言葉の森新聞2008年11月3週号 通算第1055号
文責 中根克明(森川林)

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■■暗唱と作文
 これは、森川林のブログの記事(11月6日)を加筆修正したものです。

 今日は、暗唱と作文というテーマについて考えてみます。
 暗唱という勉強が、それだけを目的としていた場合、毎日の勉強は、次第に細く狭いトンネルに入り込むような感じになるでしょう。毎回同じような勉強に、子供が飽きてしまうからです。そのため、いかに飽きずに暗唱を続けるかということも一つの問題となってきます。
 しかし、そういう問題が出てくるのは、暗唱そのものが目的になっているからです。
 言葉の森では、暗唱自体を目的とするのではなく、作文の中に生かす形での暗唱の勉強を考えています。それは、ただ文章を上手にわかりやすく書くためだけの作文ではなく、創造性を育てるための作文をめざしているからです。
 そのためには、暗唱の成果を作文の実例として生かしていくことが大切になります。もちろん暗唱によって、表現や表記も作文の中に生かすことができます。しかし、最も大事なものは実例として生かす生かし方です。つまり、異分野の実例の組み合わせの中から新しい知を生み出すいうのが、作文の中における暗唱の位置づけです。
 暗唱を作文の中に生かすというと、中国の科挙の時代のような文章の暗記と再現のようなものを考える人がいるかもしれません。しかし、そのように暗唱が先にあるのではなく、作文が先にあるのが本当の暗唱の勉強なのです。


■■カラーで書くマインドマップ風構成図
 これは、森川林のブログの記事(11月10日)を加筆修正したものです。

 今日はマインドマップ構成図の新しい書き方について説明します。
 最初、私は、カラーペンで書くというマインドマップのやり方に疑問を持っていました。その理由は、第一に、カラーペンは常備しにくいということです。第二は、色分けがわずらわしいということです。第三に、費用もかかるということです。
 ですから、マインドマップを日常的に活用するためには、簡単に使えるシャーペン1本がふさわしいと思っていました。
 しかし、同時に、世界の多様性を生かさないのはもったいないという気持ちもありました。この場合の多様性は、色彩の多様性ということです。
 そんなことを思いながら、文房具店に行くと、きれいなカラーペンがあたので8本購入しました。メーカー名を言うと、PILOTのフリクションボール0.5ミリ8本セットです。このカラーペンのいいところは、カラーのボールペンなのに消しゴムのように消せるということです。(しかし、その後、「消せる」ということは逆に保存性に問題があるかもしれないと思ったので、今は普通のカラーペンにしています)
 せっかく買ったカラーペンを使ってみようと思い、試しにマインドマップ風構成図を書いてみました。すると、書いているうちに、いい書き方を発見しました。それは、次元の変わるときに色を変えると、あとから見たときに見やすいということでした。
 次元というのは、新しい話題が開始されたとき、既に書いた線をまたいで遠くに線を引くとき、複数のページにわたったとき、次のページに行ったり前に戻ったりしたとき、などです。
 また、このカラーペンは、消せるペンなので、まちがって線を引いたときに訂正することができます。見た目がすっきりしてきれいだというのは、仕事や勉強をするときに意外と重要な要素です。
 もちろん、カラーペンは必須ではありません。また、あまり細かく色分けする必要もありません。しかし、今回の発見で、カラー性もうまく生かせば役に立つということがわかりました。


■■作文を書くことで自分を確かにする(はち/たけこ先生)
 言葉の森を小学6年生の受験のときから、合格して高校一年生まで受講してくれた生徒さんのお母様がこう言ってくださったことがあります。
「以前は、気がやさしいのですが自分に自信がないところがあったのですが、言葉の森で、是非の主題などの意見を書くうちに、教室でも自分の意見を発表できるようになり、今では生徒会の役員までやるようになりました」
 とてもうれしかったです。
<<え4879み>>
 作文を書くということは、こうした面もあるのです。
 高学年になり、作文を書くときは、一人の作業です。
 一般化の主題や、複数の理由などを考えるときなど、考えこめばこむほど、実はそれは自分の考えを確かめて、自分の芯や「根っこ」を作っていることになるのです。
<<え2270み>>
 たとえば、学校でクラスメートといろいろと行動したり、会話したりしているときは、臨機応変、反射神経がとわれますね。特に日本では「空気を読む」ということが言われます。その分、思いやりやコミュニケーションの力が高まり、また新しい考え方や、他人からしかうけとれない喜びや悲しみもうけとるでしょう。
 けれどまた、自分の中の「しん」や「根っこ」が弱かったりすると、他人からうけとるものが重すぎて、ささえてあげられなくなってしまうこともあるのです。

