言葉の森新聞2014年10月1週号 通算第1340号
文責 中根克明(森川林)
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■■10月1日(水)から新学期
10月1日から新学期が始まります。教材の説明は、課題フォルダの表紙の裏側に書いてあります。また、勉強の仕方の説明は、「学習の手引」に載っています。
http://www.mori7.com/mori/gate.php
■■10月13日(月)は休み宿題
10月13日(火)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日9時~19時50分、土曜9時~11時)
電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
課題の説明の動画「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/
オープン教育の掲示板「森の予習室」にも、学年別の予習のヒントが載っています。
■■受験コースへの切り換えをする方はご連絡ください
受験コースへの切り替えは、中学受験の場合は受験日の属する月の4ヶ月前から、高校受験は3ヶ月前から、大学受験は2ヶ月前から可能です。
入試に、作文、小論文試験がある方はご相談ください。受験コースは、過去問に合わせた個別の教材で志望校に合わせた指導になります。担当の先生は同じです。
受験コースの受講料は、通常の受講料プラス3,240円となります。
■■毎日の勉強が楽しくできる「自習表Ver4.2」
勉強の基本は、家庭で行う自学自習です。
ところが、低学年のうちは親が見てあげることによって家庭での自習も順調に進みますが、学年が上がるにつれて、家庭で子供が自分で勉強をするという体制を作るのが難しくなってきます。
そこで、多くの子供の勉強は、次のようになりがちです。
・親が何度も言わないと勉強しない。
・勉強に集中せずにすぐに気が散る。
・宿題があると、宿題だけをやっておしまいにする。
・家庭で親が教えると親子げんかになる。
・毎日、勉強のことで口うるさくいうので、親もくたびれる。
・目先の変わったものがあると興味を持って取り組むが、すぐに飽きて続かなくなる。
・塾に行かせればその時間は何かやっているとは思うが、あまり身についているようには思えない。
こういう家庭学習のやり方を改善するのが「自習表」です。
この「自習表」の特徴は、子供が自分で決めた自習の課題ができたら、あるルールにそって色を塗るということにあります。
この色の塗り方のパターンは、何千億通りもあるので、同じ図になることはまずありません。
自習の課題ができて一つ色を塗るたびに新しい図が現れてくるので、その図を完成させるために自習がはかどります。
勉強というのは形のないものです。その形のないものに外側から形を与える仕組みが、点数、競争、褒美、強制などです。
理想は勉強の内容そのものが面白くなるということですが、それは、ほとんどの場合、高校生や大学生になってからのことで、小中学生は勉強の内容そのものが面白くなるということはまずありません。
「自習表」は、形のない勉強に、内側から形を与える仕組みです。その形も、あらかじめ与えられたものではなく、各人が自由に創造できるものですから、自習の記録をつけること自体が面白くなるのです。
この「自習表」の付け方で大事なポイントは、努力すれば全部できるぐらいの課題に絞っておくということです。
また、7マス×7マスの「自習表」を完成させるために、勉強以外のことも含めて毎日7種類の課題を決めておくことです。
マスに色を塗るときは、全部の自習課題できてからまとめて塗るのではなく、一つの自習課題ができるたびに一つずつ塗っていく方が楽しみが増します。
この「自習表」は、小学校低学年から使えますが、中学生や高校生になってからも使えます。むしろ、自分の意志で勉強する必要のある中学生や高校生の方が活用できると思います。
▽「自習表Ver4.2」と記入例
http://www.mori7.com/teraon/jisyuu.php
■■小1の9.4読解問題の長文
小1の9.4週は読解問題(自由選択が、課題フォルダの長文とずれていました。
申し訳ありませんでした。
読解問題の元になる長文は、読解マラソンの問題のページで見ることができます。
http://www.mori7.com/marason/marason_sample.php?yama=i&gakunennjunn=1
また、読解問題をウェブで行う場合は、問題のページから答えを送信することができます。。
http://www.mori7.com/marason/ki.php
▽正しい長文は下記のとおりです。
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クマノミの知恵
【1】脊椎動物のほとんどは、生まれたときから性別が決まっており、途中で変化することはありません。ところが、同じ脊椎動物でも、魚には、オスがメスへ、メスがオスへと変化したり、生まれながらにして雌雄同体のものがあります。
