言葉の森新聞
2014年5月3週号 通算第1322号
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森新聞 |
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■寺子屋オンエアがスタートします |
6月から、家庭で毎日友達と一緒に勉強できる寺子屋オンエアがスタートします。 5月中に1週間の無料体験ができます。対象は、幼児から中学3年生までで、言葉の森の生徒及びそのご兄弟やお友達です。 寺子屋オンエアの目的は、3つあります。 第一は、家庭学習によって勉強の能率を高めることです。 最も能率のよい勉強の仕方は、家庭で取り組む自習です。塾に通うような形の勉強では、塾に合わせた勉強になります。できることでもやらされることがあり、できないことでも簡単に済ませられてしまうことがあります。自分の実力に応じた勉強は、家庭で自分のペースでするのが最も能率がよいのです。 第二は、密度の濃い教材の使い方をできるようにすることです。 実力のつく勉強法とは、基本的な教材をシンプルに何度も繰り返すことです。ところが、通信教育の教材の多くは、子供たちに勉強を飽きさせないように、目先の変わった教材を次々にやらせることが多いのです。その結果、勉強の量が多い割に実力がつかないということが起こってきます。 ところが、家庭学習でシンプルな教材を繰り返すということは、意外と難しいものです。そこで、家庭で子供たちが自分のペースで勉強している姿を、互いにネットで共有できるようにしたのが寺子屋オンエアです。 小学校低学年のうちは、子供は親の言うことを素直に聞きますが、小学校中学年になると、親子だけの勉強は続けにくくなってきます。その原因のひとつは、親が教えすぎてしまうことにあります。教えすぎると、ついやらせすぎたり、注意しすぎたりしてしまうことになります。 また、子供たちは、小学校中学年になると、友達との交流の中で勉強することを好むようになります。 塾に任せるのでもなく、通信教材に頼るのでもなく、また、親がつきっきりで教えるのでもなく、それぞれの家庭で決めたその子のペースに合わせた自学自習の勉強を、単調にならないように友達と共有するというのが、寺子屋オンエアの目指すイメージです。 寺子屋オンエアの第三の目的は、この学習方式を、夏合宿など長期間の学習にも応用していくことです。 自然の中で何日間もキャンプをしたり遊んだりするのは、子供たちにとって楽しいものですが、遊びと勉強のバランスを取ることも大切です。 長期間の自然合宿でも、午前中の数時間は寺子屋方式で学習し、午後はたっぷり遊ぶという運営の仕方ができれば、遊びだけの合宿や勉強だけの合宿よりも、ずっとバランスのよい楽しみ方ができます。 寺子屋オンエアに必要な準備は、google+のアカウントとウェブカメラとヘッドセットだけです。 詳しいご案内は、寺子屋オンエアのページをごらんください。 http://www.mori7.com/teraon/ |
■言葉の森の未来の夢 |
そこは、日本ではないアジアのある村です。その村の一角に、日本語学校があります。ただ日本語を学ぶだけでなく、日本文化を学ぶ学校です。 そこの生徒の多くは、小学1年生から3年生の時期に、日本に3年間留学します。そして、そのあと現地に戻り、現地の学校で勉強を続けます。 子供たちが中学生や高校生になると、現在のMOOCと同じように、その村にいながらにしてネットワークで世界中の優れた授業を学ぶことができます。大学生になると、世界中の最先端の学問を、自分のいる村で学べるのです。 |
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そういう人たちがリーダーとなり、その国の伝統を生かした子供たちの教材を作っています。その教材を通して、その国の文化と伝統、そして日本語と日本文化を学ぶのです。 その時代には、日本語は、英語と同じように世界共通語となっています。 では、小学1年生からの日本留学はどこに行くのでしょうか。 そこは、日本のある山あいのキャンプ村です。山の斜面に、牛と馬とポニーと山羊が放牧されています。そして、犬やアヒルやニワトリやクジャクが庭で遊んでいます。 ここでは、野生の動物たちも人間に慣れているので、小鳥やシカやリスやウサギやサルたちも人間を恐れません。 