言葉の森新聞
2015年11月1週号 通算第1392号
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森新聞 |
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■11月3日(火)は休み宿題(再掲) |
11月3日(火)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日9時~19時50分、土曜9時~11時) 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。 課題の説明の動画「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/ オープン教育の掲示板「森の予習室」にも、学年別の予習のヒントが載っています。 |
■【重要】プレゼン作文発表会12月6日(日)午後5:00~6:30 |
プレゼン作文発表会の日程が決まりました。これは、ウェブカメラを使って自宅からネットで参加する発表会です。 参加賞として、工作キット、理科実験キットなどが出る予定です。 詳しいお知らせは、11月5日から下記のページで行います。 http://www.mori7.com/hpk/ |
■【重要】作文検定試験12月13日(日)午前10:30~11:45 |
ネットを使い、自宅から参加できる作文検定試験です。団体で8名以上同時に参加する場合は、ネットを使わずにその会場で参加することもできます。 詳しいお知らせは、11月5日から下記のページで行います。 http://www.mori7.com/sakken/ |
■【重要】受験作文コースの特別アドバイスのお知らせ |
受験作文コースを受講されている方を対象の企画です。 これまでに書いた作文のうちで特別に見てほしいものを1編、言葉の森事務局に郵送又はファクスでお送りください。今後の勉強の方向を10分程度の動画で解説します。締め切りは11月30日です。ファクス:045-832-1466 なお、この動画は受験コースの参加者に限り公開させていただきますので、名前や生徒コードは匿名にします。 |
■遊びの持つ創造性―プログラミング教育は枠のない遊び |
なぜ勉強がつまらなくて遊びが面白いかというと、勉強には答えという枠があるのに対して、遊びにはそういう枠がないからです。自由に自分の可能性を広げることができるから、遊びによって工夫する力、創造する力がつくのです。 ところが、現在の遊びの中には、創造性に結びつかない遊びもあります。そのひとつがゲーム、もうひとつがソーシャル・コミュニケーションです。 |
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もちろん、こういう遊びも息抜きとしてはあっていいのです。しかし、本当の自由な遊びの持つ充実感は、こういう遊びからは得られません。 そこで、言葉の森が今考えているのは、ネットワークを使った自由な遊びの創造です。これは、オンエア特別講座という形で今企画しているところです。 もうひとつは、生活に役立つプログラミング教育です。 現在行われているプログラミング教育の中には、単なるお絵かきごっこやレゴ遊びのような決められた枠の中でプログラミングの雰囲気を味わうようなものが多いのではないかと思います。 プログラミングが面白いのは、そこに無限の工夫の可能性があり、その可能性を広げていくと、生活に役立つものができるというところにあります。 現在のプログラミング教育について、清水亮さんが、とても参考になる記事を書いていました。 「プログラミング教育の落とし穴」 https://wirelesswire.jp/2015/10/47351/ ネットワークは、子供の遊びの時間を創造性のないゲームやコミュニケーションに置き換えてしまう面がありましたが、うまく活用すれば新しい遊びの可能性を生み出すものとなっているのです。 |
昔の小学生は、学校から帰ると、カバンを家の中に放り投げてすぐに近くの原っぱに行き、夕飯の時間までたっぷり遊んでいました。
日曜日などは、今日は何をして遊ぶかと考えると嬉しくてたまらなくなり、自然に早起きをしていました。 今の子が、日曜日は平日の勉強の疲れを取るために、朝ご飯ぎりぎりまでゆっくり寝ているのとは大違いです。 昔の子供たちは、この遊びの中で創造性を育て、生きることの楽しさを味わう力を育てていたのだと思います。 |
■親子三代で楽しめる暗唱長文を作成中 |
