言葉の森新聞
2024年10月1週号 通算第1821号 https://www.mori7.com/mori |
森新聞 |
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■未来教育宣言(その5)――一人ひとりの対話の中で共感力を育て、競争の教育から共感の教育を目指す |
私たちは、社会の中で生きています。 その社会生活の根底にあるのが、共感力です。 見ず知らずの人であっても不幸な人がいれば可愛そうだと思い、幸福な人がいれば自分も幸せを感じる、そういう感受性を持つことが共感力を持つということです。 この共感力があるからこそ、人間は、社会に貢献することを自然に目指すようになるのです。 教育の世界でも、共感力を育てることが教育のひとつの大きな目的になります。 共感力を育てる土台となるものは、一人ひとりの対話です。 私の教えているクラスでは、作文クラスでも、基礎学力クラスでも、総合学力クラスでも、国語読解クラスでも、算数数学クラスでも、創造発表クラスでも、プログラミングクラスでも、どのクラスも、授業の前に、全員が読書紹介をしています。 この読書紹介だけで10分から15分の時間をとりますが、これは必要な時間と考えています。 それは、ひとつには子供たちが毎日の読書を続けるためのきっかけになるからです。 また、もうひとつには、ほかの人の読んでいる本を見て、自分の読書の幅が広がるからです。 そして、更にもうひとつには、読書の紹介を通して、紹介する子供の人柄が伝わってくるからです。 相手の人柄を感じることが、コミュニケーションの土台になります。 また、私の教えているクラスでは、授業のあとに、一人一言の時間をとっています。 その一人一言の時間のあとに、互いに、ほかの人の一言に対する質問や感想を言ってもらています。 読書紹介と一人一言の間の授業の時間は、個別指導の時間です。 個別指導の時間の間に、ほかの生徒はそれぞれ決められた学習をしています。 学習の基本は毎日の家庭学習ですから、授業の時間はその家庭学習を確認する時間です。 だから、授業では、対話と交流の時間を多くとれるのです。 みんなの前で自由に話すことで、どの子も人前で発表する力がつきます。 私が、これまでいろいろな子を教えてきてよく感じるのは、海外から参加している子は、どの子もほぼ例外なくみんなの前で話すのが上手だということです。 アメリカでは、小学校低学年のころから、クラスの前で、自分が家から持ってきたものを紹介する授業があるようです。 日本では、そういう授業はまずありません。 あるとしても、30人から40人のクラスでは、ひとりの子が話す機会は限られてしまいます。 言葉の森のオンラインクラスでは、毎週、全員に一人一言の時間があるので、どの子も人前で話すことが上手になってきます。 そして、そのそれぞれの一言に関して質問や感想を言うことで、自然にほかの人の一言を注意して聴く姿勢が育ちます。 また、もっと大事なことは、質問や感想を言おうとすることによって、相手に対する共感の気持ちが生まれることです。 一人一言と質問感想の時間は、はたから見ると、楽しいお喋りの時間のように見えるかもしれません。 しかし、みんなの前で話をするので、子供たちはかなり頭を使ってこの時間を過ごしています。 こういうかたちで対話を交わした子供たちは、やがて同じ教室で学んだ学友のような関係になっていきます。 言葉の森が、オンラインクラスを本格的に始めたのは、2020年のコロナ禍のときからですから、まだそれほど年数はたっていません。 (オンラインクラス自体は、10年以上前から始めていました。) しかし、これからのオンラインクラスでは、小1のころから基礎学力クラスや作文クラスで一緒に勉強を始めた子供たちが、中学生になり、高校生になっても、時どき同じクラスで勉強するようになることも出てきます。 その子供たちが、大学生になり、社会人になったときに、同窓会ができるでしょう。 その同窓会は、単に昔を懐かしむ会ではなく、近況を語り合い、知的な刺激を与え合う会になると思います。 そういうときのために、卒業した子供たちが集まれるオンラインの場として、それぞれの「先生の部屋」という掲示板を作っています。 しかし、これはまだ時期が早すぎたので、使っている人はまずいません(笑)。 ただ、そのうち、「先生の部屋」で、卒業生や在校生が語り合う機会が生まれてくると思います。 こういう対話のあるコミュニケーションを通して共感力を育てることが、未来の教育のひとつの大きな目的になります。 翻って、現在の教育を見ると、共感の教育ではなく、競争の教育が行われているように思います。 子供たちは、孤立させられ、互いに相手をライバルと見なして、自分がよりよい席につけるように勉強することを強いられているように思うのです。 しかし、大事なことは、競争をさせないことではなく、共感を育てることです。 子供たちは、競争も好きです。 しかし、その競争は、もっと大きな共感を土台にした競争にする必要があります。 教育の場では、共感が主で、競争は従なのです。 (つづく) |
