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言葉の森新聞
2016年12月3週号 通算第1447号
https://www.mori7.com/mori/ |
![]() 森新聞 |
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■新学期の教材を発送します |
新学期の教材を12月16日(金)~20日(火)の期間に発送する予定です。 国内の生徒で、25日になっても届かない場合はご連絡ください。 住所シールも同封します。 |
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■12月23日、1月2~4日、9日は休み宿題 |
12月23日(金)と、1月2日(月)、3日(火)、4日(水)および9日(月)は、休み宿題です。 先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時-午後7時50分。年末は28日まで。電話0120-22-3987) 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。 課題の説明の動画「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/ オープン教育の掲示板「森の予習室」に学年別の予習のヒントが載っています。 |
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■受験作文のオンエア特別講評終わる-今後は有料に |
受験作文コースの生徒のオンエア特別作文講評は、12月1週で終了します。 昨年度は、受験作文コースの生徒のほぼ全員からそれまでの自信作を提出してもらい、その作文についてそれぞれ10分程度の特別講評を行いました。 今年度は、特別講評の回数をもっと多くとってもらえるように、ハングアウトの会合で講評を行う形にしました。しかし、逆に、ハングアウトの参加に慣れていない人が多かったせいか、参加者は多くありませんでした。 次年度は、もう少し参加しやすい形を工夫していく予定です。 なお、このあとの作文や志望理由書の特別講評は有料になります。 受験作文コースの生徒の場合は1作品3,240円、受験作文コース以外の生徒の場合は1作品5,400円ですのでご了承ください。 |
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■暗唱についてのコメントより |
実は、こんなに暗唱のできる生徒がいるとは、最初は思っていませんでした。しかし、結構みんながんばっていて、しかも高学年の生徒までしっかりできているというのは驚きました。 暗唱は毎日の積み重ねですから、気の長い勉強です。だから、お母さんの協力があって初めてできると思います。 ところで、7分というのは、1文字も間違えずに淀みなく読んで初めて達成できる速さです。 |
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なぜこのように速く完ぺきに読むのが大事かというと、思い出しながら読むような読み方では、その暗唱が自分のものにならないからです。 暗唱の理想は、ちょうど九九を唱えるような感じの読み方をすることです。 |
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■本当に役立つ教育は、教えないこと、ワンテンポ遅れてあとからついていくこと |
「子どもはどこかに着くことを望んでいるのではないのです。かれはただ歩きたいのであって、かれをほんとうに助けようとするなら、おとなは(自分と)同じ歩調で歩くことを期待したりしないで、かれのあとからついていかなければなりません。子どものあとについていくことの必要性をここで明らかにしましたが、それは、まさに教育のあらゆる側面とあらゆる領域での一般に通ずる規則なのです。」「モンテッソーリの教育」(あすなろ書房)より 子供が、勉強で何かわからないことがあると、大人はすぐに教えようとします。しかし、このすぐに教えようとすることが子供の成長を阻害していることが多いのです。それは子供が自分で考える楽しみを味わえなくなるからです。 ところが、見た目には、すぐに教えた方が早く身についたように見えます。これが錯覚を生み出します。 教えてもらって理解したことは、時間がたつと忘れます。 