言葉の森新聞2006年11月4週号 通算第960号
文責 中根克明(森川林)
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■■11月29日(水)・30日(木)は休み
11月29日(水)・30日(木)は第5週で休みです。宿題もありません。
■■清書のバーコードシールはいりません。
10月から、清書のバーコードシールは貼らなくてよいことになりました。貼り忘れる人が多い、貼りにくいため正しく貼れておらず、貼ってあってもスキャナーで読み取れないものが多い、などの理由から全面見直しをすることにしました。
バーコードは担当の先生が貼りますので、お手元のバーコードシールは貼らずに先生にお送りください。
■■11.4週は清書
毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)
清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。
清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
絵を作文用紙の裏に描く場合は、表に作文を書かないでください。(つまり用紙は1枚の裏表を同時に使わないようにしてください)
新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
清書の作文は返却しません。ホームページの「生徒の里」で見ることができます。小2までの全員の作品及び小3以上の入選作品は、プリントされます。
用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。
清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。
よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します)
手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
104−8433
東京都中央区築地3−5−4
朝日小学生新聞
「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
100−8051
東京都千代田区一ツ橋1−1
毎日小学生新聞
さくひん係 御中
■■要約の仕方
文章の要約ができるのは、小学5年生ごろからです。小学4年生までは、物事を構成的に考える力がまだ十分に育っていないので、要約の練習をするには無理があります。しかし、小学5・6年生ごろの要約は、かなり長くなってしまうのが普通です。中学生になると、次第に楽に要約できるようになってきます。
以下は、中学生や高校生の人が要約する場合の方法です。
まず、対象となる文章を(1)すばやく最後まで読みながら、(2)線を引いていきます。
(1)で大事なことは、じっくり読むのではなく、最後まで読むということです。文章は、全体像がわかって初めて細部がわかります。細部をきちんと読んで全体がわかるのではありません。これが文章を読みなれていない人の陥りがちな点ですからよく気をつけてください。特に、大学の入試問題のような種類の文章では、最後の数行を読んで初めて全体がわかるという仕組みになっているものがかなりあります。逆に最初の数行はだれが読んでもちんぷんかんぷんのようなことが書いてある場合があります。読みなれていない人は、この最初の数行でつまずいてしまうことが多いのです。
(2)の線を引く箇所は、「大事そうなところ」「わかったところ」「おもしろいところ」です。しかし、ここで大事なことは、「大事そうなところ」を中心に線を引くのではなく、むしろ「わかったところ」「おもしろいところ」を中心に線を引くということです。というのは、最初に読んでいるときは、何が大事なのかよくわからないからです。文章の内容とはあまり関係がないかもしれないが、自分なりによくわかったところ、又は、自分なりにおもしろいと感じたところを中心に線を引いていきます。
次に、線を引いたところだけを数回読み直します。線を引いたところというのは、文章全体の数パーセントですから、ざっと眺める感じですぐに数回読み直しできます。すると、不思議なことに、文章の全体像が頭に入ってくるのです。線を引いたのは、「わかったところ」「おもしろいところ」が中心です。しかし、その線を引いた箇所だけをとびとびに読んでいると、線を引いていない箇所も含めて全体のイメージがつかめてくるのです。
ここで、今度は、本当に「大事なところ」に改めて線を引き直します。ここで要約の字数が問題になってきます。1文を約50字と計算すると、150字の要約では3文、200字の要約では4文です。150字に要約する問題でしたら、線を引きなおす「大事なところ」は3ヶ所ぐらいです。
最後に、その「大事なところ」をつなげて文章にします。
要約の問題は、実力がついてくると、すばやく書いてもじっくり書いても、点数にあまり差が出ません。要約を書くのに時間をかけるのはもったいないので、すばやく要約して、肝心の作文・小論文の方にじっくり時間をかけましょう。
■■めいめいに、作文は(はつこ/そうよ先生)
「あ!おにいちゃん、ぼくのお箸で食べないでよ。」
「ごめん、また間違えた。」
「ありゃま、間違ってこどものお茶碗で食べちゃった。今から交換する?」
「いいよ、今日はママので食べとくから。」
こんな会話が食卓で交わされること,ありませんか?
