言葉の森新聞2010年4月4週号 通算第1124号
文責 中根克明(森川林)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇創造性を育てる作文・読解・国語◇◆◇◆◇
                              
    毎週担当の先生から電話の指導がある続けやすい通信講座
    自宅で無料体験学習を受けられます
    お申し込みはこちらからどうぞ
    https://www.mori7.com/

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

■■連休中の予定
 教室の休みは、課題フォルダに書いてあるとおりです。
 4月29日(木)・30日(金)は5週目のため休みです。
 5月1日(土)はあります。
 5月3日(月)4日(火)5日(水)は、休み宿題です。先生からの電話はありません。
 5月1週の言葉の森新聞と山のたよりは、4月末に発送する予定です。


■■4.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文
 第4週は、読解問題と清書と投稿です。
 幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習です。自由な題名で作文を書いてください。項目シールは、予備のものを使ってください。
 小学1年生以上の生徒は、第4週に読解問題と清書と投稿を行います。
 読解問題の時間がかかるため清書や投稿の時間が取れない場合は、清書や投稿を省略してもかまいませんが、できるだけ読解問題と清書の両方をやっておいてください。


読解問題の仕方
 読解問題は課題フォルダに入っていますが、4週の「山のたより」の末尾にも載っています。この読解問題は、課題フォルダにはさんである読解マラソン集から出しています。
 読解問題の答えを作文の丘から送信する人は、作文の丘に答えを入れる欄がありますから、清書と一緒にそこから送信してください。
 読解問題の答えを作文用紙に書く人は、作文用紙に問題と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。読解問題の用紙は返却しませんが、選んだ番号と正解は山のたよりに表示されます。
 低学年の生徒で、問題を全部解くと時間がかかりすぎると思われる場合は、最初の方の問題だけを解いて提出してくださっても結構です。

 読解問題をインターネットから送信することもできます。送り方は、下記をごらんください。


手書き清書と投稿の仕方
 手書きの清書は、担当の先生に送っても、小学生新聞やコンクールなどに直接投稿しても、どちらでも結構です。中学生以上は、自宅でとっている一般紙などに投稿してください。先生に送った清書は、先生が見たあと1週の作文と一緒に返却します。返却されたあと投稿することもできます。
 投稿に使う清書は、言葉の森の作文用紙に書いても、市販の原稿用紙などに書いてもどちらでも結構です。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(2)学年(3)自宅の住所(4)自宅の電話番号(5)学校名とふりがな(6)学校所在地(町村名までで可)など。
 投稿する際は、ペンネームを本名に訂正しておいてください。作文の中に友達の名前が固有名詞で入っている場合は、イニシアルなどに直しておいてください。投稿する作文の内容は、保護者がチェックしてあげてください。
 同じものを複数の新聞社やコンクールに送らないようにしてください。これは二重投稿といって、もし両方に掲載されてしまった場合、掲載先に迷惑をかけることになります。


◆表はウェブでごらんください。
https://www.mori7.com/mori/mori_web.php?ki=20100404#14875

パソコン入力清書の仕方
 4週の清書は、パソコンで入力したものを送ることができます。しかし、これは必ずしも全員がする必要はありません。生徒が自分で入力できない場合は、お父さんやお母さんが代わりに入力しても結構です。このパソコン入力の清書から、その月の森リン大賞が選ばれます。
 感想文を清書にする人は、三文抜き書きや要約の部分は省略するか、自分の言葉に直して説明を書くようにしてください。
 また、ワードは改行の際のスペースが正しく表示されないので、いったんメモ帳などにコピーしてメモ帳の上でスペースをつけてからインターネットで送るようにしてください。
 パソコン入力清書をインターネットから送信する仕方は、「学習の手引」をごらんください。
http://www.mori7.com/mori/gate.php
 送り方の簡単な手順は次のとおりです。
1、パソコンで作文を書きます。
2、書いた作文の文字画面をコピーします。
3、言葉の森のホームページの「作文の丘」に行き、生徒コードとパスワードを入れます。
4、本文のところにコピーしたテキストを貼りつけます。
5、読解問題の答えを送る場合は、問題と書いてあるところで答えを選択してください。
※、清書を送る場合、週は必ず「4週」を選択してください。ほかの月や週を選択すると、その月と週の作文と講評が上書きされてしまいます。
 清書の仕方をまとめると、次のようになります。いずれを選択しても結構です。
1、手書きでも書き、パソコンでも入力する
2、手書きだけで書き、パソコンでは入力しない
3、手書きでは書かず、パソコンでだけ入力する
4、(読解問題に時間がかかった場合)手書きでも書かず、パソコンでも入力しない
パソコン清書の森リン大賞の作品は、下記のページに掲載されています。
http://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php


