言葉の森新聞2012年10月2週号 通算第1243号
文責 中根克明(森川林)

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■■10月8日(月)は休み宿題
 10月8日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時-午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php


■■【重要】勉強の進め方、自習の仕方などに関する相談はいつでも事務局へ
 言葉の森の勉強は、苦手な子から得意な子まで誰でも取り組めるように少し複雑なものになっています。家庭での取り組みを難しく感じる場合は、いつでもご遠慮なくご相談ください。
 家庭での自習には、学年や他の習い事などとの関係でかなり個人差があります。
1、いちばん大事なのは長く続けることですから、自習が親又は子の負担になっているときは、自習はせずに作文を書くことだけに専念してください
 その際、作文は電話のあとすぐ書き始めて、その日のうちに必ず書き終えるようにしてください。翌日に持ち越してもいいと考えると、長く続けられなくなります。
2、自習として最も取り組みやすいのは読書10ページ以上です。毎日本を読む時間を確保するためには、家族全員が本を一緒に読む時間帯を決めるようにしてください。読む本は、漫画や図鑑や雑誌のような絵のスペースの方が多いものでなければ、子供が好きなものでどんな本でもかまいません。
 毎日の読書もなかなかできないという場合は、3以下の自習をすることは親子ともに負担になりますので、自習はせずに作文を書くことだけに集中してください。
3、読書の次に取り組みやすいのが、毎週の課題の長文の音読です。これは夕方の時間や、子供部屋でひとりでさせるのではなく、できるだけ朝ご飯前に、家族のいるところでさせるようにしてください。その際、読み方が下手でも一切注意はせずに読み終えたことを褒めてあげてください。
 この課題の長文は、小学2年生までは何も使いませんが、小学3・4年生では、毎月3週目の長文が感想文の元の文章になります。小学校5年生以上は、感想文の割合が増えるので、課題の長文を事前に何度も音読していることが先生の説明を理解できる前提になります。
 長文の音読がなかなかできず、ときどき親子でもめるようなときは、音読の自習はしないことにして、そのかわり感想文のある週は事前に長文を一度は読んでおくということにしてください。確実にできることまでをするということです。
4、音読の次に取り組みやすいのが暗唱です。小学校1、2年生は暗唱が得意になる学年なので、暗唱を優先して、音読は省略してもかまいません。暗唱は学年が上がるにつれて、毎日の時間が確保しにくくなるため続けにくくなります。しかし、高学年で暗唱を続けられれば、中学生になってから英語の暗唱も同じ要領で始めることができます。暗唱は、毎日の朝ご飯前など確実に確保できる時間を利用して行うようにしてください。
 毎日暗唱がなかなかできず、週に3,4回しか時間がとれないという場合は、暗唱の自習はしないことにして、そのかわり課題の長文の音読をするようにしてください。
5、家庭環境による差があるのが、毎週の対話です。子供が課題や長文を説明し、お父さんやお母さんが似た話をしてあげると、家族の対話の中で理解力、思考力、表現力が伸びます。できるだけ家族全員で話をするのが理想ですが、全員が一緒になる時間がとれない場合はお母さんと子供だけ、お父さんと子供だけという形でもかまいません。

 最初のうちは話が弾まなくても、毎週話をする曜日や時間を決めておくと、次第に話が深まりやすくなります。できるだけお母さんやお父さんも、事前に次の週の課題や長文を見たり聞いたりしておくと対話が充実します。


■■家庭学習のすすめ

いま起きている教育からの疎外

 子育てで大事なことはいくつもあります。勉強も遊びも躾(しつけ)もバランスよくやっていかなければなりません。だから、どれがいちばん大事かということはありません。しかし、どこにいちばん時間がかかるかということは言えます。
 子育てでいちばん時間がかかるのは学力をつけることです。だから、家庭の役割は、子供に勉強させることにあります。
 特に、小中学校の義務教育においては、家庭学習の役割は重要です。しかし、多くの家庭で、いま、家庭が子供の教育から疎外されるような現象が起こっています。
 例えば、子供が学校から持って帰ってきたテストの点数が悪いとき、そのテストの中身を見て家庭でできる対策を考えるのではなく、点数だけを見て、その点数を上げてくれる塾や家庭教師を探すという発想をしてしまう家庭がかなり多いのです。
 この最初の出発点が大事です。というのは、いったんどこかの塾に子供の勉強を任せると、今度はその塾から持って帰るテストの点数が、これまでの学校のテストの点数に取って代わるだけになることも多いからです。
 家庭では、テストの点数を見て、「よくできたね」と褒めたり、「もっとがんばりなさい」と励ましたりすることはありますが、何ができて、どれをこれからがんばればいいかという肝心の教育の中身まで話が進みません。教育の中身を塾に任せているために、家庭が教育から疎外されてしまうのです。


