言葉の森新聞2007年5月3週号 通算第983号
文責 中根克明(森川林)
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■■授業の渚で放送中
5月1週から、授業の渚で、それぞれの学年ごとの課題を説明しています。
事務局のメンバー(兼講師)5人で手作業で作っているために、アマチュアっぽい作りです。しかし、これからだんだん洗練されたものにしていく予定です。
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■■低学年の音読をどう進めるか
小学1年生のお母さんから、「子供が長文音読をしたがらない」というご相談がありました。
1年生のころは、生きていることが楽しい時期ですから、遊びでも勉強でもうまく誘導すればどんどん好きになります。子供が嫌がるとしたら、その原因は、勉強の時間が長すぎるということにあります。
そこで、次のように提案しました。
「小学1年生のころはまだ読む力がないので、最初から2ページも3ページも読ませようとすると、嫌になることがあります。長文を5行ぐらいずつに区切って線を入れ、一日の音読の量はその線のところまでということにしていくと楽にできます」
低学年の勉強で大事なことは、成果を上げることではありません。楽しく勉強する習慣をつけるということです。そのためには、簡単で短い分量を飽きずに毎日続けていくことです。そして、そのつど褒めてあげることです。
では、分量を増やすにはどうしたらいいでしょうか。大人のよくする間違いは、すぐに分量を増やしたり、すぐに先に進ませたりしようとすることです。学校の先生でも、教え方に自信のある人は、同じことをずっと続けます。その同じことというのは、基礎の練習です。分量を増やすときでも、少しスムーズに読めるようになったから、少し増やすというようなやり方をすると、子供は勉強嫌いになります。これは、がんばってやると罰を与えられるということを学習しているのと同じだからです。
子供はだれでも、楽にできるようになるまで力がついてくると、自分の意志で先に進もうとします。ですから、子供が自分から「もっと長く読める」というまで気長に待つというのがいちばんいい方法です。
しかし、時に、親の権限で量を増やしたり課題を難しくしたりする必要があるときも出てきます。そのときのやり方は、一挙に一段階難しくするという形で、断乎として実行させることです。そのためには、子供の実力をよく観察していなければなりません。がんばればできるはずだという見通しがついたら、「では、明日から1日1ページにするからね」と言って、その方針を貫くことです。そこでいったん決めたことを、子供の声で撤回すると、そのあとから親の権威がなくなり、その後決めたことを実行させることが難しくなります。
子供が小学校低学年のころは、親もいちばん大変な時期です。下に小さい子などがいればなおさらです。しかし、この大変な時期は数年で済みます。また、子供にとってはこの大切な時期は二度と繰り返すことができません。ぜひ明るく元気にがんばってください。
■■遊びの中から生まれるもの(しろ/しろ先生)
先生は小学校二年生と五年生に進級するとき、転校を経験しています。その中でも二年生から四年生の終りまで過ごした三年間は特に友達との思い出がたくさんあります。
その三年間を過ごしたのは、二十世帯あまりが暮らす小さなアパートでした。父親は県の職員という家庭が殆どで、母親は皆専業主婦。子供は幼稚園生か小学生。周りにいる友達は似た環境で育った子ばかりでした。そのためでしょうか。アパートに住んでいる子達みんながすぐに仲良しになり、五歳から十二、三歳くらいまでの子は毎日のように幼稚園や学校が終わると、アパートの駐車場に大集合して遊び始めました。ちょうどアパートの目の前が田んぼだったので、おたまじゃくしをつかまえに行ったり(先生はおたまじゃくしや蛙が苦手だったので、遠くで見ている派でしたが……)、わざと泥の沼のようなところに入ってみたり、大きな石を積み重ねてお城を作りその中に隠れたりと、もう毎日が冒険でした。田舎の学校で、みんな塾などには行っていなかったので、暗くなるまで何時間も遊ぶことができました。もちろん喧嘩をすることもありましたが、基本的にはみんな仲良しで、大家族で育った兄弟のようでした。
