言葉の森新聞2007年6月3週号 通算第987号
文責 中根克明(森川林)

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■■メールアドレスが一時消えていたので復活しました
 ペンネームやパスワードを変更する際に、メールアドレスが消えてしまうというバグがありました。
 下記の130人ほどの生徒が該当しています。この数週間メールが届かない状態だったと思います。
 メールアドレスは、6月5日に復旧しました。
 このほかに、山のたよりなどのメールが届かなくなったという生徒のみなさんがいらっしゃいましたらご連絡ください。

いここ、いずみ、うとさ、えみと、おうう、おうる、おえぬ、おおた、おきこ、おきま、おけか、おけた、おけろ、おさう、おしけ、おすし、おすて、おすね、おせう、おたち、おつう、おてち、おとあ、おとき、おとさ、おとそ、おなえ、おなわ、おにき、おにゆ、おぬな、おぬは、おねて、おねほ、おねま、おのい、おのき、おのね、おのへ、おのむ、おはく、おはな、おはり、おひけ、おひし、おひせ、おひら、おへあ、おへと、おへは、おへめ、おほほ、おほよ、おまう、おます、おまた、おまは、おまへ、おまほ、おみし、おみち、おみな、おみぬ、おみゆ、おむし、おむみ、おめね、おめみ、おもく、おもせ、おもち、おやい、おやて、おやぬ、おゆい、おゆに、およと、おらえ、おらお、おらか、おらに、おらの、おらは、おりい、おりお、おりめ、おりる、おるせ、おるみ、おれは、おれゆ、おれよ、おれわ、おろけ、おろの、おわね、おわの、かあい、かあぬ、かあり、かうせ、かえや、かおわ、かかい、かかこ、かかや、かかゆ、かきそ、かさり、かたち、かめさ、かやあ、かやな、きみえ、くみこ、けんじ、けんと、ころん、こんひ、さひめ、すずね、たいち、つきみ、のぞみ、のなな、はるり、みさき、みずき、みみほ、みやた、むさし、ゆかり、よしひ(生徒コード五十音順)


■■文の長さ
 読みやすい文章を書く人の文の長さの平均は40−45字です。
 文の長さの平均が短い人は、文章を書くときにあまり深く考えていません。ですから、小学生の文章では、文の長さの平均が自然に短くなります。もちろん、これがよくないというのではありません。生活作文などの事実中心の文章では、文の長さは自然に短くなるからです。
 哲学者の書く文章などでは、文の長さの平均が60字前後になることがあります。密度の濃さを感じさせる文章ですが、読みやすいとは言えません。また、長い文を書く人は、よく考えて書いているとは言えますが、その分、文章を書くスピードが低下します。
 文の長さの平均以外に、長さのばらつきも読みやすさの重要な要素です。同じような長さの続く文章は単調な印象を与えます。しかし逆に、あまりに長い文と短い文が混在している文章は、読みにくさを感じさせます。
 長い文と短い文が適度に混在していて、平均が40−45字の文章が、長さという点で言えば読みやすい文章ということになります。
 しかし、文章を書いているときに、いちいち字数を数える人はいません。どうしたら適度な長さの読みやすい文章を書けるかというと、それは、頭の中にあるこれまでに読んだ適度な長さの文章のリズムを思い出すことによってです。そのためには、そういう文章を読む必要があります。
 夏休みの読書感想文の図書を探すために、しばらく前に、いろいろな本を読みました。主に、最近出版された小学校高学年向けの物語です。どれも、子供たちが興味を持って読み進められるような優れた内容の本でしたが、一つ一つの文が短いことと、文体がわざとざっくばらんに書いてある本の多いことが気になりました。その一方で、芥川龍之介の「杜子春」などを読むと、使われている語彙は古いものの、文体のリズムはやはり洗練されています。子供向けの文章を選ぶ際には、この文体も重要な要素になってくると思いました。

