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  6月29日(金)・30日(土)は休み
  新学期の教材は18日・19日に発送(再掲)
  6月の作文送信は28日(木)までに
  4週は読解問題と清書。幼稚園生は作文
   読解問題の答えの書き方、送り方
   手書き清書の送り方
  パソコン入力清書の送り方(図解)
  不安の時代に子供たちをどう育てるか
   我が家の例
   いい大学とは言っても
   本当の学力
   想像力の必要な時代
 
言葉の森新聞 2012年6月4週号 通算第1229号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
6月29日(金)・30日(土)は休み
 6月29日(金)・30日(土)は、第5週でお休みです。先生からの電話はありません。振替授業もお休みです。
新学期の教材は18日・19日に発送(再掲)
 新学期の教材を6月18日(月)・19日(火)に発送しました。
 国内の生徒で26日になっても届かない場合はご連絡ください。
6月の作文送信は28日(木)までに
 6月29日(金)、ホームページのデータが一斉に入れ替わります。インターネットを利用して作文を送っている方は、6月の課題を6月28日(木)までに「作文の丘」から送信してください。それ以降は正しく送信できなくなります。
 また、今学期の読解マラソンの記録も月28日(木)までにお願いします。
4週は読解問題と清書。幼稚園生は作文
 幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習です。自由な題名で作文を書いてください。
 小学1年生以上の生徒は、読解問題と清書を行います。読解問題の時間がかかるため清書の時間が取れない場合は、読解問題は省略するか最初の2問だけをやる形でも結構です。
読解問題の答えの書き方、送り方
 読解問題の答えを作文用紙に書く場合は、問題の番号と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。
 読解問題の用紙は返却しませんが、選んだ番号と正解は山のたよりに表示されます。
 読解マラソンの問題のページから答えを送信すると、その場で採点結果が表示されます
(この場合、作文用紙に答えを書く必要はありません)
※図解の説明は、「学習の手引」の「10.読解問題と清書の仕方」をごらんください。
http://www.mori7.com/mori/gate.php?ki=gate#27
手書き清書の送り方
 手書きの清書は、翌月の1週の作文と一緒に返却します。
 パソコンで清書を入力した場合、手書きの清書は必ずしも先生に郵送などで送る必要はありません。手書きの清書のスキャン画像を作文の丘からアップロードした場合、先生に郵送などで送る必要はありません。
パソコン入力清書の送り方(図解)
 4週の清書は、手書きで清書をした場合も、そのあと、できるだけパソコンで再入力したものを「作文の丘」から送ってください。これは、作文の進歩を生徒が実感できるようにし勉強の意欲につなげていくためです。
 
 清書を送る場合、週は必ず「4週」を選択してください。ほかの月や週を選択すると、その月と週の作文と講評が上書きされてしまいます。感想文を清書にする人は、三文抜き書きや要約の部分は省略するか、自分の言葉に直して書くようにしてください。
 ワードなどのワープロソフトは改行の際のスペースが正しく表示されないので、いったんメモ帳などにコピーしてメモ帳の上でスペースをつけてからインターネットで送るようにしてください。
 自宅でパソコン再入力ができない場合は、先生に(有料で)パソコン入力を依頼することもできます。その場合は、手書きの清書の住所シールの余白に「入力依頼」とご記入ください。
(入力依頼の料金は1文字1円で、翌月の受講料に加算して引き落としいたします)
1.言葉の森のホームページから「作文の丘」に行きます。(どちらでも同じです) 2.生徒コード、パスワード、課題の月週、題名を入れ送信します。
3.本文の欄を右クリックし、書いた作文を貼りつけ送信します。 4.確認の画面が出るので、もう一度送信ボタンを押します。(送信終わるまで数分かかります)
5.送信し終わったあと数分待つと、森リン採点のリンクが出てくるのでクリックします。 6.送信ボタンをもう一度クリックすると、森リンの採点が表示されます。
 
不安の時代に子供たちをどう育てるか
