言葉の森新聞2005年7月4週号 通算第896号
文責 中根克明(森川林)
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■■7月29日(金)・30日(土)は休み
7月29日(金)・30日(土)は第5週でお休みです。先生からの電話はありません。
■■7.4週は清書
毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)
清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。
清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
このほかに、(4)パソコンで入力する練習をする、(5)他の生徒の前月の清書に対して感想を書く、などに取り組むこともできます。
【注意事項】
◎清書は、黒いペンで書いてください。
(鉛筆だと薄すぎたり、濃すぎたりして、うまく読み取れない場合があります)
◎左上に、バーコードシールをはってください。
◎バーコードシールは、その月のものを、ページ順に、まっすぐにはってください。
◎絵や感想だけの用紙にも、バーコードシールをはってください。
◎1枚の用紙の裏表を同時に使わないでください。
◎独自の用紙を使う場合は、作文用紙と同じサイズにコピーを取り直してください。
(バーコードシールのないものや間違ってはられているものは、印刷日程の関係で翌々月のプリントになりますのでご了承ください)
新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
清書は、2〜5人のグループ(広場のグループ)ごとにプリントして、翌月の4週に、「山のたより」と一緒にお渡しします。この清書は、インターネットの山のたよりでも見ることができます。
用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。色はプリントには出ません。
感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。
清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。
よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します)
手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中
■■夏休み中の授業について(再掲)
言葉の森の7−9月の予定は、課題フォルダの中の予定表に書いてあります。
夏休みは帰省したり塾の夏期講習に行ったりするために、通常の時間に授業を受けられない場合も多いと思います。その場合は次のようにしてください。
(1)通常の電話指導を受けられない分を、他の曜日や時間に振り替えて受講できます。平日午前9時〜午後8時、土曜午前9時〜正午の間に、直接教室にお電話ください。希望の週の課題の説明をします。事前の予約などは必要ありません。授業の振替は、7〜9月の間いつでもできます。電話0120−22−3987(045−830−1177)
(2)山のたよりの送付先や電話の宛先を、自宅以外にすることができます。帰省先や滞在先などで授業を受けることを希望される場合はご連絡ください。ただし曜日や時間を変更する場合は、先生から生徒にはお電話しませんので、生徒から直接教室にお電話をして説明を聞くようにしてください。
(3)8月のみ休会されるという場合でも受講料の返金はしませんので、できるだけほかの曜日や時間に振り替えて授業を受けてくださるようお願いします。ただし、(A)海外にホームステイで出かける場合、(B)病気治療のため入院する場合など、電話連絡のとれない状況での1ヶ月以上の休会は受講料の返金をしますのでご相談ください。
なお、8月11日(木)より8月17日(水)までは、振替などの電話の受付もお休みとなりますのでご了承ください。
■■森リンと七語調(森川林/なね先生)
日曜日、朝から晩までずうっと同じ姿勢で仕事をしていたため、月曜日の朝ぎっくり腰になりました。^^;先日、百円ショップで面白半分に買った杖が役に立っています。
