言葉の森新聞2011年8月1週号 通算第1186号
文責 中根克明(森川林)
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■■【重要再】8月12日(金)〜18日(木)は休み宿題
予定表に書いてあるとおり、8月12日(木)〜18日(木)は休み宿題になります。
先生からの電話はありませんが、自宅でその週の課題を書いて作文を提出してください。
ほかの日に教室に来るか教室に電話をして、その週の説明を聞いてから書くこともできます。
休み宿題のときに、電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
■■振替授業について(再掲)
振替授業の受付時間は下記の通りです。
(月〜金) 9時〜19時50分
(土) 9時〜11時50分
振替授業の予約はできません。作文が書けるときに直接教室にお電話ください。なお、夏休み中は、混みあうことがあるため、20分くらいお待ちいただく場合があります。
8月12日(金)〜18日(木)は、教室が夏休みのため、振替授業もありません。
■■夏休み中は返却講評が遅れることがあります
夏休み中は、教室が休みになる週と担当の先生が休みをとる週があるため、作文の返却や講評が一時的に遅れる場合があります。ご了承ください。
■■【重要】問題集読書の登録受付(小6以上の希望者のみ)
本年受験用の入試問題集が、7月までに書店に出そろいました。
昨年までの入試問題集で問題集読書をやっていた人は、この7月でいったん終了し、8月から本年用の新しい問題集で問題集読書を行います。(ただし小6以上の希望者のみ)
問題集読書とは、小6の受験生(中学入試問題集)、中学生(高校入試問題集)、高校生(大学入試問題集)におすすめする自習です。(小5の生徒にはやや難しいので小6になってからがよいと思います)
問題集読書の方法は、毎日4〜6ページを傍線を引きながら読み、1冊を1年間を通して繰り返し読むというやり方です。
更に詳しい意義と方法は、下記のページをごらんください。
「問題集読書と四行詩の手引」( http://www.mori7.com/mori/mori/mdds.html )
問題集読書の自習に取り組まれる方は、下記のページからお申込みください。
「問題集読書自習登録( http://www.mori7.com/mori/mori/mdds.html )
(問題集は、ご家庭でご用意ください(3000円〜5000円程度)
■■読書感想文批判(低学年では苦しく書かせるより、楽しく読ませることを)
毎年夏になると、学校から感想文や作文の宿題が出されます。
この宿題の問題は、三つあります。
第一に、感想文は本来小学校低中学年では、書けないものであることです。
第二に、中学生の宿題でよく出されるのが、「人権」や「税金」という決まりきったものであることです。
第三に、作文や感想文の肝心の指導が学校でなされず、すべて家庭への宿題という形で丸投げされていることです。
第一の話から説明すると、感想文が意味のある勉強になるのは小学5年生からです。このころになると、構成力や思考力が育ってくるからです。
小学4年生までは、文章全体の構造を考えたり、物事の背後にあるテーマをとらえたりする力はまだ育っていません。しかし、感想文で最も大事なのが、この全体の構造とテーマなのです。
では、なぜ小学校低中学年の感想文を上手に書ける子がいるかというと、それは、たまたまよく書けた文章に、親や先生が手を入れているからです。
しかし、それでは、親や先生の勉強であって、子供の勉強ではありません。だから、私は、小学校低学年の保護者の方から、「学校で感想文の宿題が出ているのですが」という相談があったときは、「感想文は、お母さんが書いてあげてください。子供は楽しく本を読むだけでいいです」と答えています。
第二の、中学生での「人権」や「税金」の作文ですが、なぜこのような宿題が出るかというと、ただコンクールがあるという理由からです。決して教育的な目標があって宿題を出しているのではありません。
教育的な意義を考えるなら、もっと子供が自分の身近な経験に照らし合わせて考えるような課題にするべきです。
このコンクールへの出品というのも、また問題があります。コンクールというものは、一見、学習の評価に似ていますが、実は評価されるのはひとにぎりの入選した子だけで、大多数の子は大きくまとめてボツになるだけです。だから、自分の書いたものが賞に入らなかったことはわかりますが、それ以上のことは何もわかりません。
第三の、指導の不在という問題が、実はいちばん大きい問題です。
作文や感想文をどういう手順でどう書けばいいかということは、学校ではほとんど教えられていません。日常の学習の中で文章の書き方の指導がないために、感想文というと、あらすじだけを長々と書いたり、感想だけを延々と繰り返したりする子が出てくるのです。
では、どうしたらいいのでしょうか。
実は、小学校高学年からの感想文は、やり方によってはかなり有意義な勉強です。難しい文章を読んで、それを自分なりに考え、裏づけとなる実例を通して、読み手にわかるように書くというのは、読解力、思考力、表現力の総合的な学習になります。
