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言葉の森新聞
2017年11月1週号 通算第1号 https://www.mori7.com/mori |
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■11月3日(金)は休み宿題(再掲) |
11月3日(金)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。 先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日9時~19時50分、土曜9時~11時) 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。 課題の説明の動画「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/ オープン教育の掲示板「森の予習室」にも、学年別の予習のヒントが載っています。 |
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■受験作文コースの練習の仕方(1) |
受験で作文や小論文を使うという場合、そのための練習はなかなか難しいものです。 (以下、作文・小論文をまとめて「作文」と書きます。※) 英語や数学であれば、すべて答えがある問題ですから、どういう問題が出されるか過去問を分析してその問題に合うような練習に取り組めばそれで成績は確保できます。 ところが、作文の勉強は、過去問の模範解答を見ても、実際の試験で出る問題は全く違います。 同じように、国語の問題も、過去問を解いたからといって、試験の成績がよくなるというあてはありません。 では、どうしたらよいかと言うと、どういう問題が出されても得点できるだけの国語力、いい文章を書けるだけの作文力を作っておけばいいのです。 とは言っても、作文の実力向上を実感するのは、受験作文に本気で取り組んでから約1年かかりますから、ほとんどの受験生は練習時間が足りません。 そこで言葉の森では、短期間に合格する作文力をつける方法を作っています。 それは、過去問に類似するようなテーマを何本か書いてみるという練習です。 過去問をそのまま書くということもありますが、基本は、過去問に類似した傾向の問題を書くということです。 そこで大事なことは、その傾向に沿って価値ある体験実例、社会実例、光る表現、深められた主題を準備してくることです。 作文の書き方という構成の部分は、言葉の森の考案した独自の構成法でアドバイスします。 生徒が準備するのは、構成以外の、題材と表現と主題です。 (つづく) ※作文と小論文を区別して考える人がいますが、上手な文章を書くのが目標ということであれば、作文も小論文も同じです。 強いて区別を言えば、題材が中心になるのが作文で、主題が中心になるのが小論文です。 中心になるとは、その部分の分量が多いということではなく、文章全体の重点がどちらになっているかということです。 しかし、その区別は黒白はっきり分かれるわけではなく灰色の範囲もかなりあります。 そこで、言葉の森では、作文も小論文もひとまとめにして作文と使うことが多いのです。 |
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■学力向上の秘訣は雨だれ岩をも穿つ |
現代は、何でも素早く処理のできる時代です。 ボタンを押せば、すぐに答えが出てくるというような環境が増えてくると、学力についても特別なよい方法やよい教材があれば、明日からでもすぐにうまくいくように思いがちです。 それでも、大人は、現実世界でいろいろな苦労をしているのでそれほど単純にはなりません。 問題は、子供です。 子供は、今のようなスピーディーな環境のもとでは、何でもすぐに成果が出て当然のように思ってしまうのです。 しかし、どんなことでも、価値あるものは、長い時間をかけて身につくというのが本当の姿です。 何度も繰り返しているうちに、自ずからできるようになるというところに学力向上の秘訣があるのです。 それは、もちろん「よい方法」というものを否定するわけではありません。 しかし、たとえどんなによい方法であっても、それを続ける意志がなければ自分のものとして定着することありません。 その点で、子供に繰り返しの大切さを教えるのは、勉強の出発点とも言えるのです。 その繰り返しの大切さを実感させるのによい方法として暗唱があります。 暗唱検定の一つの級は、約3千字の暗唱です。 これを一文字も間違えないように暗唱できるようにするのに約3か月かかります。 逆に言えば、毎日10分間、3か月続ける意志力さえあれば、幼稚園の子供から社会人の大人まで誰でも暗唱できるようになります。 先日、言葉の森の暗唱検定で、初めて初段に合格した小学4年生の生徒がいました。 初段の暗唱は、約1万2千字を30分以内に読むことです。 もちろん、何も見ずにです。 この生徒は、たぶん何ヶ月も、毎日10分の暗唱を日常生活の中で続けていたのでしょう。 このように、毎日同じことを続けていくという意志力があれば、こういう生徒はただ記憶力が鍛えられるというだけではありません。 もちろん、記憶力は、将来かなり役に立つと思いますが。 続ける意志を持てる人は、これから、どのようなことに取り組むことがあっても、「続けていればできる」という気持ちを持つことができるのです。 これが、「雨だれ岩をも穿つ」という言葉を実感として理解できるようになることです。 この続けられる人とすぐ諦めてしまう人の差が、実は世の中で最も大きな差です。 学力向上の秘訣は、続けることができるかどうかにあります。 それを無理なくできるようにする機会のひとつが、暗唱検定なのです。 |
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■説明文の読書に図書館を利用。読解問題の文章を読むときの記号付け(懇談会の話から) |
小6の思考発表クラブの懇談会で、次のような質問がありました。 ひとつは、「子供が物語文の本ばかり読んで、説明文の本を読まないので、図書館の物語のコーナー以外のところから本を探すようにアドバイスしたがどうか」というものです。 |
