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  作文個別指導を受けている人は、オンラインクラスでの作文、国語、算数数学、英語などの体験を
  基礎学力コースのオンライン学習で、友達と一緒にする勉強の楽しさを学ぶ
  輸気とは何か
  のびしろのある子を育てるために
  コミュニティの中で学ぶ――新しい教育のスタイル
  合格速報
 
言葉の森新聞
2022年2月2週号 通算第1694号

https://www.mori7.com/mori

森新聞
作文個別指導を受けている人は、オンラインクラスでの作文、国語、算数数学、英語などの体験を
 作文の個別指導は、担当の先生との一対一の話ができるというよい面がありますが、その一方で、友達との読書紹介などの勉強面でのやりとりがないという面があります。
 毎週の読書紹介の機会があると、それだけで読書の量も質も高まります。これが、友達と一緒に勉強する際の大きなプラス面です。

 オンラインのクラスでは、読書紹介があるとともに、みんなで一緒に45分間の授業に参加し、その中で作文を書くので、自然に意欲的に取り組めるようになります。

 現在、作文の個別指導だけを受けている人は、オンラインクラスでの国語や算数数学の授業を体験し、オンラインクラスの雰囲気を味わってみてください。
 また、作文個別指導の授業の振替をする形で、オンラインクラスの作文の授業を体験することもできます。

 現在、オンラインクラスでの無料体験学習を受け付けています。
 参加を希望される方は、言葉の森までお電話でお問い合わせください。個別れんらく板からご連絡いただいても結構です。

 初めてオンラインクラスに参加される方には、平日又は土曜日の朝8:30からの初参加説明会で勉強の仕方を説明します。
基礎学力コースのオンライン学習で、友達と一緒にする勉強の楽しさを学ぶ
 基礎学力コースは、幼長、小1、小2の生徒を対象にしたオンラインクラスで、現在、平日の17:00と18:00に開講しています。
 現在小2で受講している生徒は、小3になっても継続することができます。

 このクラスの特徴は、国語、算数、理科実験と発表、暗唱、読書など、小学生の学力のもとになるものを満遍なく学習するとともに、それを友達との交流の中で行うことです。

 この友達との交流や発表や質問感想ができるところが、オンライン4人クラスの利点です。
 例えば、一人ひとりが読書紹介をしたあと、それに対して他の生徒が質問や感想を言う時間があります。
 最初のうちは慣れないので、何も言うことがないという子もたくさんいますが、そういう子たちも、次第に自分から発言することに慣れてきます。

 ほかの人の話に対して質問や感想を言うためには、話を注意深く聞き、それに対して自分がどんなことを言えるか、頭をフル回転させる必要があります。
 もしこれが、先生の講義を聞いているだけの授業であったら、そのように頭を使うことはまずありません。
 この前向きに授業に参加するという姿勢が、勉強に取り組む姿勢全体につながってくるのです。

 今、アクティブラーニングという授業形態が話題になっていますが、本当のアクティブラーニングができるためには、1クラスの人数が5人かせいぜい6人以内である必要があります。
 10人や20人のクラスで、一人ひとりが発表と質問感想言うとしたら、1時間から2時間が必要です。
 それでは、勉強の中身がなくなってしまいます。

 低学年のころの勉強は、難しいことは何もありません。
 このころは、勉強そのものよりも、勉強に取り組む姿勢と勉強の習慣を作る時期です。
 また、勉強以上に大事なのは、毎日の読書の習慣を作ることです。
 毎回の読書紹介によって、どの子も、それまで以上によく本を読むようになります。
 この読書が、将来の学力のいちばんの土台になっていくのです。
輸気とは何か
 それは、気を流すようなことが本質ではなく、
 相手のことを、心からよくなるように思うことだ。
 すると、まるで自分の体を癒やすように、相手を癒すことができる。
 大事なことは、自分がいて相手がいるのではなく、自分と相手が結局は一つの全体の一部なのだと知ることだ

 それは、教育にもつながる。

 いい子も、わるい子も、よくできる子も、よくできない子もいる。
 しかし、それは、子供を他人として見ているからだ。
 もし、その子が自分だったら、今あるありのままの状態で、最善の状態を目指すだろう。
 だから、どの子にとっても、道は無限に開けている。

 大事なことは、自分を、社会の既成の価値観の物指に合わせないことだ。
 物指は、自分自身だ。

 受験に落ちた子は、そのことを自分の誇りにしよう。
 自分を落とした学校は、自分よりレベルが低かったんだねと。

 考えてみると、私(森川林)は、いつもそうやって生きてきた(笑)。
のびしろのある子を育てるために
 「二月の勝者」という本を見ると、ここには、すでに完成された世界がある。
 完成された世界というのは、言い換えれば、のりこえられた世界ということだ。
 それは、ピークの直前であり、末期症状の始まりでもある。

 しかし、科挙が、その歴史的役割を終えたあとも、無意味な秀才を輩出しつづけたように、その無意味さが明らかになるのは、欧米の侵略に対応できないことがわかってからだった。
 今の日本の秀才の危うさも、ここにある。

 小学3、4年生から、勉強や宿題が忙しすぎて、ゆっくり本を読む時間も取れない子供たちの未来は暗い。
 「読書は、行き帰りの電車の中だけで済ませなさい」という家庭さえある。
 そして、そこで身につける勉強で、社会に出てからも役立つものはほぼ何もない。
 ただ、受験に合格するためだけの勉強に、貴重な子供時代を過ごす。

