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  【重要】【再掲】3.1週作文進級テスト
  時間をかけているわりに成績がよくないとき
  今週のfacebook記事より
   教えることに手間をかけず、育てることに手間をかける
   子育てにおける原則性と柔軟性
   未来の教育は、発表の教育
   いい「ながら勉強」、悪い「ながら勉強
   野良猫が逃げない人
   思考力を育てる読書
   全員満点の教育
 
言葉の森新聞 2012年3月1週号 通算第1214号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
【重要】【再掲】3.1週作文進級テスト
 3.1週に、作文進級テストを行います。
 提出が遅れた場合は進級できません。(3月8日ポスト投函まで)
 課題フォルダの字数・構成・題材・表現・主題の●印が全部できていることが合格の条件になります。(表現の項目などで「たとえ」と「いろいろな言った」など二つ以上の項目が指定されている場合はどちらかができていればその項目は◎です)。キーワードと字数が採点の基準ですので、指定された字数以上で必要な項目が全部入る作文を書いていってください。中学生以上の時間制限については、今回は採点の基準にしませんが、できるだけ時間内に書き上げる力をつけていきましょう。
 手書きで作文を書く人は、項目ができたところにシールをはっておいてください。
 パソコンで作文を書く人は、キーワードを入れておいてください。
 小学生の場合は、提出する前に、おうちの方が字数と項目シールをチェックしてあげてくださるとよいと思います。
 小学2年生までの生徒は、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。1月以降に受講を開始した生徒も、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。ただし、いずれの場合も、賞状は出ますので、できるだけ字数と項目ができるように書いていってください。
 なお、進級テストは、1月と2月のいずれの月も最低1回は作文を出していることが条件になります。1月又は2月の作文で、どちらかの月で1回も書いていない場合は、3月8日までの間に作文を提出してください。
時間をかけているわりに成績がよくないとき
 真面目な子で、言われたことを素直にやっているのに成績がふるわないという子がいます。勉強の時間はしっかり確保しているのに、それが成績に表れてこないのです。
 そういう子の勉強法は、特に算数・数学において、できている問題を何度も同じように解いているというやり方になっていることが多いようです。
 数学は計算という作業があるので、計算をしているときは一見勉強をしているように見えます。しかし、それは単なる作業の時間であって、勉強の時間ではありません。
 できるレベルの問題を何題解いても実力はつきません。できない問題を解法を見て理解し、何回か繰り返したあとにできるようになるから実力がついてくるのです。
 ところが、言われてみると当然のこのことが、子供本人はもちろん、親や先生も気づいていないことが多いのです。
 子供の立場で考えてみると、できなかった問題があった場合、だれに聞いていいかわからないということがいちばん大きいと思います。学校や塾の先生には、自分が個人的にできない問題をわざわざ聞きに行くというのは気が引けます。しかし、解法をいくら見てもわからないときはだれにもあります。
 そういうとき、やはり頼りになるのは父や母です。親はもう勉強の現役ではないので、中学生ぐらいの子供に数学の問題を聞かれても、すぐに答えることはできません。しかし、子供と一緒に解法を見て、どこがわからないのかを理解することはできます。
 親が考えてもわからない場合は、職場で数学の得意そうな人に聞いてみるといいのです。子供のころ数学が苦手だった親でも、年齢による理解力は、中学生時代よりもずっと高くなっています。そして、漠然と問題全体がわからないというのではなく、その解法のある部分から次の部分へ移るところがわからないということですから、聞かれた方もそれほど負担にはなりません。
 このようにして、子供がわからなかった問題を、親が一緒に見てあげるうちに、だんだんと親の方が子供よりも数学の勘が磨かれてきます。これは年の功です。
 
 子供の成績がふるわないときは、まず親がその問題を一緒に見て考えてあげることです。これは、数学だけではなく、英語でも国語でも同様です。一緒に解いてみることで、たとえそのときはうまく解けなくても、問題の焦点がはっきりしてくるのです。
今週のfacebook記事より
 今週のfacebookページに掲載した記事を、一部編集して紹介します。
教えることに手間をかけず、育てることに手間をかける
 子育ては長距離走。
 手間をかけない方が長続きする。
 教えることに手間をかけるのではなく、
 育てることに手間をかけよう。
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 例えば、子供が作文を書くとき、難しい課題だと自分で書き進められずに、親や先生に聞くことがあります。そのときに、一生懸命に教えるのは、教えることに手間をかけることになり、長続きしません。
 その場で熱心に教えるのではなく、それまでにその課題を毎日音読させ、音読させた長文の内容について親子で楽しく対話をしておくことです。これが、育てることに手間をかけることです。