牛や馬の放牧は、山地酪農という方法で、牛や山羊や馬が、山野に生えている草を食べて自然に暮らしています。 このキャンプ村では、子供たちは、午前中寺子屋で勉強します。そして、午後は、馬やポニーに乗って近くの野山や川で遊びます。 午前中の寺子屋は、ネットワークでつながった都会に住む講師がアドバイスをします。 講師の中には、このキャンプ村に移住してくる人もいます。 この時代には、フリーに近いエネルギーが実用化されているので、川の一部は温泉のようになり、冬でも川遊びができます。 農業の基本は、水耕栽培で、ほとんどの農産物は工場で自動的に生産されています。昔ながらの土の上での農業は、趣味として行うものになっています。 このキャンプ村では、子供たちの教育と遊びが、村の運営のひとつの中心になっています。 もうひとつの中心は、文化作りです。 この村では、毎月のようにお祭りがあります。そのお祭りでは、村に住む大人たちが、自分の創造を発表する場になっています。新しく個性的な、芸術、音楽、文化、スポーツ、料理、遊び、学問などを創造すると、それらを互いに教え合い、学び合う場が形成されます。 そういう文化のいくつかは、輸出産業となっています。 また、もうひとつの産業は観光です。世界中から、この平和で創造的な村に観光にやってくるのです。 このキャンプ村のような場所は、既に日本の田舎には無数にあります。 どの村も、それぞれの地域の特性を生かして、文化と観光と世界中の子供たちの教育を行っているのです。 |
■暗唱とは、覚えることではなく繰り返すこと |
●暗唱とは覚えることではない 暗唱とは、覚えることだという誤解があります。これは、現代の教育の「記憶の再現が勉強である」という考え方の後遺症です。 記憶したことをそのまま再現することが勉強の目的になっているので、一夜漬けなども生まれるのです。 勉強は、実力をつけるためのものであって、点数を取るためのものではありません。唯一の例外は受験です。受験の目的は点数を取ることだからです。しかし、この受験勉強が、日常化し、低年齢化しているところに問題があります。 子供が悪い点数を取ってきたら、弱点がわかってよかったと喜ぶのが本当の姿です。しかし、多くの人は、点数が悪いときに、子供と一緒にショックを感じてしまうのです。 なぜ、教育の場で点数が付けられるかというと、勉強を無理して教えているからです。勉強は、教えられてやるものではなく、自ら学んでいくものです。勉強とは、よい点数を取るためのものでもなく、褒めてもらうためのものでもなく、自分を向上させるためのものだということを子供に伝えていく必要があります。 ●繰り返すことによって身体化する言葉 さて、暗唱は、覚えることではないと書きましたが、暗唱を繰り返していると、結果的に自然に覚えるようになります。それは、自分の好きな歌謡曲を何度も繰り返し歌っているうちに、その歌詞を覚えてしまうのと同じです。 そのようにして、覚えようとせずに覚えた言葉やメロディーは、日常生活の全く関係のない場でふと出てくることがあります。 同じように、暗唱を繰り返していると、そのひとつのフレーズが日常の場面で出てくることがあります。そのときに出てくる言葉は、頭の先で覚えた知識の言葉ではなく、自分の内側から出てきた身体化された言葉です。 これが、その人の表現力になります。こういう本当の表現力を増やすことが、人生を豊かにしていくのです。 ●道徳教育のあり方 こう考えると、道徳教育のあり方なども、また別の視点から見えてきます。 現在、道徳教育の復活がさまざまなところで叫ばれています。道徳教育の必要性は、誰でも多かれ少なかれ感じています。しかし、その方法に問題があるのです。 もし、道徳の教科書を読ませて、覚えた知識を再現させるテストをして、いい点数を取ったとしても、それで道徳が身についたとは言えません。こういう目的と方法のずれが、道徳教育という言葉を滑稽なものに感じさせる面があるのです。 道徳教育の方法は、知識の再現をするようなやり方ではなく、よい言葉、よい行いを反復させることにあります。反復とは、ただ繰り返すだけで、評価をするものではありません。 同じ言葉、同じ行為を繰り返していると、それが日常のある場面でふと自然に出てくることがあります。これが、その子にとって身体化された道徳なのです。 ●貝原益軒の暗唱法は百字を百回 同じことが、作文の表現にも言えます。よい表現を反復して暗唱していると、忘れたころにその言葉が出てくることがあります。 