言葉の森新聞2006年5月3週号 通算第935号
文責 中根克明(森川林)
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■■短文集の訂正
カキの短文集に、訂正があります。Ka 2 の二つめの短文ですが、「また、ほかのとりが、木のえだをあつめてすをつくりますと、じぶんのすをつくるのに、そのえだをよこどりしにきます。だから、水がぴゅっといきおいよくとびでるのです。」のうち、最後の「だから、水がぴゅっといきおいよくとびでるのです。」の部分は削除してください。
■■森リンの点数修正
連休中に森リンの改良をしました。これまでの森リンの点数には、次のような問題点がありました。
第一は、全学年共通の尺度で評価しているので、易しいテーマで書いている小学生よりも、難しいテーマで書いている高校生の方が有利になるという点です。
例えば、「私の好きな食べ物」という題名で書けば、どうしても中身は易しい言葉が中心になります。「世界の平和と環境問題」などというテーマで書けば、材料となる言葉の時点で既に考える語彙と難しい語彙が有利になってきます。もちろん、どういうテーマで書いても、表現力のある人は高い点数を上げることができます。しかし、硬い難しいテーマの方が小論文として有利になるというのは避けられませんでした。
そこで、これまで全学年共通の尺度で評価していたものを、学年別に評価しなおすことにしました。つまり、小学3年生は小学3年生の中だけで評価し、高校3年生は高校3年生の中だけで評価するというやり方です。その結果、小学生の点数がより現実的になりました。
第二は、得点を平均70点の偏差値として表示しているのでわかりにくいという点です。偏差値は、過熱する受験競争の元凶のように言われていますが、ものごとを確率的に評価するという考え方は現代の社会では必須です。偏差値の生みの親である桑田昭三氏の本を読むと、偏差値がどのような状況で生まれ育っていったかがよくわかります。しかし、中学生や高校生には偏差値の方がピンと来ても、小学生には100点満点の点数の方が実感としてよくわかります。これまでは小学生の100点満点の感覚に合わせて、平均70の偏差値として点数を表示していました。しかし、そのままではほかの団体などが使うときにかえって利用しにくいように思われたので、50平均の偏差値として表示することにしました。また、平均50の偏差値表示とともに、その偏差値が確率密度分布の上で何パーセント目にあたるかということも併せて表示するようにしました。
第三は、説明がこまごまと書いてあるので理解しにくいという点です。これまでの表示は、「○○が3.4から4.5の間にあるので、□□は……です」などという形でした。しかし、これだとかえってその理由などがわかりにくいようでしたので、単純に「□□は……です」という表示にしました。
森リンの特徴は、作文の評価というアナログ的なものに数値を導入したことです。機械の採点ですから、いろいろな事情で誤差が出てきます。しかし、人間の評価との違いは、それらすべての誤差に理論的な裏づけがあるという点です。人間の評価は、その日の気分や前後に読んだ文章の印象によって大きく変わってきます。人間の評価の誤差には理屈の裏づけはありません。
森リンのいちばんいい使い方は、森リンの出した点数を参考にしながら、人間が最終的な評価をするという形です。入試の文章を人間が一つずつ読んで評価をするというのは、レベルの高い文章がある量以上になると人間にはもう不可能です。大学入試や高校入試で小論文の試験を行っているところはかなりありますが、その中のどの1校も採点結果を表示していません。どれだけいい加減に評価しているかがわかると思います。(笑)
ところが、ここで森リンを使えば、評価の客観性は飛躍的に高まります。人間が最初から小論文を読むのではなく、まず森リンの点数を参考にして小論文を読みます。森リンの点数が60点で、人間が読んでも同じように感じられればそのまま60点です。人間が読んで、森リンの点数よりも高いと感じられれば60+α点で、低いと感じられれば60−α点です。森リンの誤差と人間の誤差が相互に補い合って、より正確な点数が出てくるのです。