■未来教育宣言(その6)――宿題とテストによる一律の勉強ではなく、発表を中心とした個性のある勉強を |
現在の教育は、宿題とテストが勉強の中心になっています。 それは、30人から40人の学級で、集団一斉指導をしなければならないという今の学校教育の体制が前提になっているからです。 この体制を変える必要があります。 未来の教育の新しいプラットフォームは、オンラインで、学年や進度が近い4~5人の少人数が、クラス単位の授業で勉強をするというかたちになります。 言葉の森が行っているオンライン少人数クラスの教育が、この新しい教育のプラットフォームです。 宿題に問題があるのは、ひとつには、できる子にとっては、やらなくてもいい問題も義務としてやらなければならないことです。 もうひとつには、できない問題があった場合、その問題を繰り返し解いてできるようにする仕組みが備わっていないことです。 だから、学力を育てるためには、全員一律の宿題をさせるのではなく、生徒一人ひとりが自分の決めた1冊の問題集を完璧に自分のものにするという学習が必要です。 そうすれば、できた問題はもうやらなくてもいいし、できなかった問題は何度も繰り返し解いてできるようにするという勉強の仕方ができます。 これが、最も能率のよい勉強法です。 宿題と並んで、今の学校教育のもうひとつの問題は、テストが勉強の中心になっていることです。 テストで競争させられ、序列をつけられるので、子供たちの勉強の目的はテストでよい点を取ることになります。 テストを課す発想の根底には、競争で子供たちの学習意欲を引き出そうとする考え方があります。 勉強は、自分自身の向上のためにするものであって、テストの競争に勝つためにするものではありません。 テスト中心の勉強に過度に適応した子は、その勉強が終わったあとに、勉強嫌いになってしまうことがあります。 テストでいい点をとればいいという考え方が進むと、テストに出ないものは勉強しないとか、テストが終わったら勉強しないとか、できるだけ省力化した勉強生活をするようになります。 二宮金次郎が、薪を背負いながら本を読んだのは、テストがあったからではありません。 自分をもっと向上させたいという気持ちがあったからです。 テスト中心の教育は、そういう向上心を失わせてしまうことがあるのです。 では、宿題やテストを使わない教育がどういうものになるかというと、それが発表の教育です。 一律の答えのある勉強は、宿題やテストにしやすい勉強ですが、思考力、創造力を育てる勉強は、宿題やテストにはなりません。 思考力と創造力は、自分の勉強した結果を発表することが意欲の源泉になります。 作文で言えば、森リン大賞やクラスごとの発表会が発表の場です。 創造発表クラスやプログラミングクラスでは、更に、発表が学習の動機づけになります。 国語読解や算数数学や英語でも、短歌作成、自作問題、自由英作文などは、発表が学習の結果を目に見えるものにします。 これからの教育は、宿題やテストではなく、発表を勉強の目標としていく必要があるのです。 (つづく) |
■未来教育宣言(その7)――新しい教育は、新しいプラットフォームで |
未来の教育は、思考力、創造力、共感力を育てる、参加者全員の発表を中心とした教育になります。 そのための教育のプラットフォームは、オンラインで4~5人の同学年同進度の子供たちがクラス単位で学ぶ教室です。 このような教育の目標とそのための方法を持っているところは、現在、言葉の森以外にはありません。 言葉の森は、作文という創造的な教育の分野で43年の実績があります。 そして、現在、作文以外のさまざまな教育の分野でも、新しい創造的な教育を進めています。 この教育には、まだニーズがほとんどありません。 それは、この教育の結果がまだあまり見えるものになっていないからです。 