーマは、点数より共感。
1、共感についてひとこと、
 又は、
2、「きょ、う、かん」で五七五、
 又は、
3、何でも自由にどうぞ。

 子供たちの世界は、大人の世界の縮図です。
 限られたパイをめざして競争に勝つという社会から、各人が自分の創造で世の中に貢献するという社会に、今世界は大きく変化しようとしています。
 子供たちの勉強も、その大きな流れの中で考えていく必要があります。
 そのためには、まず大人自身が、毎日の生活の中で小さな創造と共感を積み重ねていく必要があります。
 それが例えば、親子の対話です。
 子供がいなかったり大きくなってしまったりした人は、facebookの対話です(笑)。
 それでは、今日も対話と共感のあるいい一日をお過ごしください。
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=292755800770591&l=38f04f0e19
花を咲かせる前に根を広げよう(facebook記事より)
 植物が、根を広げ、葉を茂らせ、花を咲かせ、実を実らせるように、
 人間の成長にも順番がある。
 昔から、習い事は6歳の6ヶ月からと言うが、
 それは、6歳から花を咲かせることではない。

 6歳は、根を伸ばし、葉を茂らせる時期。

 小学校1年生は、作文を書いても2、3行、読書も大きい字の本をやっと読むぐらいです。
 しかし、ここで、上手な作文を書かせようとしたり、読書だけでなく国語の問題をやらせようとしたりするのは、1年生の子に花を咲かせることを要求しているようなものです。
 この時期に大事なことは、毎日することを決めることと、できたところまでで褒めることと、何をやっても楽しく済ませることです。そのためには、長時間勉強させないことも大事です。
 かといって、全く勉強させないというのではありません。
 単純に続けられることを毎日欠かさずやる習慣をつけておくことです。
 毎日ということで、いちばん簡単なのが読書です。
 そして、できるだけやっておきたいのが、同じ文章を繰り返し読む練習としての音読と暗唱。
 それから、親子の対話の習慣と簡単な作文。
 小学校1、2年生のころは、子供は大人の思いのままに動きます。
 だから、花を咲かせようと思えば、花を咲かせてしまいます(笑)。
 でも、中学生、高校生の後半になってぐんぐん伸びる子は、小学校低学年のときに根を伸ばしていた子なのです。
 ということで、今日のテーマは、根と葉と花と実。
1、根葉花実についてひとこと、
 又は、
2、「ね、は、み」で五七五、
 又は、
3、何でも自由にどうぞ。

 4月から小学校1年生になる子は、いろいろな可能性を持っています。
 このころは、勉強をさせれば、みんな勉強ができるようになります。
 何でもできるようになるので、ついできるだけやらせようとしてしまいがちですが、ここで親の微妙な判断が必要になります。
 その微妙な判断の基準は、親がその子をよーーーーく見ることだと思います。
 1月、2月は、新しいことを始めたくなる季節です。
 この雰囲気がこれから春までずっと続いていくのでしょう。
 それでは、今日も新しい希望の根を広げながら、いい一日をお過ごしください。
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=293353814044123
国語のテストの成績が悪かったとき
 ときどき保護者の方から、教育相談のお電話をいただきます。
 その中で、「(これまでは国語のテストの成績がよかったのに)、最近の国語のテストで悪い点数を取ってきた」という話がたまにあります。
 つい先日、小学3年生の生徒のお父さんから、「この前の塾のテストで成績が悪かったが、どうしたらよいか」という相談を受けました。
 そのときは、ちょうど私に時間があまりなかったために、一般的な説明しかできませんでした(どうも失礼しました)。しかし、こういう場合の保護者の対処の仕方は実は簡単なのです。
 それは、その悪かったという国語のテストの問題を1、2時間かけて親も解いてみるのです。これは、小学生の場合だけではありません。中学生でも、高校生でも同様です。(さすがに、高校生ではそういうことはあまりないと思いますが)
 英語や数学のテストと違って、国語(現代文の読解問題)は、何の準備がなくても大人ならだれでも解けます。
 そして、実際に解いてみて、子供の間違ったところを見てみると、おのずからどこに問題があるのかわかってくるのです。これは、不思議とわかります。
 具体的な要領は、こちらの「国語の勉強法」というところをごらんください。
http://www.mori7.com/bennkyou.html
 
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