言葉の森新聞2019年3月2週号 通算第1554号
文責 中根克明(森川林)
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■■勉強はひとりでするもの
今、子供たちを取り巻く勉強環境は、至れり尽くせりの状態になっています。
かゆくないところにまで手が届くような環境がいたるところに用意されています。
しかし、その大部分は見た目をよくするための飾りのようなものです。
本当の勉強の中身はわずかで、その周りにいろいろなおまけがついているのです。
漢字を覚えるとか、計算の練習をするとかいう小学校3、4年生のころまでの勉強は、中身自体が少ないので、おまけのような導入部分がある方がやりやすいという面はあります。
しかし、学年が上がってくると、そういう余分なものはない方が密度の濃い勉強ができます。
その理想の形が、ひとりでやる勉強です。
言葉の森の自主学習コースは、そのひとりで進める勉強の仕組みです。
約1時間、自分なりの勉強をして、最後の10分で先生がチェックするという形ですから、これまでの勉強に慣れた人から見れば物足りないかもしれません。
もっと先生がいろいろ教えたり、やらせたり、答え合わせをしたり、解説をしたりする方が勉強を教えてもらっているような気がするからです。
しかし、大学入試までの勉強は、解説の詳しい問題集や参考書があれば、それを自分ひとりでやっていくのが最も能率のよい勉強法です。
ひとりでやるのですから、できないところだけ印をつけて何度も繰り返しやることができます。
また、簡単にできそうだと思えることは、答えを先に見てやり方を確認して、やらずに飛ばしていくことができます。
ただし、中に、ほんのわずかですが、答えを見ても、解説を見ても、理解できない問題に遭遇することがあります。
そのときだけ、先生に聞くか、お父さんかお母さんに聞くのです。
難しいから理解できないという問題はほとんどなく、解説がもうひとこと詳しければ自分だけで理解できるものがほとんどですから、わからないところだけ聞くというやり方で十分に間に合うのです。
先日、小学4年生で自主学習コースを始めた生徒の保護者から、勉強がとてもよくわかるようになったという報告をいただきました。始めてから、まだ間もない時期です。
もともと読書のよくできる子でしたから、学力の基礎は十分にありました。そういう子がもし勉強がよくできなかったとしたら、それは人に教えてもらう形で勉強をしていたからです。
自分が納得することを基本にして、自分ひとりで勉強していけば、本来の実力を発揮できるようになるのです。
これから中学生になる人は、勉強の仕方をどうしようか悩んでいる人も多いと思います。
中学では定期試験があります。ほとんどの子が塾に行きます。親はもう子供を教えられないと思っています。
学校の先生は、テストをするための先生で、わからないところを教えてくれる先生ではありません。
たったひとりでそういう未知の世界に入る中学1年生は、不安になって当然です。
しかし、ここが、自分の力で勉強する仕方を身につけるいい機会なのです。
いちばんいいやり方は、
(1)まず中学生の勉強の仕方が書いてある本を何冊か読み、大きな方向性を決めることです。
(2)次に、自分が勉強するための教材を選ぶことです。それを年間を通して5回以上繰り返しやれるようにするのです。
(3)最後は、お母さんやお父さんが一緒に考える形で勉強の計画を立てることです。
中学生で自主学習コースの勉強をしていた生徒は、数学がクラスで一番と言っていいほどよくできるようになりました。
また、お母さんと一緒に勉強の計画を立てて取り組んでいた生徒は、全教科が毎回クラスの最高点に近い状態を続けていました。
受験期には、志望校の過去問に合わせた技術的な面が強くなるので、もうひと工夫が必要になりますが、それまでは自学自習を中心に勉強を進めていくことが最も大切です。
勉強はなぜ人に教わらない方がいいかというと、教える人は成績を挙げなければならないという責任感から、宿題をたくさん出すようになるからです。
小中学生の勉強は、難しいものは何もないので、かけた時間に比例して成績が上がります。
だから、出された宿題をきちんとこなしていれば、当然成績は上がります。
しかし、その分、本来やらなくてもいい問題をやる時間が増え、そのために、読書をしたり、自分の好きなことをしたりする個性的で創造的な時間が減ってきます。