 自分の「しん」や「根っこ」を強くするには、一人になって、孤独な作業の中で、問題に対して、今の自分でできるだけ、向かい合うことがひとつの方法なのです。問題の表面だけをなでてすますのではなく。昼間、友だちの間では、まじめな考えを言うことは、はずかしかったり、てれくさかったりしてできないかもしれません。でも、自分ひとりで紙の上にまじめな考えを書くことはできるのです。そして、まじめな考えが自分の「しん」や「根っこ」にあるという自信が、今度は昼間、友だちとの交流のとき、本当に力のある思いやりになったり、おもしろいことを言ったつもりがすべっても(笑)、平気になったりするのです。

 さらに受験生のみなさんに特に言いたいのは、受験勉強も、受験本番、問題に立ち向かうときも、成功のカギは、この「孤独の中でつきつめる」ことができるかできないか、にかかってくるところがあるのです。一人で問題を見つめ、考えを深める強さをもてるかもてないかに。そして、一つの問題を真剣に考えているときの孤独は、実はほんとうの孤独ではないのです。そこには、人間の力というものとのつながりがあるからです。これがない孤独こそ、「むなしいだけの孤独」になってしまうのです。

 みなさんが、一生けんめい、自分の考えを文にしようという努力を、ほんとに心から応援しています! 
<<え2004/6jみ>>


■■「昔話実例」とお話の力(ほたる/ほた先生)
 中学2年生の後期の項目(こうもく)に、「昔話実例」というのがあります。これを練習している中学生もそうだと思いますが、私も最初の頃、「なぜ昔話を実例にしなければならないの?」と疑問に思っていました。

 何しろ、今では、「昔話」自体を知っている子が少なくなっているのです。電話での説明の際、「『三年寝太郎』の話、知ってる?」「『かさ地蔵』は?」と聞いてみても、「知りません」と言われてしまいます。「昔話って、小さい時に読んでもらったりしたことある?」「ほとんどないです」「じゃあ、テレビでやっている『アニメ日本昔話』は?」「やっているのは知っていますが、じっくり見たことはないです」という会話が続きます。実例を挙げるのに、その例の昔話のあらすじから説明しなくてはならないことも。

 もちろん、ここでは昔話に限らず、みんながよく知っている話であれば「グリム童話」でも「イソップ物語」でもいいわけですが、それらも結構知らない子がいたりして、「先生、ハリー・ポッターでもいいですか?」「うんまあ、お話であればいいや」ということになったりします。今の子供達には、「それじゃあ、まるで浦島太郎だよ」なんて言葉も通用しなくなるのかもしれません。

 そんなことを常々感じていたら、最近、おもしろい本を読みました。『診察室に来た赤ずきん〜物語療法の世界』(大平健 著、新潮文庫)です。著者の大平先生は精神科のお医者さんで、心の病を持つ人々の治療をしています。その長い経験から、「お話には力がある」と確信するに至ったのだそうです。

 心を病んで、人生がうまくいかなくなっている人達と話をするとき、「昔話」や「おとぎ話」がきっかけになり、患者さんたちやその周りの人たちが状況にとても納得できたり、勇気づけられたり、不安が消えたりといったいくつかの例が、読みやすくやさしい文章で書かれています。そこで取り上げられているお話は、タイトルにもある「赤ずきん」から「ももたろう」、「ジャックと豆の木」まで多彩です。そして、先生自身も、人生の節目節目で、大切なことを「お話」から得たのだと話されています。

 「昔話や童話は不思議さに満ちています。そういう物語が自分の人生と絶妙に符合していることを知ると、多くの患者が改めてその不思議さに心を奪われます。そして、この世に「自分の物語」があることを喜ぶのです。」
「皆さんも思い出してみてください。幼いときに心惹かれた物語が、きっと皆さんの人生を導いてきたことに気づくはずです。人は誰にでも「自分の物語」があるのです。」

 このように、本には書かれていました。だから、「昔話」はりっぱに実例となるのだな。また、「お話」のパターンを、実際の出来事にあてはめてみることもできるし、それは大切なことなのだな。私は、これを読んで、「昔話実例」の書き方に自信を持つことができたのでした。
                                  <<え2007/276み>>


■■語源を知ると…(たんぽぽ/たま先生)
 先日お引越しをした息子の友達のSくんから、手紙が届きました。「また囲碁やろうぜ。負けね〜ぞ。」と書いてあったそうです。ラッキーなことに、Sくん一家はあと2〜3年でこちらに戻ってくるとのこと…。息子は満面の笑みで報告してくれました。

 うちの子どもたちは、近くの公民館で囲碁を打っています。月にたったの2回、始めてまだ2年ちょっとですが、その魅力に取りつかれた様子。私も一緒に始めたのですが、子どもの上達は早く、あっという間についていけなくなってしまいました…(我ながら情けないなあ)。

 そんな折に転入してきたSくんは、何と囲碁塾に通うほどの囲碁好きで、息子とあっという間に意気投合。彼もまた公民館に通うようになり、何度か対局したようですが、なかなか息子がかなう相手ではなかったようです。「あいつは強い」と、「一目置く」存在のSくんとまた対局する日が来るまでに、「負けないくらい強くなっていたい」と、息子は今からはりきっています(笑)。

