言葉の森新聞2008年11月1週号 通算第1053号
文責 中根克明(森川林)

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■■長文暗唱の意義と方法(その1)通学教室でスタート

 11月から、港南台の通学教室で、長文暗唱400字の自習を始めることにしました。
 自習の仕方が軌道に乗ってきたら、通信教室でも実施できるようにしていきたいと考えています。
 今回は、その暗唱の方法を説明します。このあと続けて、暗唱の意義、暗唱の成果、今後の展望を説明していく予定です。
 また、港南台の通学教室では、中学生以上に、マインドマップ風の構成図を書いてから作文を書き出すやり方を実験しています。このくわしい方法、意義、成果なども、このあと説明していく予定です。
 では、まず長文暗唱の方法から。
 毎日の自習として、次の週の課題の長文を1ページ音読するというのは、これまでどおりです。
 しかし、1ページの音読は、5分程度で終わると思います。生徒のみなさんの中には、国語的な勉強は、この音読だけで、読書などをほとんどしていないという人もいます。これでは、国語の力はなかなかつきません。
 長文暗唱は、この1ページの音読のあと、長文の一部をもっと密度濃く読むようにしたものです。
 課題の縦書き長文は、小2までは1行約20字、小3からは1行約30字です。この長文の約4行程度のきりのよいところまでが1日の暗唱の範囲です。
 タイマーなどで10分間をセットしておき、長文4行(約100字)分を音読します。
 この場合の読み方は、自分の声が自分に聞こえる程度にということだけが条件です。早口で読んでも、歩きながら読んでも、一切かまいません。むしろ、句読点などであまり区切らずに早口で読んだ方が覚えやすいでしょう。また、歩きながら読む方が読みやすいという人も多いと思います。
 普通の人は、最初の4、5分で、長文をいちいち見ないでも読めるようになるでしょう。そうしたら、長文を見ずに、学校に行く支度をしたり、シャワーを浴びたり、ラジオ体操をしたりしながら読んでいくこともできます。10分間のタイマーが鳴ったら、音読は終了です。
 暗唱というのは、新しい頭の使い方をすることなので、人によっては眠くなることもあります。そのときは、短い時間でも寝てしまった方が記憶に定着しやすくなります。
 さて、1日目の暗唱をこのように終えて、次は2日目です。2日目の暗唱は、同じ長文の続きの4行(約100字)分を音読します。つまり、長文の100−200字目の100字分を暗唱するということです。これも、同じように10分間音読をして暗唱します。2日目の100字を暗唱するとき、1日目の100字はもうほとんど忘れていると思います。それでもかまいません。
 3日目は、同じ長文の次の4行(約100字)分を音読して暗唱します。つまり、長文の200−300字目の100字分を暗唱するということです。2日目までの長文は、もうほとんど忘れていてもかまいません。
 4日目も、同じように次の4行(約100字)分を音読して暗唱します。これで、4日間を通算すると400字の長文を暗唱したことになりますが、4日目に覚えているのは、その日に読んだ300−400字目の100字分だけでかまいません。
 さて、いよいよ5日目です。今度は、4日間で読んだ400字分を全部続けて音読します。文章が長いので、4、5分では暗唱できないかもしれません。しかし、10分間音読を続けていると、次第に暗唱できるようになってきます。
 6日目も同じように、5日目に読んだのと同じ400字分を10分間音読して暗唱します。
 7日目も同じです。
 このような形で音読をしていくと、400字分の長文が暗唱できるようになります。
 ここで、音読を近くで聞いているお父さんやお母さんに注意しておきたいことは、決して読み方の注意などをしないということです。子供の音読を聞いていると、普通の大人の人はつい注意したくなります。子供の読み方がうまくなかったり、つっかえて読んだり、区切り方が不適切であったりすることが多いからです。しかし、読み方を注意すると、そのことによって読むことが負担になるというマイナスの方がずっと大きいのです。
 もし、いい読み方を教えてあげたいのであれば、子供に注意するのではなく、お父さんやお母さんが代わりに読んであげてください。しかし、その場合も、「だから、このように読みなさい」とは要求しないことです。お父さんやお母さんの読み方を何度も聞いているうちに、子供の読み方も自然に上手になっていきます。
 注意をせず、よいところを褒めるだけで、自然に上手にさせるというのが勉強の基本です。