■■小1から始める読書という勉強
 読書という勉強は、だれでも自分に合ったものができます。易しい本から難しい本まで、多様な本を自分の興味に合わせて自由にに選ぶことができます。この読書によって、国語力がつきます。
 読解力の土台は、読「感」力です。文章を知的に理解するための前提は、その文章を感情を込めて読み取れることです。文章を読んでその内容を素直に感じることができるためには、読むことが自分の手足を動かすことのように自由にできなければなりません。魚が水の中で泳ぐときに、水の存在を意識しないように、読書をしているときに言葉の存在を意識しないから、読んだものに感情を移入することができるのです。
 そういう読む力は、どこでつくのでしょうか。それは、読んだ量に比例して身につきます。ピアノや水泳のような技能の習得でも、いろいろな技術を学ぶ以前に、まずその練習に時間をかけることが習得の条件になります。
 読書の場合も、読んだ時間に比例して読書力の裾野が広がります。この広がった裾野の上に、難読(難しい本を読む)という高い山頂を形成することができます。易しい本を自由に読む力があるから、難しい本も読むことができるようになるのです。
 では、その裾野を広げるための方法は何でしょうか。よく、幼児期からの読み聞かせが大事だと言います。しかし、それ以上に大事なのが、小中高それぞれの時代に日常生活の中で読書の時間を作ることです。
 生活の中での読書の時間として自然にできるのが、夕食後です。食後、又は夕方の勉強のあと、読書をして、その本が面白ければ寝るときまで読んでいるというのが、読書のある生活の姿です。
 小学生の場合、こういう習慣がつくのは、小学校1年生のときです。小学1年生のときに、毎日、夕方に読書の時間があるという生活をしていれば、その習慣はずっと続きます。
 その読書によって国語力がつき、その国語力によって学力全体がついてきます。勉強は、学校でするものであると同時に、それ以上に家庭の生活の中でするものなのです。


■■海外に住む生徒の日本語教育―外国語も日本語もどちらも苦手にするか、どちらも得意にするか
 海外赴任で、子供が小さいころ日本を離れる人は、日本語の教育が不安になると思います。
 子供は、生活の中で言葉を学ぶので、幼児期は母親との対話が子供の言葉の生活の中心になります。ところが、学齢期になると、学校での友達との会話が言葉の生活の中心になり、次第に日本語を忘れていきます。しかも、この過渡期には、一時的に日本語も外国語もともに劣ってくるという時期があります。
 しかし、この時期にうまくやれば、日本語も外国語も両方自由に使えるようになるバイリンガルのチャンスもあるのです。そのポイントは、母語である日本語を充実させることです。
 「バイリンガル教育の方法」(中島和子著)の中に、面白い例が出ています。
 「兄が小5、弟が小1の日本生まれの兄弟が、カナダのトロントに来て、同じ公立小学校に入学し、英語で授業を受けることになった。この場合、どちらの方が早く必要な英語力が身につくであろうか。……予想としては、『会話力』では弟が早く、『読解力』では兄の方が習得が早いであろうということであった」という話です。
 結果は、兄の方が、会話力も読解力も早かったというのです。つまり、母語を通して言葉というものがしっかり身についていれば、外国語もその言葉の力の土台の上にマスターするのが早いということなのです。
 だから、学校で、友達や先生と外国で話をした分、家庭での日本語の対話を充実させていけば、両方の言葉をマスターできるようになります。そのために、言葉の森の、長文音読、暗唱、作文、そして、その暗唱や作文をきっかけにした対話が役にたつと思います。
 この構図は、外国語と日本語の関係以外にも、さまざまなことにあてはまります。例えば、漫画と読書の関係でも、大事なことは、漫画を読むか読まないかということではなく、いかに読書をしっかりするかということです。同様に、テレビやゲームと実際の体験の関係についても、大切なことはテレビやゲームをどれぐらいしているかということではなく、実際の体験をどれだけしているかということです。作文指導についても、間違いをいかに直すかではなく、よい文章にいかにたくさん触れさせるかということが大事です。
 もちろん、弱点を放っておいていいのではありません。しかし、従になるものは尻尾です。主になるものは頭です。尻尾を押さえるのではなく、頭さえしっかり押さえていれば、尻尾はどちらに動いても、結局は頭の動きについていくことになるのです。
 小学校からの英語教育についても同様です。大事なのは、英語をやるかやらないかということではなく、子供時代に日本語をしっかり学ぶということです。
 海外にいる人は、海外生活を日本語がおろそかになる不安の面から考えるよりも、外国語も日本語も同時に学べるチャンスとして前向きに考えていくことが大事です。そのための要になるのは、家庭の外で外国語に接する以上に、家庭の中での日本語の密度を高めていくことです。