 お父さん、お母さんは、不安の中で子育てをしています。特に、少子化で一人っ子の場合、比較する対象が近くにないので、不安が増幅されやすいところがあります。
 まず、今の学校だけでは、教育が不十分だという現実があります。昔は、学校の勉強と宿題で大部分の子は確実な学力を身につけていました。これは、親の世代かその一回り上の世代あたりからの人は、すべて実感していること思います。昔は、子供は学校から帰ると、ランドセルを家の中に放り投げ、すぐに近くの広場に走り、夜遅くなるまで友達と野原で遊んでいました。夕方は、家族みんなでラジオを聴いたりお喋りをしたり本を読んだりして過ごしていました。そして、学力的には何も問題がなかったのです。だから、小中学生で塾に行く子はほとんどいませんでした。高校でも、学校の勉強だけで十分で、予備校に行く子もほとんどいませんでした。(1970年代の横浜です)。しかし、今は、学校だけでは学力がつきません。それは生徒の家庭環境が多様になったため、一斉授業が効果を上げられなくなったからだと思われます。そこで、子供たちは学校の授業で不足している分、塾に通うようになります。すると、学校はますます塾に学習の補完又は先取りを任せるようになります。そのため、格差が更に広がり、その結果、親は他の子と比較して焦りを感じるようになるのです。PISAの調査によると、学力格差が決定的になったのは、ちょうど小泉政権の時代で、社会全体で格差が広がった時代でした。
我が家の例
 私(森川林)の家では、子供たち2人は、小中高と塾や予備校には行かなかったので(中3の一時期だけ下の子は短期間通ったことがありますが)、家庭での時間の余裕はたっぷりありました。しかし、そういう子は、ほかにはほとんどいなかったらしく、子供が保育園に通っていたころ、友達が「もう足し算を習っている」というのを聞いて、「そういう世界があるんだ」と思ったそうです。小学校の低学年のころ、近所の友達と遊ぶと、「もう、何の計算を習った」「もう、何という漢字を書ける」という話題になることがあり、学校でしか勉強していないうちの子供たちは、ただ感心するだけだったようです。
 ただ、私自身が、小中と自由に遊んで暮らして成長し、それで何も問題なかったと思っているので、子供たちも読書さえしていれば、小さいころから特にどこかに通って勉強する必要はないと思っていました。だから、子供たちは、結局勉強は言葉の森以外何もしませんでした。ただ、そのために小学生のときは、算数などでたまにひどい点数を取ってくることがありました。
 子供の学力というのは、話していれば大体わかります。普段の会話で普通に理解力があると思っていたので、算数のそのひどい点数を見たとき、学校は教育力がなくなったのだと思いました。もちろん、それは先生のせいではなく、学校の中で一斉授業ができないくらい、子供たちの学力格差が進みつつあったせいだと思います。
 私は、自分自身が中3のころ、高校受験をきっかけに勉強に目覚めたので、子供たちもそうだと思っていました。すると、その予想どおり、中3で自覚的に勉強を始めるとぐんぐん成績が上がりだしました。それまで余裕のある生活でたっぷり遊んでいたから勉強に飽きていないので、かえって中3から勉強に気合いが入り出したようです。
 比較するのはよくありませんが、小学校低学年のころから塾で先取り勉強をしすぎた子は、勉強に飽きてしまうせいか、肝心の高校生あたりになると、勉強に燃えなくなるようでした。
 たぶん、勉強の理想は、小中とたっぷり遊んで勉強は中の上くらいを維持し、受験期の1年間でぐんと伸ばすことだと思います。これは高校生も同じで、1、2年のときはたっぷり高校生活を楽しみ、成績は上の下ぐらいを維持し(微妙ですが)、受験期の1年間でぐんと伸ばすことだと思います。小さいころから成績がよいというのは悪くはありませんが、そのために勉強のしすぎと自由時間の不足が続くのは、長い目で見るとかえってマイナスになると思います。
いい大学とは言っても
 保護者からの電話相談でよく感じるのは、親が子供の今の成績の上下に振り回されすぎていることです。5年後、10年後の子供たちの学力を考えれば、小中学生のころは読書に力を入れていく方がいいのに、読書の時間を削ってまで勉強させ、今の成績を上げることに追われているように感じるのです。なぜそういう状況が生まれているかというと、受験勉強の中身が科挙化しているからです。今の受験勉強は、本来の学力を測る面ももちろんありますが、それ以上に受験勉強のノウハウを知っているかどうかで合否が左右される面が大きいのです。そして、塾や予備校の広がりの結果、そのノウハウで左右される部分は、年々大きくなっています。