【2】オスからメスへ変化するものとして代表的なのは、クマノミの仲間です。クマノミは、毒を持つイソギンチャクと一緒に暮らすことで有名です。【3】ひとつのイソギンチャクに、オスとメス一匹ずつの成魚と、体の小さな幼魚の数匹で暮らしていることが多いのですが、この成魚と幼魚の間に、親子関係はありません。クマノミの稚魚は、卵から孵化すると、すぐに生まれたイソギンチャクを離れ、しばらく海の中で浮遊生活を続けます。【4】そして、全く別のイソギンチャクにたどりつき、そこで元から住んでいる縁もゆかりもないクマノミたちと共同生活を始めます。これは、親子で繁殖してしまう危険をさけるための工夫です。
【5】同じひとつのイソギンチャクの中に暮らしているクマノミたちは、体の大きさに違いがあります。群れの中でいちばん大きいのがメス、次に大きいのがオスです。【6】三番め以降の魚たちは、オスでもメスでもない未成熟な個体です。卵を産むのはメスですが、その卵を守るのは、おもにオスの役目です。【7】何らかの原因で、いちばん大きいメスが死んでしまうと、オスが性転換をしてメスになり、オスの次に大きい未成熟な個体がオスになって繁殖に参加します。クマノミの世界には、このようにきちんとした秩序があります。
【8】なぜいちばん大きい個体がメスになるかというと、メスは体が大きいほどたくさんの卵を産むことができるからです。
【9】「わたし、昨日までオスだったメスで、名前はクマオよ。」
「ぼくは、今日からオスになった、名前はクマコなんだ。」
「何だか、呼び方にクマっちゃうね。」
言葉の森長文作成委員会(π)
■■作文力の本質は思考力、思考力の本質は語彙力
作文の勉強は、表現の勉強だと思われがちです。伝えたい中身が既にあって、それをどう表現するか工夫するのが作文の工夫だと思われています。
それは、文章を書くということが、「推すか敲くか」「梨花は一枝か数枝か」という細部にこだわることとして考えられてきた文学の歴史があったからです。
細部の表現にこだわることも、もちろん大切です。しかし、それ以上に大切なのは伝えるべき中身です。
大事なのは、推したのでも敲いたのでもいいから、要するに門が開いたのかどうかということであり、一枝でも数枝でもいいから、何しろ梨の花が咲いたのかどうかということです。
ただし、これをあまり強調すると、味などどうでもいいから食べられればいいという粗雑な世界に入る可能性もあるので、ほどほどにということは必要です。しかし、中身の方が表現の仕方よりも大切だということは、作文の勉強の土台として考えておく必要があります。
このことに関連して、たまに受験生から、「合格するためには嘘を書いてもいいんですか」と聞かれることがあります。そういうときは、はっきり、「もちろん駄目だよ」と言います。
嘘かどうか、採点者にはわからないとしても、自分自身の生き方として嘘をつくことはいけないという価値観を持っておく必要があるからです。
さて、中身が大切という場合の中身とは何かというと、一つには実例です。実例には知識的な実例と体験的な実例とがあります。人の知らないことや、人のしていないことを題材にした作文はそれだけで価値があります。
実例のほかに大事なのは、意見や感想です。ほかの人の思っていないところまで思うというのが、意見や感想の価値です。ここで思考力というものが出てきます。
みんながAだと思っているところに、「確かにAもわかるが、しかしBというものもある」と考えたり、みんながAかBかと論じているときに、「確かにAかBかということも大事だが、しかし、Cということもある」と考えたりする力が思考力です。
その思考力がどこから出てくるかというと、それは、一つには自分なりの深い体験で、もう一つには語彙力です。
自分なりの深い体験というものは、年齢を重ねる中で身につくものですが、語彙力は努力次第で身につけることができます。
その語彙力をつける最もよい方法が、難しい語彙の使われている文章を読むということです。
小中学生の場合は、問題集読書のような文章を、楽しく読む力をつけていくことです。
高校生や大学生の場合は、世の古典と言われている本を読むことです。
語彙力検定というものがありますが、語彙力を四字熟語やことわざを覚えるように知識として覚えても、使えるようにはなりません。語彙力は、難読の結果であって、語彙力そのものを目的として覚えるものではないからです。
■■1冊主義――1冊を軸にしてすべてに対応する
問題集でも、参考書でも、これぞと決めた1冊を徹底して自分のものにするという勉強法が最も能率のよい勉強法です。
ところが、多くの人は、これとは反対の勉強の仕方をしています。それは、例えば、学校で宿題があったり、テストがあったりすると、その宿題やテストに合わせた勉強をしてしまうのです。
テストで間違えた問題やわからなかった問題があると、その問題を解けるようにしようとしてしまいます。
できなかった問題ができるようにするのはいいのですが、自分のペースで行う勉強は後回しにして、その宿題やテストに取り組もうとするから、なかなか実力がつかないのです。