森リンはまだ改善するところがあります。その一つは、同じ語彙の中でウェイトを分けることです。例えば、森リンは、「客観的」という言葉にも「恣意的」という言葉にも同じ点数をつけます。しかし、どちらの方が平凡な言葉かと言えば、もちろん「客観的」の方です。作文の中に「客観的」という言葉が入っていれば、大体中学生以上の文章だという見当がつきます。「恣意的」という言葉があれば、高校生以上でよく本を読んでいる人の文章だと見当がつきます。そういう語彙のウェイト付けをすれば、評価はもっと正確になります。逆に言うと、現在はその点でまだ、森リンの得点を意識的に上げる裏技が使えるということです。
■■ ★スキャナー1号マイケルからのおねがい。★
みなさん、はじめまして。ぼくの名前は「スキャナー1号マイケル」です。毎月みんなの書いた清書(せいしょ)を読み取って、山のたよりにのせる仕事をしています。
千枚をこえる清書を、一枚一枚のみこんでは、記録(きろく)していくんです。それをパソコンに保存(ほぞん)して、山のたよりに印刷(いんさつ)するというわけなんです。
そのときに、いちばん大切なのは、「バーコード」です。ぼくは、機械(きかい)なので、字が読めません。言葉も話せないんです。だから、だれの清書か、何枚目なのかをすべて、この「バーコード」の黒い線で読み取ります。
清書の中には、すばらしい作文なのに、「バーコード」がはられていないものや、月がまちがった「バーコード」のものや、はってあるものとないものがまじったものなどがあります。
そういう清書は、もう一度シールをはりなおさないと、飲み込むことができないのです。だから、次の月の山のたよりまで、のせることができません。
<<えg2006/0407104848jみ>>
だから、お願いです。「バーコード」は清書の月のものを、正しい位置(いち)にはってくださいね。(絵にも、かいてある面に同じようにはります)
それからね、低学年(ていがくねん)の人で、とてもきれいな絵をいっしょに出してくれる人がいます。ぼく、とっても楽しみなんです。でも、それがクレヨンでかかれていると、ぼくの顔(かお)にべーーったり、くっついてしまいます。
だから、絵を送ってくれるときは、クレヨンがきはやめてくださいね。
ぼくのこと、おぼえてくれたかな?
みんなの知らないところで、こうしていろいろな人やいろいろな機械(きかい)が働いて(はたらいて)いるんですね。
みんなわかったかな? この話は、マイケル君がテレパシーで送ってきました。マイケル君のおねがい、聞いてあげてね。
Φすずめ
■■ 作文4つのステップ(ぺんぎん/いのろ先生)
先日、あるカウンセラーの「生活の処方箋(しょほうせん)」という文章を読みました。
「ん?作文を身につける道とも通じるかも。」
というわけで、今日はこの文章(抜粋)に、一言のコメントを添えてみました。
<<えa/444み>>題して「人生4つのステップ」改め、「作文4つのステップ」
<<え2004/359み>>蔵(ぞう)
基本をしっかり身につけること。音楽でも、英会話でも、何事も基本をおろそかにしない。また、常に基本に立ち返る、これが第1ステップです。 → 《いのろコメント》 作文で言うと、読書、自習(家庭学習)ということでしょう。少し広げて項目を身につけること、が基本ですね。
<<え2004/360み>>修(しゅう)
実行すること。決して明日に延ばさず、また打ち込んで実行すること。第2ステップです。 → 《いのろコメント》 電話指導を聞いて、作文を書き、提出する……。週1回の作文を書いて出すことのくり返しが、「修」の段階と言えそうです。「言葉の森」では月4回も「修」のチャンスがありますね。とても中味の濃い1ヶ月になっています。
<<え2004/361み>>息(そく)
呼吸するように当たり前の状態。平常心と言いますが、音楽を奏でる者も、スポーツをする者も、自然体のように聞かせる・楽しませる滑らかさがあるものです。第3のステップです。 → 《いのろコメント》 「項目が、気づいたら“道具”のように使いこなせていた。」「項目が窮屈に感じず、かえって作文を自由に書く助けとなっている気がする。」「まるで息をするように、自然なこととして作文が書けている」……「あなた」の段階のことですね!!!