<<え2007/266み>>
 さて、この「一目置く」という言葉ですが、実はもともと囲碁にまつわる格言なのだそう。息子が読んでいた本(もちろん囲碁関係)には、こんな解説が書かれていました。

○「一目置く」・・・囲碁では、レベル差にあわせて、あらかじめ石をいくつか置いて始めることがある。(2級差なら2目【目=もく】、3級差なら3目。)ここから、より能力の高い人に敬意を表して使うようになった。


 さらに面白いことに、私達が普段よく耳にしたり、何気なく使っている言葉の中には、囲碁にまつわる格言や慣用句がたくさんあるようです。これからその一部を紹介しましょう。


○ 黒人(くろうと)・白人(しろうと)(※玄人、素人は仏教用語)、白黒つける・・・碁石の原材料に由来する。元は黒石が那智の黒石、白石が日向の朝鮮ハマグリだった。対局の際、昔は強いほうの人が黒石を使っていたので「黒人(くろうと)」と言うようになった。(今は逆。)
 このことから、どちらが強いかはっきりさせることを「白黒つける」というようになった。

○ 上手(うわて、じょうず)・下手(したて、へた)・・・相対的に強いほうを「うわて」、弱いほうを「したて」とよんだ。ちなみに囲碁の段級位では、7段以上を「じょうず」と呼ぶ。(囲碁が「上手」だと言われるには、道は遠いようです。)

○ 手入れ・手を入れる・・・自分の石を生き残らせるために補修、メンテナンスをすること。
 「庭の手入れ」などといいますが、本来は「美しくする」というより「生き残らせる」という意味で使われているのでしょう。

○ 手違い・・・手の入れ方をまちがえること→ ミスをすること。

○ 岡目八目(おかめはちもく)・・・他人の対局をはたから眺めていると、自分で打っているときより手筋がよく読め、自分が何目(何級)か強くなった(レベルが上がった)ように感じることがある。
 ここから、当事者よりも関係ない立場の人のほうが、ものごとをよく理解したり判断できることを言うようになった。岡の上のような高いところからだと全体がよく見えるから「岡目」、八目の「八」は、「八百屋」や「八方美人」などの「八」と同じで、「多くの、たくさんの」という意味。


 ほかにも「死活問題」、「筋ちがい」、「布石を打つ」、「活路(を見出す)」、「駄目(駄目を押す)」、「定石」、「目算(する)」なども、囲碁にまつわる慣用句です。(以上、藤井ひろし著書より引用。)囲碁は、意外にも私たちにとって身近な存在だったのですね。

 ことわざなども入れると、まだまだたくさんありますが、今回はこのへんで。

<<え2007/265み>>


■■inventive spelling(はつこ/そうよ先生)
 思索の秋…ちょっとかっこをつけすぎかな?先日は、久しぶりに講演を聞きにでかけました。リーパーすみ子さんというアメリカのニューメキシコ州アルバカーキ市の公立小学校で、約20年間図書館司書をつとめてこられた方です。この地域はスペイン語圏からの移民が多く、子ども達はアメリカに生まれながら、英語の読み書きの力が不足しているのだそうです。リーパーさんは、そんな子ども達に英語を聞く力、読む力、書く力をつけさせようと努力をされてきました。教材の選び方、授業の進め方、また他教科との共同授業の様子など、興味がつきない話題がたくさんありましたが、今回の講演会でとくに覚えておきたいな、と思った言葉に出会ったので紹介したいと思います。

”inventive spelling”(発達途中のつづり)。リーパー氏は子ども達が自分で絵と文をかいた絵本を数点見せてくださいました。つづりのまちがいがあちこちに見られます。氏はbought(買う”buy”の過去形、「買った」の意)を botと書いてある部分を示し、次のように説明されました。
「これは綴り方がまちがっていますが、バツをつけて訂正はしません。間違った単語とはみないのです。”inventive spelling"とよんでいますが、これを書いた子どもは正解にたどり着く途中の言葉を書いているのだと理解するようにします。最初の文字はbとなっていますね。この音は分かっている。ここをほめていくのです。」

 子どもの書いたものに「バッテン」をつけない。間違っているか、正解か、習得したのか、していないのか、の単純な評価の仕方をしない。正解と不正解の間には、発達途中という段階があるのだと理解があれば、採点する大人も、採点される子も気が楽になりそうですね。
 ”inventive spelling”にあたる日本語は今のところ見当たりません。漢字の書きまちがいで、
「へんはあっているから。」
といって、「さんかく」をもらえるなんて考えられませんね。やはり「バッテン」をつけられるのが当たり前になっているのではないでしょうか。
 今、「自由に思ったことが書ける」という目標にむかって、がんばっている子ども達。毎週の作文は、その目標にむかって歩んでいくときの、しっかりした足跡なのだと思います。その小さい足跡を、大人は
「こんなのダメダメ!」
と、消してまわることがないようにしたいな、また無意識に踏みつけるようなことがあってはいけないな、と思いました。
<<え2008/15jみ>>


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