しかし、それには前提が必要です。
ひとつは、生徒が事前にその課題の文章を何度か繰り返し読んでおくことです。
もうひとつは、生徒ができれば身近な人(家族など)と話をして、その文章の具体例を考えておくことです。
そして最後に、先生が、書き方の流れを事前に説明し、それから生徒に書かせることです。
こういうやり方をすれば、小学校高学年、中学生、高校生の感想文は、子供の学力を育てる優れた勉強になるのです。
■■「桃太郎」を例にした感想文の書き方
みんながよく知っている「桃太郎」を読んで感想文を書く練習です。このような形で書いていけば、読書感想文は簡単です。
感想文のコツは、似た話を長く書くことです。1日に書く分量を400字ぐらいにしておき、3日か4日で全部仕上げるようにすれば負担がありません。
以下は、小学校5、6年生ぐらいで書く感想文の例です。
▼1日目
緑の山と青い川、桃太郎が生まれたのは、こんな自然の豊かな村だった。しかし、その村は、毎年来る鬼のためにとても貧しい村だった。(情景などがわかるようにして書き出しを工夫する)
ある日、いつものように、おばあさんが川で洗濯をしていた。すると、川上から大きな桃がドンブラコッコ、ドンブラコッコと流れてきた。(物語の序盤から引用する)
ぼくは、一年生のころ、父と母と弟でキャンプに行った。キャンプ場には、きれいな川があり、その川の近くでぼくたちはバーベキューをした。食べたあとのお皿を洗うと、川の流れがすぐに汚れを運んでくれる。ぼくは、昔の人はこんなふうに川で洗濯をしたのかなあと思った。(自分自身の体験を書く)
さて、その川のキャンプでのいちばんの思い出は、冷やしておいたスイカがいつの間にか流されてしまったことだ。夜冷やしておいて、次の日に食べようと思っていたスイカが、朝起きてみるとなかった。一緒に冷やしておいた父のビールはそのまま残っていたので、たぶん夜のうちに川に流れていってしまったのだろう。
ぼくは、ふと、桃太郎の生まれた桃も、上流でだれかが冷やしておいたのではないかという気がしてきた。(この感想は主題に関係なくてもOK)
▼2日目
桃から生まれた桃太郎は、一杯食べると一杯分、二杯食べると二杯分大きくなった。しかし、桃太郎はいつまでも食べては寝るだけで何もしようとしなかった。(物語の中盤から引用する)
ぼくの小さかったころの話を、父と母に聞いたことがある。最初三千グラムで生まれたぼくは、一年たつころには、もうその三倍の十キログラム近くになっていたそうだ。ぼくの今の体重は三十五キログラムなので、生まれたときの約十倍になっている。そんなに大きくなるまで何杯ご飯を食べたかはわからないが、たぶん最初のころの桃太郎と同じようにぐんぐん大きくなっていったのだろう。(身近な人に取材する)
母に聞くと、ぼくは小さいころ、自分から言葉をしゃべろうとせず、まるでお地蔵さんのようにいつもにこにこ人の話を聞いているだけだったそうだ(「まるで」という比喩は文章を個性的にする)。母は、そのことを少し心配していたらしい。たぶん、そのときの母の気持ちは、いつまでも食べて寝るだけの桃太郎を見ておじいさんやおばあさんが感じた気持ちと同じではなかったかという気がする(「たぶん」という推測は自然と感想になる)。
▼3日目
やがて成長した桃太郎は、犬と猿とキジを連れて鬼を退治に出かけた。犬は噛み付き、猿は引っかき、キジは目を突っつき、桃太郎は鬼を投げ飛ばした。(物語の終盤から引用する)
ぼくは、この戦いぶりを見て、ふとぼくたちのサッカーチームを思い出した。サッカーには、もちろん、噛み付きや引っかきはない。まして目を突っついたりしたらすぐに退場だ。しかし、足の速い次郎君、シュート力のある和田君、ピンチのときでもみんなを笑わせるケンちゃんなど、ぼくたちのチームは、それぞれの得意なところを生かす点で桃太郎のチームと似ているのではないかと思った。
このことを父に話すと、父は、こんなことを言った。
「桃太郎がいなかったら、鬼には勝てなかったけど、桃太郎が四人いても、やはり鬼には勝てなかっただろうなあ」(長い会話をそのまま書くと味が出る)
ぼくは最初、桃太郎だけが主人公で犬や猿やキジは脇役だと思っていたが、次第に全員がそれぞれの役割で主人公なのだと思うようになった。どうしてかというと、みんなそれぞれの長所があり、その長所でお互いの短所を補い合っているからだ(「どうしてかというと」などの接続語を使うと感想も長くできる)。(結びは、本の主題に関する感想を書く)
▼4日目
鬼を退治し、宝物を持って村に帰った桃太郎は、それからどうしただろうか。きっと、もう鬼の来ない平和な村で、豊かな自然に囲まれて楽しく過ごしたにちがいない。おばあさんが洗濯をしているきれいな川の横で、犬や猿とキジと水遊びをしている桃太郎の姿が思い浮かぶ。(書き出しと結びを対応させる)