しかし、そのためには、反復の回数を増やす必要があります。貝原益軒は、百字の文章を百回読むという勉強法を提唱しました。しかし、現代では子供も親も、そのような回数の多い反復はまずできません。だから、言葉の森では、百字を30回、三百字を10回、九百字を4回で、合計百回読めるような方法で暗唱しているのです。 それでも、「30回も読んでいられない」という声をよく聞きます。確かに、小学校低学年の易しい文章では、百字の文章でも10回ほど読めば空で言えるようになります。しかし、そのときに、「覚えたらよい」と考えるのではなく、ある回数を繰り返すことが大事なのだと考えることが大切です。 だから、30回が負担であるならば、20回や10回という回数でもいいのです。つまり、大事なことは、覚えたかどうかという結果ではなく、決められた回数を繰り返すという過程なのです。 |
■公立中高一貫校受験向けの勉強法(その1) |
●説明文を読み取る力をつける 公立中高一貫校の問題は、ほとんどが文章と図表で書かれています。だから、これらの説明的な文章を読む力が必要になってきます。 ところが、子供たちがしている読書のほとんどは、物語文です。つまり、ストーリーに沿っていれば理解できる易しい文章を読んでいることが多いのです。 物語文の中には、会話だけでストーリーが成り立つようなものもあります。読む力をつけるために大事なことは、ストーリーの面白さだけでなく、地の文の説明がしっかり書かれている本を選ぶことです。 また、物語文だけでなく説明文を読む機会を増やしていくことも大切です。昔、シミュレーションゲームの攻略本などは、小学生の読む説明文の導入的な文章として効果がありました。今はそういうものはあまりありません。 現代では、それぞれの子が、その子の趣味に合わせた説明文の本を、図書館を利用して探していく必要があります。例えば、男の子なら、電車の本や恐竜の本、女の子なら、料理の本や、ファッションの本などになるでしょう。 更に、ストーリのある説明的な文章として、伝記の本を読むのもおすすめできます。 しかし、最も効率的なのは、理科や社会の参考書、そして、国語の入試問題集、更には公立中高一貫校の入試問題集を読書がわりに読んでいくことです。 これらの説明文をばりばり読みこなしていく力が、公立中高一貫校受験向けの基礎学力です。 ●教材の選び方 公立中高一貫校受験の勉強として、最もよい教材をひとつ挙げるとすれば、それは全国の公立中高一貫校の過去問題集です。どんな勉強も、まず原典にあたることが大切です。 多くの人は、公立中高一貫校受験向けの問題集や参考書や学習塾に頼ろうとしますが、そのようにワンクッション置いたものではなく、直接過去問にあたることが大切です。 この考え方は、社会に出てからも役に立ちます。例えば、会社の仕事でも、何か問題があったときには、まず現場に行ってみることです。現場に行かずに、他人からの説明を聞いていたのでは、わからないことが必ずあるからです。 最もよい教材が、1年前の過去問だとすると、次によい教材は2年前の過去問です。要するに、過去問に直接あたることが、教材選びの原則です。 ●計算力をつける 公立中高一貫校の受験対策で、意外と見落とされがちなのが計算力です。もちろん、計算力は、数学の力というよりも、むしろ実務の力です。計算力は、生活やビジネスでは役に立ちますが、学問に役立つというわけではありません。有名な数学者でも、計算はあまり得意でないという人も多いのです。 しかし、現実の社会生活を送る上では、正しく速い計算力は、いろいろな場面で役に立ちます。だから、江戸時代でも、読み書きと算盤(そろばん)の教育が行われていたのです。 受験でも、この計算力はかなり重要です。特に、公立中高一貫校の算数の問題では、考える問題はパズルや図形のものに限られてくるので、理科や社会との融合問題の中で、比の計算や割合の計算が出されることが多いのです。 このとき、割り算をするスピードと正確さにかなりの差が出てきます。誰でもできる計算なのですが、それを早く済ませられる子は、ほかの問題に時間をかけて取り組むことができます。 割り算をのスピードを上げるには、練習によって慣れなければなりません。江戸時代には、九九のように割り算を暗唱する勉強法がありました。言葉の森でも、いつか繰り下がりのある割り算の暗唱をやっていきたいと思っています。 (つづく) |