 例えば、こういう例があります。同じ学力の子がいて、一方は塾で、「易しい問題で確実に点を取り、難しい問題は後回しにする」というノウハウを教えてもらっていたとします。他方の子は、そういうノウハウを知らずに1問目から順に解いていこうとします。すると、ノウハウを知っている子の方が常に成績はいいはずです。そしてまた、試験を出す学校の側も、そういうノウハウを知っていることを前提に、だれもがつまずくような難問を最初の方で出すようになるのです。こういうノウハウのやりとりが増える結果、学力はそれほどでもないのに、ノウハウの力で難関校に合格する子が増えています。それが最も典型的に表れているのが東大の入試です。
 確かに、東大などに受かる子の中には、学力もあり、思考力もあり、音楽やスポーツにも秀で、性格もよく、人間性豊かな子も多くいます。(言葉の森に来ている子はなぜかそういう子たちばかりでしたが)。しかし、その一方、学力は普通で記憶力だけが優れ、あとはノウハウの力で合格した子や、勉強しかすることがないような面白味のない子がただ長時間かけて成績を上げた結果合格したというような子もいるのです。そして、そういう記憶力とノウハウと長時間だけの子が、近年じわじわと増えている感じがします。本当の学力とは、理解力と思考力と創造性だと思いますが、。特に、思考力と創造性のない子が多くなっている感じがするのです。そのことが、3.11をきっかけに東大話法などという言葉で普通の人にも直感的に感じ取られるようになっているのだと思います。
本当の学力
 塾によっては、中学受験でいいところに入らなければ、高校ではますます差がつき、その結果いい大学に入れず、いい職業にもありつけなくなると脅して早めの受験をあおっているところもあります。そして更に、小5小6になってからでは間に合わないから小3や小4で受験のための勉強をスタートする必要があると脅し、更に、小1や小2まで受験勉強の流れに巻き込もうとしているところもあります。そして更に、幼児教育もそうなりつつあります。
 確かに子供の意欲は周囲の友達によって影響されますから、いい学校に入った子はいい大学を受験することが当然と思いやすいということはあります。逆に、学力の低い学校にいると、周囲の低い志に影響されて、自分だけより上の大学を目指すという意識にはなかなかなりにくいところもあります。しかし、実際には、早めの受験勉強のために、読書や自由時間が不足し本当の学力が育たないまま中学に入り、その後成績が伸びないという子もかなりいるのです。
 子供たちの生活の本文は勉強ですから、勉強を生活の中心にするのは当然ですが、勉強をしすぎたために、子供時代にもう一方の重要な要素である読書や遊びや自由な時間を削ってしまうと、本当の思考力や創造性が育たなくなるのです。
 ところで、そういう本当の学力は小中学生のころはなかなか表面には現れず、高校生や大学生になってから顕在化します。だから、親は今の成績に目を奪われるのではなく、もっと先のことを考え、創造力をたくましくして子育てを行っていく必要があります。
想像力の必要な時代
 特にその想像力が重要なのは、今が大きな変化の時代だからです。かつては、いい大学に入ればいい会社に就職でき、一生安定した生活ができ、そして会社の成長とともに仕事も拡大し自分自身も成長するという世の中の仕組みが日本にはありました。今も多くの会社では、最終学歴が採用の大きな基準になっています。しかし、日本の社会は高度成長期のような時代を過ぎ、今、経済成長の中心は次々と新興国に移っています。日本が新しい産業を作り出さないかぎり、日本の会社は古くからある有名なところほど、これから衰退に向かう傾向になります。それはちょうどアメリカでGMやフォードが衰退していったようにです。
 特に工業時代に大衆消費財のチャンピオンだった企業は、リストラや派遣社員や外国人労働者や海外移転などによって人件費のコストを下げなければ生き残れないようになってきています。そして、そのほかの産業においても、次々と小さなヒット商品が入れ替わる経済のもとでは、会社の寿命も年々短くなっています。
 いい大学を出たからといっていい生活を送れる保証はなく、更に親の世代よりも子の世代の方がほぼ確実に貧しくなるという夢のない世界に日本の社会は突入しています。そして、この衰退する一本道から抜け出るほかの選択肢はない(海外の発展する国に行くという手はありますが)というのが現実です。しかし、この状態を、新しい産業社会が日本に生まれる直前の過渡的な時代だと認識する必要があります。(つづく)
 
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