言葉の森新聞2012年9月4週号 通算第1241号
文責 中根克明(森川林)
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■■9月22日(土)は休み宿題(再掲)
9月22日(土)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時-午後7時50分。電話0120-22-3987)
電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
■■4週は読解問題と清書。幼稚園生は作文
幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習です。自由な題名で作文を書いてください。
小学1年生以上の生徒は、読解問題と清書を行います。読解問題の時間がかかるため清書の時間が取れない場合は、読解問題は省略するか最初の2問だけをやる形でも結構です。
■読解問題の答えの書き方、送り方
読解問題の答えを作文用紙に書く場合は、問題の番号と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。
読解問題の用紙は返却しませんが、選んだ番号と正解は山のたよりに表示されます。
読解マラソンの問題のページから答えを送信すると、その場で採点結果が表示されます。
(この場合、作文用紙に答えを書く必要はありません)
※図解の説明は、「学習の手引」の「10.読解問題と清書の仕方」をごらんください。
http://www.mori7.com/mori/gate.php?ki=gate#27
■手書き清書の送り方
手書きの清書は、翌月の1週の作文と一緒に返却します。
パソコンで清書を入力した場合、手書きの清書は必ずしも先生に郵送などで送る必要はありません。手書きの清書のスキャン画像を作文の丘からアップロードした場合、先生に郵送などで送る必要はありません。
■パソコン入力清書の送り方
4週の清書は、手書きで清書をした場合も、そのあと、できるだけパソコンで再入力したものを「作文の丘」から送ってください。これは、作文の進歩を生徒が実感できるようにし勉強の意欲につなげていくためです。
清書を送る場合、週は必ず「4週」を選択してください。ほかの月や週を選択すると、その月と週の作文と講評が上書きされてしまいます。感想文を清書にする人は、三文抜き書きや要約の部分は省略するか、自分の言葉に直して書くようにしてください。
ワードなどのワープロソフトは改行の際のスペースが正しく表示されないので、いったんメモ帳などにコピーしてメモ帳の上でスペースをつけてからインターネットで送るようにしてください。
自宅でパソコン再入力ができない場合は、先生に(有料で)パソコン入力を依頼することもできます。その場合は、手書きの清書の住所シールの余白に「入力依頼」とご記入ください。
(入力依頼の料金は1文字1円で、翌月の受講料に加算して引き落としいたします)
パソコンからの清書の送り方は、「学習の手引」の図解を参考にしてください。わかりにくいときは事務局に直接お電話をしてお聞きください。
■■勉強の仕方総まとめ 4
■繰り返し読むことが理解の王道
難しい文章であっても、繰り返し読んでいると読むにつれて内容が理解できるようになります。
文章の理解というものは、知らない単語を調べたり文章の意味を人に聞いたりする中でできるのではありません。そういう方法は理解できる気がするだけで、読んだものが自分の血や肉になる読み方ではありません。
文章は丸ごと繰り返し読む中でそのエッセンスが自分の理解力を育て、その中の表現が自分でも使えるようになるのです。
この音読をもっと徹底したのが暗唱です。音読と暗唱の両方をやるのが大変なときは、どちらか一方でかまいません。一般に学年が上がると、子供はだんだん暗唱が苦手になります。それは暗唱の力がなくなるからではなく、物事を理解して記憶しようという意識が前面に出てくるからです。そのため、単純に繰り返し音読するということをしにくくなるのです。そういうときは、簡単にできる音読だけを毎日続けるという方法で取り組んでください。