そして、もっと重要なことは、勉強は人に教えてもらわないとできないものだという勉強観ができてしまうことなのです。
勉強は、人に教わるものではなく、自分から学ぶものだということを基本にしてがんばっていってください。
■■読解検定は間違えた方がいい試験
私(森川林)は、自分の子供にはよくこう言っていました。
「わからないところがあったら、空欄にしておくんだよ。どこがわからなかったか知ることが大事なんだから」
一方、近くの塾の先生は、こう言っていたそうです。
「わからないところがあったら、何でもいいから書いておくんだ。どれかが当たるはずだから」
正反対でした(笑)。
今度、言葉の森で行う読解検定試験は、わからないところがあったら空欄にしておく試験です。
それは、いい点数を取ることが目的ではなく、実力をつけることが目的だからです。
以前、ちょっと書いたエピソードを再掲します。
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言葉の森で小学生のときから作文の勉強をしていた中学生の生徒がいました。
よくできる生徒でしたが、あるとき、その生徒のお母さんから電話がありました。「国語の成績がなかなか上がらない」というのです。
作文は毎週よく両親にも取材して、充実した内容のものを書いていましたから、勉強はしっかりやっているはずです。
それではということで、実際の国語の試験問題と解答を持ってきてもらうようにしました。
そのお母さんと生徒の前で、問題文を読み、その問題をどう解くかということを1時間ぐらい問題ごとに説明しました。
それまでも、一般論としてそういう解き方を話しているはずなのですが、実際にそのとおりにやっている子は少ないのです。
解き方を説明すると、お母さんもその生徒も驚いていました。
その後、その子の国語の成績はどんどん上がり、入試は神奈川県のトップ校と言われるところに合格しました。
その生徒が、入試のあとしばらくして、何かの話をしているとき、「国語だけは得意なんです」と言うのを聞いて思わず笑ってしまいました。
このように、国語は解き方さえわかれば、成績は必ず上がる教科です。
しかも、解き方を考えながら問題文を読むと深く読む力がつくので、成績だけでなく読む力もついてくるのです。
もうひとつの例です。
やはり小学生のころから作文の勉強を始めて、中学生になり、言葉の森の読解問題を毎月8問きっちり解く子がいました。
その子は、答えに納得がいかないと、よく電話をかけて質問をしてきました。
それぐらいですから、国語の成績はとてもよく、めでたく志望校に合格したのです。
高校生になり忙しくなったために、高1でいったん言葉の森を辞めていましたが、高3のとき、突然電話をしてきました。
聞くと、国語の成績が上がらないと言うのです。
仕方ないので、その子が実際に解いた問題を送ってもらいました。
その解き方を見てみると、見事にこれまでにやった理詰めに解く方法を忘れていました。
そのことを言うと、もうそれだけですぐに思い出したようです。
それからしばらくして、無事に東大に受かったという連絡が入りました。
理数系で、もともと数学の得意な生徒だったので、高校時代、国語の勉強に力を入れずに解き方を忘れていたのだと思います。
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このように、厳密に解こうと思えば実力がつきます。
厳密に解かないと、当たり外れの世界になってしまいます。
厳密に解くとは、わからないところは、適当に選ぶのではなく空欄にしておくことです。
空欄にするのが嫌だったら、必ず自分なりの理屈を考えて選ぶようにするのです。
そうすれば、試験が返却されたときに、自分の考え方が合っていたかどうかがわかるからです。
答えが合っていることが大事なのではなく、考え方が合っていることが大事です。
だから、点数が悪かったら喜ぶことです。その分だけ自分が進歩するからです。
では、点数がよかったら、その試験をした意味がないかというとそうではありません。
厳密に解こうと思って試験問題を読むと、その内容がしっかりと頭に入ります。
国語の試験には、似たようなジャンルの問題がよく出ます。
一度読んだことのあるジャンルは、全体の見通しをつけて読めるので、読み取るのが早くなるのです。
読解検定試験を受けていると、国語の実力がつきます。
この試験を生かすためには、
(1)必ず満点を取ろうと思うことと、