同じ姿勢で何をやっていたかというと、文章の中にある七語調を抽出する作業でした。これが意外と簡単そうで難しく、ああでもない、こうでもないと延々と考えて一日が過ぎました。
結論はまだ出ていませんが、文章の流れにリズム感があるものとないものとがあるということだけはわかりました。
話は変わって、森リンの新バージョンに、常体敬体の統一、段落の適切さなどがわかる機能を取り付けました。
表記のミスをチェックすることは、実はそれほど重要なことではありません。ミスは、指導の中でなくなるようにすべき事柄であって、わざわざ評価すべきものではないからです。しかし、実際には、指導の初期の段階でミスをチェックする必要が出てきます。これは、人間でも簡単にできることですが、人間の評価には、人による甘さと辛さの差があることが難点です。
この差は実はかなり大きく、段落や常体敬体などのように明らかな基準があるものでさえ、人による差は無視できません。まして、誤字のチェックなどになると、統一した基準を作りそれを守るようにするのはほぼ不可能です。
小論文の試験で、機械を使わず人間が採点を行う場合、公平性という点では大きな疑問があります。
機械の使い方に関して、多くの人は、人間の機能を代替したものと考えているようです。そういう消極的な考えの典型は、眼鏡や松葉杖などに見られます。それらの機械は、結局人間の機能を部分的にしか肩代わりしません。そのような発想ではなく、機械でなければできないことを追求するのが、人間と機械の共存にとっては必要です。
森リンについても、人間の評価を模倣して機能している面はあります。それは、先ほどの常体敬体の統一、段落や読点の適切さなどの評価です。しかし、それらは、機械が本来持つ魅力的な能力ではありません。機械の本来の役割は、人間にはできない評価をするところにあるからです。
■■がんばっているみんなへ(いろは/いた先生)
みなさんの中には受験(じゅけん)のために勉強を始めている人もいるでしょう。受験には国語、算数(数学)、理科、社会、おまけに英語なんかもあったりして、「これじゃ、時間がいくらあってもたりな〜い。」と悲鳴(ひめい)をあげたくなる人もいると思います。時間を節約(せつやく)するときにするのが「何をとって、何を捨(す)てるか」ですね。そのときに捨てられてしまいがちなのが、「作文、感想文」のような気がするのは先生だけでしょうか?(ぐすん。)テストに出ないから後回しにされてしまうのかしら? まあ、その気持ちも分かります。でも捨てる前にちょっとだけ先生の話を聞いてね。
入試(にゅうし)の問題って見たことがあるかな? 解答用紙でもいいよ。そこに原稿用紙を小さくしたものが入っているよね。しかもここは得点が高いところです。どんな問題か。それはいろいろあるけれど、いちばん手がとまるのは「この文章でいいたいことはなにか。100字で答えよ。」という問題。「1000字をこえる文章なのに、そこから100字だなんて……。もう無理。」となるのです。
さあ、ここまでくれば先生のいいたいことがわかるのではないかしら? これこそまさに「三文抜き書き」「要約」に通じるものですよね。感想文の第一段落に書いていることはこの練習になるのです。「いいたいこと」を書く場合、必ず文中の言葉を使わなければなりません。自分の言葉だけで説明すると×になる可能性が非常に高いのです。ほらほらここで生きてくるのが「第一段落」です。これも文中の言葉を抜き出して、意味が通らなければ言葉を付け足したり、けずったりするんだよね。役に立たないと思っていたものが輝き始めた気がしませんか?
「習うより慣れよ」ということわざがありますが、記述問題はまさにこのことわざそのままです。頭でわかっていても、指導をどれだけ受けても実際に何度も書いていないと習得できないものなのです。
「どうしても時間が取れない。先生、助けてぇ!」というときは、三文抜き書き、要約だけでもしましょう。完璧を目指すことはないのです。たった三文でも送ってくれればいいのです。きっとその三文は役立ちます。がんばってみてね。(^O^)/
<<え2005/79み>>
追伸:それでも時間が取れないという場合もあります。先生は分かっています。だからこれはあくまで感想文の利用(りよう)方法として読んでね。どんな選択(せんたく)をしてもそれがいちばんの方法だと思います。がんばれ、みんな!