課題長文は1200字程度のものが多いので、全部読んでも2、3分です。ところがこの2,3分の音読を毎日続けていると、どの子も必ず読む力がつき、文章の表現力が増してきます。それは課題の長文がその学年の子にとっては、やや難しいものになっているからです。
■音読や暗唱のコツ
子供が音読をしているときは、小さい声で読んでもふざけて読んでも気にしません。毎日声を出して読むことが大事なので、読み終えたつど褒めてあげることです。もちろん、読み方の間違いがあれば直してあげます(中学生が課題長文を読む場合、読み間違いがかなりあるはずです)。しかし、大事なことは、毎日読むことと、それを親が褒めてあげることですから、必要以上に注文はつけないという姿勢が必要です。
暗唱の仕方は、学習の手引に動画を載せています。要点は、やや早口で、同じ調子で、立ち歩きながら(の方がやりやすいことが多い)、決めた回数を繰り返し音読することです。ただし、早口とは言っても、最初の数回はゆっくりていねいに正確に読まなければなりません。最初に間違って読むと、あとから直すことが難しくなるからです。
この方法をうまく子供に伝えるためには、本当は親も一度は暗唱の練習をしてみるといいのですが、そういう練習をしない場合でも、やりやすい原則はできるだけ守るように続けさせてください。
このやりやすい方法と正反対なのが、ゆっくりと心情を込めて読むこと、ときどき違う調子で読むこと、きちんとした姿勢で動かずに読むこと、回数を繰り返さずに覚えることを目的として読むこと、声を出さずに黙読で読むこと、最初から早口で読もうとして間違った読み方をすること、などです。
■音読をもとにその長文を子供から親に説明させ家族で対話をする
音読、暗唱の次に大事なことは、毎週の課題を子供からお父さんやお母さんに説明する時間を設けることです。自由な課題のときは何を書くか、題名課題のときはその題名でどんなことを書くか、感想文課題のときは元になる長文の内容はどういうものか、などを子供から親に説明するようにします。子供から説明することで、勉強に対する自覚が生まれます。そして、その子供からの説明をもとに、お父さんやお母さんが雑談風に似た話をしてあげます。この両親と知的な対話をするという習慣が子供の思考力を伸ばします。
ところで、子供はせっかく親の話を聞いても、それを作文にうまく書くことができません。しかし、そこでがっかりせずに子供の書いた作文については、いつも温かく関心を持って見てあげることです。作文を書く意欲は、身近なお父さんやお母さんがその子の作文の勉強に関心を持っていることによって育ちます。そして、親から聞いた話は、そのときの作文の中には生かされなくても、必ず子供の心の中に残り、あとからその子の考え方や生き方の中に生きてくるのです。
■書けないときはすぐに相談の電話を
さて、作文を書いている最中の場面で、共通の相談をよく受けます。
多いのが、なかなか書けずに何時間も考えていたというものです。先生からの電話のあとすぐに書くというのが原則ですが、電話のあと、まもなく食事の時間になったりテレビを見る時間になったりすると、作文は中断してしまいます。
また、作文の中には、課題にあった例が思いつかず、なかなか書き出せないというものがあります。作文は、最初にすぐに書き出せないと、その書き出せない状態が長くなればなるほどますます書けなくなります。電話のあと10分も考えているようでしたら、親が指示して教室に電話をさせるようにしてください。それで書けないという問題はほぼ解決します。たまに、親に叱られてべそをかきながら電話をしてくる子がいますが、そこまでこじれさせてはダメです。にこやかに早めに対応することが大事です。
■■森林プロジェクトが目指す教育の未来 1
■世界が待つ大きな変化
子供たちの教育を考える際に、日本の社会の現状がどうなっているかということと、これからの社会がどうなるかという見通しを持つことは、きわめて重要になっています。それは、これまでの社会がある一定の方向に(例えば高度成長経済やその後の停滞した経済のように)長期間続く傾向に動くものであったの対して、これから起こる変化は、もっと激しいものになるからです。