■■11月3日(月)は休み宿題(再掲)
 11月3日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php


■■続かないのは意志のせい?(ルビー/おぎ先生)
<<え575み>> 日本では、「バナナダイエット」というのがはやっていて、お店でのバナナの入手が困難になっている、という話をきいてとても驚きました。バナナダイエットというのは、朝ごはんをバナナ一本に変えて、あとは普通の食事をするというダイエットらしいです。このダイエットは、私にはとても無理です。なぜかというとバナナがあまり好きではないからです(笑) でもたとえバナナを普通に食べられたとしても、たったひとつのものだけで朝ごはんをすませるのはいやなので、たぶん続かないでしょう。きちんとした目的や意志がなければ、「はやっているから」というだけで続けることはとても難しいことです。

<<え582み>> このことはなにも、ダイエットに限ったことではありません。スポーツなどにもいえることだと思います。たとえば、サッカーは人気のスポーツだからという理由だけで好きでもないのにサッカーを始めたとしても、そのおもしろさに気がつかなければ、やがてやめてしまうことになるでしょう。私の娘はアイススケートを7年続けています。荒川静香選手がオリンピックで金メダルを取った年に、アイススケートをやっていることを日本の人に話したら、
「ああ、アイススケートは今はやっているからね」
と言われて、ひどく気分を害していました。小さい時から好きであこがれていて、いっしょうけんめいにやっているのに、「はやっているからやっている」と思われたのがとてもいやだったそうです。私も娘の気持ちに同感です。大会に出て良い成績をとることを目標にして、そして何よりも好きだったからこそ、長い間続けてこられたのだと思います。

<<え589み>> 勉強にも同じことがいえますね。とくに目的もなくだらだらと単語や年号を覚えようとしてもちっとも頭にはいらないけれど、明日がテストだと思うと1時間の勉強でもしっかり覚えられた、などという経験は、みなさんにもあるのではないでしょうか。自分からすすんでやる勉強はそれほどいやではないけれど、親に言われてしかたなくやる勉強は、とてもつらく感じるものです。先日、日本人がノーベル賞を受賞しました。受賞者たちの話で必ず出るのは、「とにかく好きだった」「とことんやった」というようなことです。好きな気持ちが強ければ強いほど、結果も大きくなるということですね。

<<え591み>> このように、私たち人間は、好きだと思う気持ちや目的がはっきりしなければ、物事を続けていくのが難しいという性質を持っています。だから、何かを始めて続かなかったことは、意志が弱いせいばかりではありません。習い事でも勉強でも、何かを始めようと思うときには、目的、目標や欲求が大事なのですね。そしてそれを続けていくための、楽しいと思う気持ち。楽しくなければなにも続きません。今まで勉強やスポーツでつまづいたことのある人は、続かなかった自分を責めるのはやめて、楽しくするための方法を考えてみましょう。他人に流されずに自分の気持ちとしっかり向き合うことは、とても大切なことなのです。


■■しまなみ海道(すもも/すもも先生)
 気持ちのいい季節になりました。二学期は学校でも行事が多くていそがしい日々なのではないでしょうか?校外学習や修学旅行に行くひともあるかもしれませんね。私は10月の最初の週末に土曜、日曜の二日間で「しまなみ海道」というところを歩いてきました。一日、それぞれ40?歩きました。新聞でこの催しを知ってから、週末には20?くらい歩いていましたが(とはいっても、ほんの3回です)それ以上の長い距離を歩いたことはありませんでした。ですから人生でもっとも長い距離を歩いたことになりますね。
<<え2007/267み>>
 しまなみ海道というのは、本来は広島県の尾道と愛媛県の今治を結ぶ道路です。向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島などを通るので全部で10本の橋を渡ることになります。その中で最も長いのは一番最後の来島海峡大橋なのですが、今回はここを通った二日目はものすごい雨と風でした。お天気に恵まれれば、瀬戸内の島々が見渡せるとても景色のよいところなのでとても残念でした。そんなこともあってか、一番印象に残ったのは、一日目の最後に渡った多々羅大橋です。
<<え4392み>>