言葉の森の暗唱長文は、これまでは現代文でその学年の生徒が作文を書くのに役立つようなものを載せていました。 これはこれで大事な役割があったのですが、せっかく暗唱までするのですから、今後は生涯覚えていて時どき口ずさめるようなものを暗唱長文にしたいと思いました。 そうすれば、その暗唱はやがて親子三代で楽しめるようなものになります。 聞くところによると、群馬県には上毛かるたというものがあるそうで、これは既に家族全員で楽しめる文化になっているようです。 作文に使えるような文章の暗唱が教育的暗唱で、親子三代で楽しめるような文章の暗唱が文化的暗唱と言ってもよいと思います。 教育的暗唱の長文の方は、その学年の作文の模範例文として別途読めるようにしていく予定です さて、文化的暗唱と言っても、人それぞれに好みがありますから、選択の範囲はかなり広がります。 そこで、いくつかの基準を設けて、新しい暗唱長文を選ぶことにしました。 第一は、親子三代ですから、百年の風雪に耐えるような文章にしたいということです。 第二は、既にある程度知られているような親しみの持てるものにしたいということです 第三は、日本語の文章の暗唱ですから、できるだけ日本文化につながるものにしたいということです。 百年の風雪に耐えるとなると、やはりできてから百年以上経っているということが目安になります。 明治時代の始まりが、今から約150年前でした 明治維新は、現代日本のひとつの大きな原点になっています。 この明治時代の文化の方向が、その後の日本の大きな方向を決定づけました。 例えば、その一つが和魂洋才です。西欧の優れた科学技術は積極的に吸収するが、日本の文化の根は守るという方向が日本人の共通の意識となったのが明治時代でした。 しかし同時に、それにもかかわらず、明治以降の日本の文化は次第に西欧文化に侵食されていきました。 そこで、明治の初期をひとつの基準として、それ以前の古代・中世・近世・近代の文章を中心に暗唱長文を選定することにしました。 参考までに近代のよく知られている人物の生年です。 これらの人々は、江戸時代の成熟した日本文化を背景にしつつ、明治時代の急速な西欧化との葛藤の中で自身の精神形成をしていったのです。 勝海舟 1823~1899 文政 西郷隆盛 1828~1877 文政 吉田松陰 1830~1859 文政 福沢諭吉 1835~1901 天保 内村鑑三 1861~1930 万延 森鴎外 1862~1922 文久 新渡戸稲造 1862~1933 文久 夏目漱石 1867~1916 慶應 幸田露伴 1867~1947 慶應 鈴木大拙 1870~1966 明治3 島崎藤村 1872~1943 明治5 |
■帰国子女の国語力は、学校ではなく家庭で |
海外で子育てをしなければならない人は、子供の日本語教育の問題で悩まれることが多いと思います。 これまで帰国子女の保護者の相談を受けていてよく感じるのは、日本語学校のような教育機関だけでは日本語の力をつかないということです。これが、同じ勉強のように見える算数数学、英語、理科、社会などと違うところです。 海外で子育てをしながら、子供に現地の言葉も日本語もしっかり身につけさせている家庭に共通するのは、家庭で日本語を使う機会を意識的に増やしていることでした。 中には、日本語学校が近くにないので、家庭だけで日本語教育をやらざるを得なかったという人もいました。しかし、その方がよい結果を生んでいたようなのです。 家庭での日本語教育の方法は、youtubeで日本語のアニメを見る、近所の子供たちを読んで日本語のゲームをする、家庭の中では両親と日本語で話すなどでした。つまり、勉強として日本語を身につけさせるのではなく、遊びや日常生活の中で自然に身につけさせようとする工夫でした。 このことは、帰国子女に限らず、日本で日本語で生活している日本人の子供たちでも共通です。例えば、親が子供に話しかけるときは、できるだけ断片的な言葉ではなく、ひとつの文がある程度の長さを持っているような言葉で話しかけることです。国語力は、こういう日常生活の中で育っていくのです。 |
■中学生以上の生徒に必要な考える勉強 |
中学生や高校生にテスト結果を聞いたとき、「大体できました」という生徒は、あまり成績がよくありません。「こことここを間違えたんです」という生徒は、大体成績がいいのです。 「できた」という生徒はあまりできていなくて、「できなかった」という生徒はできているという逆転が起きるのは、テスト問題に対する姿勢が違うからです。 テストというのは、勉強の結果ではなく、次の勉強の出発点です。 テストが返されたとき、どういう傾向のテストで、自分がどう間違えたのかを知ることが、次の勉強の土台になります。 受験用の過去問を、受験勉強を開始する前(大学入試なら高2の終わりか高3の始め)にやっておくというのも、こういう理由からです 時間をかけているわりに成績が伸びない生徒は,テストを勉強の結果としてだけしか考えていません。