いま、ぼくたちの街に、桃太郎が戦うような鬼はいない。しかし、ぼくたちの街には、桃太郎が暮らしていた緑の山や青い川もない。もし、桃太郎がいまここにいたら、人間にとって戦う相手は鬼ではなく、きれいな自然を取り戻すことになるかもしれない。そして、その桃太郎とは、たぶんこれからのぼくたちなのだ。(「人間」という大きい立場で考え、自分のこれからの行動に結びつける)
■■子供を本好きにするために、読書は家族ぐるみで
小学生で本をよく読む子と読まない子の違いはどこにあるかという、親が本を読むかどうかによるという調査結果があります。
http://www.edita.jp/education2/one/education28260458.html
私は、この調査を見たとき、それはそうだろうと思いましたが、今さらそういうことを言っても解決策にならないだろうと思い、このことはあまり強調しませんでした。
例えば、保護者から、「うちの子は、本を読まないんですが、どうしたらいいでしょうか」という相談がよくあります。そのときに、「それは、お母さんが本を読まないからです」と言っても、何の解決にもなりません。
また、親が本を読まないでも、子供がしっかり本を読む例はたくさんあります。例えば、古い話になりますが、野口英世と野口英世の母の関係はまさしくそうだったでしょう。
今の親の親にあたる世代は、戦争中に青少年時代を過ごし、戦後の経済成長を猛烈に仕事をしてきた世代ですから、当然本を読む余裕などはありませんでした。現に、私の家でも父や母は教養のある人でしたが、家で本を読んでいる姿を見たことはほとんどありません。生活が忙しくてそんな余裕はなかったのです。しかし、子供である私は本好きになりました。
だから、子供の読書嫌いを、親が本を読まない結果と考えるのは、物事の一面を表してはいますが、それが決定的な要因ではないし、工夫次第でいくらでも子供を本好きにする方法はあると思っていたのです。
そこで、言葉の森が保護者に提案する読書の方法は、「毎日10ページ以上読む」ということにしました。これなら、どんな子でもできます。また、低学年で文字をスムーズに読めない子の場合は、親が10ページ以上読んであげればいいのです。
なぜページ数であって時間ではないかというと、もし10分間というような時間で区切るようにすると、読んでいる途中に時計を気にして読書に集中できないからです。また、ほかの勉強でも同じですが、時間を区切ってやる形の勉強は集中力が低下します。一生懸命にやっても、遊びながらやっても同じ時間までやらなければならないということになれば、だれでも遊びながらやる方を選ぶからです。
10ページというのは、大人が普通に黙読する時間としては10分ほどです。これぐらいの分量なら毎日読むことは苦痛でもなんでもありません。
そして、本というものは人間を引きつける要素がありますから、10ページ以上と決めて読んでいると、必ず途中で止まらなくなってもっとたくさん読むようになります。読書が苦手なうちは、10ページぴったりでやめていても、読む力がついてくれば、自然に読む楽しさに目覚めてきます。
ところが、ここで大事なのが毎日ということです。2日に1回とか、週に3,4回ということではなく、毎日欠かさずに読むことが条件です。なぜかというと、読書というものは毎日の習慣になると自然に読めるのですが、1日でも読む日がないと、そこで習慣が止まってしまうことが多いからです。
読書には、このような性質があるので、子供の読書冊数についても、よく読まない子と全然読まない子に二極分化します。読む子と読まない子がなだらかな曲線になるのではなく、読む子は毎日読むし、読まない子は全然読まないという分布になるのです。
毎日10ページ以上という読書の仕方を続ければ、だれでも本を読むようになります。学校で取り組まれている「朝の10分間読書運動」も、同じ考えです。何を読むかとか、どう読むかとかいう難しいことを一切抜きにして、自分の好きな本を10分間読むというだけで、小学生の子供たちの学力も読書力も向上したのです。
しかし、私は、その後、家庭での毎日10ページの読書というのが簡単に見えて、意外に難しいのではないかということに気づき始めました。その理由は、親自身に毎日本を読む習慣がないので、子供がたまに本を読まない日があってもそれを見過ごしてしまうからなのです。
すると、最初の調査結果にあったように、親が本を読まないから、子供も本を読まないという結果になるということがわかってきました。
だから、子供を本好きにするためには、子供だけに毎日10ページ以上の読書をさせようとするのではなく、家族ぐるみで、父親も、母親も、大きい子も、小さい子も、まだ本を読める年齢になっていない子も含めて、すべての人がその時間はいったんテレビなどを消して本を読むというようにしなければなりません。
このときに、親がどのような本を読めばいいのかというと、それは子供の読書と同じです。自分の好きな本でいいのです。ただし、漫画や図鑑や雑誌は、この場合の本とは見なさないと決めておきます。
子育ての一環として、家族で本を読む時間を確保すれば、そこから親子の対話も増え、読書のある生活が家庭の文化として定着していくでしょう。
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