言葉の森新聞2002年9月2週号
文責 中根克明(森川林)
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■■物理学者が経営学を文学として書く
書店のビジネス書のコーナーで、「The Goal」という本が話題になっています。(サッカーの本ではありません)全体の流れは、物語です。しかし、書いたのは物理学者で、テーマは経営学です。
書かれている内容は、「ボトルネックとは何か」「部分最適と全体最適とは違う」という堅い話です。しかし、この堅い話が、柔らかいストーリーの間に自然に入っているので、無理なく読み進むことができます。
この本のユニークなところは、文学、物理学、経営学の三つの異なる分野が連携しているということです。
9月1週の小学5年生の作文課題は、「一番になったこと」でした。何かの分野で一番になるというのは大変なことです。勉強のどれかの科目でクラス一番になるにしても、国語、算数、理科、社会……と数えていくと、せいぜい8〜9分野でしか一番になることができません。
しかし、ここで考えを変えて、二つ以上の分野を組み合わせてみると、もっとたくさんの一番が生まれることがわかります。
世の中には、勉強の科目よりももっと多くの分野があります。それらの分野のうちで、異なる分野を組み合わせることによって、ほかの人にはできないような一番を作ることができる、というのが、私たちの人生のひとつの指針となります。つまり、工夫すればだれでも一番になれる可能性があるということです。
現在、高校の授業は学年の早い段階で得意科目を絞るような方向に進んでいます。しかし、あまりに若い時期から自分の得意分野を限定してしまうと、勉強の能率はいいかもしれませんが、かえって幅の狭い人間になってしまう気がします。すべてがオールラウンドにできる人間を目指す必要はありませんが、異分野を結びつけることのできるような幅の広さを持って勉強に取り組んでいくべきでしょう。理系に進む人でも、文学や哲学に関心を持つ必要があり、文系に進む人でも、数学や物理学に対する関心を持ちつづけていく必要があります。
物理学者が経営学を文学で表現するというような試みが、日本でもこれから生まれるためには、日本の高校・大学教育の仕組みを変えていく必要があると思います。
◆図はウェブでごらんください。
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■■無線LANの授業スタート(教室の光景)
無線LANでつなげたパソコンを使っての授業が始まりました。初日は、インターネットの接続が突然切れるなど小さな混乱が次々に発生。しかし、どうにかみんな無事にパソコンで作文を書き終えました。
教室では、小学5年生以上はほぼ全員がパソコン書きです。ローマ字の一覧表が教科書に出てくるのが小学4年生からなので、4年生から打ち始める子が増えてきます。早い子は、3年生からパソコンで書いています。教室でのパソコン書きの最年少は小学1年生。ローマ字で打つので、大変そうですが、「時間がかかるから、手書きにしたら」と先生がすすめても、「いやだ。パソコンでやる」と頑固です。上達の早い子は、このように頑固な子です。納得できるまで2時間も3時間もパソコンを打っています。
さて、広いテーブルに向かい合わせに座っているので、ちょっとした会話でもみんなに聞こえます。作文を書くときに、ほかの人の声が聞こえると邪魔になるのですが、おとなしくてまじめな子が8割、うるさくてすぐに悪乗りをする子が2割ぐらいなので、ちょうど勉強と楽しさが両立するぐらいのバランスです。ときどきくずれますが。(笑)
9.1週はテストということもあり、みんな熱心に書いていましたが、さて来週からはどうなるか。
■■創業の理念−明治時代と現代
明治時代に生まれた多くの企業の創業理念に共通するものは、キャッチアップでした。「欧米に追いつけ追い越せ」が、当時の創業の精神の中核をなしていました。
「欧米に追いつくこと」は、今となっては何でもないことのように見えますが、当時の水準からすればそれは破天荒な目標であったに違いありません。現に、この時期に近代化を白人以外の国家で成功させることができたのは、世界中の有色民族の中で日本人だけでした。
しかし、現代の日本の抱える問題の根本には、この明治時代の理念が力を失ってしまったという事情があるように思われます。欧米に追いつくという目標が達成されてしまったために、企業も社会も自らを律する求心力を失ってしまいました。その失われた求心力を埋めているものが利益追求の精神だけだというところに、企業の不祥事をはじめとする今日の日本社会のさまざまな問題の根があります。