■■小学校低中学年の学習は、勉強よりも読書で力がつく
 小学校低中学年のお母さんと勉強の相談をしていてよくあるのは、「勉強が忙しくて、とても毎日は読書ができない」という話です。しかし、その勉強とは何かというと、算数の計算問題や、国語の漢字や読解の問題です。
 そういう勉強が悪いというのではありません。学校では、反復学習の時間が不足しますから、家庭で計算練習や漢字練習をするのは必要です。しかし、読書時間が圧迫されるほどそれらの勉強をする必要はありません。勉強と読書とどちらを優先するかいえば、間違いなく読書です。特に、学年が上がるほど、小学校低中学年のころからの読書の習慣が、その後の学力に生きてくるようになります。
 なぜ、勉強的なことをあまりする必要がないかというと、小学校低中学年の勉強はほとんどが意味のない作業になっているからです。
 例えば、漢字の勉強です。漢字の勉強は、中学生ぐらいになれば、自分で考えて、できていない漢字だけに絞って勉強することができます。そうすると、無駄のない学習ができます。
 しかし、小学校低中学年の場合は、勉強をするという自覚がまだありません。漢字の勉強をしているときでも、何のために漢字の勉強をしているかわからず、ただ言われたことをそのまましているだけです。
 そこで、漢字のドリルをするときも、できているものもできていないものも、同じようにやって無駄な時間の多い勉強をすることになります。また、漢字の書き取り練習をするときも同じで、書ける漢字も書けない漢字も同じように書くので、これも無駄の多い勉強をすることになります。
 勉強の基本は、できているものはやらず、できていないものだけに絞って、できるようになるまでやる、ということです。勉強の自覚ができていない小学校低中学年の勉強では、お母さんが問題を出すような形で能率よく勉強するか、又は、何しろ大量に時間をかけることによってできない問題をなくすようにするか、どちらかしかありません。
 小学校低中学年の子が、黙々と漢字や計算のドリルをやっているのを見ると、一見、子供が何か勉強をしているような感じを受けます。しかし、それは、多くの場合、単なる作業の時間です。本当の勉強は、読書や対話など、生きた日本語を使うところから生まれてくるのです。