結論を言えば、これまでの、与えられたものだけをただ消化して安定した職業につくという既定のコースは急減します。そういう社会が今後も続くとしたら、それは現在の利権社会が今後も同じように存続することになります。そのような社会では、これからの国際環境の変化に対応できませんから、結局現在の社会は日本が鎖国でもしない限り大きな変化に見舞われることになるのです。
■グローバリズムの未来と多様な未来
では、新しい社会はどういうものになるのでしょうか。そのひとつの方向がグローバルな競争社会です。国境の壁が今よりも更に徹底して取り払われ、弱肉強食の世界が地球を覆い、すべての国でひとつの言語が人類の共通語となり、やがて強力な単一の君主制とカースト制、つまり身分制が人種を基準として確立するような安定した世界です。問題は、このシナリオがエゴイズムを前提とした、どちらかと言えば人間性の低い人たちによって担われていることです。
もうひとつのシナリオは、国家や民族や言語の多様性を残したまま、ゆるやかな連帯でつながる平和な世界です。しかし、この第二のシナリオを遂行する中核となる国はまだありません。日本が世界への責任に目覚めない限り、第二のシナリオは発動しないのです。
■日本の文化が対立の焦点になる
そして、この二つのシナリオの対立の最後の焦点となるのが、やはり日本なのです。
今、世界ではさまざまな地域で民族や宗教や国家間の争いが起こっています。しかし、これからの紛争や戦争は、ある意味でいずれ収集できる性格のものです。それは、多くの紛争が単に相互のエゴイズムによって生まれているからです。
ところが、日本の場合は性格が違います。日本は、エゴイズムを原理としたばらばらな個人の集まりによって作られた国ではなく、地域や歴史や文化のつながりによって有機的に生まれた国だからです。だから、グローバリズムの広がりと最も根本的にぶつかるのが日本の文化です。
このために、これからの世界の変化は、現象的には世界の各地で行われながらも、本質的には日本を焦点にして行われることになります。そういう大きな変化の流れがある中で子供たちをどう育てるかというビジョンが必要になっているのです。
■■8月の森リン大賞より(中1の部)
自信の大切さ
れたす
「私は何をやってもダメなんだ。」
自分に自信が持てない人は、よくこう言う。周りの人はそれを聞くと、「大丈夫だよ。私の方が全然ダメだし。」と言って、相手を励まそうとする。果たして、この会話に何か意味があるだろうか。そんなことをぼやいていても、ただ人が自分から離れていくだけ。自分の変な思い込みがさらに激しくなっていくだけなのに・・・。私は、自分に劣等感を抱かずに自信を持つことが大切であると思う。
その理由としては第一に、自分に自信を持っていれば自分が他人より劣っているとは思わないからだ。現在の日本の人口は、一億二千七百五十五万人。そして身体障害を抱えているのは、そのうちの三百五十一万六千人。「身体障害者」と呼ばれる人は、確かに普通の人に比べれば、どこか身体的に劣っているところはある。しかし、障害を抱えていても自分に「自信」持っていれば、劣等感など感じることはない。昨年の二十四時間テレビで、目が見えないという障害を抱えながらも、登頂率五十パーセントとも言われるアフリカ大陸の最高峰、キリマンジャロ登頂に成功した立木早絵さん。二歳の時、肺炎から網膜にウイルスが入ったことで失明し、全盲になってしまったそうだ。しかし今、早絵さんは普通の人と同じような生活を送っている。ケータイでメールを打つ事も出来るし、ブログだって書いている。そんな早絵さんが毎日笑顔でいられるのは、自分に「自信」を持っているからだろう。障害を抱えているからといって、「自分は何をやってもだめだ。」と自分に劣等感も感じず、様々なことにひたむきにチャレンジし続ける。私は、自信に満ちあふれている人ほど心が強いことを知った。このように、自分の心を強くするためにも自信を持つことは大切である。
