言葉の森新聞2008年8月3週号 通算第1043号
文責 中根克明(森川林)

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■■【重要】9.1週作文進級テスト。先取りも可(再掲)
 9.1週は作文の進級テストです。
 9月8日ポスト投函が締め切りですので、9月1週に作文が書けない人は、8.3週又は8.4週の間に、9.1週の作文試験を先取りして行ってください。


■■シオンの8.3週感想文は、「書き出しの工夫」ではなく「中心を決める」で
 シオン(小3相当)の8.3週の課題は、感想文です。
 項目表の構成が「書き出しの工夫」となっていますが、これは作文のときの項目です。感想文の構成の項目は、「中心を決める」になります。
 「この文章を読んでいちばん……だったのは……でした。」という形で中心を決めてから、似た話などを書いていってください。


■■自然の英知(その2)
 世の中は、今、人工から自然へ大きく流れを変えようとしています。
 戦争を防ぐために軍備を増強するのは不自然な社会です。将来の社会は、戦争や軍隊のない本来の自然な社会になるでしょう。将来がいつごろになるかが問題ですが。
 犯罪を防ぐために警察力を強化するのも、不自然な社会です。将来は、犯罪そのものがない本来の自然な社会になるでしょう。
 病気を治療するための医療費が年々増加するのも、不自然な社会です。将来は、ほとんどの人が健康で、病気というものが稀な本来の自然な社会になるでしょう。
 教育はどうなるのかというと、無理な勉強をする必要がなくなるというのが、本来の自然な社会の姿です。
 現在の社会で、勉強が苦痛に思われているのは、勉強に無理があるからです。その無理はどこから来ているかというと、試験があるところから来ています。
 試験の本来の目的は、試験による評価をもとに次の指導を考えるという点にあるはずですが、今行われている試験のほとんどは、単に評価で優劣をつけるためだけに行われています。その最終ゴールは受験という試験です。受験的な試験は、評価そのものを目的にしているという性格上、いかに点数の差をつけるかということを中心になります。
 すると、受験的な試験に合わせた勉強は、いかに点数の差がつく分野を勉強するかという点が中心になります。人間や社会にとって役に立つことを学ぶのではなく、点数の差がつくことを学ぶというのが今の勉強になっています。これは、勉強ではなく単なるクイズです。クイズとして割り切ってゲームに参加する子供にとっては、それなりに面白い競争ですが、そうでない子供にとては、意味のわからない我慢比べと映っても仕方ないと思います。
 こういう勉強になりやすい教科の一つは数学です。中学、高校と学年が上がるにつれて数学嫌いな子が増えるのは、教える先生が、勉強ではなくクイズを教えているのにその自覚がないためです。
 では、無理のない自然な勉強とは、どういうものでしょうか。それは、人生や社会にとって必要なことを、それぞれの学年でだれもが百パーセント学ぶことができるような勉強です。人間には、本来知的な好奇心があります。その知的好奇心を開花させることが教育の目標です。
 そのために必要なことは、小中高の教育期間に、だれもがすべての教科を百パーセント習得できるような方法を作ることです。


■■絵本の世界(よう/まえ先生)
<<えa/2294み>>

 みなさんの本棚にはまだ絵本はありますか?

 もしあるとしたら、「ねずみくん」シリーズはあるでしょうか? とても有名な絵本なので、知っている人も多いかもしれません。私は、この「ねずみくん」シリーズが大好きなのです。主人公のねずみくんは、小さいけれどとてもやさしくすてきな男の子です。一番有名なのは「ねずみくんのチョッキ」。ねずみくんのお母さんが編んでくれた、すてきな赤いチョッキを、「いいチョッキだね。ちょっと貸してよ」とあひるくんに頼まれたねずみくんは、快く貸してあげます。ところが、あひるくんはさるくんに、さるくんはあしかくんに、チョッキをどんどんまた貸ししてしまって……。とうとう最後にはゾウくんにまで着られてしまい……、もうわかりますよね(笑)。ねずみくんのもとに、その赤いチョッキが返って来た時には、ゾウくんサイズにのびてしまっていたのです(笑)。あーあ。チョッキが着られなくなってしまって、とてもかわいそうなのですが、出てくる登場人物ならぬ登場動物たちがとてもかわいらしくて、ついついニコニコしてしまう……、私のお気に入りの絵本です。

 この「ねずみくん」シリーズは、シリーズ第1作が1974年に出版され、最新シリーズの「ねずみくんおおきくなったらなにになる?」で24作目。とても息の長い、人気のある絵本なのです。24作すべてが揃っている本屋さんは今まで見たことがありません。行く先々の本屋さんで、持っていない「ねずみくん」の絵本に出会うのもまた楽しみの一つです。先日、実家に帰った時にも、たまたま「ねずみくんのきもち」という、まだ蔵書(笑)にないシリーズを発見し、早速買って帰りました。その本の見返しに、作者のなかえよしをさんが書いていらっしゃった言葉がとても素敵だったのでここで御紹介させて頂きます。

