言葉の森新聞2006年7月2週号 通算第942号
文責 中根克明(森川林)

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■■森リンの点数調整で再び全学年共通の評価に
 5月から森リンの点数を学年別に集計するようにしました。その結果、同学年の中での自分の位置という評価がわかりやすくなりましたが、逆に自分の進歩の度合がわかりにくくなっていました。
 以前の、全学年共通の評価では、右肩上がりになっているグラフがほとんどでしたが、今回の学年別の評価では、水平になっているものがほとんどになってしまいました。
 そこで、再度森リンの点数調整を行い、総合得点に全学年共通の評価を入れ、可能性の得点に学年別の評価を入れるようにしました。
 データ件数が全部で約1万4千件あったので、全部のデータを更新するのに2日ぐらいかかりました。
 今回の全学年共通の評価によって、高学年の生徒は以前よりも点数が高めに、低学年の生徒は以前よりも点数が低めになっています。


■■要約という勉強法
 国語の成績を上げるために「天声人語」などのコラムを要約するという勉強法があります。
 この勉強法はそれなりに効果がありますが、私は次の理由から別の勉強法をすすめています。
 第一は、新聞のコラム欄の文章は、必ずしも国語力をつけるには向いていないからです。それよりも実際の入試問題の文章の方が、国語の力をつけるには向いています。また、文章の質ももちろんそうですが、管理のしやすさという点でも問題集のように一つの冊子になっているものの方が何度もくりかえし使う点で優れています。
 第二は、要約という勉強法は、手間がかかるということです。子供自身も、要約のための時間と場所を確保して勉強に取り組まなければなりませんが、それ以上にその要約を評価する親の手間がかかる点が問題です。勉強はできるだけ子供が自分の力だけで進めるものを中心にして、親は肝心なところだけアドバイスすればよいという形にするべきです。そうしないとどうしても勉強の量を確保しにくくなるからです。
 小学生が行う要約という勉強の中身は、実際には「よく読んで書き写しをする」というものです。効果があるのは、この「よく読んで」の部分です。要約をするためには、何度もその文章を読まなければなりません。そして大事なところを書き写しするときに更によく読まなければなりません。要約自体に効果があるのではなく、要約するためによく読むところに効果があるのです。
 だとすれば、国語の勉強法のもっと能率的なやり方は、その文章を何度も繰り返し読むことです。この方法ならば、いつでもどこでも手軽にできます。また、音読で読んでいるときに親が読み間違いを簡単に直してあげることができます。
 ただし、同じ文章を繰り返し読むという勉強法は、要約のように形として残るものがないので、見ていて張り合いがないような気がします。そのため、このような繰り返し音読をするという勉強をしたがらない人が多いのです。
 しかし、勉強の密度と量を考えれば、問題集を繰り返し音読するという勉強の方が、コラムを要約するという勉強よりも優れていると思います。


■■一生勉強(たんぽぽ/たま先生)
 私は就職してから必要に迫られ、いくつかの資格を取りました。といっても特に資格を取りたかったわけではなく、仕事を早くこなすこと、内容をより深く理解するために勉強した結果なのですが。そのとき始めた勉強は学生時代と違い、自分がやりたくて始めたもの。未知の世界に踏み込むにつれてより詳しく知りたくなり、納得したり、感心したりしながらテキストをめくっていました。そしてひととおり勉強し終わったところで、どうせなら資格試験を受けてみよう、となっていったのです。         
                      
 中でもいちばん頑張ったなと思えるのは、「ブラインドタッチ(手元を見ずに、パソコンの画面を見て文字を打つこと)」です。当時は今のようにパソコンが普及していませんでしたから、キーボードに触る機械がほとんどないまま職場でいきなり実践…。一つ一つ文字を探しながらの作業となるため非常に効率が悪く、まったく仕事が進みませんでした。ですからどんどん仕事は溜まっていくばかり。みんなに迷惑がかかります。それだけではありません。「まだ出来てないの?」「早くして!」これならまだましなのですが、「いつまでやってるんや!」「トロいなあ、もう!!(怒)」。ここまで言われると悔しいやら情けないやら…(沈)。これではいけない、練習しなくては…と思いましたが、職場では練習するために使えるマシーンなどあるはずもなく、残業続きの毎日ではスクールに通う余裕もありません。仕方がないので、少ないお給料の中から当時非常に高価だった「ワープロ」を買うための費用を捻出し、自宅でブラインドタッチの「秘密練習」(笑)を始めました。

 とにかく1日30分、毎日やることを目標に1ヶ月続けたところ、かなり効果が表れました。職場の上司や先輩が「速くなったねえ」と目を丸くしていましたから。それからさらに1ヶ月ほど続けると、「これ、急ぐからお願い!」とまで言われるほどに。気がつけば誰よりも速くキーボードが打てるではないですか!! 今でもタイピングの速さには結構(かなり?)自信があります。エッヘン!(あのとき「トロい」と言ってくださった先輩、ありがとうございます(嫌味)。)