しかし、言葉の森の生徒のこれまでの合格情報などを見るとわかるように、多くの子供たちが立派に育っています。 創造的な勉強は、単なる理想ではなく結果も出しているのです。 現在の教育は、行き詰まっています。 それは、学校に行きたがらない子供たちが増加していることにも表れています。 また、学校に行っている子供たちの多くは、勉強に追われているために、勉強以外の自分の新しい可能性を見つける機会がありません。 それは、読書をしない子供たちの増加にもつながっています。 しかも、子供たちの取り組む勉強の多くは、子供たちの将来の人生に役に立つとは思えない知識の詰め込みを中心とした勉強です。 それが、宿題やテストという強制と競争の中で行われているのです。 しかし、こういう教育に対する新しい展望を提案しているところは、まだありません。 これまでの多くの提案は、昔の牧歌的な学校教育を念頭に、道徳教育に力を入れ、先生が朝から晩まで熱心に子供に関わるようなイメージで教育の未来を語っています。 それらの教育観の前提になっているものは、教室と机と黒板(ホワイトボード)という昔ながらのイメージです。 教育の分野では、まだ古い器に古い教育が乗せられているのです。 まず、教育の器となるプラットフォームを変える必要があります。 そして、同時に教育の中身を変える必要があります。 それがオンラインの少人数クラスによる、思考力、創造力、共感力を育てる発表を中心とした教育です。 しかし、オンラインの少人数クラスが大きな効果を出すためには、同学年同進度の子供たちがひとつのクラスで学ぶ必要があります。 言葉の森のオンラインクラスでは、すでにそういうクラスが生まれています。 子供たちが友達意識を持って共通の勉強に取り組むクラスです。 しかし、こういうクラス作りを一般化するためには、より多くの生徒が参加する必要があります。 生徒数が多くなればなるほど、同学年同進度のクラス作りは進むからです。 言葉の森の目的は、明日の日本を支える、思考力、創造力、共感力のある子供たちを育てることです。 子供たちが立派に成長することによって、日本がよくなります。 そして、日本がよくなることによって、子供たちの活躍する場が広がります。 この日本をよくする要となるものが、新しい未来の教育です。 この記事に賛同される方は、ぜひこの話をほかの人にも拡散して伝えてください。 (おわり) |
■作文をはじめとするあらゆる学習をAI化し、そのかわり人間は思考力、創造力、共感力を育てる学習を――「未来教育宣言」の続き |
これからの教育は、宿題やテストを通して、学校で先生が教え、生徒がただ受け身に答えを身につけるだけの学習ではなくなります。 生徒は、基本的な学力は家庭で習得し、同じ学年の生徒どうしの知的な交流はオンラインの「少数クラス」で行うようになります。 (少人数というのは10~30人というニュアンスで、少数というのは2~5人というニュアンスで考えられるので、今後、言葉の森のクラスは、少数クラスと呼びたいと思います。) 従来の主に記憶力と記憶にかけた時間によって育った学力のほとんどは、近い将来、AIによって代替されるようになります。 すると、人間の行うことのほとんどは、AIの利用が中心になります。 しかし、利用の仕方を学ぶことは、人間が本来育てるべき学力ではありません。 本来の学力とは、思考力、創造力、共感力を育てることです。 その学習の準備のための手段としてAIの利用があるのです。 言葉の森では、現在、子供たちに、作文をはじめとするさまざまな学習クラスを開いています。 それらは、国語読解、算数数学、英語、基礎学力、総合学力、全科学力、創造発表、プログラミングなどのクラスです。 これらのクラスで行う教育には、まだ従来の「教える教育」という要素が残っています。 しかし、これからは、「教える」要素は、AIでカバーできるようにしていきたいと思います。 そのために使うツールとして、ChatGPTのGPTsを考えています。 そして、実際の授業では、子供たちが受け身で教わるのではなく、自分たちで考え、創造し、発表し、相互に質問や感想をやりとりする時間を充実させていく予定です。 そういう主体的な学習を通して、子供たちはこれまで以上に高度な学力を身につけていくのです。 |
■これからの創造発表クラスとプログラミングクラスは、ChatGPTを活用した実践的な学習になる |