■■勉強の出来不出来よりも大事なしつけ―父親を立てる賢い母親に
 大人が子供に何かを指示すると、すぐに、「なんで」「どうして」と言う子供がいます。そこで、大人はつい、「どうしてかというと……」とまともに返事をしてしまうことがあります。すると、ますます子供は、「なんで」「どうして」と聞いてきます。そうして、やがて指示したことがうやむやになるということがあります。
 家庭で、暗唱や読書の自習が難しいというのは、親と子の間にこのようなやりとりがあるからというのもひとつの原因になっていると思います。結局、親と子が同じレベルになっているということです。これは学校でも同様で、先生と生徒が同じレベルになっていることがよくあります。
 野生動物の世界では、例えば、親ウサギが鼻を鳴らすと、子ウサギは石のように動かなくなる、と言います(「シートン動物記」より)。親が長年の経験で、子供のためを思って指示することは、子供にとって絶対なのです。
 このことは、ペットの犬などについてもあてはまります。言うことを聞かない犬がいますが、これは人間が犬と同じレベルで接しているということです。
 見方を変えれば、これは日本人の平等感覚とも言えます。こういう感覚はよいことですが、しかし、本質的な平等感と、しつけにおける上下関係は両立させなければなりません。
 そこで、父親の出番です。子供が「なんで」「どうして」と母親に言ったら、父は即座に、「お母さんが、おまえたちのためを思って言っていることに、『なんで』とか『どうして』とか聞くんじゃない」とバシッと言っておしまいです。そのかわり、子供には、別の場面でたっぷり対話をしてあげればいいのです。
 もうひとつ大事なことは、「注意は1回だけ」ということです。よく、「○○をしなさい」とか「○○をやめなさい」と子供に言っても、子供が生返事だけで、そのまま同じことを続けているということがあります。すると、ほとんどの親は、同じ注意を二度も三度もしてしまいます。しかし、このことによって、子供は、「何度も言われてからやればいい」という習慣を学習してしまうのです。その結果、そういう家庭では、何度も言われて初めてやるという生活スタイルができてしまいます。
 一度でわからなければ、二度目にはゲンコツ(笑)ということができるのは、やはり父親です。しかし、そこで、母親が、「かわいそう」などと言ってはいけません。家庭では、父親の強さというものが大事です。それを支えるのが、母親の賢さです。我が家では子供のころ、ちょっと高い物を買ってもらったときは、母親に、「お父さんに、『ありがとうございました』と言いなさい」と言われました。こういうのが、母親のできるしつけだと思います。


■■読書ノートに四行詩を書く勉強

 言葉の森の通学教室では、現在、希望する生徒を対象に、付箋読書や問題集読書のあと、読書ノートに四行詩を書く練習をしています。これは、将来、通信教室でもやっていく予定です。
 力のある生徒は、四行詩で抜き書きをするときも、なるほどと思うところを抜き書きしてきます。また、感想を書くときも、内容をよく把握した感想を書いてきます。
 次の例は、中学1年生の生徒が書いた四行詩です。
 ディズニーアニメーションの本質は、
 夢と魔法と感動だ。
 その中でも魔法は多い。
 そこは大きな見せ場である。

 私もかつて一個の子供、
 親との対話は望まない。
 必要なのは対話でなく、
 子供の前にどんな人間として現れるか。

 中学1年生の生徒が、「ディズニーアニメーションの本質は、夢と魔法と感動だ」とか、「必要なのは対話でなく、子供の前にどんな人間として現れるか」などと、自分の考えで書くようなことは普通ありません。しかし、問題集の文章に引かれる形であれば、こういう文も自然に書けるのです。自分で考えて書くのでもなく、単なる書き写しでもなく、自分なりによいと思ったところを発見して書くというのが、読書ノートに書く四行詩のポイントです。
 四行詩は、抜き書きでもよいので、だれでも書けるという易しいところがあります。しかし、実力に応じていくらでも深く書けるというところもあります。また、作品として完成させるという創造性もある点で、楽しい勉強だとも言えます。そして、よい文を発見することで、そういう文を味わう力や表現する力が身につきます。
 今後、毎日の付箋読書や問題集読書のあとに、四行詩を書く習慣がつけば、子供たちの日記を書く習慣にもつながっていくと思います。


----------------------------------------------------

■MagMagからのメールマガジンの登録と削除は下記のページで
(▼ダイジェスト版 マガジンID:0000000226)
https://tinyurl.com/ybkrlw5b
(▼完全版 マガジンID:0000132951)
https://tinyurl.com/yakxr3w3
■これまでの言葉の森新聞は下記のページで
https://www.mori7.com/mori/
■ホームページ
https://www.mori7.com/
■メール
mori@mori7.com