第二の理由としては、自分に劣等感を持っていると周囲から慕われなくなってしまうからだ。たとえばあなたは、自分の持つ劣等感から臆病になり毎日びくびくしながら過ごしている人と、自分に自信を持っていて何も恐れずにただがむしゃらに毎日を過ごしている人では、どちらに惹かれるだろうか。私はもちろん、毎日をがむしゃらに過ごしている人だ。なぜならそういう人が周りにいると、自分に自信がなくなった時でもその人の姿を見て、「私もこんなんじゃダメだ・・・。あの人のように自分に自信を持たないと!」と心を入れ替えることが出来る。しかし、周りにいるのが、もしも自分に劣等感を抱いている人だったら、勇気づけられるどころか、逆に自分の思考がさらにマイナスの方向へと向かってしまう。だから、周囲の雰囲気を良くするためにも自分に劣等感を持ってはいけないのだ。
確かに、謙虚になることも大切だ。しかし「他人から尊重されるためには、まず自分で自分を尊重できなければならない。」という名言があるように、自分に「自信」がなければ、他人から支持を受けることもないのだ。だから私は、自分に自信を持つことが大切であると思う。
(会話の改行を一部直しました。言葉の森)
■■8月の森リン大賞より(中3の部)
第二の人生
ことのは
私は目的を定めた上で、それを達成するための要素を探すのではなく、身近にある物から新しい何かを創造するような生き方をしたい。
そのための方法としては第一に、今自分の目の前にあるものを最大限に利用するようにすることである。例としては子ども達の遊びが挙げられる。遊ぶ際に、何をするか決めて道具を探しに行くのではなく、自分たちの身近にある物を活用しようとすると、思いもよらない遊びが生まれるのだ。私が小学生の頃は、毎日仲の良いグループで近所の公園に行き、遊んでいた。男子がボールやフリスビー、スケートボードなどを持ってくることもあったが、たいていは全員手ぶらで遊ぶ道具はゼロだった。あるのはいくら走り回っても構わない公園と、自分たちの体のみである。そこで私達は、それぞれが持っている鬼ごっこの知識を出し合い、それら全ての要素を含んだオリジナルの鬼ごっこを編み出した。氷オニのルールもあれば、色オニのルールもある。警ドロやかくれんぼなどの要素も取り入れられていたため、何でもアリで面白かった。みんなが慣れてくると自分達で考え出したルールを加え、スリルたっぷりの鬼ごっこを楽しんだ。このオリジナル鬼ごっこは私達を通して学校でも広まり、休み時間にあろうことか校舎内でそれを楽しむグループまで出現した。この鬼ごっこのように、今持っている材料を見つめ、何が出来るか?と問いかければ新たな物が見えてくる。私達の周囲には多くのアイディアの源が転がっているにも関わらず、私達はそれを利用しようとしないのが現状なのである。
第二の方法としては、資源の枯渇を危ぶむ声が上がる今、再度リサイクルを見直すことである。新品を購入せずにリサイクルすれば、ごみの量は減少する。社会の授業で学習したが、ペットボトルはTシャツに、びんは再び新しいびんに、それぞれリサイクルによって生まれ変わるのだという。びん自体もびんを作るために必要な材料である。そのびんをリサイクルすれば、新たな資源を使ってしまうのを防ぐことができる。また捨てられてごみとなるびんも少なくなることだろう。びんに限らず、リサイクル後の人生が提示されている資源もまた同様である。これらの資源に「第二の人生」を送ってもらうためにも、私達がリサイクルを推し進めていく必要がある。ワンガリ・マータイさんは「もったいない」というフレーズを合言葉に、リデュース・リユース・リサイクルの3Rの環境活動に励み、ノーベル平和賞を受賞した。ワンガリさんは「もったいない」という日本語を世界中に広めた女性としても有名である。
確かに、今ある物を生かそうとするのには頭脳が必要不可欠であり、時間もかかる。だが「時間を作る一番の方法は、急ぐことではなく、どこに時間を使うか考えることである。」という名言があるように、目の前にある物をどう使っていくかを考えることが、私たちには求められているのではないだろうか。今ある物から新しく何を作ろうかと考えると、「創造する喜び」が湧き上がってくる。この「創造する喜び」を常に心に留めて、リサイクルに励んでいきたい。
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