<<え382み>>
昔からある生活道具を通して、日本の良さ、日本の暮らしを見続け、紹介されてきた秋岡芳夫さんは、次のような話を示されています。
若狭といえば日本一の塗箸の産地だが、その若狭で箸を作っている業者の口から
「ねえ先生、箸というものは何百種類も作らないと商売にならんのです。なんせ日本中の人間が一人一人他人と違う箸を持たないと承知しないんですから」と。
たしかに箸を売る店のショーケースには何十種類もの色柄違いの箸がならんでいる。(秋岡芳夫「めいめいの茶碗」『暮らしのためのデザイン』新潮社)
心当たりがあります。ごはんを食べるときの箸は「自分のお箸」で食べるという意識、持っていませんか?私には小学生の二人の子どもがいて、毎日給食に使う箸を持たせるのですが、それぞれの箸を間違えて持たせると「ママ、今日弟のお箸だったよ!」
と怒られます・・・そして入れ間違えたことを私も素直に反省しています・・・
お茶碗でもそうですね。揃いのお茶碗といえば、レストラン、または旅先の旅館というイメージがあるでしょう。私の実家では、私達が結婚し、子どもがうまれるごとに茶碗を買い足してくれています。お正月などでは今のところ11人そろうので、11個のいろ、かたち、それぞれのお茶碗があるのです!家族が増えると、お茶碗も増えていくんですね。
秋岡さんは、この自分だけの茶碗、箸を「めいめいの」という言葉を使って、めいめいの茶碗、めいめい持ちの箸、という言い方をされます。この「めいめい」という言葉から日本文化に話はおよんでいくのですが、ここではおいておきましょうね・・・
<<え382み>>
「めいめいに」あらためて声に出してみるとなかなかによい響きですね。
手元にある辞書で「めいめい」を引いてみると、
「めんめん(面面)の変化。一人ひとりに別々に全部。各自。おのおの。」
とあります。一人一人の人格、個性を感じる言葉ですね。
最近、
「さく文のおしごとは楽しいですか?わたしは楽しいと思いますよ。」
と書いた手紙を作文と一緒に送ってくれたお友達がいるんですね。ほんとうにそうなんです!このお仕事はとっても楽しいのです。
同じ「秋をみつけたこと」という課題でも、送ってくれる作文はめいめいの表現で、めいめいの題材で書かれているので、いくつ読んでも飽きないのです。どれもこれも、それぞれに光るものがあります。ある人はドングリで、ある人は秋の虫で作文を書いてくれます。私はそれぞれの作文を読ませてもらって、秋というひとつ大きなイメージをつかむことができるのです。みんなの、作文を書くという行為の中に、めいめいの視点があって、そこに人それぞれのかがやきを感じています。たくさんの作文を読ませてもらうと、それぞれの作文がひびきあって、とてもいい音楽を奏でるような感動があるんですよ。
「みんなちがって みんないい」
<<え5754み>>
■■会話で身につく言葉(イルカ/かこ先生)
<<えa/1690み>> 皆さんは、どこで勉強をしていますか。子供部屋かな。それともリビング? 先日、テレビで、リビングでするのがよいという話を聞きました。特に、中学受験生は家族が集まるリビングでするとよいのだそうです。うるさくて勉強ができないと思うかもしれませんが、その理由として、リビングですると家族間の会話があり、ニュースなどが話題に上ると自然に理解できるからだというのです。教科書や参考書には限界があり、家族の中で意見を交わすことで知識が自然につくのだそうです。しかも、集中力もつく!
<<えa/863み>> 家族間の会話の中で身につくのは、言葉も同じです。赤ちゃんは、大人や兄弟姉妹が話す言葉を聞いて言葉を覚えます。それと同じで、私達も日常生活における何気ない会話の中で様々な言葉を覚えることができるのです。ここに、一つのことわざの問題があります。皆さんはわかりますか。
(問) 先生が間違いをしてしまいました。先生に対して、あなたはどんなことわざを使いますか。
(1) 弘法にも筆の誤り
(2) 猿も木から落ちる
(3) 河童の川流れ
<<えa/869み>> この問題はテレビで放送されたもので、もしかしたら少し違うかもしれませんが、だいたいこのような感じの問題でした。ところで、この答えは(1)です。どれも同じ意味を示すことわざですが、相手が目上であることから(1)の「弘法にも筆の誤り」を使うのです。昔は、ことわざに( )がついていて、その中に適切な言葉を入れてことわざを完成させる問題が多かったようですが、今はその使い方を問題にする学校が増えているそうです。ことわざにしても四字熟語にしても、普段から見たり聞いたりして実際に使っていないと使い方はわかりませんね。