AIが、これから生活のすみずみまで広がってきます。 子供たちの勉強も、AIを活用したものになっていきます。 特に、AIの活用の度合いが高いのが、言葉の森のオンライン少数クラスで言えば、創造発表クラスとプログラミングクラスです。 まず、創造発表クラスでは、ChatGPTを利用して、自分の研究テーマを深堀りすることができます。 また、発表の際に、ChatGPTのプレゼンテーション力を生かして、表現豊かに発表することができます。 この二通りの使い方を身につけるために、今後は、創造発表の作品のどこにChatGPTなどのAIテクノロジーを使ったか明記するようにしたいと思っています。 ChatGPTの利用に慣れることによって、ChatGPTの先の機能の活用にも興味がわいてくるからです。 先の機能とは、ただChatGPTに何かを教えてもらうという機能ではなく、ChatGPTを使って何かを作るという機能です。 次に、プログラミングクラスでは、ゲーム作りやロボット作りでない方向で学習を発展させていきたいと思っています。 ゲーム作りやロボット作りは、確かに子供たちの関心を引くので、プログラミング学習の導入部としてはいいと思いますが、その先の見通しがありません。 子供たちは、将来、ゲーム作りやロボット作りの仕事をするわけではありません。 だから、せっかく覚えたコードの技術は、そのままそこで終了してしまうのです。 また、今後、ChatGPTなどAIの進化によって、人間が直接コードを書くようなことはだんだん少なくなります。 書かれたコードの意味がある程度わかることは必要ですが、より大事なことは、自分が作りたいものがあるという動機の方です。 動機さえあれば、今はChatGPTによって、自分の望むプログラミングのコードを作ってもらうことができます。 「どう作るか」というコーディングの技術よりも、「何を作りたいか」という目的の方が大事になってくるのです。 ところで、作った作品を発表する場は、主にウェブになります。 だから、コーディングの初歩の知識として、HTMLを学んでおく必要があります。 自分のウェブの中に、ChatGPTで作ったPythonプログラムを入れて発表するというのが、将来のプログラミングクラスの発表会のイメージになります。 さて、そうすると、創造発表クラスとプログラミングクラスは、ChatGPTの活用を通してどちらも似た勉強になってきます。 創造発表クラスやプログラミングクラスで、個性的な勉強を続けると、その先にあるのは、勉強だけでなく、仕事でも自分で何か新しいものを作りたいという方向です。 子供たちが将来社会に出るときに、最初から、スタートアップを目指すということもできますが、これからは、会社に勤めながら、副業にも時間を取れる時代になります。 その自由な副業の時間に、創造発表やプログラミングで育てた自分の個性を生かしていくのです。 これが、創造発表クラスとプログラミングクラスの将来の展望です。 小学校高学年や中学生や高校生のみなさんは、新しい未来の社会を想像して、創造発表クラスやプログラミングクラスの勉強に参加していきましょう。 ただし、このChatGPTを使う創造発表クラスとプログラミングクラスは、中根の担当しているクラスで先行実施します。 他のクラスは、普通の創造発表とプログラミングの勉強をします。 ●創造発表クラスは、水1900。 ●プログラミングクラスは、木1900。 いずれも、体験学習ができます。 プログラミングは、初心者可です。 ChatGPTの説明に英語の単語が多くなるので、できるだけ中学生以上が対象です。 |
■高校3年生の作文課題は、予測問題の主題。今の問題よりも、その問題が解決したあとに来る問題を考える。――教育の分野での予測問題の主題は何か |
高校生の作文課題の項目は、高1が「当為の主題」、高2が「社会問題の主題」で、高3が「予測問題の主題」です。 高1の主題の「当為」というのは、「~べきである」ということで、その「どうすべきか」という主題に合わせて、複数の方法を書きます。 方法のひとつは、人間的な方法です。 方法のもうひとつは、社会的な方法です。 高校生の多くは、「自分たちの心構え」のような人間的な方法だけで書こうとします。 しかし、それでは方法の幅が狭くなります。 だから、もうひとつの方法は、社会的な方法を考えていくのです。 しかし、高校生が考える社会的な方法の範囲は限られています。 まだ、社会生活を送っていないので、観念的な方法になりやすいからです。 高校生が、最も身近に感じる社会的な分野は「教育」です。 