現代は、21世紀にふさわしい新しい国家と民族の目標が必要とされる時期です。それは一言で言うと、日本の世界化です。日本の文化の優れている面を創造的に世界に広げ、世界の文化形成に貢献していくことが、これからの時代の創業の理念になっていくと思います。
ここで注意しなければならないのは、わかりやすい目標は後ろ向きの目標であることが多いということです。
例えば、予備校や学習塾(以下、まとめて予備校と呼びます)の場合。ほとんどの予備校の創業の目的は、学校で勉強しているだけでは不充分な勉強をカバーして、志望校に合格する力をつけるということです。つまり、一種の必要悪のような存在として自らを位置づけているので、目的がわかりやすくなっているのです。
予備校によっては、学校よりも熱心にしかもいい指導をしているところがあります。そこで多くの人が疑問に感じるのは、それぐらいいい指導ができるのであれば、予備校にとどまらないで学校になればいいのではないかということです。
しかし、そういう発想をする予備校はあまりありません。どの予備校も、その「予備」という枠内でいい指導を続けています。それは勉強そのものを目的として取り組むよりも、予備校として、つまり受験に合格する手段として勉強に取り組む方が、教える先生も教わる生徒もわかりやすいからなのです。わかりやすいというのは、情熱的に取り組めるということですから、当然学校の先生よりも熱心に教える先生も多いのです。
ところで、多くの学校も、実は、上の学校に対する予備校のような位置付けで勉強を行っています。進学校というのは言い方を換えれば、予備校化した学校ということです。
このように、小学校からずっと予備校化した学校と予備校そのもので勉強している結果、最後の目的である大学入学を達成すると、勉強そのものを終えてしまう生徒が多いのです。
私たちは、言葉の森をその予備校のような場所にするつもりはありません。作文や小論文の苦手な子を得意にするということが目的であれば、それは、学校で十分に指導をすれば済むことです。実際には、学校で十分に指導しきれない子がたくさんいるので、作文教室の需要はありつづけるでしょう。しかし、そのような必要悪に似た存在では創業の理念も何もありません。
言葉の森の目指す作文は、個性・感性・知性を育て、創造性を育てる作文です。日本には、万葉集以来の民衆の文学の伝統があります。その伝統を現代に引き継ぎ、作文文化として発展させ、その文化を世界に広めていくことが言葉の森の目標です。
その目標の中に、作文の苦手な生徒を指導し、志望校の小論文入試に合格させる力をつけるという面もありますし、国語の苦手な生徒を指導し、読解力をつけるという面もあります。しかし、そのような予備校的な面を超えたところに言葉の森の創業の原点を置いて、指導を充実させていきたいと思っています。
◆図はウェブでごらんください。
https://www.mori7.com/mori/mori_web.php?ki=20020902#562
■■手間のかかるのが楽しい
昔、ある年配のキャリアウーマンのような人から、こんな話を聞きました。仕事が忙しいときは子育てがわずらわしくて、お手伝いさんに頼んでしまったが、今になってみると、その面倒な子育ての時間を持てなかったことが悔やまれる。云々。
その話を聞いたとき、私はまだ独身だったので、その意味が全く理解できませんでしたが、今はその話がよくわかります。
多くの人の場合、仕事のいちばん困難な立ち上がりの時期と、子育ての混乱の時期が同時にやってきます。明日までに仕上げなければならない緊急の仕事を抱えながら、小さい子供に、「アンパンマン」の絵本を読んだり、寸暇を惜しんで仕事をしたいときに、子供と一緒にザリガニをつかまえに行ったりするのには、かなり忍耐力が必要です。
しかし、あとからふりかえってみると、自分が大事だと思っていた仕事の時間よりも、自分がわずらわしいと思っていた子育ての時間の方が、懐かしい思い出になっているのです。
しかし、もちろんこれを一般化することはできません。
昔は、男性は社会に、女性は家庭にという分業があったので、仕事と家庭を両立させることができました。現代は、男性も女性も共に、社会と家庭の両方の役割を受け持つ時代です。そういう時代の新しい社会システムは、たぶん20代30代は仕事に専念し、仕事の一段落した50代60代で子育てを始めるというかたちになると思います。しかし、今はまだそういうシステムはできていません。
小さい子の子育てに悩むお母さんは、せめて、その戦場のような生活があとで楽しい思いでになるのだと思って、がんばってください。そう思うだけで、和やかな気持ちになってくると思います。(ならんか)
-pb-
■■ 光る表現(幼長−社) 2002年9月2週号
■千瑛さん(いりの/小1)の作文より(けいこ先生/8.1週)
