言葉の森新聞2012年8月3週号 通算第1236号
文責 中根克明(森川林)

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■■港南台教室の授業の様子

 夏休み、通信で受講している生徒が、たまに港南台の通学教室の見学に来られることがあります。
 しかし、通学の教室では特別なことをしているわけではありません。ただひとりずつ生徒が来て、暗唱チェックをしたり、似た話の相談をしたりしたあと、静かに作文を書き始めます。ときどきお喋りする子がいて、笑い声が起きるぐらいで、みんなばらばらに静かに勉強しているだけです。
 ですから、面白い授業があるわけでもなく、家庭で勉強していることをそれほど違いはありませんので、あらかじめお知らせしておきます。(^^ゞ

 ところで、国語に限らず、本当にいい授業は一斉指導のようなものがない授業です。ひとりひとりが思い思いに別々のことに取り組んで、ときどき先生とひとことふたこと相談するという形が最も能率のいい授業です。
 一斉授業でクラス全体が盛り上がるというのは、たまにはいいかもしれませんが、それは先生が主人公になっている授業で、生徒にとってはあまり身のつかない授業です。
 言葉の森の通学教室が、必ずしも能率のいい授業をしているというわけではありませんが、勉強の基本的なスタイルとして、先生が教え込まない授業を目指しているということをご理解ください。

 このことと関連して、いくつかの例を思い出しました。
 ひとつは大村はまさんの授業を見た人の話ですが、やはり、その授業は先生が子供たちの机の間を巡回してひとことふたこと声をかけるだけで、何をしているかよくわからない授業だったそうです。
 また、今、英語教育で話題になっている鵜沢戸久子さんの英語教室の授業ですが、やはり一斉授業らしいものはないので、見学に来た人はとまどうというようなことが書いてありました。
 教育関係の本をよく出している受験プロの松永暢史さんが、若いころ家庭教師をしていた経験で、同じようなことを書いていました。
 よくできる子を教えていたときに、呑み込みが早いので次々と説明して教えていたところ、最初は順調に進んでいたが途中から成績が伸び悩み最後まで回復しなかったそうです。逆に、同じころ教えていたもうひとりの生徒は、先生が説明をあまりせずに本人が自分で苦労してやる勉強スタイルだったために、最初はそれほどでもなかったが、途中から成績が予想以上に上がったということでした。
 先生が熱心に教え込むスタイルの勉強は、先生にも生徒にも満足感がありますが、かえって勉強の密度を低下させてしまうことがあるようです。こういう勉強法の研究がこれから必要になってくるのだと思います。


■■プレジデントファミリーの付録、ますます人気に


 プレジデントファミリー9月号の特別付録「作文、読書感想文のテクニック」が人気です。
 これは、本誌と同じぐらいの価値がある内容で(笑)、構成の仕方については、大学入試の小論文まで使えるものです。しかも、すべて言葉の森のオリジナルですから、ほかの作文教室や学校などでは扱っていません。
 ただ、中身を面白く書いたために、中にややふざけた内容のところがあります。「鶴の恩返し」の感想文の例などは、元の本を感動して読んだことのある人にはちょっとギャップがあるかもしれません。しかし、構成の仕方は感想文や小論文の書き方の参考になると思います。


■■「朝日中学生ウィークリー」に、言葉の森の読書感想文の書き方

 先日、「朝日中学生ウィークリー」の方が取材に見え、中学生の感想文の書き方について、私(森川林)が1時間ほどインタビューに答えました。
 8月の記事で掲載されると思います。


■■勉強の目的(facebook記事より)
 勉強の目的は、テストでいい点を取ることではありません。
 テストでいい点を取るのは、勉強の結果です。

 親や先生が子供に勉強を教えるときの勉強の位置づけが、子供の勉強観をそだてます。
 試験に合格することを目的にした勉強は、試験に合格すればそれで終わってしまいます。

 勉強は、自分自身を向上させるためにするのです。
 人間は、もともと向上心を持ち、自分がより賢くより魅力のある人間に成長していくことが嬉しいから勉強するのです。
 そして、その結果として、世の中に新しいものを作り出し、社会に貢献していくことができるのです。

 子供たちの勉強観を育てるためには、まず自分たち大人が、自身の人間観、世界観を育てていく必要があります。
 自分が日々よりよい人間として行動することが、よりよい子供たちを育て、よりよい未来を作っていくことになるのです。
 (中根)


■■お弁当(facebook記事より)
 つい先日、「弁当の日」という取り組みが全国的にじわじわと広がっていることを知りました。ご存知の方、いらっしゃいますか? もしかしたら「やってます!」という方もいらっしゃるかもしれませんね。この「弁当の日」、単にお弁当を持っていくというわけではありません。子どもが自分で作ったお弁当を持参する日なのです。それも、献立を決め、買出しするところから始まるというから本格的です。当日は早朝から子どもが台所に立ちお弁当を作ります。親は手伝わないことになっているそうですよ。
 香川県のある...小学校から始まった活動なのですが、「弁当の日」を提案した竹下校長先生(当時)は、保護者から即答で反対されたそうです。理由は、危ないから、時間がない、面倒、できるわけがない等々。しかし、そんな反対の声をおしのけ、今では全国で千校を越す学校が取り入れるまでに広がっています。
 なぜ「弁当の日」が認められてきたか。そのいちばんの理由は、「弁当の日」を通して家族のコミュニケーションが密になる確かな手ごたえがあったからのようです。料理を通して親子共通の会話が増えるだけでなく、子どもは親のありがたみを実感します。子どもの健やかな成長にとって家族の団らんは欠かせないとよく言われますが、「弁当の日」は、毎日の生活の中で家族のコミュニケーションを取り戻す具体的なアプローチになっているようです。

