言葉の森新聞2011年2月1週号 通算第1161号
文責 中根克明(森川林)

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■■2月11日(金)は休み宿題
 2月11日(金)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php


■■小5の1.4週の8番の読解問題を訂正
 小5の1.4週の読解問題の8番で、設問に出ている「処世訓」という言葉が、長文の中にありませんでした。これは、長文を短く編集しなおす過程で、その設問の対象となっている部分を消してしまったためだと思います。_(._.)_したがって、今回の8番の問題は、全員◎にします。


■■小学校1年生から始めて受験の作文につながる勉強
 言葉の森は、もともと大学生の作文指導の教室からスタートしました。その後、高校生の小論文指導や、中学生、小学生の作文指導へと指導を発展させてきました。
 ですから、小学生の作文指導をする際にも、中学高校へと勉強進めていく土台となるような勉強の仕方をしています。この小1から高3までの指導の一貫性が、言葉の森の作文指導の特徴です。
 学校や塾で小学生の作文指導ををするときは、その学年で上手な作文を書くことが目標にしてなりがちです。そのため、小学校4年生ぐらいになると、文章を書くことが好きな子は、その学年としてはほぼ完璧な作文を書くことができるようになります。どのようなテーマでも、自分なりに個性的な実例と印象的な表現で書き進めていくことができるので、保護者や先生は、これで作文の指導は一段落したと思いがちです。

 しかし、言葉の森の作文指導は、小学生のころに上手な作文を書くことで終わりになるわけではありません。言葉の森では、小学校5、6年生から説明文・感想文の指導に移っていきます。
 中学生で本格的に意見文・感想文の練習が始まると、小学生のころまで上手に書けていた子供たちが、途端にうまく書けなくなり、多くの子が作文に苦手意識を持つようになります。
 小学校高学年や中学生の課題は、テーマが抽象的になってくるので、そういう抽象的な課題を考えるための語彙力がまだ育っていない時期は、作文が一時的に下手になるのです。
 しかし、中学生で意見文の練習を始めた子は、たとえ途中でやめることになっても、構成的に作文を書く方法を理解しているので、高校入試や大学入試の作文小論文試験の際に、それまでに勉強したことを生かすことができます。
 抽象的な課題の作文力の土台となる語彙力が備わってくるのは、中学3年生のころからです。中学3年生になると、自我が成長し、勉強も自覚的に行えるようになるので、作文の力も安定してきます。中学3年生で作文が上手に書ける子は、そのまま高校生になっても大学生になっても、その文章力の基本を維持することができます。
 高校生以上の作文の勉強は、考える力をさらに深めていくという形で上手になっていく勉強です。ですから、中学生高校生の作文の上達は、難しい文章を読んだり考えたりする時間がどれだけあるかということと比例しています。


 作文の力は、読む力と比例しているので、読む力が向上してくると、ある時期から突然、作文が上手になるということがあります。
 これまでの例では、小学校4、5年生のころまではいつもふざけていい加減なことばかり書いていた子が、好きな本のジャンルができ、それらの本を読んでいるうちに、小学校6年生から突然作文が上手になり、中学高校とめきめき学力を上げていったということがありました。
 また、小学生のころから成績はよく真面目に勉強はしているものの、作文はごく普通に書けるという程度だった中学1年生が、自然科学系の部活でやはり好きなジャンルの本を読むようになると、高校生の後半からぐんぐん作文が上手になっていったという例もありました。
 作文の勉強は、書き方を教えてすぐに効果が出る面ももちろんありますが、本当の実力は、読む力をつける中で少しずつ蓄積されて行き、ある日突然開花するものです。
 作文の勉強をする上で大事なことは、今の学年で上手に書くことばかりでなく、先の学年に進んだときに質の違う上手な作文を書けるようになるという展望を持って勉強を進めていくことです。