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「図書館を利用して」「子供が自主的に選ぶようにする」というのは、とてもいい方法だと思います。 小学校高学年になると、子供自身に向上心が出てくるので、親が的確な方向を示してあげると、自分なりに工夫してやっていくようになります。 もうひとつは、「子供が読解の問題を解くときに、元の文章に何も書かずに読んでいる。もっと接続詞を囲むとか、同じ言葉が出てきたところに線を引くとかしたらいいのではないか」という質問でした。 このことに関しては、以前記事を書いたことがあります。 「問題文の接続詞を四角で囲む子――国語の勉強法は他の勉強法とは異なる」 https://www.mori7.com/as/2507.html 「国語は問題文に線を引いて読む」 https://www.mori7.com/as/2434.html 難関校の国語問題ほど長い文章を読ませることが多いので、普段から問題の文章には線を引いて読む習慣をつけておくといいです。 しかし、あまり詳しく線を引いたり記号をつけたりする必要はありません。 本当は、説明的な本をよむ場合には、本にも線を引いて読む習慣にするといいのですが、そうすると、ほかの人が読めなくなってしまいます。 将来は、kindleなどを子供に与えて、そこで自由に線を引いたりメモをしたりして読むようにするといいと思います。 そして、いずれkindleも、メモに音声入力機能がつくようになると思います。 |
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■小1オンライン相談会で出された質問から(前回の続き) |
9番までの質問と答えは、10.4週の新聞に記載しています。 10. 「国語の読解問題ができない」という相談がありました。 学校のテストや市販の難しい問題集のテストの場合、できなくてもよいものもかなりあります。 点数ではなく内容を見て、解けるべき問題かどうかを親が判断することが大事です。 できるべき問題ができていない場合、市販の問題集などをやる必要はありません。 国語力は、国語的な生活時間の長さによって決まってきます。 問題集を解くような勉強は、その問題集の勉強が終わったらおしまいです。 面白いから、空き時間にときどき問題集を開いて問題を解という子はまずいません。 これに対して、読書は、興味の持てる本だと少しの空き時間にも続きを読むようになります。 国語力は、国語の勉強をさせることではなく、読書の楽しさを味合わせる方向でつけていくことです。 国語の成績のよい子は、国語の問題集を解くような勉強はまずしていません。 ただし、学年が上がった場合は、読書だけでは易しい文章ばかりになる可能性があるので、問題集読書を並行していくといいです。 11. 「暗唱の文章を、正しく読まずに自分なりに読んでしまう」という質問がありました。 暗唱をするときは、最初の読み方だけはゆっくり正確にすることが大事です。 最初に間違って読んだものを、あとから直すことはまずできないと考えておくことです。 それぐらい、最初の数回の読み方は大事なのです。 ゆっくり正しく読めるようになったら、そのあとはできるだけ速く読むようにします。 速く読むときは、歩きながら読むなど体を動かしながら読むようにするのがコツです。 こういうコツがわかるためにも、子供に暗唱をさせる前に、親が暗唱の練習を実際にしてみるといいと思います。 |
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12. 「暗唱検定は内容が難しいので、いつからやったらいいか」という質問がありました。 幼児や小学校1~3年生は、意味がわからなくても読み方さえわかれば暗唱ができます。。 だから、暗唱検定の取り組みは、なるべく早くやっておくといいです。 小学4年生以降になると、暗唱の文章を覚えようという気持ちが出てくるので、かえって暗唱が難しくなります。 繰り返し音読すれば自然に身につくという感覚をつかめるのは、小学校低学年のころです。 その感覚をつかんでおくことが大事です。 |
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■人工の教育から自然の教育へ |
昔は塩といえば、NaClという塩化ナトリウムで間に合わせればよいという考えがありました。 塩というものの要素を抽象化して、単純な元素の組み合わせとして管理すれば利用しやすいと考えたのです。 ところが、実際の海水に含まれている塩には、NaCl以外のさまざまな元素が含まれています。 そして、実はその微妙な元素の方に重要な働きがあるということが分かってきたのです。 子供の成長についても、似たようなことが言えます。 昔の子供の環境は、両親や先生だけでなく、兄弟や、祖父母や、近所のおじさんおばさんや、友達や、友達の中でも年齢の上の子、下の子、自分が特に好きな子、嫌いな子などが多様な人間関係の環境を形成していました。 そこで子供たちは、バランスよく成長していたのです。 現在は、少子化と核家族化の中で、子供はかなり単純な人間関係の中で暮らしているように見えます。 このような単純化された、ある意味で人工的な環境の中で教育が行われると、子供の内発的な動機が正しく成長しないことがあるのです。 例えば、子供は何かを学んだり遊んだりしているときに、自分なりにさまざまな工夫をして失敗や成功を経験します。 その試行錯誤の経験の中で、困難を乗り越えてうまくできたというのが、子供の創造の喜びになり向上の喜びになります。 そういう内側からの喜びを成長の糧として、子供は大きくなっていくのです。 しかし、もしここに親や先生から評価されるという要素が加わると、本来の喜びが評価される喜びに切り替わってしまうことがあります。 勉強で何かを成し遂げたときに本当は成し遂げたこと自体が喜びであるのに、親や先生に褒められると、それが褒められた喜びに還元されてしまうということが起きてくるのです。 もちろんこれが子供の多様な環境の中で行われるのでしたら、褒められる喜びというものは一つの価値ある喜びになります。 しかし、人工的な単純化された環境で、評価がある一つの方向から繰り返し行われると、子供の喜び自体が評価される喜びに単純化されていってしまうのです。 大人になって自分の本当にしたいことがよく分からないというようなケースは、この評価の喜びが単純化された環境の中で与えられすぎたからという面があるのではないかと思います。 ではどうしたらよいかというと、子供が何かに熱中しているときは、それを褒めもせず止めもせず、その子のありのままの姿として温かく見守ってあげることなのです。 その熱中したことが全く無駄で無意味なことのように見えても、熱中すること自体が子供の成長にとって価値あることだと考えることです。 また逆に、その熱中していることが親や先生の望むことであっても、それを特に褒めるようなことはむしろ抑えて、その熱中そのものをただ見守ることが重要なのです。 昔の子供は、親や先生の目の届かない自然な環境の中で過ごす時間が豊富にありました。 今は、こういう自然の環境になるべく近い子育てをしていくことが必要になってきているのだと思います。 |
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