 多々羅大橋はちょうど広島県と愛媛県の間にかかる橋です。橋の途中に県境がありました。そして、驚いたのは「鳴き龍」のポイントがあったことです。「鳴き龍」という現象を私が知ったのは京都の相国寺でのことです。お堂の中で天井の龍の絵にむかって手をたたくとまるで龍が鳴いているような音がすることをこうよぶそうです。それにしても龍が鳴いているような音と言われても、なかなか「なるほど!」とは思えませんが、相国寺では「カラカラ」と乾いたような音がしていました。その「鳴き龍」がなぜこんな海の上で起こるのかとびっくりしてしまいました。お堂の中では、音が多重に反響してこのような現象が起こるといわれているのですが、橋でもそんなことが起こるのですね。もっとも橋を作った人たちも、当初はそんなことはまったく予想していなかったそうです。
<<え6890み>>
 一日目のゴールの手前、はじめての40?でへろへろになっていましたが、この「鳴き龍」で少し元気を取り戻しました。相国寺で聞いた鳴き声とはちょっとちがいましたが、やはり瀬戸内の龍はスケールも大きいように感じたのは気のせいでしょうか。二日目は先ほども書いたとおり、大変なお天気でした。リュックの中の荷物までぐっしょりぬれるほどの雨と風の中、一度止まると筋肉が固まってしまって歩き出すのに思わず大きな声をあげてしまうほどでした。ゴールしてから恐る恐る靴をぬぐと、足は血マメや靴ずれでぼろぼろでした。それでも歩いてよかったと思うのは、歩いたからこその発見がたくさんあったからです。「鳴き龍」もそのひとつですね。ついつい自転車や車に乗ってしまいがちですが、気持ちのいい季節ですから、皆さんもいつもより少しだけ遠くまで歩いてみてはどうでしょう。
<<え2004/659み>>


■■ノーベル賞(あん/つんこ先生)
 わぁ、すごい。日本人が4人もノーベル賞をとりました。
 先生は小学生のころから、理科や実験が大好きでした。そのせいか、今回の日本人のノーベル賞の受賞はとってもうれしくて、なんだかわくわくしてしまいました。きっと、野球好きの生徒さんだと、イチローが大リーグで記録を達成した時のような感じかな。きっと、うれしかったでしょう。
 最近、あんまりパッとしないニュースが多い中、本当に明るい一報でした。<<え320み>>
 さて、ノーベル賞はとても有名で、誰もが知っていると思いますが、どうして、ノーベル賞ができたかは知っているかな。
 創った人は、アルフレッド・ノーベル。スウェーデン人の発明家、そして事業家でもありました。この人が、ダイナマイトを発明し、それで得た利益が賞金となっています。
 彼のお父さんも発明家で、彼の家は最初はひどく貧乏でした。お父さんは機雷(船を沈没させる爆弾)を発明し、一度はお金持ちになりますが、事業がうまくいかず、再び一から出発することになります。アルフレッド自身も、たゆまぬ研究で、火薬やダイナマイトを発明しますが、戦争の影響や病気などで、たびたび、つらくて貧乏な経験をします。実験中の弟が死んでしまうという不幸までありました。まさに、七転び八起きの人生でした。
 けれど、最後にはダイナマイトを発明します。
 ダイナマイトというと戦争に使われるイメージがありますが、ノーベルは、鉄道を通すためのトンネル作りや、鉱山を採掘するために山を切り崩す手段、すなわち、人に役立つ道具として発明しました。そうして、人々が豊かにで幸せになれば、この世に戦いなどなくなるだろう。また、ひとたび、ダイナマイトを使った戦争をみれば、「こんな悲惨な結果をうむ戦争などやめよう。」と人々が平和に向かって歩き出すだろう。と考え、ダイナマイトを開発し、世に送り出したといわれています。
 そんなノーベルの遺言で始まったのがノーベル賞です。物理学賞、化学賞、生理医学賞、文学賞、平和賞、経済賞(後に創られた)、があります。どの賞にも共通しているのは、世界の人々にいちばんつくした研究であること。そして理想に向かって前へ進んでいる研究であるという点です。
 発明家である彼が、どうして文学賞?と思いますよね。実は彼、若い頃、ある詩人に感銘をうけ、文学に没頭した時期があるのです。晩年も小説や戯曲を書いていたそうです。文学が大好きだったのですね。
 そして、平和賞。ノーベル自身が平和を強く望んだことはいうまでもありませんが、彼が愛した女性が、平和運動家であったことも影響しているそうです。
 こんな、話を聞くと、とても人間味あふれるアルフレッド・ノーベルの姿が思い浮かびますね。
 そして、今回受賞した4人の博士を見ていると、その研究にノーベルの不屈の精神が見えてきませんか。(「近頃の人は意気地(いくじ)がなさすぎる。困難にぶつかるとすぐにあきらめたり、やめてしまう。」とおっしゃった博士もいましたよね。)
 アルフレッド・ノーベルが、世の中の人々に代わって、みんなの豊かな生活を支える縁の下の力持ちに与えるのが、ノーベル賞なのです。
    <<え2148み>>