自分の内面から考えて理解したものでないと、それは単なる知識ですから、忘れるのも早いし、ほかに応用することもできません。 当面の成績上昇には役立ちますが、長い目で見ると学力の向上には結びつかないことが多いのです。 では、どうしたらいいかというと、大人は教えたくなる気持ちをいったん抑えて、ワンテンポ遅く対応するようにするのです。 例えば、子供が算数の問題でできなかったところを持ってきて、「わからないから教えて」と言ってきたら、そこですぐに教えるのではなく、次のように言うのです。 「これは難しいね。お母さんにもよくわからないから、もう一度解法を読んでみて、もしわかったら教えてね」 それでもなお子供がわからないという場合は、教えてもかまいません。 しかし、この教えることをワンテンポ遅らせる対応を続けていると、子供はだんだん自分で考えようとする姿勢を持つようになります。 そして、やがて、すぐ人に聞くのではなく、自分で考えてみる方が楽しいと思うようになるのです。 |
●コメントより |
子供が何かわからないことでつまずいているとき、先生が、 「じゃあ、教えてあげようか」 と言うと、 「あ、待って。言わないで。自分で考えるから」 と言う子がよくいます。 人に教えてもらうより、自分でわかりたいというのが人間の本来の姿なのです。 |
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■勉強の目的―創造の時代に対応した勉強観を持つ |
昔は、勉強の目的というものをいちいち問わなくても、誰もがわかっていた時代がありました。 それは、キャッチアップの時代です。 欧米という目標があり、そこに追いつくことがそのままま勉強の目的になっていました。これが、途上国型の勉強観です。 それは、学ぶことが明らかで、誰もが学びたいと思い、学ぶことが自分にも社会にも利益になるという時代でした。 それが、福沢諭吉が「学問ノススメ」であらわしていた立身出世の学問観でした。 この時代は、簡単に言えば大学に入学することが勉強のゴールでした。 今の親の世代とその上の世代は、そういう時代を生きてきました。 しかし、世の中の現実は、意識よりも先行して変化します。 日本はやがて欧米に追いつき、いつの間にか追い越すようになっていました。 「学問ノススメ」が前提としていたキャッチアップの時代が終わりつつあるのに、意識だけはキャッチアップ型の勉強観が続いていたのです。 かつては、よい大学が、よい会社、よい役職になり、それがそのままよい人生につながっていました。 それは、旧制高校に代表される少数のエリートが成立していた時代です。 しかし、今はどの大学を出ても、それでエリートとみなされることはありません。 それよりも、高学歴で仕事ができないとか人間性に問題があるというような事象も目立っています。 ゴールに向かって追いつく時代が終わっているのにもかかわらず、ゴールを前提とした勉強だけが肥大化し、その勉強に合わせる教育が行われてきたからです。 では、キャッチアップがなくなった時代の勉強の目的とは何なのでしょうか。 それは、創造の時代に対応した勉強をすることです。 しかし、創造とは、地に足の着いた、生活を成り立たせるものでなければなりません。 絵画や音楽やスポーツのようなほとんどの人が趣味の域を出ないものが創造なのではなく、独立開業という言葉でイメージ化されるようなものが現実的な創造です。 しかし、そういう独立して仕事をするような創造を個人が最初から始めるのは困難です。 そこで、これからの時代には、家業に就くとか、徒弟として修行するというような形で、自分が将来独立して仕事をする中で創造することが、多くの人の求める道になるのです。 現在の大企業は、大きな生産力を持っていますが、そこで新たに必要とされる創造的な仕事に就く人はごく少数です。 多くの人は、その企業の手足となって、非創造的な仕事をこなすようになっています。 もちろんそういう日常的な平凡な仕事が社会を支えているのですが、それらの仕事は今後次々と機械化されていきます。 昔は、独立して仕事をして失敗したら、ちり紙交換でも何でもすればいいと言われた時代がありました。今、ちり紙交換などという仕事はありません。 同じように、新聞配達も、タクシーの運転も、スーパーのレジ打ちも、今後は今の形で仕事が残ることはなくなります。 今、企業の中で行われている必要な仕事も、あるいは企業の仕事自体も、これからは必要なくなることが考えられるのです。 堅い仕事と言われる分野は、人間の生存に結びついています。誰もが必要とするから堅い仕事になっています。 