そのときはそれが当たり前だと思っていましたが、今振り返ると、非常に貴重でよい経験ができたと思います。学年も年齢も違う子達と毎日のように遊ぶことで、小さいうちは、お兄さんお姉さんの言うことを聞くこと、そして大きくなれば、小さい子達の面倒をみることを覚えていきました。大人数で遊ぶときには自分の意見ばかりを通さず、人の考えもちゃんと聞くことを学びました。やってもいい遊びと、本当に危険でやってはいけない遊びとの違いが分かりました。
言葉の森の長文にも、遊びの中からの学ぶことについて書かれたものがありますが、まさに遊びを通して人間は成長するのだと実感しています。
みなさんは普段、誰とどんな遊びをしていますか。今は気付かないかもしれませんが、みなさんが大きくなったとき、遊びの中から学んだことがたくさんあったと、分かるはずです。子供のうちにしかできないこと、それはとにかくたくさん遊ぶことです。みなさんが日々の遊びで成長していくことを先生も楽しみにしていますよ。
<<え2005/31jみ>>
■■大切なもの、かけがえのないもの(ほたる/ほた先生)
この春、私は少し体調を崩し、春休みには旅行もできず、家で静かに過ごさなくてはなりませんでした。これまで、20年くらいインフルエンザにもかかったことがなく、熱もほとんど出したことがなかったので、私にとってもこれはショックなことでした。何かしたいのに、それができないなんてことが、自分に起こるとは思ってもみなかったのです。
そしていざそうなってみると、月並みな言い方ですが、本当に日頃の健康のありがたさが身に染みました。そして、心配してくれ、あれこれと手伝ってくれる家族のありがたさも、とてもよくわかりました。
そんなある日、テレビ番組で、2004年のアテネオリンピックで41歳にして銀メダルに輝いた、アーチェリーの山本博さんが話しているのを聞きました。
山本さんは1984年に、大学生の時、初出場したロサンゼルスオリンピックで、いきなり銅メダルを獲得します。その後、高校の体育の先生をしながら、4大会連続でオリンピックに出場しますが、メダルには届きませんでした。そして、2000年のシドニーオリンピックはまさかの落選。出場さえできないという挫折を経験します。
その時、支えてくれたのが、やはり家族だったそうです。その時から、考え方ががらりと変わった、と話していました。「それまでは、試合と子どもの運動会が重なったら、まよわず試合に出掛けた。でも、それからは、運動会の方をとるようになった。」
そうしたら、不思議なことに、かえって練習も楽しくなり、やる気が出てきたそうです。そして、「家族のためにメダルが欲しい。」そう思って臨んだアテネオリンピックで、堂々の銀メダルを手にしたのでした。
山本さんのホームページのとびらには、こんな言葉が掲げてあります。
「20年かけて銅から銀へとなりました。これから20年かけて金を目指します。 世界一あきらめの悪い男ですから・・・」
20年。こう一言で言っても、その間にはとてもいろいろなことがあるでしょう。体の具合が悪いときも、物事がうまくいかなくて落ち込むことも、人から非難されることも。特に、まだ10年そこそこしか生きていないみなさんには、気が遠くなるくらい、長い時間に思えることでしょう。でも、こんなに時間をかけても、あきらめなければ、できることがあるんだな。そしてそれを支え続けてくれる人が、身近にいるんだな。
そう思って、何だか勇気をもらった気がしたのです。
<<え217み>>
■■家族の対話(ごだい/ひら先生)
<<えa/735み>>
「ピーカタカタカタ・・・」
3月も終わり頃、昨年春まで住んでいた鹿児島の友人からFAXが届きました。この4月で4年生になる娘さんが妹さんのことを作文に書いたから、ぜひ読んでみてねと連絡が来たのです。でも、別に私が作文の仕事をしているから添削してということではありません(笑)。まずは、読んでみて下さい。