 <<えa/2650み>>


■■青春とは──(まあこ/ゆた先生)
<<えa/360み>>ゆた組みのみなさん、こんにちは。 学級新聞・青春とは──号です。

 先日、角川文庫を読んでいたら、“〔青春とは〕いきなりホームランに憧れるものである”と書かれたしおりが折り込まれていました。ほほぅ、うまいこと言うナァ……。

 たとえば、野球をテレビでは見たことがあるけれど、やったことがない、としましょう。かっこいいなぁ、やってみたいなぁ、と思っていたとしたら、初めてバッターボックスに立ったときには、ホームランをイメージしてきっと大振りすると思います。王貞治か松井秀喜かってなもんで、カッキーン! と……
 なんと、ジャストミートの大ホームラン!! となるも良し。見事一回転、ドスーンとしりもちの豪快な空振りをするも良し。とにかく、かっこいーいのをイメージして思いっきりいけるのが青春の素晴らしさです。

 私が子供の頃、バレエの漫画が流行っていました。先生は一度も習ったことはありませんが、いつでも白鳥の湖を踊る心構えはできていました。実際は、もちろん踊れませんよ。あくまでもイメージです。♪ターン、タラララ ターン・タ・ターン・タ・ターン・タ タリラリラ〜♪ と歌いながら、勝手につま先立ちしてバレリーナになりきっていました。

 私は、ずっとピアノを習っていましたが、こちらはバレエのようにはいきません。基礎から始めているので、「いきなりチャイコフスキーは弾けない」ということを知っていたのです。ですから、地道に地道に練習していました。そんな一面もあったわけですが、またそれもクラシックに限定されていて、シンガーソングライターにはいつでもなれると、なぜか思っていました。ジャカジャカ弾いて歌ってた……中島みゆき を(^^;)……

 青春というからには、大人とは違うわけです。大人になるとどうなのかというと、この前TOKIOの国文太一さんが、NHKのトーク番組でこんなことを言っていました。「目の前のことを一つ一つやっていく」。若いときはデビューすることが目標だったそうです。かっこいい先輩達にあこがれて、早くアイドルになりたかったのでしょう。しかし、今は「目標というよりは、目の前にあることを一つ一つやっていけば、その先に何かがあるのかもしれない」と語っていました。単なる憧れだけのアイドルではない、立派な社会人だと感じました。
 実際に社会人は「目の前のことを一つ一つこなしていく」、これに尽きます。大人の期間は何十年と長い。ときにはチャレンジもあるけれど、憧れだけでは突き進めません。コツコツと目の前のことをこなして大きな人生を成しとげていくのです。もしかしたらそのとき、あなたは若者から憧れられる存在になっているかもしれません。

 たしかに、地道に粘るところは粘るべきです。勉強にしろ、特技にしろ、若いうちに基礎は固めておかなくてはいけません。しかし、それとは別に、かっこいい大人になるためにも、青春時代までは、大いにかっこいーいことに憧れてほしいと思います。そう、初めてのバッターボックスでもホームランをイメージできるような。
 実際はかっこ悪くてもいいんです。それが許され、それが楽しい時代だからです。


             <<えa/393み>>


■■舞台と読書、それぞれの良さ(ひまわり/すぎ先生)
 先日、友人の誘いで、今までほとんど興味を持たなかった舞台を鑑賞する機会がありました。フランス革命を題材にした『マリー・アントワネット』というミュージカルです。
<<え1938み>> マリー・アントワネットというと、フランス王妃として贅沢三昧の生活を送り、苦しい生活の中から税金をしぼりとられる国民のことなど、まるで考えなかったというイメージがあります。その時代、貧しい国民にとって、国王や王妃は自分たちを苦しめる象徴的存在でした。劇の中では、王妃を憎む貧民の少女が、革命を推し進める力となってゆくさまを描いています。宮殿の舞踏会に紛れ込んだ少女に、「パンがなければケーキを召し上がれ。」と、王妃が笑いながら言葉をかける場面は、はなはだしい階級の格差をうまく表しています。(実際にマリー・アントワネットがそう言ったという記録はないそうですが。)
<<えa/2456み>> しかし一方で彼女は、外国から夫の顔も知らずに嫁がされ、ほとんど自由のない宮廷での生活を強いられたという面もあります。生活のすべてを監視され、跡継ぎを生まなくてはならないプレッシャーに耐え、楽しみと言えば貴族たちとの舞踏会ぐらい。貧民の少女が苦しい生活を強いられたと同様に、王妃もまた時代の犠牲者だったのかもしれません。ミュージカルでは、一部の特権階級と貧民の生活を交互に描き出し、革命が必然的に起きたということをよく表現しています。

