言葉の森新聞2007年9月4週号 通算第1000号
文責 中根克明(森川林)

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■■9月24日(月)は、休み宿題
 9月24日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php


■■9月29日(土)は休み
 9月29日(土)は第5週で休みです。宿題もありません。

■■新学期の教材を発送します
 新学期の教材を9月20日(木)に発送する予定です。
 国内の生徒で27日になっても届かない場合はご連絡ください。
★項目・住所シールは
10月1週の山のたよりと
一緒に送ります。
9月末に発送予定です。★


■■9月の作文送信及び読解マラソンの記録は28日までに
 9月29日(土)から、ホームページのデータが一斉に入れ替わります。インターネットを利用して作文を送っている方は、9月の課題を9月28日(金)までに「作文の丘」から送信してください。それ以降は正しく送信できなくなる可能性があります。

■■9.4週は清書
★作文用紙の題名名前の欄の下3分の1には、先生がバーコードシールをはりますので、何も書かないようにしてください。★

 毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)
 清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(字数を増やす、表現を更に工夫するなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
 清書はできるだけペンで書いてください。ボールペンが滑って書きにくい場合は、サインペンなどで書いてください。低学年でペン書きが難しい場合は鉛筆書きでもかまいませんが、できるだけ筆圧が同じになるように書いてください。(一つの原稿で濃い部分と薄い部分があるときれいに読み取れないことがあります)
 低学年で、文章を書き写す形の清書が難しい場合は、直接新しい作文を清書として書いてもかまいません。
 絵を作文用紙の裏に描く場合は、表に作文を書かないでください。(つまり用紙は1枚の裏表を同時に使わないようにしてください)
 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
 清書の作文は返却しません。ホームページの「生徒の里」で見ることができます。小2までの全員の作品及び小3以上の入選作品は、プリントされます。
 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。(ただし、新聞社に投稿しない場合は、長いままでも構いません。)
 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。
 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
 104−8433
東京都中央区築地3−5−4
朝日小学生新聞
「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
 100−8051
東京都千代田区一ツ橋1−1
毎日小学生新聞
さくひん係 御中


■■知能を高める教育(その6)
 「知能を高める教育」について、メールをいただきました。そのメールに、頭のよさとはそもそも何か、頭のよいことは幸福なことなのか、という問題提起が書かれていました。そこで、今回は、この二つを中心に。

 まず、頭のよさとは、そもそも何かということです。
 私は、勉強ができること、又は成績がいいことが、頭のいいことではないという意味で、「頭のよさ」を考えています。というのは、成績と頭のよさの間には、確かに相関がありますが、微妙に異なる面があるからです。その異なるところというのは、成績が、がんばって勉強をすればよくなるという二次元的なものであるのに対して、頭のよさは三次元的なものであるということです。
 昔、松下幸之助さんが、コンピュータのことを部下に聞きました。部下が長時間難しい説明をしたあと、幸之助さんは、「それで、それは儲かるのか」と聞いたそうです。二次元的に頭がよくコンピュータの説明をする部下と、それを利益という観点からとらえようとする三次元的な経営者という構図が浮かび上がります。
 「牛をつないだ椿の木」という長文が小学3年生の課題に載っています。井戸を掘ることばかりを考えている海蔵さんは、井戸を掘らせてくれない地主のおじいさんの病気と自分の井戸掘りの計画を平面的に考えます。地主のおじいさんの息子の代になれば、井戸掘りができることがわかっている海蔵さんに対して、海蔵さんの年老いた母は言います。「おまえは、悪い心になっただな」。海蔵さんの頭のよさは二次元的ですが、母親の頭のよさは三次元的です。
 子供の成績をよくしたいと思わない親はいません。しかし、子供の成績をよくするために、かえって頭を悪くするような子育てをしていることもあるのです。例えば、計算問題の反復や漢字書き取りの反復という勉強法があります。これらの勉強法は、学習の土台を作るためには大切ですが、やりすぎれば頭を悪くします。辞書や計算機は、人間の記憶力や計算力よりも優れた能力を持っていますが、だれも、辞書や電卓を「頭がいい」とは言いません。今、世の中で成績がよいと思われている人の中には、辞書や計算機を高度にしたような意味で成績がよいという人も多いのです。
 計算練習や漢字書き取りやいろいろな知識の記憶などは、抽象度の低い勉強ですから、やればやるだけ成果が上がります。速読練習なども同じです。やればやるだけ速く読めるようになります。しかし、言葉の森の名言集にあるように、「最も速い速読の秘訣は、不要なものは、読まないということである」という方法にはかないません。読むべき本を判断するというのは、速読のスピードを上げるよりも抽象度の高い方法だからです。
 海蔵さんは、井戸掘りを目的として考えていました。母親は、何のための井戸掘りかという、井戸掘りよりも抽象的な目的を考えることができました。海蔵さんは成績のいい人で、母親は頭のいい人です。しかし、頭のよさは普段は隠れていて見えません。課題が高度になったとき、初めて頭のよさが二人の違いとして見えてくるのです。