<<え39み>>「私の弟妹」
私には1つ違いの弟と4つ違いの妹がいます。妹が生まれたのは鹿児島の市立病院でした。私が幼稚園に入園して初めての夏休みの途中からお母さんがおなかの赤ちゃんを大きくするために入院してしまいました。
最初は大好きなおばあちゃんが私と弟の世話をしてくれたので、あまり寂しくはありませんでした。でも入院が長くなると1週間に1回あえても寂しくて、早く帰ってきて欲しいと思いました。赤ちゃんはお母さんのおなかの中にいるときから、おなかの手術をすることがわかっていたので、お父さんとお母さんは生まれたばかりの赤ちゃんを姿を私と弟に見せたくて、幼稚園の遠足を休んで病院に行きました。
生まれた赤ちゃんは女の子で四角い透明なケースに入れられていて、少ししか見られませんでした。看護師さんが、お父さんと赤ちゃんを一緒に連れて行ったので私はどこに連れて行くのかなと思いました。次の日手術をしました。私は大丈夫かなと心配しました。お父さんから「無事に手術は終わったよ」と電話が来てほっとしてよかったなと思いました。お母さんが先に退院して帰ってきました。それから赤ちゃんの名前を考えました。お父さんが「この名前はどう?」と聞いた中で私の気に入った名前が「あかりちゃん」でした。そして、妹は私が選んだ「あかり」と言う名前に決まりました。私が選んだ名前がついたのでとてもうれしかったです。あかりは生まれて50日位してから、退院して帰ってきました。やっとほっぺたをさわったり、話しかけたり、お世話が出来ると思ってうれしかったです。その時にお父さんとお母さんから、あかりはダウン症という病気で体が弱かったり、私達が簡単にできることも少し時間がかかるかもしれないけれど、みんなで助けてあげようねと話してくれました。私は自分の妹が治らない病気だと知ってびっくりしました。あかりは1才になるまでほとんど入院していました。ずっとあかりと一緒にあそんだりできなかったから寂しかったです。
あかりは1才をすぎてから不思議なくらい元気になって、毎日一緒に暮らせることがうれしかったです。少しずついろいろなことができるようになって、私もあかりと一緒にいろいろなことができるようになって楽しかったです。今は私が行っていた幼稚園へ行っています。あかりが話す言葉は他の人にはわかりにくいそうだけれど、私と弟は特に幼稚園の様子がわかるので、だいたい言っていることがわかります。私達のまねをしたり、歌が大好きで幼稚園の歌を一緒に歌ったりして、明るくて楽しい妹です。私の学校のクラスに来ても、おもしろいことをするので人気者です。みんなを明るい気持ちにしてくれるし、やさしい気持ちも持っています。私が落ち込んだ時や、悲しいことがあったとき、私が何も言わなくても「ねえちゃん、だいじょうぶ?」と頭をなでてくれたり「だいすき〜」と言ってだきしめてくれます。私はどうしてこんなに優しいのだろうと思います。そして、私の心が和んで元気をもらいます。家族みんなはあかりを助けてあげようといっていたけれど、今はあかりにたすけてもらっているような気がします。最近はケンカもたくさんするけどそんな妹が私は大好きです。
<<え2005/79み>>
これを読み終わった瞬間「親子で対話するとはこういう家族のことを言うのだなあ」と感じました。実際にお母さんであるTさん家族と車中ご一緒したとき、お子さんの質問に「お母さんはこう思うなあ、けどおねえちゃんはどう思う?」と丁寧に易しい言葉で語りかけている場面に出会ったことがあります。その対応にびっくりして、
「すごいなあ、いつもこうやってきちんと丁寧に話をしているのだね。」
とTさんの顔を見ると、
「うん、あかり(当時3才)にもわかるように、ゆっくり、順を追って、姉ちゃん達にも話すようにしているんだ。」
と穏やかに答えられたのが思い出されました。