 「絵本のきもち」
 絵本のなかの動物たちとおつきあいしながら絵本の世界から人間の世界を見上げていますと現実の人間は、「人間らしく、人間として正しく」生きていないのではないかと思えてしまいます。大切なことは何なのかを見失っているとしか思えません。大切なことはファッションで着飾ることでもなく、おいしいものを食べ歩くなどという物質的なことではなく、やはり人間がもともと持っている想像力ということではないでしょうか? ただ自分の心で想像するだけでなく、想像力とは自分の心の中から飛びだして他の人の心になり、動物や植物の心となり、自然の心となり、未来の心となり、宇宙の心となることではないでしょうか? 自分以外のことを想像することが自分じしんのを考え知ることだとも思います。それなのに大人たちは知識をふりかざし、あたかも知識が大切であるかのようにふるまい、こどもたちに知識という情報をつめこんでしまいます。その分こどもたちの心から想像力が失われているのではないでしょうか? この温かさを見つけるのが難しい現実の世界で大切なことはやはり想像力だと思いますし、一番大切なことは何かとなりますと、それは「思いやり」だと思います。「思いやり」は感謝、謙虚、愛情、慈悲、羞恥、そして誇りのことだと思います。なぜなら、これらは想像力を必要とするからです。いま、わたしたち人間に一番欠けていることではと絵本の世界で思ったのでした。

 「思いやり」。常日頃から、私も思いやりのある人間になりたいと思っていましたし、娘にも思いやりのある人間になってほしいと願っていましたが、「思いやりを持つことの基本が想像力にある」ということは、当たり前のように思えて、実はなかなか思い当たらないことだなあと思いました。「思いやり」とはただ優しくすればいいというわけではありません。相手の気持ちや立場を想像して、本当にその人のことを考えること……、難しいけれど、なかえよしをさんの言葉を再度お借りして言うならば、「人間らしく、人間として正しく」生きるために、頑張りたいと思います。なんだか背筋がピンと伸びたような気がしました。

<<えa/2295み>>


■■こんなにも長い話(はち/たけこ先生)
<<え3856み>>
 いよいよ夏休みともなると、読書のチャンスでもありますね。
 私は先日、前からすすめられていた『お話を運んだ馬』(I.B.シンガー、岩波少年文庫)という短編集をやっと図書館で借りて読みました。作者は、1978年ノーベル文学賞を受賞したそうです。そしてこの本は、子ども時代の自分のことや、お話好きだった自分が大人たちから聞いた話をもとに書いたものです。
 その中の、『お話の名手ナフタリと愛馬スウスの物語』に、味わい深いことばがありました。それは、本をたくさんつめた重い袋を肩に背負って、村から村へ旅をしているおじいさんのことばです。「いちにちが終わると、もう、それはそこにない。いったい、なにが残る。話のほかには残らんのだ。もしも話が語られたり、本が書かれたりしなければ、人間は動物のように生きることになる、その日その日のためだけにな」(p.21)そして、そのおじいさんのように本を売り歩く人になったナフタリに、別の金持ちの老人が友人になってほしい、とまたこう言います。「生きるってことは、結局のところ、なんだろうか。未来は、まだここにはない、そして、それが何をもたらすか、見とおしは立たない。現在は、ほんの一瞬ずつだが、過去はひとつの長い長い物語だ。物語を話すこともせず、聞くこともせぬ人たちは、その瞬間ずつしか生きぬことになる、それではじゅうぶんとは言えない」(p.37)。
 ああ、よかった! 私たちはこうして作文やら学級新聞やら書いていますものね。
<<え3788み>>
 引用が長くなってしまいましたが、私が書く楽しみを知ってほしい理由が、こんなにわかりやすく書いてあるなんて、と感動してしまったのです。子ども向けの本といっても、いい本は、心で感じていてもどう言葉で伝えていいかわからないことをはっきりと書いてくれているのです。作家という人たちは、それがとても上手な人たちというわけですが、私たちもその一歩をふみ出していることはまちがいありません。
<<え4093み>>
 この本の作者シンガーは、ユダヤ人としてポーランドで生まれました。そのあと、二つの世界大戦があり、その間をポーランドのユダヤ人として生きることはどれほどの苦難だったかは、みなさんも想像がつくでしょう。もしつかなければ・・・ぜひこの時代の本を読んでください。私もこの時代生きていたわけでなく、全て本を読むことで、想像しているだけなんですが。いったいに、ヨーロッパの児童文学や若者のための本は、がっちりとして深く苦難をえがいたものが日本より多く見られるような気がします。
 ことに、最近読んだ中ですごいと思ったのが、クラウス・コルドンというドイツの作家が書いた『ベルリン1919』『ベルリン1933』『ベルリン1945』(酒寄進一訳・理論社)という三部作です。図書館で一目でも見てください。その分厚さにまず圧倒されます。内容も、この時代に貧しいドイツの一家がどのように政治の嵐にもまれ必死で生き、そして戦争にまきこまれていったかという、硬派でまじめなものです。でも、私はとてもおもしろく夢中で読みました。三作の主人公はみんなつながっているのですが、10代前半の少年や少女で、その心の動きがとてもみずみずしいのです。また、長い話だけに、いろいろな仕掛けもあります。作者も、それを日本語に翻訳した方もすごい力だと感じ入りました。それとともに、いったい何人の日本の若者がこの本に手を出してくれるか・・・と心配にもなりました。あえて、遠いヨーロッパの暗い時代の一家のまじめな話に耳を傾けようとする人は・・・。それにしても、どうしてそういう本があるのか。平和を訴える教訓のためではけして無いと思います。人間は、たまには、まじめな物語にひきこまれることで、心と頭を別世界に飛ばし、「総合化の主題」の課題ではないですが、「一番大事なことは・・・ではないか」とつきつめる芯ができるのではないかと思うのです。・・・が、だれかもっと上手に表現して書いてくれている本がないかしら(笑)。
<<え4147み>><<え3858み>>