■■読み書きによって発達する脳力と脳の可塑性
 人間の脳には、かなり高い可塑性があるようです。脳力は、生まれつきという面ももちろんありますが、その後の教育の仕方で大きく変わる面も持っています。
 生物の成長には臨界期というものもありますが、人間の場合は、その臨界期もある程度修正できるようです。
 「赤ちゃんに読みをどう教えるか」(グレン・ゴードン)という本の中で、いくつかの参考になる実例が挙げられています。
 一つは、脳の生まれつきの障害で、大脳の半球を切除した子供たちのその後の経過です。特別の教育をしたわけではないのに、成長してから平均以上の知力を示した子が何名もいました。また、中には、きわめて高度な知能指数を持つようになった子もいたそうです。
 もう一つは、教育によって、生まれつきの脳障害が著しく改善した例です。生まれながらの重度の脳障害で、2歳のとき、医者から、将来歩くことも話すこともできないだろうと診断された子が、3歳から両親の話しかけ、読み聞かせ、そして文字を読ませる教育によって、5歳になったころには、健常児よりもすぐれた理解力を示すようになり、6歳には普通の子同じように歩けるようになったということです。
 これらの例を見ると、脳は決して能力の貯蔵庫のようなものではなく、一種のアンテナのようなもので、脳の細胞の数に比例して脳の力が決まってくるというようなものではないようです。
 以上は、脳に障害のある子の例でしたが、器質的な障害がある場合にも、その後の教育によって脳の機能が大きく改善し障害を克服できるとしたら、健常児の場合も、教育によって更に大きな進歩があるはずです。
 世間でよく言われる頭のよい子というのも、決して生まれつきのものではなく、読み書きの教育によって成長する能力なのだと思います。
 また、脳の活性化は、子供の教育ばかりではなく、大人の教育や更には老人の介護にも役に立ちます。
 肉体の機能は、使わなければ退化していきます。走る練習をすれは、筋力や心肺機能が鍛えられるように、脳の力も、脳に適した方法で働かせることによって、より鍛えられていきます。
 脳の運動として、最も活発な運動を必要とするものは、やはり、進化的に脳の最も最後になって発達した言語の機能です。
 老人の脳の活性化のために、子供の教育と同じような方法が使えるとすれば、話しかけること、質問すること、読み聞かせをすることなどが脳の運動につながります。
 このような理由で、本を読む生活、文章を書く生活をしている人の脳力は、いつまでも若々しい状態を保っているのです。


■■問題集読書で力のつく子つかない子
 言葉の森では、小学校高学年以上になると、問題集読書の自習を選択することができます。問題集は、小学5・6年生が中学入試用、中学生が高校入試用、高校生が大学入試用のものです。いずれも、昨年度のものを使います。市販の問題集のように何年も前の文章が載っているようなものだと、物語文はまだいいのですが、説明文では時代後れになってしまうことがあるからです。
 この問題集読書は、毎日4、5ページずつ読んでいき、1回読み終えたらまた最初から同じように読み、全体を1年間を通して4、5回繰り返すという読み方をします。ただ読むだけでは、つまらないので、自分らしい記録ができるように、読んだ文章をもとに四行詩を書くという形にしています。
 ところが、ここで、四行詩だけはしっかり書いてくるが、文章を読むよりも書くことが勉強の中心になってしまうような子も出てきます。
 小学校5、6年生から中学生にかけては、勉強の意義がいちばんあいまいになる時期です。小学校低中学年では、親や先生が言ったことを忠実にやるので、問題はありません。高校生になると、今度は自分で自覚的に勉強をするようになるので、これも問題はありません。しかし、小学校高学年から中学生にかけては、勉強の自覚がないのに要領だけはよくなるという時期で(笑)、勉強が中身のない外見だけのものになりやすいのです。
 問題集読書で大事なのは、文章を読むことです。その副産物として四行詩があるのですが、中学生のころは、四行詩という形が残ることを優先して、肝心の文章を読むことを二の次にしてしまう人も多いのです。
 問題集を読むときは、印象に残ったところに線を引きながら読んでいきます。物語文では、あまり線を引くようなところはありませんが、説明文では、線を引いておきたいところはかなりあるのが普通です。問題集読書が内実のあるやり方で行われているかどうかは、問題集の問題文にどれだけ線が引いてあるかということを見ればわかります。問題集読書を家庭でチェックする場合は、問題文にしっかり線が引いてあるかどうかということを見ていくといいと思います。
 問題集読書で力のつく子は、毎日線を引きながら読んでいる子です。毎日といっても、読むのにかかる時間は1日10分程度です。力のつかない子は、毎日ではなく時々まとめて読むような読み方だったり、線を引かずに読んでいたり、読むことよりも四行詩を書くことを中心にしている子です。
 国語力をつける基本は、まず毎日読むこと、そしてできれば難しい文章を読むこと、という基本を忘れずに勉強をしていってください。