<<え2004/362み>>遊(ゆう)
「息」の状態を継続すると、最後に「遊」を会得できます。遊学と言うことがあります。学問も必死でする学びから、遊学へ。
→《いのろコメント》楽しんで表現し、ユーモアも織り交ぜていける状態とでもいいましょうか。ゴールが「遊」とはなんとも楽しい限りです。
<<え2006/91jみ>>「言葉の森」の小道の中で、ステップを軽やかに踏んでいきたいものですね。
■■好きこそものの上手なれ(にこたん/しおり先生)
小学校の先生をしていたころのこと、初めての図工の時間です。それぞれ好きな場所をえらび、スケッチをしました。そこに十分でもどってきた人…Aくんです。大きな白い画用紙にボールペンでかいたバケツの絵をつきだして一言。
「じゃあ、もう終わったから遊んでいい?」
ああ、この子は絵をかく楽しみを味わったことがないのだなあと、さびしくなりました。
あじさいの季節、あらかじめいんさつした花びらに赤と青の絵の具と水だけをつかって色をぬりました。絵の具をチューブから出して、そのままぬる人がほとんどでまぜる経験が少なかったのでみんな苦労しました。たった二色の絵の具から変化のある色を生み出すことができたのはなんとAくんでした。
「わあ、たった二色がいくつもの色に変化してる。すごい。」
「うるせえ・・・。」
とてれくさそうにしながらも、Aくんの顔はかがやいてみえました。秋に版画の作品を持って帰ることになりました。
「おれ、いらねえ。どうせ、かあちゃん、ゴミゴミってすてるんだもん。先生、学校ですてといてよ。」
ガーン。そうか、Aくんのさみしさの原因はこれか!すぐにおうちの方と連絡をとりました。
「いつもいろいろ持って帰ってくるから、いちいちとっておくのもねえ。家が散らかっちゃうんですよね。(わかるわかる!)でも、この版画はあの子の作品の中で一番よくできてるね。」
お母さんと、いっしょにAくんを見つめていきましょう、とお話をしました。再び四月、Aくんの家を訪問しました。そこには、あの版画の作品が堂々とかざってあるではないですか。図工の時間、だれよりもはやくかき上げていたAくんは一年後だれよりもおそくていねいな作品をかくようになっていました。
<<え2004/656み>>
Aくんが教えてくれました。「好きこそものの上手なれ」人間のもつ力は目には見えない大きな可能性がある。子どもにも大人にも同じことが言えると思います。今日苦手なことも明日は好きになれるかもしれない。自信を持って殻を一枚破って、さなぎから蝶へ変身しませんか。
<<え2004/658み>>
■■菜の花や(むり/むり先生)
先日子どもの理科の勉強を見ていて、「そうだったのかー!」と思ったことがあります。
昔から理科は不得意だったので、「そんな初歩的なことも知らなかったのか?」と言われそうですが、月はその形によって月の出の時間や月の入りの時間は決まっているということを、初めて知ったのです。
ちなみに満月は夕方ごろ出て、真夜中に南中し、明け方沈むのです。
そこで、気がつきました。
「菜の花や 月は東に 日は西に」 松尾芭蕉
とても有名な句ですね。芭蕉らしいダイナミックな映像美が伝わってきませんか?
私も大好きな句ですが、実はずーっとここに描かれている月は三日月よりちょっと太いくらいの形だと思っていました。大間違い!
だって、夕方出る月は満月に決まっているのですから。
広い菜の花畑、茜色から藍色に変わる空、西にまんまるの夕日、東にまんまるの月!
なんて景色でしょう。
まさに、西に朝青龍、東は白鵬(意味不明?)。
スピルバーグがスターウォーズシリーズの映像に取り入れそうなくらい壮大なイメージがわきませんか?
「そうだったのか〜」と、私はしばらく感動してしまいました。
今まで私が想像していた映像は、なんて陳腐だったのだろうと思いました。
目からウロコとは、こういうことを言うのでしょうね。
今月の教訓「ちゃんと理科も勉強しておかないと、国語も楽しめない。」
<<えa/347み>>
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