言葉の森新聞2010年11月2週号 通算第1150号
文責 中根克明(森川林)

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■■小2の11月の暗唱長文にミス
 小2の暗唱長文11月分【2】にスがありました。訂正してくださるようお願いします。
△とて辛そうでした→○とても辛そうでした


■■勉強よりも読書と対話
 小学校低学年の子供のお母さんで、勉強の重点というものを勘違いしていると思われる人がかなりいます。
 その原因の一つは、学校です。
 まず学校で、訳のわからない宿題を出すところがかなりあります。例えば、小学校2年生までの子に、本を読んでの感想を書かせる宿題を出すなどという勉強です。
 子供をよく見ていれば、その勉強が苦痛かどうかはすぐわかります。子供が苦しんでやっている勉強なら、それは無理があるということです。そういう勉強は、やらないのがいちばんです。
 小学校2年生の感想文は、みんな親が手を加えています。そういう宿題は、最初から子供にやらせずに親が書いてあげればいいのです。子供の実情を知らない学校の先生に合わせる必要はありません。
 感想文を書かせる時間があったら、その時間を楽しい読書や親子の対話の時間にあてた方がずっといいのです。形に残るものだけが勉強ではありません。
 もうひとつの原因は、親の多くが、低学年の勉強があとあとまで影響すると思っていることです。
 小学校3、4年生までは、親がついて勉強させれば必ず成績は上がります。しかし、その成績にはあまり意味がありません。小学校中学年までは、そんなに熱心に成績を上げても仕方ないのです。それよりも、読書や対話で考える力をつけていくことです。
 学校の勉強も、小学校5年生ごろからは考える勉強が中心になります。本当に実力の差が出てくるのは、このころからです。考える勉強が中心になると、それまで勉強で成績を上げてきた子供よりも、読書や対話で考える力をつけてきた子の方が成績が上がってきます。
 頭をよくしておけば、英語なども中学生に入ってから十分間に合います。同様に、数学についても小学生のころまでは普通の成績でも、中学生になってからがんばればすぐに成績は上がります。大事なことは、成績をよくしておくことではなく、頭をよくしておくことです。
 低学年から勉強をさせすぎるいちばんの問題は、子供に勉強をだらだらやる習慣をつけさせてしまうことです。
 小さいころから成績をよくして自信をつけさせておいたほうがいいと考えるのは、親に自信がないからです。つまり、親が自分で勉強して力をつけた経験がないから、早めに自信をつけさせたいと考えるのです。
 今は、ひとりっ子の家庭が多いので、親はどうしても自分の子供と学校の成績しか見られません。しかし、本当の実力はその成績の中にあるのではなく、子供の考える力の中にあります。
 考える力が、最もはっきり出てくるのは作文です。作文がうまいかどうかということではなく、楽しんで書ける子であれば、教科の今の成績がどうであれ、心配はいりません。
 しかし、作文の課題によって、「難しい」とか、「わからない」とか、「やりたくない」とか、「長く書けない」などと言う子は、今の学校の成績がどうであれやはり実力不足です。
 しかし、心配はいりません。そういう実力不足の子が大多数だからです。
 そういう子供たちが、毎日の暗唱や問題集読書などで少しずつ長く自分らしい文章を書けるようになってきます。これが作文の勉強です。