■■自分の好奇心を大切にしよう!(はるな/みき先生)
  <<え2007/35jみ>> <<え2007/38jみ>>
皆さんは、神社にお参りしたとき、二対の狛犬の口に興味を抱いたことはありませんか?片方は口が開いていて、もう片方のは、しっかり閉じています。他にも、寺の山門に立っている仁王様や沖縄のシーサーも、同じような形になっていますね.....
先生も不思議に思い、いろいろと調べてみました。
 一対で存在する宗教的な像のモチーフとされ、口が開いている方を阿形(あ行)、閉じている方を吽形(うん行)と言われています。この「阿吽」音で示すと「阿」は口を開いて出す音の≪あ≫、「吽」は口を閉じて出す音≪うん≫→五十音のはじまりと、終わりのように聞こえます.それから、対となる物を表す用語としても使用されてきました。これをビジュアル化したのが、お寺の山門を守る二体の金剛力士像や、入り口などにある狛犬だと言われています。
 よく、二人の呼吸がぴったり合うことを「阿吽(あうん)の呼吸」と表現しますね。そして、これから転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを、「阿吽の仲」などと呼んでいます。
 いわゆる「息が合う」とか、「ツーと言えばカー」の状態と思われがちですが、元来は仏教用語で、それぞれを宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされているです。
 小学館「日本国語大辞典」によりますと、
〔梵語(古代インド語)の音訳で、「阿」は梵語の最初の字母表、「吽」はその最後の字。.......密教では,この二字をもって崩壊万有を摂し、阿は一切が発生する理体、吽は一切の終始する知恵を表す]と解釈されています。
 ちょっと、難しくなってきましたが、要するに阿吽は、「AからZまで」に近く、「吸う息と吐く息」は、一対のものであり、双方が欠くことができないものなのです。
 いろいろ調べているうちに、狛犬や仁王様の「阿吽」という口の開き方や、その語源(ごげん)には、こんな深い意味が込められているのを知ることができました。!(^^)!
 ところでツゲ級の●項目に【前の話、聞いた話、調べた話】というのがありますね。なにげなく疑問に思ったこと、好奇心を抱いた現象を、人に聞いたり、百科事典やヤフー検索などでこまめに調べておいたりして、メモしておくと、とても役に立ちます。
 ふだんから、知識という宝物を、自分のふところに、どんどん増やしておきましょう。(^.^)/~~~
<<え2879み>><<え2007/37jみ>><<え2879み>>


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