(ブランコにのっていた)そのとき、せみがきゅうになきだしました。「め〜め〜め〜。」わたしは、「なんかへんだね。」といいました。「みい〜みい〜。」せみは、ちからいっぱい、おしりをうえにうえにつっぱっています。「みんーみんーみいん。みんーみんーみんーみいん。」こんどは、とても大きなこえでなきました。 評:このセミはおとなになったばかりだったのかもしれないね。じょうずになくれんしゅうをしているみたいだね。
■クリリンさん(いあし/小2)の作文より(けいこ先生/8.3週)
夜、がいとうの下をみると、くるまのしたにそのクワコ(メスのクワガタ)がいました。「とうとうみつけたぞ。」と、(わたしは)まるでうさぎのように、うれしくてピョンピョンととびはねていました。東京にかえって、一番にメスをオスが入っている虫かごにいれたら、(オスは)うれしそうに羽を広げて、「やっとおよめさんがきたぞー。」と言っているようにとんでいました。わたしは、(うれしいんだなぁ。)と、心の中で思いました。 評:
■千波さん(いはわ/小2)の作文より(みち先生/8.3週)
きんぎょのなっちゃんだって天ごくで、わたしをみまもってくれてるんです。わたしが大人になってもぜったいぜったいぜったいぜったいぜったいにほんとうに、わすれません。ほんとうのほんとうのほんとうです。【評】お世話していた金魚の死で、自分の気持ちを表現し、生きていることを味わえる感動(かんどう)がつたわってきます。
■さとしさん(いたゆ/小3)の作文より(けいこ先生/8.4週)
僕はサッカーをやっていますが、サッカーは計算を応用できます。例えば、パスやシュートの角度を考える時に計算が役立つと思います。ボールのける場所で、回転した方向にはねると思います。僕はそれを計算できるようになりたいです。 評:算数が苦手という人は多いけれど、実は、いろいろなところで役立つ勉強なのだね。
■ウサリンさん(いねめ/小3)の作文より(ゆうこ先生/8.3週)
ちょうじょうで食べたおにぎりはとってもとてもおいしいのでたくさん食べました。そして、てっぺんから見えたのは、新かん線と日本一大きいびわ湖です。山の上から見た新かん線は、白かばのえだに見えました。びわ湖は、豆のようでした。【評】日本一の湖まで「お豆」になってしまうんだね(^_^)山ってすごい!!
■愛子さん(いれみ/小3)の作文より(うさぎ先生/9.1週)
きゅう食当番はごはんだったら家でやるみたいにおしゃもじでとります。みそしるだったらバケツみたいな大きななべからすくっていれます。「今日はとくべつおおもりです。」男の子がわらいながらいいました。わたしは毎日きゅう食をおかわりしました。イギリスでは、きゅう食当番がないのでやってみたかったけど言えませんでした。【評】見たままをそのまま書いたことで、驚きと発見が生き生きと書けました。ゆかいな言葉をいれてその場面が目に浮かぶようです。自分の気持ちもすなおに表現できました。
■ミニパンダさん(あもろ/小4)の作文より(はるな先生/8.2週)
もっと食べたかったけれど、あんまり食べるとお母さんにばれてしまいます。だから、食べないで、机の上においておきました。「これで、セーフ!」と心の中で思いました。しばらくすると、お母さんが・・・・《講評》つまみ食いした後の処置方法が、なかなかユーモラスで個性的ですね。あなたの心の動きが手に取るようにわかります。<<え953み>>
■スマイリーさん(いのめ/小4)の作文より(メグ先生/8.2週)
いろいろな家で泊まらせてもらいましたが、キャンピングカーは初めてです。ドキドキ、ドキドキ、まるで心ぞうがとび出しそうです。(中略)「楽しみだね。」私はうれしさをかくしきれない表情で何度も言いました。【評】スマイリーさんのうれしい気持ちが伝わってきます。
■たけっちさん(いるた/小4)の作文より(はるな先生/8.3週)
ぼくが海蔵さんだったら、地主の体がよくなるように、神にお祈りをしていると思います。・・・・(中略)・・・・ぼくが海蔵さんなら、鬼にもひとしい心にならなかっただろうと思います。 《講評》このひとことに、あなたの優しい心がにじみでていますね。もしぼくが海蔵さんだったら・・・・と、主人公のきもちになっていろいろ考えながら、一生懸命書いたのが、とてもよくわかります。海蔵さんは、正直に前の日、自分が抱いた悪い気持ちをつつみかくさず、地主に打ち明けたおかげで、こころよく井戸を掘ることを許された場面。この物語を読み終えて、本当に、ホッとしましたね(^。^)
■みゆさん(あはみ/小5)の作文より(はるな先生/8.4週)
お母さんが「下からそっととるんだよ。」といいました。・・・・(中略)・・・・そして、しゅっととって、「とれた!」はじめてとったばかりなのに、とてもうまくとれたのでよけいにびっくりしました。つかまえたのはアブラゼミでした。セミをつかまえるじしんがつきました。 《講評》素手(すで)でセミをつかまえられたなんて、実にすごい!!そのときのようすを、とてもくわしく、いきいきと表現できました。