 最近では、私の友人があるトラブルに巻き込まれたことがきっかけで、法律に関する勉強を始めました。広く、深い知識が必要となり、とても難しいのですが、今まで知らなかった世界が見えてくるのは非常に興味深く、楽しいものです。勉強時間を確保するのが難しいので、資格取得にいたるかどうかはわかりませんが、学ぶことの楽しさを実感しています。

 考えてみれば、知っていることよりも知らないことのほうが多いのですね。私は大人になってから、世界の広さに気がつきました。学校、塾、習い事、クラブ活動などに頑張っているみなさんの様子を作文から感じ取り、元気をもらいながら、私もみなさんに負けないように、生涯勉強を続けていこうと思っています。さあ、やるぞ〜!

<<え2006/235jみ>>


■■時計は……(みち/みち先生)
「おはよう!」と、とび起きて一番に時計を見る人。
朝ごはんを食べながら、時間が気になる人。
雨にぬれた淡(あわい)い色のアジサイの花に見とれ、ハッと急ぎ足で通り過ぎて行く人。
約束の時間を守る大切さを知っている人。
人はいつも時間を気にしてすごしています。

6月10日は「時の記念日」でした。
くわしく知らないので、よい機会だと思い調べてみました。抜書きしましたが、調べるっておもしろいです。
<<え2175み>>

 西暦671年,天智天皇は水時計を設置し,日本で初めて人々に時刻を知らせたといいます。「時間をきちんと守り,欧米なみに生活の改善・合理化を図ろう」という目標がありました。
『日本書紀』によると4月25日,今の暦では6月10日に当たるので,6月10日が「時の記念日」に選ばれたのです.これは1920(大正9)年,東京天文台と生活改善同盟会によって定められたとのことです。
<<え3436み>>

時計の針はどうして右まわりなのでしょう。
日時計から受け継がれてきたことは、知っている人もいるでしょう。
地面に立てた棒の影をおっていけば右まわりになります。
太陽の位置を思い浮かべると南半球では、日時計の影は左まわりになります。でも、時計を発明した場所はイタリアですし、そのころの文明は、ほとんどが北半球にありました。
そういうわけで時計の針の右まわりは、世界中、どこの時計も4千年まえのエジプト人の知恵が作りだした日時計のしくみをひきついでいるのです。
<<え3571み>>

はじめて機械(きかい)時計を作ったといわれるイタリアの修道僧が、日時計の影にあわせて、文字盤の数字をならべたというわけらしいです。初期の機械時計は、動力におもりを用い、冠形(かんむりがた)の歯車の回転で振り子をしんどうさせるもの。機械時計にはかならず鐘(かね)がついており、自動的に鐘を打って町の人びとに時を知らせました。

<<え4648み>>
時計は時刻を知るだけでなく、生活を管理する大切なものだと改めて知りました。

<<え3437み>>

3年生から6年生の項目に「調べたこと」があります。広がりのある知的な内容になりますので、調べて書きましょう。
調べることは、ホントにおもしろいです。

<<え2006/209jみ>>


■■きつねのおきゃくさま(ひなた/いのあ先生)
 最近読んだ本の中で読書をしない子供に本を読ませる方法について書かれている本がありました。それには絵本がよいのだそうです。大人が読んでいいと思う絵本、大人が読んで感動する絵本を子供にも読ませるのです。絵本というと子供の読むものと思われがちですが、絵本の読み聞かせをしていると、大人の私が読んでも感動する絵本がたまにあります。『きつねのおきゃくさま』(あまんきみこ文)は、腹ペコきつねがやせたひよこに出会い、もっと太らせてから食べようともくろみます。しかし、ひよこに「優しいお兄ちゃん」と呼ばれてぼうっとします。太ってきたひよこが散歩に出かけ、やせたあひる、うさぎに会い、どこかにいいすみかはないかと聞かれ、きつねの家を紹介します。そして四匹で暮らします。きつねは三匹が太ってから食べようと考えているのですが、ひよこ、あひる、うさぎはきつねのことを「神様みたいなお兄ちゃん」と呼びます。そんなある日、山からおおかみが下りてきます。ひよこにあひる、うさぎにきつねがいるのを見つけ、食べようとします。そこへきつねが飛び出して、おおかみと勇敢に戦います。おおかみは逃げていきますが、その晩、きつねははずかしそうに笑って死にます。三匹はそんなやさしい、神様みたいな、勇敢なきつねのお墓を作り、涙を流します。―ここでお話が終わるのですが、初めて読んだ時は胸が詰まって、最後が読めませんでした。誉められたきつねの心が優しい気持ちに変わっていく様子が伝わってくるのは絵本だからこそだと思います。短い文と絵とが、読み手にこれほど大きな感動を与えるのはよい絵本と言っていいと思います。どんな本を与えたらいいのかわからないという場合は、まず、親の自分が読んでみて、いいと思った本を子供に与えればいいのです。絵本ならすぐに読めますし、子供も入りやすいと思います。大人がいいと思った本は子供にもどんどん与えてほしいものですね。
<<え2005/164jみ>>