 子供が小さいとき、親はつい手取り足取り勉強を教えてしまいがちです。しかし、教えることに手間をかけると、親がいないと勉強ができないようになり、かえって長続きしません。
 何よりも、教えることに手間をかけると、子供を叱る回数が増えてくるのです。そして、叱られながら勉強したことは、そのときは覚えたように見えても、すぐに忘れてしまいます。人間は、嫌なことは忘れるようにできているからです(笑)。
 勉強は、教えることを極力少なくして、そのかわり、子供が自分でやれるようなやり方を工夫し、毎日自分でやる習慣をつけるという子育ての方に力を入れていくことです。
子育てにおける原則性と柔軟性
 勉強は、教材のためにするものではなく、
 自分のためにするものだ。
 こなすことを目的にするのではなく、
 生かすことを目的にしよう。
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 よく小学校2年生ぐらいの子のお母さんから、
「学校で感想文の宿題が出されたのですが、なかなか書けなくて」
と相談があります。
 そのときのお返事は、
「そんなの無理して書かせなくてもいいですよ。どうしても出さなければならないのなら、お母さんが代わりに書いてあげてください」
です。
 親が見ている子供の実態が本当の姿です。無理なことはせずに、できることをしっかりやっていればいいのです。
 しかし、もうひとつ大事なのは、この、できることをしっかりやるということです。何をしっかりやるかは家庭の方針によって変わってきますが、しっかりやることの芯が決まっていれば、周辺のことはいくらでも柔軟にできます。
 「塾の宿題が多く大変」というのも似ています。宿題のために勉強をしているのではなく、子供のために勉強をしているのだという原点を思い出して取捨選択することが大事です。
 そして、やると決めたことだけは、雨が降ろうが槍が降ろうが、土曜だろうが日曜だろうが、必ずやるという原則を守ることです。
 ところで、生まれつき原則と柔軟の区別が決まっている人などはいません。みんな、いろいろな人生経験をする中で、少しずつ自分なりの原則が決まってくるのです。
 そして、子供にとって大事なのは、何が原則になっているかということではなく、原則があるということそのものなのです。
未来の教育は、発表の教育
 未来の勉強は、
 成果を確認する場がテストではなく、
 発表になる。
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 なぜなら、テストは全員満点が原則になるからです。
 今のテストは、みんながそう簡単には満点が取れないようにして、際どいところで差をつけて、優劣を競わせるものになっています。そういうオリンピックのような勉強もあっていいのですが、小中学生の子供たちの勉強は、全員が満点を取ることを目標にすべきでしょう。
 それでは、勉強に対する意欲がなくなると心配する人もいるかもしれませんが、その意欲の支えとなるのは発表です。
 江戸時代の寺子屋では、子供たちが、受験も競争もないところで意欲的に学んでいました。(よくいたずらをしながらですが)子供たちの意欲の源になっていたのは、自分たちの勉強が、父や母や近所の大人たちから認められているという感覚でした。
 世の中には、確かに競争があります。そして、人生の一時期、競争に燃えることは確かにいい経験になります。そしてまた、人間は、放っておいても競争状態に置かれれば燃えるようにできています。
 だからこそ、知恵のある大人は、競争とは別のルールで、子供たちの意欲を育てなければならないのだと思います。
いい「ながら勉強」、悪い「ながら勉強
 ながら勉強にも、いいながら勉強と悪いながら勉強がある。
 歩きながら、声に出しながら、手を動かしながらが、いいながら勉強。
 音楽やお喋りを聞きながらは、あまりよくないながら勉強。
 楽しみながら、笑いながらは、いちばんいいながら勉強。
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 解説をすると、……。
 難しい文章を読むときのコツは繰り返すことですが、繰り返す勉強は眠くなってきます。
 だから、暗唱をするときは、机に座ったままではなく歩きながらの方が能率が上がります。
 同じように、繰り返し読む難しい文章は音読が基本です。声に出して読むことで集中力が持続します。音読をしない場合は、いいところに線を引きながら読んでいくことです。手を動かすことで集中力を保つのです。
 音楽やお喋りは、種類にもよりますが一般に勉強の大敵です。特に日本人は、考えることに使う知的な左脳の方で、言葉以外の音も処理してしまうので、静かなところでないと勉強しにくいのです。
 思考を妨げる音は、話し声、自然の音、和楽器の音などで、思考を妨げない音は、楽器だけの西洋音楽です。歌詞のある音楽は話し声に含まれるので、勉強が進みません。
 自然の音というのは、風や波の音、虫や鳥の声ですが、自然の音を左脳で処理してしまうのは日本人だけなので、世界中で日本人だけが、環境音楽に弱いのです(笑)。
 勉強をしているときに楽しい雰囲気ですると、定着率が上がります。叱られながら暗い気持ちで勉強したことは、時間がたつと忘れてしまいます。だから、勉強は、多少脱線しながらでも、楽しくやる方がいいのです。
 例えば音読の練習をしていると、大抵の子は飽きてふざけて読むようになります。ふざけて読んでも、毎日読んでいればそれでいいのです。