■■褒めるのは子供のためではなく親のため
 言葉の森では、褒める指導ということをよく言います。
 しかし、私は、実際にはよく子供を叱ります。すぐにできることをいつまでもしない子には、特に厳しく叱ります。例えば、「○○君、こっちにおいで」と呼んでも返事をしないでほかのことしていたり、「ちょっと待って」と言いながらずっとほかのことしているような場合です。
 こういう子は、家庭でも、親が何度言っても言うことを聞かず、そのうちに親がどなって初めて言うことを聞くか、何度か言っているうちに親が面倒になりそのまま忘れてしまうか、どちらかのパターンで生活しているのだと思います。
 私の場合は、一度優しく口で言って、わからなければ即ゲンコツです(笑)。そういう対応を何度かすると、みんな一度で言うことを聞くようになります。これは、かわいそうなことではなく、年中小言を言って注意することの方が、子供にとってはずっとかわいそうなことなのです。
 そして、こういう厳しい叱り方をしても、子供たちはみんなよくなつきます。それは、厳しい叱り方であっても、それが短く、最後には笑いを入れて、そのあとは愛情を持って接しているからです。
 褒めるのは簡単なことですが、叱るのはなかなか難しいことです。そして、しっかり叱ることができるから、褒めることもより効果的になるのです。
 そういう意味で、叱ることは大事なことなのですが、では、なぜ褒めることを強調するかというと、それは子供のためというより、むしろ親のためなのです。

 今の母親の多くは、頭がよくて話もよくできるので、他人の欠点がすぐ目につき、その欠点を指摘してしまうところがあります。もちろん、同じように賢い母親で、もっと謙虚で他人の欠点を見ても温かく包み込み、どうしても言った方がいいときだけひとこと注意をするというような人もいますが。
 問題は、欠点によく気が付きすぐにひとこと言ってしまう親の方で、それが子供の方に向けられると、子供はいつも親の目をうかがうようになります。「これ、どうしたらいいの」とすぐ聞く子は、これまで自分の判断で何かをすると、その結果を親に注意されながら育ってきた子です。
 例えば、子供が自分から思いついて、ひとりで玉子焼きを作ったとします。子供の行動ですから、うまくできたという面と、必ずうまくできていない面とがあります。例えば、あと片付けをしていない、うまく焼けていない、たくさん作りすぎたなどです。そのときに、うまくできた面だけを褒められる心の広い親ならいいのですが、多くの親は先にうまくできていない面に目が向いてしまい、その注意をしてしまうのです。
 もうひとつ例を挙げると、子供が成績表をもらってきたときです。成績ですから、よくできた面と同時によくできていない面があります。よくできた面だけを褒めて、そのついでによくできていなかった面を励ましてあげればいいのですが、多くの親は、最初によくできていない面に目が向いてしまい、そこで注意を始めてしまいます。
 こういうことが積み重なった結果、多くの子供が自主的に行動することに自信を持てなくなっているのです。
 親は、理屈の上では、子供にのびのびと育ってほしいと思っているはずですが、気になることをつい注意してしまうということで、やっていることは、のびのびとは反対のことをしていることが多いのです。
 では、どうしたらいいのでしょうか。
 まず第一に、よいことはささいなことであってもすぐ褒めることです。そして、褒めることに飽きないということです。
 第二に、親と子供の関わりがいちばん多い勉強について、子供が小学校低学年のときは特に、子供にあまり教え込まないことです。つきっきりで勉強のアドバイスをするというようなことは、極力しないようにします。
 子供が勉強しているとき、親は近くで自分の仕事をしているか、ただ横にすわってニコニコしながら見守っているだけです。そして、子供に何かを聞かれたときには、簡単にこたえるようにしますが、決して教えすぎないようにします。
 そして、子供がやった結果に対してたくさん褒めてあげて、どうしても直したいことがあるときだけ、1、2ヶ所にとどめて指摘するようにします。
 第三に、子供の欠点についてどうしても注意したいことがあるときは、一晩寝て翌日になってから注意することです。寝ている間に潜在意識が働いて、よりよい注意の仕方が思いつきます。
 以上のことすべてに共通するのは、子供の立場になって考えてあげることです。
 子供を褒めることが大事だという話をすると、多くの親が、「実はそれが難しい」と言います。私が、「子供は作文の勉強で、親は褒める勉強です」と言うと、多くの親は納得してくれます。
 何を見てもいつもニコニコしていて、肝心なときだけひとこと注意をする。そういう親になるための褒める勉強だとも言えるのです。