 最初から最後まで、出演者のすばらしい歌声に聞きほれ、特に、国王ルイ16世の歌う『もしも鍛冶屋なら』という歌は、涙で俳優さんの姿がかすんでしまうほどでした。善良で心から家族を愛したルイ16世ですが、政治家としての能力はなく、彼は国王として生まれたがために大切な家族を守ることができなかったのです。「不甲斐ない王ではなく、叶うことなら鍛冶屋になりたい。そうすれば愛する家族をこの手で守れたのに。」という歌詞です。
 この時代にあっても、貧民の少女と王妃は、どちらも人間らしい心を忘れることなく、物語の中では、しだいにお互いを理解するようになります。しかし動き出した革命の流れは止まることはありません。王妃が処刑される最後の場面でも、ハンカチを目に当てっぱなしでした。私の周りには、そんなに号泣している人はいなかったようですが(笑)。
<<え1678み>> このミュージカルの原作は、『王妃マリー・アントワネット(遠藤周作著)』というたいへん面白い本です。もちろん、ミュージカルのすばらしさは言うまでもありませんが、舞台の制約でストーリーとして描ききれない部分もたくさんあります。原作では、さらに登場人物の内面を深く描き出しており、舞台と本、それぞれ甲乙つけがたい良さがあります。
 ただ、ミュージカルのチケットはたいへん高額なのに対して、文庫本は上・下巻合わせて千円程度で、何度でもくり返し読めます。しかも、私は友人に借りて読んだので、タダでした(笑)。その点では、本のほうに軍配が上がるかもしれません。舞台を観に行くのは、なかなかたいへんなので、安く手軽にできる読書を、みなさんも大いに楽しんでくださいね。


■■作文を書く前に(たんたん/はらこ先生)
 みなさんが毎週1回作文を書くのと同じように、先生も毎月1回作文を書きます。それが、この学級新聞です。先生は「どんなことを書こうかな」と考えているときがとても好きです。だから、そんな楽しみの時間を1日の終わりにとっておいて、夜ねる前にベッドの中で目を閉じながらアイデアをねります。
 1日目は、たいていそのまま寝てしまいます。ZZZ・・・(+_+)。2日目は、先生の必殺アイテムであるメモ帳を取り出します。メモ帳といっても頭の中のメモ帳です。このメモ帳は2枚あって、1枚目には絶対に書きたいこと、2枚目には思いついたこまかいことをメモしておきます。つまり、言葉の森の課題フォルダにたとえると、1枚目が「構成:中心を決める」、2枚目が「たとえ、思ったこと、体験実例」などとなるわけです。
 みなさんは、先生との電話が終わった後、どのように作文を書き始めますか? 思いつくままに書くと、「あのことを書き忘れた」とか「たとえを入れ忘れた」などと忘れ物が多くなってしまうかもしれませんね。そんなときは、先生の必殺アイテムをおすそわけします。頭の中のメモ帳でもいいですし、本物の紙のメモ帳でもいいです。すこしメモしてから書き始めてみてください。きっと自然な流れの文章が書けると思いますよ。
                     <<絵1402実>>
 それともう1つ、作文を書く前のワンポイントアドバイス。作文を「書く人」は、作文を「読む人」の気もちになって書くとよいです。自分にはわかっていることでも、読む人は知らないことがあります。
 「きょう、ジョンとさんぽにいきました。」
 この文を読んだとき、「ジョンってだれ?」と思いませんか。犬?ネコ?外国の人?頭の中がモヤットしてしまいます。
 「きょう、犬のジョンとさんぽにいきました。」
 こう書き直すだけで、スッキリしますね。
 「きょう、しば犬のジョンとさんぽにいきました。」
 こう書けば、2番目の文よりたった2字増えただけなのに、読む人は犬の種類まで知ることができます。読み手のことを考えて、ほんの少し工夫するだけで、文がわかりやすく変身する・・・。これが作文のおもしろいところでもあり、むずかしいところでもあると思います。
                     <<絵1405実>>
 先生はみなさんの作文が届くのを楽しみにしています。作文を読んでいると、「ここが書きにくかったかな」とか「感そう文はあまり好きではないかな」などと、1人1人が作文を書いているときの姿がイメージできます。
 作文は、みなさんの努力がギッシリつまった宝物です。本当は直接手わたしで作文をお返ししたいなぁ、先生の手が何百キロもビヨーンとのびたらいいのになぁと、いつも思っています。(本当にのびたら気もちわるいけど・・・)。自分では気づいていないかもしれませんが、みなさんの作文は着実にパワーアップしています。先生もまけないように、もう1つの必殺アイテムである赤ペンをにぎりしめて、作文の勉強のお手伝いをしていきます。書く人も読む人も、みんなも先生も、おたがいにがんばりましょう。