では、どうしたらいいかというと、宿題やテストで出た問題を、自分が普段やっている問題集や参考書の中に位置づけるのです。
つまり、同じ問題や似た問題がある箇所を、自分が普段勉強している問題集や参考書の中から見つけます。そして、宿題やテストができるようにするよりも、その自分のやっている問題集の中でできるようにしておくのです。
このようにすると、ほとんどの問題は、結局自分の持っている問題集や参考書と関連づけられることがわかってきます。そして、その1冊の問題集や参考書を徹底して自分のものにする勉強法が正しい勉強法だと確信がわくのです。
では、自分の持っている問題集や参考書に似た問題や該当する説明がない場合はどうしたらよいのでしょうか。
それは、できなくてもよかった問題だとみなすのです。
学校や塾の先生の中には、生徒にちょっと難しい問題を出して、生徒ができなかったり苦労したりするのを、生徒に考えさせる勉強だと思っている人がいます。
特に、算数数学の問題は、そういうパズル的な難問を出しやすいので、そのために算数数学が苦手になる子が多いのです。
本当は、生徒全員を同じようにできるようにさせるのが勉強なのですが、そして、それは十分に可能なことなのですが、そういう勉強は教える側としてはあまり面白くないのです。
だから、生徒の側は、そういう難しい問題に合わせて勉強するのではなく、まず自分が決めた1冊の問題集又は参考書を徹底して身につけることを優先していく必要があります。
そして、1冊が完璧に自分のものになれば、そういう難しい問題についても自然に対応できる力がついてくるのです。
■■国語力をアップさせるコツと付箋読書
国語が苦手という生徒には、(1)毎日の読書、(2)課題の長文の音読、(3)感想文の課題の予習、そして、(4)余裕があれば問題集読書をと言っています。
更に、その上に、毎月の読解問題を全問正解になるようにじっくり解くように説明します。
すると、必ず国語の成績は上がります。その上がり方も、かなりはっきりしています。
小6のとき国語がいちばん苦手だったという生徒が、中3になるころには、国語の成績がいちばんよくなるということも実際にあります。そして、第一志望の難関高に受かった子も何人もいます。
だから、国語の力をつけるというのは、実は平凡なことの積み重ねなのです。
しかし、小学生のときまでに国語が苦手だったという生徒の中には、読書の習慣がついていないことも多く、受験に合格すると、ついそれまでの勉強法を忘れてしまい、読書から離れてしまう生徒も多いのです。
すると、高校生になったばかりのころは国語が得意だった生徒が、高3になるころにはまた国語が苦手になるということもあります。
だから、いつでも本を読む生活を忘れてはいけないのです。
読書は習慣ですから、1日読まなければ、1日分読書から遠ざかります。そして、何日か読まない生活が続くと、読書をしない生活が普通の生活のようになってしまうのです。
これは、大人でも同じです。毎日10ページでも読むと決めておけば、読書のある生活から離れることはありません。
しかし、読まない日が何日か続くと、そのあと新しく本を取ることが億劫になるのです。
この毎日の読書を続けるのに最もよい方法が、付箋読書です。
毎日どんなに忙しくても最低10ページは読むと決めておけば、10ページを読むのにかかる時間はせいぜい10分ほどですから、読書から離れることはありません。
読み終えたところに付箋を貼っておくと、わずか10ページでも、確実に読み終えたという実感が残ります。これがもし付箋を貼らずに読むとなると、10ページほどでは張り合いがない気がするので、「いつか時間のあるときにじっくり読もう」と思って、結局読まないことになってしまいます。
人間は、中身よりも形を基準にして生きています。
読書も、読んだ形を残すことで続けやすくなるのです。
■■直さない、教えないが勉強の基本。自然に直るようにして、自分で学ぶように工夫するのが親や先生の役割
子供が小学校低中学年のころは、直すことも、教えることも簡単にできます。
中学生や高校生の場合でも、その勉強の内容を知っている人であれば、簡単に教えたり直したりできます。
しかし、それで子供が上達するかというと、そういうことはないのです。
直されたり、教えられたりすれば、子供はそのときはわかったような気になります。
しかし、直されたり教えられたりするのは、氷山の水面に出た一部です。だから、せっかく懇切丁寧に直したり教えたりしてあげても、1週間もたつと、またできなくなります。
同じことを2回目に説明するときも、同じように教えたり直したりできるのであればいいのです。しかし、ほとんどの場合、2回目も3回目も同じように教えたり直したりできる人はいません。
多くの場合、もっと工夫して別の教え方をしたり、もっと詳しく教えようとしたりします。すると、同じ教え方ではないので、子供はかえってわからなくなります。しかし、わからなくても聞いているときはわかったような気がしてしまうのです。(つづく)
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