 次に、頭のいいことは幸福かということです。
 そのためには、まず、成績のよさと頭のよさを区別して考える必要があります。成績のよさと幸せとは、あまり関係ないだろうとだれでも思うと思います。身の回りを見れば、成績と幸福に関係がないと思われる例はたくさんあるからです。しかし、だからと言って、成績が悪ければ幸福かと言えば、もちろんそうではありません。要するに、成績のよさと幸福とは関係がないということです。
 では、頭のよいことは幸せかと言えば、それは間違いなく幸せです。試しに、来世で、全然悩み事のない犬や猫として生まれるか、苦労の多い人間として生まれるかという選択があったら、だれでも人間を選ぶと思います。それは、なぜかと言えば、人間は犬や猫よりも高い次元から物事を見ることができるからです。人間が犬や猫と違うところは、知的好奇心があることです。
 二宮金次郎が薪(たきぎ)を背負って歩きながら本を読んでいる像は、最近あまり見なくなりましたが、あの姿は、人間の学びたいという情熱を象徴的に表しています。二宮金次郎の像を見て感動できる人は、学ぶことの感動を知っている人だと思います。少し前、吉田松陰の若いころの日記を読みましたが、学問への純粋な情熱が感じられました。金次郎と松蔭の学問は、成績のためでも学歴のためでもありません。人間が生まれつき持っている、学ぶことへの欲求だったのです。(つづく)


■■読書(まよ/おれお先生)
 今回は、「読書の秋」にちなんだ話題です。「えー読書? もう耳にタコができてるよ」というみなさんの声が聞こえてきそうですが、ご安心あれ。今回は、どちらかと言えばお父さんやお母さん向けの内容ですよ。

<<え888み>>

『文章を読んで意味を理解することと、文章を書く際の推論の仕方の点で、生徒が立派な成績を収めるか否かは、まったく本人の語彙次第です。語彙を十分に増やす方法は、読書以外にありません。本当にそれしかありません』―ある高校教師。

 立派な成績は語彙の多さに、語彙の多さは読書の量に比例する。「それは分かっているんですが……どうしたら子供に本を読みたいと思わせることができるか、それが問題なんです」とおっしゃるでしょうか。
 三才までの読み聞かせが有効であることはよく知られています。しかし、作文教室の皆さんはそのほとんどが三才以上。ではもう間に合わないのでしょうか。そんなことはありません。今からでもできることを二つほどあげてみましょう。

(1)親自ら読書にいそしむ
 アメリカはニューズウイーク紙に、かつて「読書の上手な子どもの育て方」という記事が掲載されました。『もし親が、寝そべってテレビばかり見ているなら、子供もおそらくそうなるだろう。一方、もし子供が、楽しそうに本を読んでいる親の姿を目にするなら、親は読書の益について説くだけでなく、自分も読書を習慣にしているのだということを理解するだろう』。
 「好き嫌いは許しません。ピーマンも残しちゃダメよ。もちろん、お母さんはきらいだから食べないけど」。これでは説得力がありませんね。親が好まないものはおいしくないもの、面白くないもの。子供がそう思うのも当然です。読書についても同じことが言えるでしょう。

(2)楽しんで読書ができるよう環境を整備する
 時間的な環境を整備しなければなりません。テレビを見る時間を制限しましょう。子供は普通、読書よりテレビを優先するものです。制限しなければ、読書のための時間はまず残らないでしょう。
 次に物理的な環境の整備です。静かな時間と静かな部屋、そして良書のつまった本棚。これらがそろっていれば、子供が本を読みたくなる確率は高まります。
 最後に感情的な環境。無理強いしないことです。そもそも、いくら「読みなさい」といってもまず子供は読みません。ですから言うだけ無駄なのです。読むものと読むチャンスを与えたら、あとはじっと待ちましょう。