■■好きなことを大切に(雨/ばば先生)
 突然ですが、私(ばんば)には趣味というものがありません。「好きなこと」がないのです。これは悲しいことです。仕事や家事育児が空いた時間、ぽっかりと空いた時間に何をしたらいいのか分からないのです。
 子供のころは好きなことがいっぱいありました。毎日、毎日、寝ることも食べることも忘れて夢中になったことがたくさんあります。次から次へと「好きなこと」も見つかりました。
 どうして「好きなこと」がなくなってしまったのでしょう。たぶんそれは小学校から25才まで5回も受けた受験とそのための勉強でしょう。小学校5年生から25才までずっと「やらなくちゃいけないこと」に日々追われていました。そうしたら「やりたいこと」が分からなくなってしまいました。
 私の弟は「やらなくちゃいけないこと」をちゃんとやらないで「好きなこと」ばかりして親や先生に怒られていました。学校の成績もひどいものでした。でも彼には今でも「やりたいこと」がたくさんあります。しかもその一つを職業にして、今は社会で活躍しています。
 もう一つあります。私のいとこは小学校から学校にほとんど行かず、好きなマンガや絵を描いて過ごしています。彼女は二十才過ぎのとき、才能を認められて雑誌社にマンガの連載を書いてくれませんかとスカウトされました。(でも彼女はマンガを仕事にすると「描かなくてはならない」状況になってしまうからといって断ったのです!)
 難しい話になってしまいますが、人生ってなんだろうと私は思いました。身を粉にしてがんばってきた私の今はなんだかつまらない人間です。でも叱られてばかりいた弟は今では生き生きとして、しかも好きなことを仕事にするということまでできました。
やらなくてはいけないことは、確かにやらなくてはいけないものです。だからといってがむしゃらに「やりたいこと」を我慢してがんばり続けると、現代社会で急増している「無趣味人間」になってしまいそうです。どんな人生を送るかは人それぞれですが……。
 作文は「私は何がしたいんだろう」「私は何を考えているんだろう」という自分の心の声に耳を澄ます作業でもあるのです。小学校や中学校で自分の心に耳を澄ませば、自分がどんな人生を送りたいか、どんな大人になりたいか、はっきり見えてくる日がくるでしょう。
 私もここ何年かは作文という好きなことを見つけて、自分のやりたいことが少しずつ増えてきています。作文は自分を見つめるのにとても大切なものなのです。
   <<え2006/147jみ>>


■■感謝の気持ちをもつこと(ひまわり/すぎ先生)
 先日、私の実家で法事が行なわれました。法事とは、亡くなった人の追善供養をするための法要を行なうことです。しかし、お経をあげてお焼香をし、その後会食をするという形式を整えることだけに、どうしても一生懸命になりがちです。本当に大事なのは、形式ではないはずです。読経のあと、ご住職からの法話(ほうわ:仏法に関する話)があったのですが、それが心に残るいいお話でしたので、みなさんにも紹介したいと思います。

 「亡くなった人の供養をするということは、生前お世話になった感謝の気持ちを、あの世へ伝えるということです。しかし、あの世へ伝えるだけでなく、自分の周りの人々やものごとすべてに、感謝の気持ちを持つことが肝心です。どんな小さなことにも、『ありがたい』という気持ちを持ってください。天気が良くても、雨が降っても、『ありがたい、ありがたい』と思って過ごすと、自分も周りも変わってきます。
 感謝の気持ちというのは、御札(おふだ)の波動と同じだそうです。そういう気持ちでいるということは、私たち自身が御札になったのと同じことですよ。恨みや憎しみの気持ちは、お札とはまったく逆の波動です。そのような波動を出して生活していたら、周りも自分もどうなるでしょう。」
<<えa/1000み>> 感謝の気持ちが御札の波動と同じという、科学的な根拠はわかりませんが、このお話は大切なことを言っていると思います。お札は、護符(ごふ)とも言って、神仏が私たちを守ってくれるといわれるものです。とすると、感謝の気持ちを常に持ち続けている人は、周りの人を災いから守ってくれる力があるということになりますね。確かに、「ありがとう。」を口癖のように言っている人に対しては、私たちもおだやかな温かい気持ちで接することができます。お互いを思いやる気持ちを忘れなければ、人間関係で災いは起きないでしょう。
 逆に、憎しみなどのマイナスの気持ちを強く持っている人は、どうでしょう。そういう人に対しては、私たちも警戒心を抱き、おだやかな気持ちにはなれませんね。お互いにマイナスの感情を深め合う悪循環になります。結果、災いを引き起こすということになるのでしょう。
<<えa/415み>> 私たち自身が御札のようになって、周りの人を災いから守ることができたら、すばらしいことです。それが、日々の気持ちの持ち方一つで、できるのだったら、今日からすぐに始めてみようと思いませんか?


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