小学校4年生のあかりちゃんのお姉ちゃんがここまでしっかりした内容を書けるのは、お母さんをはじめご両親の語りかけ、対話があったからだと思います。もし、両親からきちんとした説明を受けていなかったり、対話がなければ、お姉ちゃんはこの文章を書けていなかったはずです。「公園に行くとみんなが怖がる」「人に見られるのがいやだ」というのは同じようにダウン症の幼稚園児を持つ知人の弁です。ダウン症ということで、特徴を理解されず奇異なものを見るような目を向けられることも実際あったと思われます。その中で、Tさんのお姉ちゃん達にはさまざまな疑問がわき、さまざまな対話がTさんの家族では交わされたことでしょう。確かに、Tさんは「(ダウン症の)あかりが家族をより強くつないでくれた」とも言われていて、病気を持つが故の結束が対話を深めている部分もあると思います。しかし、たとえ健常に暮らしていても日々子どもを取り巻く環境には様々な問題や疑問があり、また人として生きていくためにも家族に限らず、世の中は対話するべき内容に溢れているはずです。
この作文には技巧的に表現の工夫があったらもっと相手に伝わりやすくなると思うところもあります。ですが、ここにはそれをおいてもあまりあるあたたかいやり取りのある家族の姿が透けて見え、どうか皆さんにも家族の対話の素晴らしさが伝わるよう学級新聞に取り上げさせていただきました。
<<え2005/78み>>
■■メモをとろう!(たんぽぽ/たま先生)
<<え6261み>>
以前、何かの番組で、料理番組のVTRを見ながらメモをとり、あとでそのメモを使って実際に料理を作ってみようという実験をしていました。2人がペアになり、メモをとる人と作る人に分かれます。料理名は秘密です。作る人にとってはメモだけがたよりですから、メモをとる人は真剣です。VTRが流れると、みんな一斉に手を動かし、ひたすらメモに向かっています。たった30秒ほどの説明はあっという間に終わり、文句を言う人、呆然としている人、既に諦めた人など(笑)、反応はさまざまでしたが、「こんなに短い時間でメモをとることは無理」と答えた人がほとんどでした。
その後、メモを見せられたパートナーも、断片的な情報と字の汚さに頭を抱える始末。実際とは違う料理が出来上がったり、全く料理にならなかったりと、結果はさんざんなものでした。しかし1組だけ、VTRどおりにきちんと料理を作ったペアがいました。なぜこれほどの差が出たのでしょう? そこでそのペアが使ったメモと、ほかのペアが使ったメモを比べてみることになりました。
料理ができなかった人のメモは、必要な情報をキャッチしようとして、たしかにたくさんの文字が書かれています。だから当然字は汚く、説明も途中で終わっているところが目立ちます。しかし料理ができた人のメモは、意外とシンプル。材料のあとに、(1)切る、(2)湯通し、(3)油で炒める、(4)塩コショウ……など、箇条書きで、作り方を淡々と書いているだけでした。字数が少ないですから、字もきれいでよみやすく、だれでもひととおり読むだけでどんな料理なのかがよくわかります。メモを作るときに大切なことは、「よく見て(聞いて)書く」ことであり、ただやみくもに文字を書くことではないようです。必要な情報とそうでないものを瞬時に選択し、整理して書く。たったこれだけのことなのですね。でも「そうは言っても、なかなかできない」という声が聞こえてきそうです。そう、メモを書くためには、練習が必要なのです。(料理番組を見ながらメモをとる練習をするとかなり効果があるようですから、やってみたい人は試してみてください。)
おいしい料理を作るためには、メモが大切だということがわかりましたか? 実は作文も同じです。「料理を作ること」=「作文を書くこと」と思えば、頭の中で考えるよりもメモがあったほうがわかりやすく、上手に書けそうな気がしてきませんか? 電話指導の際、みなさんには「メモをとろう」とお話ししています。メモは、忘れてしまったことを後で思い出すのに便利なものです。作文に書いてほしいところは繰り返し、なるべくゆっくり話すようにしているので(低学年の人には「この通り書いてね」とお話ししています)、話を「よく聞いて」、ぜひメモをとって活用してくださいね。
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