勉強の中心は理解を定着させること

 勉強の中身のいちばん重要な部分は、自分で読み、自分で解き、自分なりに納得した上で反復し定着させるという時間のかかる部分です。学校や塾で授業を聞くとか、与えられた教材で問題を解くとかいう部分は、勉強の表面的な部分なのです。
 学校や塾でやった問題できなかったところがあれば、それを自分なりに理解し定着させるという作業が必要になります。しかし、学校や塾では、できなかった問題を理解できるように説明することはできますが、その理解を定着させることまではなかなかできません。理解をくりかえし定着させることができるのは家庭しかないのです。
 ところが、塾から家庭に、家庭学習として何をどれだけやったらいいかという指示は普通はないので、家庭では子供に何をさせたらいいのかがわかりません。これが何度も言うように、教育からの疎外です。
 家庭でせいぜいできるのは、全員一律に与えられた宿題をやることです。しかし、本当はその子のできなかったところだけを定着させることが大事なのに、できることもできないこともすべて最初からやるという宿題が多いために、時間ばかりかかって成績が上がらないという状態になりがちなのです。


教育の中身のブラックボックス化

 この無駄で効率の悪い勉強に耐えた子は、それなりに成績が上がりますが、その分、読書をしたり、遊んだり、自分の好きなことに熱中したりする時間がなくなります。勉強以外の生活が乏しい子は、学年が上がるにつれて勉強に対する意欲が低下する傾向があります。
 これも、すべて小学校低中学年の時期に、勉強を塾などの外部の機関に任せてしまったことから来ています。いったん他人に任せてしまうと、その中身はブラックボックスになり、テストの点数という結果しか見えなくなります。低中学年ではブラックボックスがまだ小さいので、中身を見ようと思えば見られますが、高学年、中学生になると、家庭では、学校や塾で何をどう勉強しているのかがだんだんわからなくなります。
 実は、中学生までの勉強の中身は、大して複雑なものではなく、大人なら少し本気になって取り組めば誰でもわかるものばかりです。しかし、いったん外部の機関に任せてしまうと、その中身に関与することができなくなるのです。


学校や塾と家庭との正しい関係

 今の学校は、異なる家庭環境の生徒を一斉に教える形で運営されています。昔の日本は、家庭環境に共通性があったので、こういう一斉指導が可能でしたが、今は家庭環境の差が大きくなり、一斉指導の焦点からはずれる子が増えています。すると、先生は生徒に理解できるように説明することが中心になり、勉強で最も肝心な定着の部分がおろそかになります。そして、定着が不十分なまま学年が上がると、今度は理解も十分にできないようになってきます。この定着と理解の不足が、テストの点数の結果となって現れます。
 しかし、そこで塾や家庭教師に任せるようになると、塾や家庭教師は毎日見るわけではなく、週に何回かという形がほとんどですから、結局そこでも理解と定着の不十分なところは残るのです。

 では、どうしたらいいのでしょうか。
 第一は、学校や塾がそれぞれの生徒に応じた家庭学習のメニューを作ることです。
 第二は、その家庭学習の中身を、問題を次々に解かせるプリント学習のようなものにせず、理解と定着を目指した読む学習(又は繰り返す学習)にすることです。
 第三は、家庭が、勉強の定着は学校や塾で行うものではなく、家庭で行うものだと自覚することです。


続けやすいが力のつかないプリントを解く学習

 言葉の森の作文の勉強は、他の教室の勉強とはかなり違うと思います。それは、家庭の学習とセットで行うようにしているからです。
 他の教室で勉強を行う場合は、次のような形が多いと思います。
 まず、いろいろなプリントが送られてきます。子供はそのプリントを解けばいいので、簡単に勉強ができ、親も手間がかかりません。
 しかし、このプリント学習は(算数の場合は勉強の中身が問題を解くことなので意味がありますが)、国語の場合は、できることもできないことも同じように解くだけなのでほとんど意味がありません。
 そして、プリントだけの学習は、子供が楽にできる問題でないと長続きしないので、結局できることを何度も同じように繰り返すという意味のない勉強になってしまうのです。これは、勉強ではなく、勉強らしい外見の手作業です。
 しかし、このプリント学習のような勉強に効果がなかったとわかるのは、かなりたってからです。それまで無駄な回り道をすることになります。


続けにくいが力のつくテキストを読む学習

 これに対して、言葉の森の家庭学習は次のようなものになります。これは、理想の形なので、ここまでできていない家庭も多いと思いますが。
 まず、毎日朝ご飯の前に、課題の長文を1編音読します。そして、暗唱長文の一部を暗唱します。時間としては15分ほどです。
 夕方は、必ず読書の時間を確保します。
 そして、週に1回、次の週に書く作文、又は感想文、又は読んだ長文の説明を、子供が親に説明します。
 お父さん、お母さんは、その説明を聞き、似た話を話してあげることによって子供の理解を深め、題材を広げます。
 子供は、この家庭での対話をもとに、次の週に作文に書くことを簡単な構成図としてメモしておきます。
 プリントのような形に残るものがないので、最初のうちは親が毎日子供に声かけをしてやらせる必要があります。しかし、形のないものでも決めたことは毎日やるという習慣が子供の生活に定着すると、ほかの勉強も躾もほとんどがうまく行くようになります。というのは、生活の中で大事なことの多くは、プリントのように形には残らないものだからです。
 言葉の森の家庭学習の難しいところは、親も頭をしぼって考えなければならないことです。それは、子供に、作文の課題や感想文の長文に関する似た話をしてあげるときに必要になります。しかし、この親子の対話が、子供の思考力や表現力を育て、家族が共有できる時間を知的で充実したものにします。
 親子の対話を身のあるものにするためには、親が片手間に子供に似た話をしてあげるのではなく、本腰を入れてじっくり対話を楽しむという姿勢になることが大事です。片手間にやろうとすれば、かえってそのことが負担になりますが、じっくり楽しもうという姿勢で取り組めば、その対話が親にとっても子供にとっても、ほかでは得られない充実した時間になるのです。