■■推敲(すいこう)について(みち/みち先生)
今月はすいこう(推敲)について説明いたします。
毎月1〜3週に書いた作文の中から内容のよかったものを選んで、書き直し清書していますね。よい作文にするために、文章をよりよいものに書き直すことをすいこう(推敲)といいます。
すいこうのしかたは、
しばらく時間をおいて、するのがよいというのは、書き手の立場をはなれ、読み手の立場にたって読むためです。自分の書いた元の作文を何度か読み返すと、ちょっとおかしいな、もう少し別の書き方をするとはっきり分かるというところを発見します。
・自分の書きたいことがはっきりかけているか。
・むだなところ、書き加えるところはないか。
・段落はよいか。
・ことばの使い方は正しいか。
・字はまちがいないか。
・題と中身はあっているか。
という点検をして書き直します。
進度によって、書き直すところは先生が注文していますが、届いた清書はさすが、すいこうした効果があった作品になっています。
作家の原稿も完成に至るまでの苦心がうかがえる書き直しが見られます。
ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏が、教育フォーラムで中学生と対話したときの冊子を入手しましたが、次のように伝えています。
「文章を書き直すということは、どんな意味があるか。他の人に理解してもらえることができる。そういう効果があります。文章を書き直す練習は、スポーツの練習のようなものなんです。(中略)私はいつも文章を書き直します。小説は4回ほど書き直します」と。
直せばよくなるということです。
また、
アメリカの開拓民一家の主婦、ローラー・インガルス・ワイルダーの名作「大草原の小さな家」は、実は娘のローズがゴーストライターだったと告白しています。1932年、ローラーが65歳で書き、当時45歳のローズがローラーの平凡な文章を一行ごとに書き直し、違った場面を挿入するなど、あらゆる面で手を加え、生き生きした文体になったということです。
文章はただ書きっぱなしでは上手にならないということです。答案を見直すのと同じで、点検をして直さなくてはなりません。
皆さんが、今書いている単なる作文も無限の可能性を秘めています。
楽しんで書いて、すいこうしてくださいね。
■■日本語の乱れ(けんけん/すもも先生)
毎年、この季節になるとなんとなく憂鬱な気分になります。でも雨の日もそれはそれで楽しみがあります。そのひとつには読書があります。雨だから出かけるのはやめて読書しようとか、作文を書こうとか、そんな気持ちにもなりますね。
<<えa/1007み>>
さて、つい先日新聞のコラムにおもしろい記事をみつけました。「日本語の乱れをことさらに言い立ててかせいでいる人と、日本語をことさらに乱して商売にしている人とでは、どっちがエライか」という問いからはじまっています。言葉の森のヤマブキ4.3週の課題にも「ら抜き言葉」がとりあげられています。この「ら抜き言葉」は日本語の乱れについて語られるときにはいつも例としてあげられます。私も作文の中でら抜き言葉があれば、赤ペンで修正しています。職業柄(?)「日本語の乱れ」とくればよくないものという意識が私の中にはあるようです。 このコラムを読む直前まで、NHKのアナウンサーが書いた日本語に関する本を読んでいたので、よけいにそのことについて敏感になっていたのかもしれませんが、そんな私にこのコラムはとても新鮮でした。
このコラムの中で天野祐吉氏が取り上げている言葉は「軽くヤバイ」というものです。本来「ヤバイ」という形容詞に「軽く」という副詞はつかないのですが、これをあえてくっつけることで、微妙なニュアンスが生まれているというのです。まぁ、この「微妙」という言葉も本文では「ビミョー」と表記されています。このことばも最近子どもがやたら使うので、とても気になっている言葉のひとつです。ら抜き言葉といい、「軽くヤバイ」といい、「ビミョー」といいどれも学者さんに言わせれば、みんな乱れた日本語ということでしょう。
<<えa/665み>>
日本語の乱れについて議論されているときには、たいてい「言葉は変化するものだ」という考えも紹介されています。ヤマブキの課題の作者のように、「ら抜き言葉」はなんとしても許容できないという考えも、「言葉は変化して当たり前」という考えもどちらもよくわかります。私たちはふだんの生活で日本語を使っているのですから、どちらの主張についても「うんうん、そうだなぁ。」と思うところがあるでしょう。言葉が変化しているといっても、一ヶ月や二ヶ月で変化を遂げてしまうものではないのです。また、変化の背景にはかならず必然性があるのかもしれません。
しかし、学者でも言葉を駆使して商売をしている人間でもない、普通の言葉の使用者として、私たちはこの問題に対して少し無責任ではないでしょうか。もうすこし自分が使っている言葉について敏感になってもよいと思います。「ら抜き言葉」や「軽くヤバイ」という時代の流れの中で、なにも感じないでじわじわと大きな波にのみこまれるように、知らず知らずのうちにその言葉を使うのではなく、ちょっとだけたちどまって自分の日本語に対する感覚に照らし合わせてみてはどうでしょう。その上で自分で自分の言葉を選ぶという作業ができると言葉への関心がより深くなると思います。自分たちの言葉なのですから、大切にしたいですね。
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