だから、社会的な方法は、教育における方法ということで考えてみるといいのです。 高2の課題の意見は、「社会問題の主題」です。 これは、問題自体が見つけやすいと思います。 その社会問題に合わせて、複数の原因を考えます。 複数の原因のひとつは、時間的歴史的な原因です。 複数の原因のもうひとつは、空間的社会的な原因です。 社会問題の問題は多様ですが、原因は多様ではありません。 異なる問題でも、同じような原因ということが多いのです。 しかし、原因の裏付けとなる実例は多様です。 だから、作文の個性は、問題や原因の中にではなく、その裏付けとなる実例の中で出していくのです。 さて、高3の課題の主題は、「予測問題の主題」です。 これは、現在の社会問題の先にあるものを予測するという考え方ですから、想像力が必要です。 社会問題というものは、いずれは解決します。 それは、多くの人が感じている問題なので、いずれ解決せざるを得ないのです。 しかし、その解決の先に、主に解決の行き過ぎによる新しい問題が登場します。 その新しい社会問題を予測し、それに対して対策を考えるのが予測問題の主題です。 しかし、対策は具体的なものである必要はありません。 問題自体が予測に基づいたものなので、対策も具体的なものではなく、対策の方向を考えるということでいいのです。 対策の方向は、大きく4つ考えられます。 それは、自主、民主、公開、発明です。 問題の対策は、第一に、上からの統制ではなく自主的なものとして行う必要があります。 対策の第二は、それが民主的に納得できるかたちで行われる必要があります。 対策の第三は、誰もがそこに参加できる公開された場で行われる必要があります。 そして、第四は、新しい画期的な対策は、しばしば発明によって行われる必要があるということです。 これまでの人類の大きな社会問題は、狭い「心構えの方法」や、もう少し広い「政治や経済の方法」で解決されようとしてきました。 しかし、根本的な解決は、「科学的な方法」で行われることがあるのです。 話は変わって、今、世の中ではAI技術が、さまざまな分野で影響を与え、これまでのシステムの変更を迫っています。 社会問題として考えられるのは、そのAIの進展に追いついていけない古い体制が残っていることです。 しかし、それは多くの人が感じている問題なので、いずれ解決されるでしょう。 解決できない体制は、滅びていきます。 本当の問題は、その社会問題が解決されたあとにくる予測問題です。 教育の分野で言えば、教室で先生が生徒に一斉に授業をするという現在の古い仕組みは、AIの進展によって大きく変わります。 最初は、AIの活用は能率のよい学校教育を生み出します。 しかし、やがて、教育は学校から家庭に移っていきます。 家庭での教育の方が、学校での教育よりも更に能率がいいからです。 新しい問題は、教育が家庭に移ったあとに生まれます。 そのときの対策を今から考えておく必要があるのです。 |
■学校は、勉強するところというよりも、友達と交流するところ。しかし、休み時間に交流するのではなく、勉強の中で交流するのが未来の学校 |
学校の重要な役割は、知的な交流の場というところにあります。 しかし、今は、知的な学習と遊びの交流が分かれています。 それは、知的と思われている学習が、実は、先生と教科書から与えられた知識を吸収するだけの学習になっているからです。 これは、学習というよりも作業に近い学習です。 作業的な学習は確かに必要です。 しかし、それは家庭でやっていれば十分なのです。 せっかく友達と一緒の教室で勉強しているのに、一人ひとりが孤立した状態で、先生の話を聞くだけというのはもったいない話です。 しかし、今の30人から40人をひとまとめにした学級では、そういう授業しかできません。 30人では、人数が多すぎます。 しかし、マンツーマンでは、交流の機会がありません。 これからの教育は、4、5人の気の合った仲間と勉強するような仕組みになります。 しかし、勉強の中で知的な交流が行われるためには、勉強自体が、吸収する勉強ではなく発表する勉強である必要があります。 知識を吸収する記憶中心の勉強では、個性は出てきません。 自分で考えたり作ったりしたものを発表する勉強の中で、その子の個性が出てきます。 知的な交流の前提になるのは、知的で創造的で発表的な学習なのです。 こういう学習が可能になる条件が、ここに来て急速に整ってきました。 それが、AI利用の学習です。 |