しかし、そういう仕事は、実は発展性の少ない仕事です。 社会が安定し、生産力が上がってくると、堅い仕事ほど競争の激しい、旨味のない仕事になってきます。 これまでは、それが資格制度などによって守られてきましたが、これからの自由化が進む時代には、堅い仕事はかえって魅力のない仕事になってきます。 創造の時代に発展する仕事は、逆に堅くない仕事です。 それは、豊かな生産力と安定した社会の中では、需要そのものが創造的になるので、その創造的な需要に対応して生産も創造的なものが求められるようになるからです。 そこで求められる創造的な仕事は、企業的なものよりも、家業的、個人的なものになっていきます。 その仕事に必要な能力は、創造力とともに全人間的な力です。そこには、教科の枠を越えた学力も当然必要になってきます。 キャッチアップの時代の受験勉強に対応した学力は、英数国などの主要教科に限定されたものでした。 しかし、独立して生きる時代に必要な学力は、それだけでは足りません。あらゆることを学ばなければ間に合わないのが、創造の時代の学力です。 今はまだその社会は、明らかな形としては目に見えるようにはなっていません。 しかし、社会は確実にそういう方向に進んでいます。 子供たちの勉強の目的を考える場合、親は、当面の入試に合格することだけでなく、その先のその子の仕事に結びつく勉強ということを幅広く考えていく必要があるのです。 |
●コメントより |
・今の勉強観をひとことで言えば、最小のコストで最大の効果を上げるというものです。 だから、受験に出る教科だけ力を入れて、あとは手を抜くというようなことが当然のように行われているのです。 しかし、それは時代おくれのキャッチアップの時代の勉強観です。 創造の時代の勉強観は、自分の好きなものにいちばん力を入れて、あらゆるものを幅広く勉強するというものです。 ・ 子供に勉強の目的を聞かれた場合、大人は一応もっともらしいことを言えますが、その言葉にあまり迫力がないのが普通です。 それは、大人自身が、今の社会の中で生きる目標を今見失いつつあるからです。 だから、新しい社会観に基づいた勉強観が必要になっているのです。 |
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■学歴インフレと個性 |
中国の2013年の大学卒業者は700万人です。日本は毎年60万人です。 学歴インフレの状況では、大学を卒業したというだけではもう何も価値がないということです。(大前研一さんの本より) 日本では、今はまだ、一応大学を出ていれば何とかなるだろうという考えが強いと思います。何とかなるだろうというのは、ちゃんとした仕事について生活していけるだろうということです。 しかし、現実はもうそうではなくなっています。 また、仕事についていても、若い人はかなり高い割合で離職をしています。 その離職の原因も、根性がないからというようなことではなく、その仕事に未来の展望が持てないからなのです。 つまり、世の中全体に、新しい方向に向かって発展するものが見つけにくくなっているのです。 これと同じ状況が生まれたのが、長く平和の続いた江戸時代でした。 新しい需要が生まれない中で、消費も生産も縮小する形で均衡していったのです。 世界では、今はまだ途上国や新興国の間で、新しい需要が生まれているように見えますが、現代の人類の生産力のもとでは、それらの需要が埋め尽くされるのはかなり早いはずです。 その中で、日本がこれから目指す道は、多様で個性的な文化を創造していくことです。 この場合、大事なことは「創造」ということです。 文化というと、多くの人は、絵画や音楽やスポーツのような既にあるものを思い浮かべがちですが、そういうすぐに思い浮かべられる文化的なものは、もはや過去の文化で、それらに新しい社会を作り出す力はありません。 まだ名前もないようなものを新たに創造することが、これから求められる文化の創造で、それによって現代の経済の行き詰まりも打開されていくのです。 そういう文化の創造を担う人は、自分の個性にこだわりを持つ人です。 具体的な例で言うと、いつもハコフグちゃんの帽子をかぶっているさかなクンのような人です。 学歴インフレは、これから更に進みます。 経済のデフレは、過去に価値あると思われていたもののインフレに対応しています。 だから、これからの子供の教育で大事になるものは、勉強+個性で、その個性の度合がますます大きくなるような時代に私たちは生きているのです。 |
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