手間のかかる分だけ実りがある

 一方は、配られたプリントをこなす手のかからない家庭学習、もう一方は、形の残らないしたがって親の声かけが必要な音読や暗唱や読書や対話の家庭学習。
 楽に続けられるのは、プリント学習の方です。しかし、1年間やってみて、ほとんど力のついていないことがわかると思います。
 形の残らない音読、暗唱、読書は、最初のうちは親の働きかけが必要です。また、風邪で自習を休んだり、旅行で自習を休んだりしたときは、再開させるときにまた親の働きかけが必要になります。よくここを誤解して、元の生活に戻ったらまた子供が自動的に自習を始めることを期待する人がいますが、そういうことはありません。中断したら、また外からスタートさせることが必要なのです。
 また、対話の家庭学習では、作文や感想文の似た話を考えてあげるために、親も子供の話にじっくりつきあう姿勢が必要になります。
 しかし、そうして苦労した結果が、1年たつと大きな実りになっているのです。


親の仕事は、実際の仕事と子供の教育

 よく仕事が忙しいので、子供の教育まで手が回らないという人がいます。しかし、親の仕事は、実際の仕事と子供の教育の二つです。
 親が将来年をとって働けなくなったとき、面倒を見てくれるのは国でも年金でもありません。頼りになるのは、自分の育てた子供か、兄弟や親戚、又は子供がわりに育てた弟子などです。人類の歴史のほとんどは、こういう血縁地縁関係によって支えられてきました。
 もし、自分の子供が勉強も仕事も嫌いで、自分で働くことをしなかったら、親の老後の負担は倍加します。そう考えると、子育ては、勉強だけできればいいのではなく、勉強も体力も人柄もすべてバランスよく育てていく必要があります。つまり、いい学校に入れることが子育ての目標なのではなく、いい社会人に育てることが子育ての目標です。そして、いい社会人になるために、勉強が必要だという関係になっているのです。
 そう考えれば、教育は学校や塾に任せるものではなく、第一に家庭で責任を持って取り組むものになるはずです。その家庭教育の方針を肉づけするものとして学校や塾があるのです。


■■「受験勉強と本当の勉強の差」(facebook記事より)

 人間の実力は、本気になればそれほど変わらないので、受験期にはみんな大体似たような学力になります。
 すると、大きな差は、過去問に合わせた勉強をしたかどうかということになります。
 塾や予備校が普及すると、過去問への対応が専門的に進むので、過去問に合った実力をつける子が増えてきます。
 すると、学校は点数の差をつけるために、新しい傾向の問題を出してきます。
 こうして最初は、実力を測るための試験だったものが、差をつけるための試験になり、それに対応する子が増えるにつれてますます差をつける面を強化するようになり、やがて科挙のような実力とは関係のないところが肥大化した試験になっていったのです。
 最初の勘違いは、勉強の目的を、実力をつけるところに置くのではなく、点数の差をつけるところに置いた点です。
 必要な学力をつけるために全員満点の勉強を目指すのではなく、点数の差が正規分布に近くなるような勉強を目指している点が大きな勘違いなのです。
 その科挙のような勉強のミニチュア版が、今広がっている問題集を解く形の勉強です。
 問題集を解く形の勉強が増えるにつれて、勉強の時間はどんどん増えますが、その割には実力は伸びません。
 実力をつけるための本当の勉強は、教科書を読む勉強です。
 問題を解く形が主流になる算数・数学や理科の教科では、問題集を読む勉強です。
 読む勉強とは、同じものを何度も読んで、それを自分のものにすることです。
 こういう形の勉強は、学習塾や通信講座ではなかなかできません。
 実力をつけるための読む勉強がいちばんしやすいのは、家庭です。
 その家庭の学習をまとめてやるようにしたのが、江戸時代の寺子屋だったのです。
 寺子屋というと、今の学習塾を小さくしたもののように思われる人も多いと思いますが、そこで行われていたものは授業でも、ドリル学習でもありません。
 同じものを読み、同じものを書くという練習が繰り返し行われていたのです。
 そして、それだけでは張り合いがないので、たまに往来で自分たちの勉強の成果を見せる発表の場がありました。
 子供たちの勉強が、地域の人々の共通の関心となるような形で、社会の中に位置付けられていたのです。


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