<<えa/1730み>> そこで、この学級新聞を読んでいらっしゃるご父兄の方々に一つお願いがあります。毎日の生活の中で、ことわざや四字熟語など、いろいろな表現を入れながら会話をしていただきたいのです。難しいという声が聞こえてきそうですが、いたって簡単です。例えば、お友達と喧嘩をして帰って来た時「喧嘩両成敗って言うでしょ。」、勝手なことばかりしていたら「まったく、親の心子知らずとはこのことよね。」などと、会話の中に使って表現するだけでよいのです。子供は聞いていないようでも意外と聞いているものです。頭の片隅に、言われた言葉が残るのです。何度も聞かされているうちに、自然と言葉そのものだけではなく、使い方も身につくと思うのです。
<<えa/1713み>> 言葉は生きています。生きている言葉を生きたまま伝えることが、心豊かな人間に育つ秘訣なのではないかと思います。
■■読書について(ほたる/ほた先生)
<<え2004/799み>>
私の家の周りでは、すっかり稲刈りが終わりました。私はここの地元の人間ではないのでわが家の田んぼはありませんが、私の実家では祖母の家で、やはりお米を作っていました。子供のころ、親せきが集まってする田植えや稲刈りは、とても重要なイベントだったのです。ヒルに吸い付かれながら、泥だらけで田植えも手伝いましたし、稲刈りの合間には,今はもういない祖父が、縄と板きれでブランコを作ってくれたこともありました。夜は、農作業の汚れをお風呂ですっかり洗い流してから、皆で夕食です。酔っぱらったおじさんたちのくだらない話が延々と続いて、子供達は付き合いきれずに寝てしまいます……。
<<え1454み>>
【読書について−(ようやく)完結編/「心の成長のために」】
わが家の娘の例で言うと、きっかけはクラス替えで、仲良しのお友だちと離れてしまったことだったようです。そのあと、しばらくいろいろな友達とかかわっていたようですが、どうもいまひとつしっくりこなかったらしく、一時期孤独な時期がありました。その頃、次第に本を読むようになっていったようです。
1冊を読み終えることができた本が増えるにつれ、私に「これはおもしろかった」などと言うこともありました。しだいに、「自分の好み」というのもわかってきたようです。気に入った作家の本を続けて読んでみたり、友達がすすめた本も読んでみるようになりました。
それを見ていて、私は思ったものです。「もしも、テレビもゲームもなくて、友達もいなくて、家でも退屈な状況になれば、子供は本を読むんだろうなあ!」……まさに、昔はそうでした。私たちが子供のころ、テレビ番組も今ほどたくさんなく、ゲームはない、ビデオはない、親も忙しくてそれほど遊んでくれない、だから今よりはみんな本を読んでいたんだろうなあ。
でも、今、また昔の状況に戻るなんてことは不可能です。たまには、「テレビもゲームも一切なし!」という、勇気ある教育法を実践しておられる方もいますが、これはこれで、別の面で苦労がありそう。
まずは、何からでもいいです。きっかけになるなら、「ゾロリ」でも「乱太郎」でもいいんです。まずは、最後まで自力で読み遂げられる本を読むようにすすめましょう。いくら面白くても、いきなり「ハリーポッター」では、なかなか最後までたどりつけません。とぎれとぎれに少しずつ読んでも、ストーリーがつながらないし、面白くありません。
また、本を読む力には個人差がありますから、「○年生なのに、ちょっとそれはやさしすぎない?」と心の中では思っても、お子さんが喜んで読んでいるなら、黙って見守りましょう。読む力がついて、慣れてくれば、自分で簡単なものは物足りなくなってきます。
それから、放っておくと子供はゲームやマンガに手を出しますから、それらを禁じるのではなく、「本を○分読んだら、ゲームしていいよ(同じ時間だけ、ゲームやマンガを許す)」などと、交換条件を付けるのもいいかもしれません。まだ低学年のころでしたら、1ページずつ、親子で交代で読み聞かせるのもいいかもしれません。また、長い話を読むのが苦手なお子さんには、短編集もいいと思います。たとえ途中で面白くない、と思っても、斜め読みでもいいから最後まで読むのがコツです。最後まで行かずに終わる本が増えると、読み通す癖がつかなくなりますし、ストーリーの盛り上がりに行く前に投げ出すと、面白さもよくわかりません。
それでも、「本好き」への道はなかなか遠そうです。やはり、最後は子供の反応を見つつ、試行錯誤ということになるのですが、中学生、高校生になると、実生活がとても忙しくなってきて、なかなかじっくりと本を読む時間もとれなくなってきます。できれば、まだ時間のある小学生のうち、そして思考力、読解力の基礎ができる小学生のうちに、「本が読める子」になっておくといいですね。そして、「本が読めると、楽しいよ!」ということを、多くのお子さんに気づいてもらえたらいいな、と思っています。
★ご飯を食べていれば、体は成長します。運動すれば、体は鍛えられるでしょう。ですが、そのままでは、心は幼いままです。ぐんぐん体が成長するこの時期に、心にも同じように栄養を与えて、鍛えてやりましょう。そして将来、やってくる困難に立ち向かえる力を身につけましょう。そのためにこそ、読書が必要なのです。
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