■■小1から始める作文の勉強が学力を育てる
 言葉の森では、幼稚園年長や小学校1年生から作文の勉強を始めることができます。しかし、幼稚園のころは、家庭で楽しくお父さんやお母さんと話をしているだけでも十分です。年齢的に無理なく始められるのは、ちょうど幼稚園から小学校に上がるころです。
 しかし、これから小学校1年生になる子は、文字がやっと書けるぐらいです。書けても、「く」の字が左右逆になっているようなこともよくあります(笑)。また、読むことにもまだあまり慣れていないので、声を出して読むことによって自分の耳で聞いて初めて理解するような読み方です。
 ですから、作文を書いても、最初に書けるのは2、3行です。また、書き方を先生や親が説明しても、一度で理解することはほとんどありません。会話をカギカッコで書いて行を変えるというようなことも、何度言ってもできないというのが普通です。しかし、それを無理にできるようにさせる必要はありません。
 では、そういう勉強で何が身につくのでしょうか。2、3行しか書けない作文を書いているぐらいなら、国語の問題集を解いたり、漢字の書き取りをさせたりする方がいいのではないでしょうか。ところが、そうではないのです。逆に、問題を解いたり、漢字の書き取りをしたりという勉強的なことをすると、かえって国語の力がつかないことも多いのです。
 それはなぜかというと、勉強というものを生活から分けて考え、勉強が済んだからあとは遊んでいいということで、テレビを見たりゲームをしたりしてしまう生活になりやすいからです。国語の力は、国語の勉強の中でつくのではなく、国語的な生活の中でつくのです。
 低学年からの勉強で、もっと問題なのは、勉強のときだけは親と子の接触があるが、勉強が終わると親は親の生活に、子供は子供の生活に分かれてしまい、親子の対話が少なくなってしまうことです。子供の国語力は、日常生活における親子の対話の中で育ちます。親子の対話が少ないのに、国語の勉強だけをしても、言葉の力は発達しません。
 子供が子供どうしで遊ぶというのはよいことですが、そこで楽しく遊んでいるときに交わす会話は、子供どうしのきわめて限られた語彙で通じるような内容です。語彙力のある子と語彙力のない子が一緒に楽しく遊ぶためには、その遊び仲間のいちばん語彙力の少ない子に合わせた会話をしなければなりません。小さい子供は、親との対話がなければ語彙の力を豊かに育てることができないのです。
 しかし、テレビやCDやDVDのような機械による音声で日本語に接するというのは、もっと大きな弊害があります。機械による学習は、子供の感情を破壊する面を持っています。特に、CDやDVDで聞かせる音声が、日本語でなく外国語であるような場合は、感情だけでなく知力の発達も抑制するようになります。
 しかし、もしこれまでそういう生活をしてきた場合でも、今からやり直せば間に合います。そのやり直しの基本は、親子で対話をする機会を増やすことです。そして、更に、本を読む時間を確保していくことです。
 ここで、言葉の森の作文の勉強を生かすことができます。言葉の森の勉強は、毎週1回作文を書く勉強ですが、そこに毎日の生活の中での読む学習、親子で対話をする学習を結びつけることができます。それが、長文の音読と暗唱、読書、作文を書く前の対話、作文を書いたあとの対話、子供の音読や暗唱をもとにした対話という学習です。
 毎日の生活の中で、日本語を読む機会、聞く機会、話す機会を増やし、しかも、その内容を意識的にレベルの高いものにしていくというのが、国語力を育てる最も優れた方法なのです。


