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  【再掲】【重要】8月11日(日)-17日(土)は休み宿題
  音読の学年
  音読は文章を文脈の中で読む読み方
  先生の役割
  暗唱の新しいツール、数取り器
  書く力は読む力より遅れて成長する――書く語彙を増やす音読と対話
 
言葉の森新聞
2019年8月2週号 通算第1574号

https://www.mori7.com/mori

森新聞
【再掲】【重要】8月11日(日)-17日(土)は休み宿題
 カレンダーに記載してあるとおり、8月11日(日)-17日(土)は言葉の森の夏休みです。
 先生からの電話はありませんが、自宅でその週の課題を書いて作文を提出してください。他の日に教室に来るか教室に電話をして、その週の説明を聞いてから書くこともできます。
 休み宿題のときに、電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
音読の学年
 子供に音読の練習をさせる際の学年は、ほとんどの家庭が小学1、2年生のころまでだと思います。
 小学生4年生になっても音読を続けている子は少なく、5、6年生になると音読を続けられる子が滅多にいません。

 しかし、音読は中学3年生まで続けていく価値があります。
 中学3年生までは、新しい語彙が次々と出てくる時期ですから、それらの語彙を文脈の中で理解する練習をしていくために音読は必要な勉強なのです。
 試しに、中学生の生徒に、課題フォルダの長文を音読させてみると、読み間違える字がかなりあるはずです。

 高校生や大学生になると、必要な語彙力は大体備わってきているので、音読よりももっと別の勉強に切り替えていく必要があります。
 それが難読です。

 古今東西の古典と呼ばれるような評価の定まっている本、例えば学校の歴史の教科書や倫理社会の教科書に出てくるような人の本を読んでいくことによって、自分で物事を新しく考え出す考え方の流れがわかるようになってきます。

 高校生、大学生の難読は、もっと勉強の中心に位置づけられるべきものですが、今の高校や大学ではそういう勉強がなされていません。
 知識を分かりやすく整理した教科書を読むような勉強がほとんどなので、考える力が育たないのです。




音読は文章を文脈の中で読む読み方
 音読の役割は、言葉を、文章という文脈の中で読む読み方を身につけることです。
 文章は、単語の組み合わせとして理解されるよりも、文脈として理解されて読むことによってより深く理解できるようになります。

 黙読の場合は、文章の中で理解するというよりも、単語を組み合わせで理解する読み方になるので、難しい単語は理解を飛ばして読むようになります。
 だから、黙読は、自分の理解できるものしか読んでいないことになりやすいのです。

 音読の場合は、難しい単語も、地の文章の中の一連の流れとして読むので、その単語の大まかな輪郭を了解しながら読むようになります。
 この、単語の組み合わせとして読む読み方ではなく、文脈の中で読む読み方のできるのが音読という方法です。

 音読をすると、同じ文章を何度繰り返して読んでも斜め読みになることがありません。
 黙読は、自分の理解しただけのものを読む読み方ですから、2度目3度目は斜め読みで全体が理解できるので、繰り返し読む必要がないと感じてしまいます。
 しかし、それは知識を身につけ理解する読み方であって、文章を文脈の中で考えて読む読み方ではありません。

 音読で、同じ文章を4回も5回も繰り返して読む練習をすると、言葉を自分の理解の中で読むのではなく、その言葉が書かれた文章の文脈の中で読むので、自分を超えた新しい考える力と表現する力が成長していきます。

 ところが、音読をさせようとする人の多くは、音読のそのような意義を知りません。
 また、たとえ知っていたとしても、自分が実際に子供時代に経験したことのないことは、子供にさせることが難しいので、音読は毎日の学習として定着させることが難しいものとなっているのです。

 そこで、言葉の森では、音読の代わりにもなるものとして、暗唱の方法と暗唱検定という仕組みを作りました。

 読解力、思考力、表現力の勉強として最もよいのは、課題フォルダの文章を毎日音読し、暗唱検定の文章を毎日暗唱し、作文の次の週の課題について親子と対話をし、毎日学年の10倍ページ以上の本を読み、そして週に1回作文を書くことです。
先生の役割
 子供には、できる子とできない子がいます。
 先生が、同じことを同じように教えていて、できる子とできない子がいるので、教えている先生は次のように思いがちです。
「自分がちゃんと教えていてできる子がいるのに、できない子がいるのは、その子の問題であって教える自分の問題ではない」と。
 これが、大多数の学校や塾で行われている授業の仕方です。

 しかし、問題は子供にあるのではなく、やはり教える先生にあるのです。
 しかし、その教える対象は子供だけではなく、むしろ保護者に対してなのです。

 ときどき、生徒の保護者で、「私が言っても本を読まないので、先生から言ってください」という人がいます。
 また、「私が子供に音読をさせると喧嘩になるので、先生がやらせてください」という人もいます。

 毎日の読書や音読は、一緒に暮らしているお母さん以外にさせられる人はいません。
 親ができないことを、週に1回接する他人ができることはないのです。

 音読や読書を、先生に頼もうとは思わずに、自分で工夫してなんとかやり続けようという気持ちを持ってもらうのが、先生の役割です。
 子供の教育の問題は、ほとんど親の問題です。
 だから、先生がその子を必ず上達させたいと思えば親に働きかけざるを得ません。
 親に働きかけることも含めて、すべて子供の学力の責任は、先生の側にあるという自覚を持つことが大切です。