■■たとえ表現(こま/ににふ先生)
 みなさんの周りでは、今、なんの花が咲いていますか? ここ札幌では、五月になってからやっとサクラが咲いて、それと同時にウメやチューリップなどいろんな花がいっせいに開き始めました。
 このサクラですが、本州のものと北海道のものとは少しちがいます。こちらのは花が少し少なめで、ピンクの色が濃く、なによりむらさきがかった葉っぱがたくさん出ています。それを見るたび、私は「ああ、さくらもちのようだな」と思います。まさに『花より団子』といったところで、私はお団子がとても好きなのですが、ことサクラに関しては、見なれた本州のソメイヨシノのほうがしっくりきます。
 ところで、「さくらもちのよう」というのは、たとえですね。最近、私が読んだお話に、このような表現がありました。
 ・・・東の空はもうやさしいききょうの花びらのようにあやしい底光りをはじめました。・・・
 これは、宮沢賢治の書いた『いちょうの実』というお話の一部です。宮沢賢治という人は岩手県で農業をやりながら、詩や童話を書いた人です。賢治の文章は、岩手の自然そのままに、美しく、とても清らかな感じがします。
『いちょうの実』は、冬のはじめの寒い朝、いちょうの実たちがいっせいに旅立っていくお話です。夜の明ける直前のようすが先ほどの部分で、やがてだんだん朝になっていきます。
 ・・・東の空のききょうの花びらはもういつかしぼんだように力なくなり、朝の白光りがあらわれはじめました。・・・
 そしてさらに時間がたちます。
 ・・・東の空が白くもえ、ユラリユラリとゆれはじめました。・・・
 ・・・とつぜん光のたばが黄金(きん)の矢のように一度に飛んできました。・・・
 こうして、朝日があらわれて、ついにいちょうの実たちの旅立ちの時です。
 ・・・北から氷のようにつめたいすきとおった風がゴーッとふいてきました。・・・
 とうとういちょうの実たちは飛んでいき、おかあさんのいちょうの木は、ひとり残されます。最後に、
 ・・・お日さまはもえる宝石のように東の空にかかり、あらんかぎりのかがやきを悲しむ母親の木と旅にでた子どもらとに投げておやりなさいました。・・・
 これでおしまいです。どうでしょうか。きれいなたとえの表現が、本当にたくさん出てきていますね。空や光にまるでいのちがあるかのようです。すぐれたたとえの表現は、ものにいのちをふきこむこともできるのです。 みなさんも、自分らしいたとえを考えてみてください。たとえには、そのひとの性格が出るものだと思います。賢治には賢治らしいきりりと美しいたとえ、私は「さくらもち」。さて、みなさんは……。

<<え2004/656み>>


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