■■読書で国語力をつける―大事な読み聞かせ

 子供にとって読み聞かせは、国語力をつける上で大きな役割があります。
 ところが、兄弟がいて下の子がまだ小さい場合、母親はその下の子にかかりきりになり、上の子の読み聞かせまで十分に手が回らないということが起きてきます。
 このときの方法は、下の子に読み聞かせる文章を、同じように一緒に上の子にも読み聞かせるというやり方です。
 母親が読んであげるのですから、本の内容は多少難しいものでも構いません。子供にとってわかりにくいところは、親が適当にアレンジして、上の子にも下の子にも同じように楽しめる形にして読んでいけばいいのです。

 子供が小学生になると、本は自分で読むものだといって、親が子供への読み聞かせをやめてしまう場合がときどきあります。しかし、子供は、それほど簡単に自分で読む力を身につけるわけではありません。長い読み聞かせの時期と並行して、少しずつ自分で読む楽しさを覚えていくのです。
 読み聞かせをすると、それに甘えて自分で読む力が育たないなどという人がいますが、それは全く反対です。読み聞かせをすることによって耳から文章を理解する力がつくので、自分で本を読む力も育っていくのです。
 自分から進んで読書しない子の場合、興味のある本ということで、漫画や攻略本のようなものを読ませるのも一つの方法です。ゲームの攻略本は、難しい漢字にふりがながついているので、自然に読む力が育ちます。漫画も同様で、漫画の中の会話がそれなりによく練られているものであれば、漫画を読むことは決してマイナスにはなりません。ただし、漫画が読解力のプラスになるのは、小学校低学年の間までです。
 これは学習漫画も同様で、絵の助けを借りて読むような本は、知識は身につくかもしれませんが、読解力を育てることにはなりません。
 読む力をつけるためには、毎日必ず家庭で読む時間を確保することです。その読書タイムのときは、子供だけでなく、家族全員で本を読むようにしてもよいと思います。それぞれの子供の読む実力を見ながら、1日10ページ以上とか50ページ以上とか決めて、毎日読む時間を確保していきます。
 読む本は、漫画や絵本や学習漫画や雑誌のようなものでなければ、自分の好きな本を何でもよいとします。大事なことは、本の選び方よりも、毎日読むという習慣をつけていくことです。


■■添削された作文を暗唱するシュリーマンの作文勉強法

 海外に暮らしていた人が日本語の作文の学習をするとき、語彙力はそれなりに豊富なのに、簡単な「てにをは」のような助詞の使い方に不自然なところがあるというような場合があります。
 「てにをは」の感覚は、子供時代に接した日本語に左右されるので、言葉の上で間違いを指摘したからといってすぐにそれが理解できて、正しく書けるようになるわけでありません。
 この場合、シュリーマンの行った作文の勉強法が役立つと思います。
 外国語の学習でいちばん難しいのは、読むことや聞くことや話すことではなく、文章を書くことです。シュリーマンは、外国語で文章を書く練習をするために、自分の書いた文章をその言語をネイティブに使っている人に添削してもらい、その添削された文章を丸ごと暗唱するという練習をしたそうです。
 ここで、言葉の森が行っている長文暗唱の練習法が役に立ちます。
 自分の書いた文章を正しく添削してもらい、それを丸ごと暗唱するという勉強をしていけば、読む力をつける中で作文力をつけるというやり方よりも、もっと早く効果的に書く力がついていくと思います。


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