■■世界でも有数な日本語の語彙の豊かさ
 「ピーター流外国語習得術」(岩波ジュニア新書)を読みました。この本には、日本の中学生や高校生が、これから外国語を勉強するにあたっての意義や勉強の方法がわかりやすく書かれています。その意味で、中高生にはおすすめの本です。
 ちなみに、著者のピーター・フランクルさんは、「1953年ハンガリー生まれ。1971年国際数学オリンピックで金メダル。1988年から日本在住。国際数学オリンピック日本チームのコーチ。数学者。大道芸が得意。日本語を含め11ヶ国語を習得している。」という人です。
 詳しい内容は、本書を読んでいたことにして、考えさせられる内容がいくつかあったので紹介させていただきます。
 ピーターさんは、日本人の使う日本語について、人によって大きな差があると述べています。同じ日本人の中でも、豊富な語彙を持って話す人もいれば、いつも、「あれ」「これ」「それ」「だって」という言葉で話している人もいるということです。
 11ヶ国語を学んだピーターさんは、日本語の特徴として語彙が豊富だということを述べています。細かいニュアンスや差異を表す言葉があるという点で、日本語は世界一難しい言語だとも言っています。
 しかし、現在では、テレビでの対話の影響からか、反応のよい条件反射的な言葉をすぐに返すことが求められる風潮があります。また、メールの普及も、スピードのある返信という傾向を後押ししています。内容よりも、反応の速さを優先する社会になっているようです。
 同じことは、読書にも言えます。子供たちに人気のある本の中にも、限られた語彙と会話だけで話を展開させているものがかなりあります。中身はテンポがよくて面白いのですが、事実の経過だけが面白おかしく書かれているような本です。
 子供たちの本選びは、内容が面白いかどうかということ以上に、使われている語彙の豊かさをもっとを評価する必要があります。もし、森リンの点数で評価するとすれば、語彙の豊かな日本語を使った小説は上位になるはずです。いつか、代表的な本について統計をとってみたいと思います。
 さて、現在、世界の言語の人口は、中国語約10億、英語約6億で、そのあとヒンディー語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、ベンガル語、ポルトガル語、マレー語、フランス語と続いて、日本語は1億2千万の人が使っています。
 日本語のブログやツイッターの情報発信数は、世界の言語の比率から比べるとかなり高くなっていますが、そこには、日本が先進国でインターネットが広く普及しているという事情もあります。
 文化は、その国の言語と不可分のものです。日本の文化を守り発展させていくということは、いまの日本語の豊かさを生かして、日本語を世界の人が使える言語になるように発展させていくことだと思いました。