(2)わからないところは空欄にしておくか又は自分なりの理由を明確にして選択すること
が大切です。
試験というと、8割取れたからいいとか、9割取れたからいいとか思いがちですが、読解検定試験は10割取れないとダメなのです。それは、理詰めの試験だからです。
差をつけるための試験ではなく、全員が満点を取れるようになるための試験です。
だから、実力がつくのです。
■■親子作文と言葉遊びとダジャレ
親子作文は、まだ文字が十分に書けない、又は十分に読めない子供を対象にした作文の勉強です。
なぜ、このような早い時期に作文的な勉強を始めるかというと、言葉の森の作文指導は、作文の練習に付随して、暗唱や発表や読書の練習ができるので、それらの総合的な教育効果を考えると、できるだけ早い時期から始めた方がよいと考えたからです。
しかし、まだ字が十分に書けない子に書き写しをさせるような「勉強」的な方法では、かえって子供の健全な成長にいい影響を及ぼしません。
作文のような日本語の学習は、子供時代に最も優先させるべきものですが、それは勉強としてやるのではなく、生活の中での遊びのようなものとしてやっていくものです。
その遊びが、親子の対話です。
作文の題材となるものを親が企画し、その企画で親子で一緒に遊び、その遊びを子供が絵にかき、親子で対話をして一緒に構想図を書き、その構想図をもとに親が作文を書き、ひらがなが読める子はその作文をみんなの前で読んで発表する、という形の遊び的な学習です。
ここで大事なのは、第一は親の企画です。これは、実行課題集などを参考に、家庭で楽にできるものに取り組んでいけばいいと思います。
父親だったら、虫捕りとか理科実験や工作のようなものであれば親も楽しめます。母親だったら、料理的なものであれば勝手がわかるので取り組みやすいと思います。
親子でできるようなものが大事で、遊園地に連れていって、子供だけ遊ばせるというような企画ではありません。
よく、作文の題材というと、どこかに出かけて特別なことをしないと書けないという発想をしがちですが、そういう特別なことをする必要はありません。
そういう特別な行事作文のようなものは、かえって平板なものになることが多いのです。
それは、子供が、「○○を見た」「面白かった」という受け止め方で、その行事に参加していることが多いからです。
作文の題材には、子供自身が「何かをした」ということが大事なのですが、行事作文では、そのしたこと自体が、ある枠の中で「してもらった」とか「させてもらった」とかいう受け身のものになることが多いのです。
親子作文で第二に大事なところは、親子の対話で構想図を書くことです。
この対話のきっかけは、内容的には親子でその企画に一緒に取り組んだという共通の経験です。そのときに撮った写真などがあれば、共通の経験を思い出しやすくなります。
対話のきっかけとなるもう一つのものは、言葉的なものです。ここで、項目表の項目を使います。
「そのときの会話でどんなことがあったっけ」「数字や名前で何か書けることあるかなあ」「□○□○(擬声語・擬態語)はどこに使えるかなあ」というような対話です。
ここで、その項目を入れることにあまりこだわると、言葉遊びではなく、言葉の勉強になってしまいます。あくまでも楽しい言葉遊びとしてやっていくのです。
その言葉遊びの要素を更に強くするために、今考えているのが、親子作文の項目に「ダジャレ」を入れることです。
親子で作文を書くときは、必ずどこかにダジャレを入れるというようにするのです。
ダジャレは、音素数が少なく同音異義語の多い日本語の特徴です。
幼児期のしりとりは、言葉の数を増やす遊びですが、ダジャレはそれよりも更に多くの言葉の数を増やす遊びになります。
親子作文には必ずダジャレがどこかにあるとなると、子供どうしで作文を発表するときも、聞き手はその作文を集中して聞くようになります。
親子作文は、聞き取る力を育てる遊びにもなるのです。
なお、このダジャレも、子供に一人で考えさせるものではなく、親が考えるものです。
こう明記しておかないと、「じゃあ、次はダジャレ言いなさい」などと子供に指示してしまうお母さんがいないとも限らないからです。(笑)
ただし、真面目な性格でどうしてもダジャレが出てこないというときのために、親子作文には教材としてダジャレ集も入れるようにしたいと思います。
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