大人が子どもたちに「一家団らんの楽しい食事」という「DNA」を伝えれば、それは100年後の子どもたちにまで届くと思っています。

竹下さんはそう語ります。

 同じことが作文を書く際の親子の対話にも言えると思います。小学校高学年から中学生くらいになると、親子の会話の内容もほとんどが学校や勉強のことになるようですから、ある話題について親子で楽しく対話をする機会というのは実はとても貴重ではないでしょうか。先ほどの食と同じく、各家庭における対話の習慣も、「DNA」として子孫に伝えることのできるものだと思います。

2010年の言葉の森HP記事より次の記事をご紹介します。

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「対話のある作文の勉強で、父母の歴史を学ぶ」
http://www.mori7.com/as/869.html

 言葉の森の作文の勉強は、対話ができることが特徴です。小学校低中学年の場合は、長文を読んでいるときに、その話題に合わせて親が話をしてあげることができます。

 しかし、長文の音読では、その場に父親や母親がいなければ聞いてあげることができません。暗唱であれば、父親が会社から遅く帰ってきたときでも、そこで子供の暗唱を聞いてあげることができます。平日に聞けない場合は、日曜日にまとめて聞いてあげることもできるでしょう。また、田舎に遊びに行ったとき、おじいちゃんやおばあちゃんの前で暗唱を聞いてもらうこともできます。

 そこから話が始まります。例えば、小学校3年生の暗唱長文に、「モグラの話」があります。それを聞いたあと、「あ、お父さんも子供のとき、モグラをつかまえたことがあるなあ」。すると、母親も、「あ、お母さんも、モグラを見たことがある」。それを聞いていたおじいちゃんが、「おじいちゃんなんか、モグラを飼っていたぞ」(ということはないでしょうが)と話が進んでいきます。

 小学校3年生以上では、題名課題の作文が出てきます。この題名課題の表現項目の中に、「聞いた話、似た話」があります。小学校5年生になると、更に難しい感想文課題が中心になり、やはり「似た例」が出てきます。この「似た話」の部分で、父や母や祖父母が、自分の経験を話して聞かせてあげることができるのです。

 すると、それらの話の中で、必ず親の自慢話が出てきます。最初は失敗談のような話でも、だんだん自慢の話になってきます。実は、そこが大事なのです(笑)。普通、赤の他人の前では、自慢話はできません。ところが、子供は喜んで父親や母親の自慢話を聞いてくれます。時には、「またか」と思いながら聞くこともあるでしょう。しかし、子供は、そこから自分の生き方の理想像を見つけていくのです。

 だれでも、よりよく生きたいという規範意識を持っています。この規範意識を育てるのが、両親の尊敬できる歴史です。それは、日本人の祖先の尊敬できる歴史を学ぶということにもつながっているのです。

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 いつもより心にちょっぴり余裕のできる夏休み。お子さんとの対話を楽しんでみてはいかがでしょうか。  (菅野恭子)


■■「本でも読んだら」と言っても(facebook記事より)
「いくら『本でも読んだら』と言っても読まないんです」
というお母さんがいます。

 その前に、子供にさせることがあるのです。
 それは、朝起きたら「おはようございます」というあいさつをすること、
 何か言われたときに、返事は「はい」と言うこと、
 人に何かを頼まれたら、嫌な顔をせずに引き受けること、
 その場にいない人の悪口は言わないこと、
 玄関の靴はそろえておくこと、
 席を立ったらイスをしまうこと、
 食事中はテレビは消すこと、などなど。

 これらは、家庭の文化です。
 させるのに、理由は何も要りません。
 こういう家庭の文化を通して、社会性のある子、仕事を苦にしない子、思いやりのある子が育つのです。
 当然、弱い者いじめをするような子は育ちません。

 今の親の世代の多くは、「道徳は他人から強制されてするものではない」という、一見耳あたりのよい非文化的な言葉に洗脳されています。
 大事なのは、自分個人の利益で、成績さえよければあとはどうでもいいという動物的な生き方が人間らしい生き方だと勘違いしているのです。

 そうではなく、人間には、自分個人の利益よりも大事なものがあり、成績よりもずっと大事なものがあるということを、大人がまず子供に言わなければなりません。

 そういう家庭の文化が育つことで、子供も人間らしく成長し、当然読書も勉強も進んでするようになるのです。

 (中根)

 とは言っても完璧な親などはひとりもいません。

 日本の家庭文化は、戦後の教育によっていったん大きく破壊されてしまったからです。

 だから、これから私たちひとりひとりが、本来の日本のよさを取り戻す文化を家庭から作っていく必要があるのだと思います。


■■言葉の森を始めたとき(森川林のブログより)


 昔、言葉の森を始めたとき、国語教室のようにはしないと思っていました。
 国語に限らず、勉強などは誰でもやればできて当然で、わざわざ人に教えてもらう必要はないと思っていたからです。
 できない生徒をできるようにするというのは、病人を健康にするということと同じで、特に何も新しいことはありません。それは、できる生徒をもっとできるようにするということでも変わりません。
 そういう既成の価値観の延長にない新しい創造的なことをしようというのが言葉の森の出発点です。もちろん、その勉強が、結果として成績の上昇に結びつくのはいいのです。しかし、ただ成績の上昇しか目的がないのでは、それは世の中に対して価値ある仕事にはならないと思ったのです。
 では、作文教育の目的は何かといえば、それはもちろんいろいろな面がありますが、最も大事なものは、創造性を育てる作文ということです。
 受験のための作文小論文などは、だれでも教えられます。それよりももっと先にある目標が創造性です。
 これからも、この原点を確認しながらやっていきたいと思っています。


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