■■暗唱をすると頭が良くなる
 タイトルの「暗唱をすると頭が良くなる」というのは私の実感です。実感とは言っても、データの裏づけのある実感です。
 昔から、言葉の森では音読の自習をしていました。しかし、その音読をもっと徹底させたいと思っていました。
 音読は、国語力をつける効果はありますが、続けにくいということと、そして、たまに嫌々やるぐらいでは効果がないことが弱点でした。
 五分でもいいので、毎日同じ文章を繰り返して読むことが大事なのですが、そのやりかたを実行している子は、なかなかいませんでした。
 また、言葉の森で音読をしていると、同じことをほかのところでもやるようになってきました。
 音読をすすめる本が出たり、学校の宿題として取り組むところが出てきたりすると、逆に音読のマイナス面も目立つようになってきました。
 それは、「子供が音読を嫌がるので、どうしたら楽に音読を続けさせられるか」というような、音読の意義よりも音読の方法を目的にしたもので、親も子もただ苦労するだけの学習になっていったのです。そのようなやり方では当然大した効果はありません。
 そこで、言葉の森では、音読の意義をさらに徹底させるために、暗唱という学習に取り組むことにしました。
 まず、自分で暗唱をしてみる必要があるので、半年ほど毎日10分の暗唱に取り組みました。
 私はもともと記憶力というものに自信がなく、聞いたことはメモをとらなければどんどん忘れていきます。たぶん、記憶力テストのようなものがあれば、学校のクラスで下から1、2位を争うぐらいだと思っていました。だから、自分にできることなら誰にもできるだろうと思ったのです。
 暗唱の練習をしてしばらくすると、新しい発想が次々とわいてくるようになりました。
 暗唱の時期と前後して、構成図で文章を書く方法や、付箋をつけながら読書をする方法もやるようになっていたので、それらが暗唱と相乗効果を発揮したのかもしれません。何しろ、急にいろいろなことを思いつくようになってきたのです。
 私は、中学生のころから日記をつける習慣があり、大人になってからは、A4サイズのルーズリーフ用紙にナンバーリングでページを入れて日記をつけていました。日記といっても、その日にあった出来事などは書かず、思いついたことをメモのように書くものです。
 毎年、年末になってページ数を見ると、1000ページ弱というのがこれまでのペースでした。しかし、暗唱を始めるようになったときから日記の量が増え、今は年間2000ページ、1日に直すと約5ページ以上も、書く内容が頭からわきでてくるようになったのです。
 また、読書の量もかなり増えたという実感があります。これは冊数を数えていないのでデータの裏づけはありませんが、読むスピードが速くなった感じです。
 たぶん今、毎日の自習をしている生徒の皆さんは、似たような感覚を持っていると思います。物事の理解が早くなり、それに関連して発想が豊かになるという感覚です。つまり、暗唱を始めて半年ぐらいたつと頭が良くなってきたという実感がわいてくるのです。
 しかし、学校の成績というものはもっと直接的なもので、テストの前にどれだけ勉強したかということに左右されます。ですから、暗唱をして急に成績が上がったというようなことはあまりないと思います。
 成績は測定できますが、頭の良さというものは測定するものがないので、目だった結果はまだないかもしれません。しかし、日記の量や読書のスピードに見られるように、発想力や理解力は増大しています。それが、長い期間の中で成績にも反映してくると思います。
 では、なぜ暗唱をすると頭が良くなるのでしょうか。それは、頭脳が扱う短期記憶の入れ物が大きくなるからだと思います。
 人間が普通に一度聞いただけで記憶できる分量は、7つまでと言われています。それが短期記憶の容量です。このため、文章で言うと、7文節ぐらいまでなら一度で覚えられますが、それ以上になると一度では覚えられません。新しい文節の単位が一つ入るごとに、古い文節の単位が一つ出ていくからです。
 しかし、暗唱の場合はそうではありません。一つの文節ではなく、いくつかの文節が集まった一つの文自体が記憶の単位になっています。これは、百人一首の短歌を覚えている場合を考えてみるとよくわかります。「ひさかたの」という最初の言葉を聞いた時点で、すぐに全部の「ひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」までが思い出されます。この場合は31文字が一つのまとまった単位になっているということです。
 文章を理解するということは、ちょうどバケツリレーで、ひとつひとつのバケツに理解できる最小単位の文節が入っていて、それを次々と運んでいくような作業です。理解する単位が大きくなると、バケツリレーという作業自体は変わりませんが、ひとつのバケツのサイズが何倍にも大きくなるのです。
 このため、暗唱をして短期記憶のひとつひとつのバケツを大きくしておくと、発想力も理解力も増すのだと思います。
 これは、ちょうど速読の仕組みと似ています。初めて文字が読めるようになった子供は、最初は1文字ずつ文字を読んでいきます。声に出しながら1文字ずつ読んでいき、その自分の声のつながり具合から何を書いてあったのか理解します。
 読むのが速くなると、声に出す必要はなくなり、文字のつながりをひとまとまりに理解しながら読み進めていきます。
 速読の場合は、この理解するひとまとまりが、5文字、10文字と増えていきます。フォトリーディングなど、更に速い読み方では、ひとまとまりの単位がもっと大きくなります。
 速読の場合は、読む単位を広げることですが、暗唱の場合は、理解する単位を広げる練習をしていることになるのだと思います。


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