だから、成績がたまたまよかったり悪かったりしても、それは、当たり外れのレベルの話になってしまうのです。 定期テストの対策は、まず自分で作戦を立てることから始まります。 前回のテスト結果を分析し、今回の勉強の方向を決め(つまり、教材と範囲と回数を決め)、スケジュールを考えてから勉強を始めるのです。 ところが、こういう自分で立てた作戦を持たずに、ただ塾に行って、言われたことをやるという生徒が意外と多いのです。 人間の得手不得手は、人それぞれに違います。みんなと同じ一律の勉強をしていたのでは、時間がかかるだけです。 自分の勉強の作戦を立てられるのは、自分しかいないのだということをしっかり自覚することが大事なのです。 |
■作文と読書の深い関係 |
作文がなかなか書き出せない、書くことがない、書いてもすぐ止まってしまう、という子がいます。本人も悩んでいますが、近くで見ている親はいらいらしてきます。 作文がなかなか書けない原因のひとつは、実は作文にあるのではなく、読書にあることが多いのです。 その反対に、いつも楽に書き出す子がいます。思いついたことを苦もなく書いて、しかも書くことを楽しんでいるような書き方をする子です。 そういう子は、本をよく読んでいる子です。 読書と作文がなぜ結びつくかというと、それは比喩的に考えれば、次のように言えると思います。 運動をするには、エネルギーが必要です。そのエネルギーは、食べ物から来ます。「腹が減っては戦はできぬ」という言葉のように、エネルギーとして入るものがなければ、力として出てくるべきものも出てこないのです。 しかも、食べ物が、一度に1週間分のものを食べるわけにいかないように、読書も、あるときまとめて読んだから、あとはしばらく読まなくていいというわけにはいきません。 毎日食べるように、毎日読む必要があるのです。 書く力を本格的につけるためには、まず読むことです。読書の原則は毎日です。週に何日か読むという読み方ではなく、少ないページ数でもかまわないので、何しろ毎日読んでいくことです。毎日読んでいれば、必ず読む力がつき読書が好きになります。 そして、小中学生の場合は、家庭で本を読む習慣がある子と、がfっ子雨の成績がよい子との間には、高い相関があるのです。 もちろん、読書は、勉強ができるようになったり、作文が得意になったりするためだけに読むものではありません。読書は、まず楽しいから読むものです。 しかし、その楽しい読書の結果として、勉強もできるようになるし、作文も書けるようになるし、自分のものの見方も豊かになっていくのです。 |
作文を書く力をつけるためにはまず読書、と言っても、それでは時間がかかりすぎます。
そこで、即効的な対処法は、お母さんが子供と一緒に書く構成図です。これで、どの子も楽に書けるようになります。 もっと簡単な対処法は、お母さんがアドリブで文章を口頭で言ってあげることです。そういう呼び水があると、途中から子供は自然にその続きを書くようになります。 しかし、根本的な対策は、やはり読書なのです。 |
■中学生の勉強法――教材は1冊主義で |
中学生になると、親はだんだん子供の勉強に関与できなくなります。勉強も仕方も、塾に行ったり、通信教育をやったりと、親がその勉強の仕方も次第に把握できないものになってきます。 そうすると、つい、机に向かっているからいいというように、外見だけで子供の勉強を判断するようになります。 しかし、大事なことは、勉強しているかどうかではなく、どういうやり方で勉強しているかです。 勉強のやり方で大切なことは、どういう教材を使っているか、それをどう使っているです。 親も子も、この肝心なところを抜きにして、ただ勉強をしているだけでよいと思っていることが多いのです。 まず、どういう教材を使っているかです。塾や通信教育の教材は、ばらばらになってしまうものがほとんどです。ばらばらになるような教材は、よほどきちんと管理できるような子でなければ、有効には使えません。 教材の理想は、1教科1冊です。何枚ものプリントになっていたり、分冊になっていたりするものは、使えない教材になってしまうことが多いのです。 (ばらばらのプリントをきちんと保管し、繰り返し勉強できるような仕組みを作っているところもあります。「でき太くんの算数クラブ」などはそうだと思います。) もうひとつは、どう使っているかです。理想の勉強法は、同じ教材を同じように5回繰り返すことです。 ところが、小学生のころから、この繰り返す勉強に慣れていない子が多いので、ほとんどの中学生は、1冊がひととおり終わったら次の教材に移ってしまいます。 わかりやすく言うと、5冊の教材をそれぞれ9割できるようにするよりも、1冊の教材を5回繰り返して10割できるようにした方が確実に力がつくのです。 |