<<え888み>>

 読書の益は強調しても強調しきれないほど大きなものですが、注意をひとこと。

 極端に走らないようにしましょう。テレビを完全に排除する必要はありません。テレビで見た番組に触発され、原作を手に取る子供もいますし、関連分野を扱った本に興味を持つようになる子供もいるからです。また、読書に没頭するあまり、周囲から孤立してしまうような事態も好ましくないでしょう。

 要はバランスです。ただ、この点で子供に裁量権を与えてしまうなら、望みどおりの結果にはならないでしょう。手本を示し、環境を整備してやる。つまり、不言実行を合言葉にイニシアティブを取る。これがコツと言えるかもしれません。


■■阿弥陀寺(あみだじ)古道(わんわん/いかだ先生)
 同窓会の一泊旅行で箱根に行った。帰りは登山電車を乗り降りしながら、ブラブラと箱根峠をくだったが、雨上がりの山の緑はことのほか目にしみた。
 下り電車が終点に近い塔ノ沢に止まったとき、またフラリとホームに降りた。観光案内板にあった「阿弥陀寺」の文字に魅(ひ)かれて、進行方向左側の急斜面に挑む。登山電車の音を足元に聞きながら登る石段は、形も間隔(かんかく)もおそろしく不ぞろいで、まるで岩を渡って歩くようだ。崩れかかった参道が数百年の歴史を感じさせ、江戸時代までの箱根路に迷い込んだような錯覚(さっかく)をおぼえる。
 周囲の大木は頭上まで枝葉で埋めて、まだ正午前だというのに山中はうす暗い。古寺の参道だから苔(こけ)むした墓石も多く「ピピッ、ピーピー」と鳴く鳥の声までぶきみに聞こえる。ショルダーバッグの重さを肩に感じて進むうちに、大きな山門(さんもん)が現れた。石段ははるか先まで続いているので?中門?だろう。天井や柱に無数のお札が貼りつけられて、そうとう古い建物らしい。時計を見ると、塔ノ沢駅を離れてから15分がすぎていた。
 呼吸を整えてさらに登ると、正面に赤い胸当てをつけたかわいらしい地蔵群が並んでいる。石段はここから左折する。道ばたの標識には「阿弥陀寺まであと5分。塔ノ峰まで50分。右・箱根湯元まで20分」とある。立ちどまって一息つくと、耳の後ろを冷たい汗がスーッと落ちた。

 驚いたのは、駅から25分ほど登った時だ。突然、視界が明るくなって、右手に舗装(ほそう)道路が現れた。タイムスリップしたような箱根山中のふんいきは一変し、近くの駐車場には白い乗用車が止まっている。前を見ると、ここから先は足元の古道と、新しい舗装道路が並んで登っている。このまま石段を進むか、歩きやすい新道で先を急ぐか、いっとき迷う。そして出した結論は石段。ここで道を変えたら、これまで登ってきた苦労も、古道の風情(ふぜい)もかき消される気がしたからだ。
 やがて石の参道がやっと終わると、正面に屋根の緑青(ろくしょう)が美しい本堂があった。浄土宗(じょうどしゅう)阿弥陀寺。登山電車を降りてから、たっぷり30分がたっている。
 創建400年というお寺にお参りして帰ろうとすると、ポツリと雨が落ちてきた。カジュアルシューズとはいえ、皮底で荒れ果てた石の参道をおりるのは危ない。こんどは迷わず、滑り止めの横溝を刻んだ舗装参道を一気にくだる。「ベゴニア園」の前にある「阿弥陀寺・登り口」に出ると、看板に「寺まで15分」とあり、そばに自由に使える竹の杖(つえ)が用意されていた。
 「なーんだ」という気もしたが、やはり汗をふきふきデコボコ古道を登ってよかったと思う。箱根にはなんども行ったが、歴史を刻む古寺・阿弥陀寺は、私にとって初めての穴場だった。とくに、苔むした石の参道がいい。


   <<え598み>>


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