■■環境問題と向き合って(たんたん/はらこ先生)
     <<え606み>>
 小学校高学年や中学生のみなさんは、「環境問題についての作文課題が多いなぁ」と感じていると思います。「『人間は、もっと自然を大切にすべきだ』というまとめを先週も書いたから、もう書くネタがないよぉ」なんて心のさけびが聞こえてきそうです。

 ある中学生の生徒さんと電話で話しているとき、こんな考えを話してくれました。「環境を守るといっても、車に乗らないわけにはいかないし、ゴミを出さないわけにもいかない。だから私は『自然をこわさないようにしたい』なんてウソは書けないです」
 たしかに、そうかもしれません。ごはんやおかしを食べればゴミも出るし、作文を送るにも車は必要です。昔のように飛脚(ひきゃく)がエッサホイサと走って、手紙をとどける時代にもどれというのは不可能です。私たちの便利な生活は、何らかの形で自然をぎせいにしながら成り立っているのです。
                      <<え2004/211み>>
 しかし、そのきびしい現実に気づいたときこそ、自分の意見をさらに深めるチャンスです。ニュースや本で知ったこと(データなど)に対する意見を書いてみてはどうでしょうか。
 例えば・・・
 ・ハウス栽培でトマト1個をつくるのに、原油80ミリリットルが必要であることを知った。トマトを食べているのか、原油を食べているのか分からない。季節をねじまげて、冬に夏野菜を食べようとしなければ、余計な原油代もカットできそうだ。でも、クリスマスケーキのイチゴだけは、ないと困るから作ってほしい(笑)。
 ・水の使用量は日本人が世界一多く、たった1日で1人280リットル(約おふろ2回分)も消費すると、テレビで知った。きれいな水道水をトイレの水として利用するのは、ぜいたくな気がしてきた。節水のために、トイレで毎回水を流さずに、2回に1回流すようにしようかな(でも、ちょっとにおうかも)。などです。

 さらに、もし自分が総理大臣になったらこうする!(こんなテレビ番組がありますが)と、マニフェストを発表してもいいですね。
・ゴミ減量のため、ファストフード店に行くときは、みんなマイカップとマイお皿を持っていく。
・オゾン層をたっぷり積み込んだロケットを南極上空に発射して、オゾンホールをなくす。
など、ざん新なアイデアをどんどん出して、自分にしか書けない「まとめの段落」に仕上げてほしいです。
                      <<え2004/384み>>
 アルピニスト・野口健さんはあるインタビューでこう語っていました。
 「ヒマラヤでは氷河のとけ方が早くなっている。でもヒマラヤの人たちは温暖化をまねくような生活はしていない。日本人であるぼくらは、環境破壊の加害者なのだから、ヒマラヤのために助けてあげるのではなく、責任をとるという気持ちが必要だ」。
 私たちは日本人の一人です。まさに、なだれのようにくずれていく地球環境をどうやってくい止めるか。本やニュースをうまく活用し、みなさんのやわらかい頭と発想力で、自分の意見を深めていってください。
     <<え606み>>


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