 「学力の経済学」(中室牧子)では、幼児期の教育が、その子の将来の学力を含めた人間力の形成に大きく影響していたということが書かれています。

 しかし、これは単に幼児期のその子に対する教育だけに原因があったのではありません。
 その子の親に対する働きかけが、その家庭の文化を変えることによって子供の教育に影響したということなのです。
暗唱の新しいツール、数取り器
 暗唱するときに、覚えるまで読むというやり方ではなく、決めた回数を繰り返すというやり方をすると、やさしい文章のときも難しい文章のときも同じように暗唱をすることができます。

 回数を数える方法には、「正」の字を書くとか、数珠を使うとかいろいろなやり方があります。
 しかし、もっと手軽にできる方法がないかと考えて、紙を折って数える紙折り暗唱の方法を考えました。
 これは、片手で紙を折りながら30回まで数えられるので、慣れた人にはやりやすい方法です。
 しかし、初めての人の場合は、紙の折り方が分からないので、かえって数えにくいということもありました。

 そこで、最近見つけたのがデジタルカウンター(数取り器)です。
 カウンターを使うと、自分が何回まで数えたかということがデジタルの数字でわかるので、目標がはっきりします。

 このやり方をしていくと、誰でも決めた回数が暗唱できるようになります。
 もちろん、紙折り暗唱に慣れた人は、紙を折る方がやりやすいと思いますが。


 暗唱のコツは、句点や読点でなるべく区切らずに読むということです。
 ただし、まったく区切らずに早口で読むのが難しい場合は、句点や読点のところで読み方を伸ばして次の言葉に移るというやり方をするといいのです
 意味を理解しながら読むというよりも、言葉の音のひとつながりとして読むのです。

 意味として理解したことは、覚えるのも早いのですが、忘れるのもまた早くなります。
 忙しい現代社会では、ほとんどの人が意味を理解する方法に慣れているので、すぐに覚えてすぐに忘れるという勉強法を繰り返しています。

 たくさんの知識を再現するためのテスト勉強ならそれでいいのですが、自分の中に確実に残った少数のものを生かすという勉強をするためには、時間をかけて身につける方法が必要です。

 貝原益軒は、四書五経の百字分を百回空に読み空に書くという勉強法を勧めました。
 この方法が、日本全国の寺子屋の学習の基本になっていったのだと思います。

 暗唱の効果というものは、やってみないとわからないところがあります。
 これから新たに暗唱に取り組む人は、このカウンターを使った暗唱をやってみてください。

【追伸】
 その後、そうふく君のお母さんから、「キッチンタイマーを使っている」という方法を教えてもらいました。
 タイマーの設定をするとき、30分の設定する場合は、1分を30回押すので、そのボタンを押すのを1回とするのだそうです。
 どの家庭にもある身近なものなので、いい方法だと思いました。



          


書く力は読む力より遅れて成長する――書く語彙を増やす音読と対話
 昨日の保護者懇談会の席で,小学5年生の子のお母さんから次のような相談がありました。
 それは、「4年生までのやさしい課題では上手に書いていたのに、5年生になると課題が難しくなってなかなか書けなくなった。特に感想のところが物足りないことしか書けない」という相談です。
 これは、どの5年生の子にも当てはまる問題であって、特にその子だけ感想が物足りないのではありません。

 言葉の森では、小学6年生で、「一般化の主題」という感想の書き方を練習します。
 それは、テーマとなっている事柄を、「人間にとって」、又は「社会にとって」という抽象的な枠組みで捉えて書く感想の書き方です。
 ところが、こういう考え方が自然にできる子は、小学6年生の約50パーセントだと言われています。
 特に、男の子の大部分は、人間という枠組みで物事を捉えるような年齢にはなっていません。

 書く力は、読む力よりも遅れて成長していきます。
 ですから、そういう「人間」という枠組みで捉える書き方ができない子でも、「人間」という枠組みで書かれた文章を読んで理解することはできるのです。
 理解はできるが、自分で考えて書くことができないというのが読む力と書く力の相違です。

 しかし、そういう子供たちも、難しい文章を読むことに慣れてくると、だんだんと自分の力で抽象的な言葉を使った感想を書けるようになります。
 それを助けるためにどうしたらよいかというと、第一は、課題の長文を繰り返し音読することです。
 第二は、その音読に応じて、お母さんやお父さんが自分の体験談からできるだけ面白い似た話をしてあげて、その対話の中でお父さんお母さんだったら書くような少し抽象的な感想も盛り込むようにするのです。

 するとそのうち、子供が作文を書くときに、どんな感想がふさわしいのか聞いてくることが出てきます。
 そこで、お父さんやお母さんが、感想として考えられるようないくつかの案を教えてあげると、子供は理解する力はありますから、それを活かして自分で感想を書くようになります。
 その感想が先生に褒められることによって、供はますます感想をよりよいものにしようという意識を持つようになります。

 子供は成長の途上にありますが、作文として書かれたものはまるで完成した作品のような装いを持っています。
 そのために、大人はついその作文の不十分な点を先に見てしまうのですが、大事なことは、成長する途上の子供が書いた成長する途上の作文だという見方で作文を見ることです。

 そのために、自分の力だけで作文を書かせるのではなく、お父さんお母さんが手助けをして子供たちの語彙力を増やしていくといいのです。



                                  
 
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