■淳也さん(いしな/小5)の作文より(メグ先生/8.3週)
たとえ英語がしゃべれなくても楽しければ心と心が会話をしているようだ。【評】言葉が通じなくても心が通じることってあるよね。
■翔太さん(いはせ/小5)の作文より(きりこ先生/8.2週)
朝顔はきれいに咲いているが、昼にはしぼんでしまっている。まるで『夏の昼の暑さには私はたえられません。』とでもいうように。<たとえが上手にできましたね。>
■海人さん(いらろ/小5)の作文より(クマのプーさん先生/8.4週)
手づかみでも6ぴきつかまえた。手がいたかった。たとえば、手にはりがささったようなかんじ。〔評〕手の中でせみが必死にあばれている様子が目にうかびます。その痛さを「はりがささったような・・」とじょうずにたとえることができました。
■茜さん(あろさ/小6)の作文より(ゆうこ先生/8.3週)
すると、ボールは左前の方にどんどん流れはじめました。私は、まったく足がつかない所でうきわの代わりが流されはじめたので、びっくりしました。本当はそうでもないのにその時の私には砂浜が遠くに見えます。そこにはうき島にようなものもありましたが、少なくとも砂浜よりは遠くにあります。【評】さあ、たいへん!岸まで泳ぐか、ボールを手に入れるか!?足のつかないところではだれでもあせってしまうものですね。
■せんべいさん(いめち/小6)の作文より(森川林先生/8.3週)
(ユーモアのセンスの例で)例えば、日本人が川に落ちたとしたら、「川に落ちました。」と言うにちがいないが、イギリス人は、「今、水浴びがしたかったんです。」と言うと思う。◆評:なるほど、ユーモアの例を自分で想像してみたんだね。
■真樹さん(いよち/小6)の作文より(ゆえ先生/8.3週)
ユーモアにはある程度勉強をしておく事が必要である。◆評◆その通りですね。いろいろなことを知っている人、勉強している人は、ユーモアのセンスもばつぐん!ですもの。
■真樹さん(いよち/小6)の作文より(ゆえ先生/8.4週)
ゲームは、切りがないのだ。一度やると,次はもっと良い点を取ろうとスタートボタンを押してしまう。◆評◆自分の経験をもとに、そのときの気持ちがじょうずに言葉にできていますね。本島に、「あと、一回だけ」という気持ちで、気がつくと何時間も続けてしまっているのが、ゲームのこわいところですね・・・。
■ともっちさん(あみよ/中1)の作文より(ふじのみや先生/8.1週)
「花はだれが見ていなくても咲いている。」という名言があるように、自然は一時的に動いているのではなく、毎日毎日動いているのだ。 【評】まさに自然のままにうつりかわっていく「自然」を、うまく表現しています。
■ひろりんさん(あしゆ/中2)の作文より(とこのん先生/8.3週)
今の時代こそ「心の眼」は必要ではないだろうか。「自然と人間」。これが大きな問題としてなっている今、もう一度神話や昔話を読むような気持ちで面向き合ったらきっと自然ともうまくいくはずである。神話や昔話は決して子供のお話ではないのだ。評:本来荒唐無稽に思える世界(神話や昔話)を、いかに私たちは読み込んでいくべきか、その意義についての自分
■たごさくさん(あによ/中2)の作文より(ゆうこ先生/8.3週)
自分の利益のことを考え、幸せに生きたいという気持ちは悪くないことだと思う。しかし、それにおぼれてはいけないのだ。つねに自然のことを考え、自然につくしそして自然がくれたささやかな幸福を大切に受け取る、こういう生き方が正しいのではないのだろうか。【評】自然と共に生きること。生き方への主題に真正面から取り組んでくれました。
■ちえぞーさん(いうね/中2)の作文より(ゆうこ先生/8.3週)
「花さかじいさん」などでも、「枯れ木に花を咲かせましょう」と言って、灰を木にかけるだけで花が咲くというのは少しおかしい。常識的に考えてもおかしいし、理屈で考えればさらにおかしいが、人に昔から備わっているようなものなのかも知れない。人や周りのものを限定された意味の中におしこめようとするの力は昔話においては意味がない。【評】「心の眼」には理屈では解決できなやさしさがあることを、楽しい実例で紹介してくれましたね。
■たこたこさん(こむ/高2)の作文より(メグ先生/9.1週)
人が自分以外のものにあこがれるのは、そのとき自分ではなく相手のほうを基準にしてしまうからである。【評】外側ばかりに目を向けるのではなく、まずは内側を見ていくことも大切だね。
■YESさん(せし/高2)の作文より(メグ先生/8.3週)
科学の急速な進歩は専門家のためにあるのではなく一般市民のためにあるのだ。【評】だからこそインタープリターの存在が必要となるのだね。
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