 一般に、大人は、外見で子供を注意しがちです。子供が立ち歩きながら暗唱の練習をしていると、「ちゃんと椅子に座って、動かないようにして読みなさい」などと言ってしまうこともあると思います。
 それは、大人が自分でやったことがないからです。
 自分で暗唱の練習をしてみると、「なるほど、動きながらの方が楽にできるんだ」ということがわかります。
 注意する前に、試しに自分でもやってみるということをおすすめします。
野良猫が逃げない人
 子供の教育に向いているのは、
 ノラネコが逃げない人。
 いい子も悪い子も、
 同じように扱える人。
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 世の中には、欠点がすぐ目につき、それをすぐ直したくなる人がいます。そういう人は、その性格に向いている仕事があります。そういう仕事が世の中のインフラを支えています。
 しかし、子供を育てるときは、その性格を少し修正する必要があります。その基準は、ノラネコやスズメなどの小動物が逃げないことです。
「シャムネコならいいけど、ノラネコじゃあね」という人には、ノラネコもそっと道を避けるのです。
 そして、そういうノラネコがやがて成長して、真っ白な白鳥になるのです。って話がまぜこぜになってしまいましたが。
思考力を育てる読書
 思考力の麓には語彙力があり、
 語彙力の麓には読書力がある。
 しかし、読書の麓が年齢に応じて進化していかないと、
 読書の量だけ増えても語彙力は育たない。
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 低学年のころは、漫画も勉強になります。漫画の中の言葉で、いろいろな語彙を学んでいくからです。しかし、高学年になると、いくら漫画を読んでも読む力はつきません。
 同じように、小説ばかり読んでいても説明文を読む力はつきません。また、もちろん、説明文ばかり読んでいても、物語を味わう力はつきません。
 しかし、ここで大事なことは、いろいろなジャンルの本を満遍なく読ませたり、少しでもレベルの高い本を読ませたりするのがいいというのではないということです。そういう無理をさせると、肝心の読書量が減ってしまうからです。
 読書は、薬でも飲むように読むのではなく、自分の好きなものを熱中して読むことが大事です。だから、レベルの低い本に見えても、本人が熱中しているものはどんどん読ませた方がいいのです。
 では、読書の質をどう高めるかというと、そこに出てくるのが対話です。お父さんやお母さんが、子供に読んでもらいたい本の内容を、感動をこめて話してあげるのです。そうすると、その本を読みなさいと言わなくても、自然に子供がその本に関心を持つようになってきます。
 小さい子だったら、読み聞かせをしてあげるのもいいでしょう。子供がその本の続きに興味を持って、自然に自分で読みたくなってきます。
 そして、大事なのが図書館の利用です。街の書店には、読みやすい物語の本ばかりが並んでいますが、図書館には、あまり売れない説明文の本もそろっています。電車の好きな子、恐竜の好きな子、動物の好きな子などが、それぞれの年齢に応じた読みたくなる本を見つけることができるのが図書館のノンフィクションコーナーです。
 ストーリーだけの本でも、知識だけの本でもない、優れた説明の本が、子供たちの思考力の土台となっていきます。
全員満点の教育
 子供たちに差をつけて競わせるという方法ではなく、
 中学生の終わりまでは、
 全員が全教科満点を取れるようにすることを
 教育の目標と考えよう。
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 そのためには、学校は、勉強を教える場ではなく、勉強の方法を教える場になる必要があります。そして、勉強の中身は、子供たちが日常生活を過ごす家庭の中で、その子の成長に最も深い関心を持つ父や母の存在が感じられるところで行われる必要があります。
 そのために大事なことは、父や母が、やはり従来の教え込む教育を求めないことと、勉強の本質的な方法を知っていることです。
 昔の寺子屋のような教室が、又は、現在の学校が、地域の教育の要となり、家庭に根差した教育を行っていくことが、全員全教科満点につながる道です。
 子供たちは、厳しい競争の環境の中でも、生き生きと過ごし、競争を楽しんでいます。しかし、競争で意欲を煽るというのは、やはり人間の動物的な感覚に依拠する方法で、未来の教育の方向とは言えません。
 詩人の工藤直子さんは、学生時代、学校の先生から、「自分よりちょっと上の人を目標にして勉強すればやる気が出る」と言われましたが、自分にはそういう方法は向いていないと思ったそうです。
 子供たちの中には、もともと競争にあまり燃えない子もいます。その子たちが燃えるのは、競争とは違うもっと内面的な納得です。そういう納得をすべての子供たちに持たせるようにすることが、これからの教育の課題となると思います。
 全員満点というのは、ゆとりの教育でレベルを下げて全員の満点を目指すことではありません。全員が一定の水準を達成するということです。
 かつての日本の教育は、粒ぞろいの教育でした。下位の生徒の成績が高いというのが、PISAに見られる日本の生徒の学力の特徴でした。
 しかし、その後、日本の子供たちの成績は、上位はより高くなったものの、下位は途上国並みに低くなるというアメリカ型の分布になってきました。
 この状態を克服するためには、競争を主要な原理としない教育を新たに作り出す必要があると思います。
 
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