 多くの保護者は、先生とか、医者とか、専門家とかいうものの権威に弱い。
 最も頼りにするものは、他人の権威ではなく、自分が生きてきた中で身につけた人生観だ。
 そのために大事なのは、権威に頼らない勇気だ。

 知識を詰め込んだ子供たちは、条件反射的に、いろいろな質問にすぐに答える。
 だから、一見賢そうに見える。というか、ある意味で賢い。
 しかし、自分で考えるべき問題になっても、考えることをせずに、ほかから答えを引用しようとする。
 ほとんど、AIのレベルの賢さだ。

 社会に出て、仕事をするときに、AIを仲間として仕事をしたい人がいるかどうかを考えればわかる。
 世の中で活躍できるのは、AIにはない個性と勇気と思考力と共感力のある人間だ。
 活躍ということでなく、自分に納得できる人生を送ることと言ってもいい。
 そういう先のことが見えないから、ほんの数年の目先の勝ち組になることが勝者だと勘違いする。

 世の中は、これから激変する。
 しかし、どういう変化があっても、その変化に乗れる人間になることが子育ての基準だ。
 そのために、第一に大事なことは、熱中できるものがあること、第二に大事なことは、読書をし続けることだ。
 一見、今の勉強の成績にはすぐには役立たないように見えるものこそが、子供の本当ののびしろになる。
コミュニティの中で学ぶ――新しい教育のスタイル
 これまでの教育は、先生が生徒に教える教育だった。
 それは、決して普遍的な教育の姿ではなく、教材と、教場と、教師が限られている中で生まれた歴史的な教育の形態だった。
 しかし、それは、学校と教室と黒板と教科書とセットになっているので、あたかも教育の本来の形式のように思われていた。

 この集団一斉指導の教育は、無駄が多いので、それをカバーするために、宿題とテストと競争を必要とした。
 そして、やがて、教育は、子供の成長のための教育ではなく、テストのための教育になった。
 そのテストのための教育で最も恩恵を受けたのは、教師だ。

 集団一斉指導の効率の悪さをカバーするために生まれたのが、動画配信授業と一対一個別指導だった。
 動画を見る授業は、自分のペースでできるから、勉強の目的が明確な生徒であれば効果はある。それは、動画でなく、参考書による自主学習でも同じだ。
 一対一個別指導は、その場で勉強をせざるを得ないという意味で、誰にとってもそれなりの効果はある。問題は、多くの先生が教えすぎてしまい、子供に自分で考えさせる時間を持たせないことだ。これは、教えてくれるのが「いい先生」と考える親にも子にも原因がある。

 動画配信授業にも、一対一個別指導にも欠けているのは、勉強を通しての子供たちの交流だ。
 その交流とは、時々お楽しみ会をやるというようなものではなく(やってもいいが)、一緒に同じ問題を考えるとか、ほかの友達の答え方を聞くとかいう知的な交流のことだ。

 そもそも、小中学生の勉強は、それほど面白いものではない。それは、山登りの前の長い単調なアプローチのようなもので、その先に気持ちのいい尾根と山頂があるということは、話には聞いていても子供たちには実感がない。だから、往々にして、賞罰や競争が突出して勉強の意欲付けになる。

 それに対して、江戸時代の寺子屋は、なぜ、受験競争もない時代に、優れた教育を続けられたかというと、そこに子供たちの知的な交流があったからだ。
 この教育が、コミュニティの教育だ。

 コミュニティの教育の中には、作文の実例の一部を保護者に取材するという、家庭も含めたコミュニティもある。
 しかし、より大事なのは、一緒に勉強する子供たちどうしが、勉強を通して親しくなることだ。
 勉強の意欲は、親や先生の褒め言葉だけでなく、それ以上に、子供たちどうしの暗黙の交流の中で生まれる。
 例えば、ある子の読書紹介の翌週に、他の子が、その子が読んでいたのと同じ本を自分も読んだということ紹介する。そのとき、その二人の子供たちの間に伝わる連帯感は、学ぶことに対する感動とも言える。
 競争でも、賞罰でもなく、この感動が、勉強を続ける意欲になる。

 オンラインクラスで一緒に学んだ子供たちは、遠足やサマーキャンプで、自然に一緒に参加することが多い。勉強を通して知り合った子供たちだから、初対面でも気心が知れている。
 そこで生まれた学友意識が、卒業してからも続けられるように、ある先生のもとで学んだ子供たちが、いつでも好きなときに立ち寄れる場所を、それぞれの先生ごとにウェブ上に作っている。まだ、公開していないが(笑)。FacebookやTwitterやYouTubeのような既成のメディアは、もちろん使わない。

 人間の生きる目的のひとつは、幸福に生きることだ。
 そのほかに、向上すること、創造すること、貢献することがあるが。
 幸福に生きるための大きな要素が、コミュニティの中で生きることだ。
 言い換えれば、幸福な気持ちで勉強することが、コミュニティの教育である。
合格速報
 千葉工業大学工学部 R.E.さん

<担当講師より>

 森リンで何度も一位を獲得している優秀な生徒さんです。
 
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