言葉の森新聞2019年5月1週号 通算第1561号
文責 中根克明(森川林)
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■■作文教育から学校教育へ
言葉の森を作文の塾と呼んでいる人もいますが、言葉の森は学習塾ではありません。
作文の教育自体を目的とした作文教室です。
入試で作文試験が課されるようになる時代のずっと前から、作文教育を目的とした教室を開いてきました。
ここが、他の受験のための作文講座とは違うところです。
しかし、生徒の中には、受験で作文を使う生徒も当然いるので、20年ほど前から受験作文小論文の指導も行ってきました。
言葉の森の受験作文指導は、わかりやすいと言われることが多く、例年、中学入試から大学入試まで受験作文コースに多くの生徒が参加しています。
公立中高一貫校入試では、作文以外の教科の試験もあるので、合否は作文だけで決まるわけではありませんが、言葉の森の受験作文コースで作文の勉強をした人は、ほかのどこで勉強するよりも作文の実力をつけているはずです。
言葉の森が学習塾でないのは、「(作文以外の)教科の勉強は自分でやる方がよい」という考えを持っていたからです。
人に教わるよりも、自分で勉強をした方が、ずっと能率よくしかも楽に勉強できるからです。
その考えはこれからも変わりませんから、言葉の森は、学習塾のような勉強をする場にはなりません。
しかし、今の学校教育を見ると、学校の教育自体が時代遅れになり、多くの子供たちが、無意味に近い詰め込み教育で勉強に対する意欲をなくしているように見えます。
そこで、言葉の森は、これまでの作文教育を発展させ、子供たちの教育全般をカバーするより広い教育を目指すことにしました。
作文以外に、国語、算数数学、英語、理科、社会などの教科の学習も選択できるようにするので、学習塾のような形態になりますが、本質は学習塾ではなく学校の教育です。
言葉の森が作文教室を始めたとき、作文教育に関する本を約200冊読みました。
そのころから、将来は教育全般をカバーする教室を作ろうと考えていたので、これまでに教育に関する本は数多く集めています。
その中には、天外伺朗さんの教育論のような根本的な内容のものから、和田秀樹さんの具体的な教育法のものまで幅広くあります。
それらをすべて統合して、具体的な教育として組み立てていきたいと思っています。
日本では教育は進学実績との関連で語られることが多いので、どの塾も実績を上げるために工夫をしています。
そのいちばん手軽な方法は、大量の宿題を出すことです。
受験で点数を上げるためには、詰め込みが最も効果があるからです。
それと同じことが、学校教育でも行われています。
ある時期に集中して詰め込み勉強をすることは決して悪いことではありません。
しかし、教育の方法がそれしかないのは問題です。
近年増えている不登校は、そういう量で強制する学校教育にも一因があると思います。
今の中学生向けの塾は、学校の定期テストの過去問対策までやってくれます。
しかしそれで実力がつくかというと、そういうことはもちろんありません。
成績はよくなるが、実力は低下するのです。
そういう現象が、日本の教育のいたるところにあります。
日本は、これから子供たちの教育を根本から変える必要があるのです。
■■全教科の学力をつける自主学習の勉強の新しい方法
一つ前の記事とも関連する話です。
最も能率のよい勉強の仕方は、いい教材を選び、その教材を完璧にマスターするために独学をすることです。
この方法で勉強すると、驚くほど短期間で成績が急上昇します。
しかし、この勉強法ができる人はほとんどいません。
いろいろな理由が考えられますが、いちばんの理由は、ひとりでやるのは不安だということだと思います。
そこで、多くの人が、塾や予備校を利用します。
それは、やむを得ない面がありますし、また塾や予備校はいろいろなデータを用意してくれるので、自分の位置を知る情報が豊富だというよい面もあります。
しかし、塾や予備校で教わる勉強のいちばんの弱点は、自分がもう学ぶ必要のないことまで教えられ、場合によっては宿題を出され、無駄な時間を過ごすことが多くなることです。
今の勉強は、時間をかけて量を増やせば成績の上がるものがほとんどですから、その大量の宿題や長時間の学習をこなした生徒は確かに成績が上がります。
しかし、その分、自分で考えたり工夫したり、あるいは読書をしたりという、自由で創造的な時間が少なくなってしまうのです。
また、教わる勉強のもうひとつの弱点は、本当は自分が繰り返し理解し納得して確実に自分のものにしなければならない部分の勉強を、わかりやすく教えてもらうことによって、わかった気になってしまうことです。
わかった気になると、本当にわかったことと、本当はあまりわかっていないことの区別がつかなくなります。
これが、成績が途中で止まってしまう最も大きな原因になるのです。
そこで、言葉の森が考えたのは、自主学習で全教科の学習を進め、その自主学習の進度をチェックするという方法でした。
この方法は、勉強に対する自覚のある生徒には大きな効果がありました。
しかし、小学校低中学年のまだ勉強にあまり自覚のない生徒の場合は、自主学習だけでは先生に甘えてしまうことがありました。
その結果、できていないことをできたことにしたり、やっていないことをやっていることにしたりということも一部に出てきました。
これは、作文の勉強でも似た面があり、生徒と先生とのマンツーマンの指導では、自覚のない生徒は甘えてしまうことがあります。
そのひとつの例が、書くことを決めてこないとか、課題を読んでこないとかいう勉強姿勢です。
しかし、作文の寺オンクラスや、発表学習クラスの場合は、自覚して参加している生徒が多い面もありますが、どの生徒も、よく準備して授業に臨んでいます。
すると、初めて参加した生徒や、準備せずに参加した生徒も、ほかの生徒の積極的な姿勢を見て影響を受け、自然に本人も自覚的に勉強に取り組むようになる面がありました。
そこで、この集団の力学を、自主学習コースにもあてはめていくことを考えました。
具体的には、今のマンツーマンの形の自主学習を、グループという形で行うことです。
しかし、グループの時間が長くなると、肝心の自主学習自体の時間が少なくなってしまうので、基本は自主学習が中心です。
この新しい形の自主学習をするために、担当の先生のZoomでは、メインルームとブレークアウトルームを使い分けて、グループ指導と個別指導を並行して行います。
このシステムができると、全教科の学力を自主学習という形できわめて能率よく進めていくことができます。
すると、学力をつけるためにわざわざ学習塾に行く必要はなくなり、自分のペースで余裕のある勉強ができるようになります。
そして、余裕がありながら、密度のきわめて濃い勉強時間を過ごせるようになるのです。
アメリカで今広がっていて、将来性の期待されている学習法に、ブレンディッド教育というものがあります。
これは、学校に通って、その学校でオンラインの個別授業を進めるという方法です。
日本でも、たぶん一部の学校で行われつつあると思います。
しかし、これはまだ過渡期の学習法です。
リアルとオンラインの二つの長所を組み合わせたような形になっていますが、リアルとオンラインの間に必然的なつながりはありません。
それは、もともとの問題が、リアルとオンラインの両立ということではなかったからです。
本当の問題は、グループ学習と個別学習の両立というところにあるのです。
■■4月の読書作文キャンプ
お知らせしていた通り、4月20日と21日の土日で、港南台教室でのキャンプを行いました。
初日は、きら先生となむら先生が、飛び入り参加をしてくれました。
普段、画面でしか会っていない子とリアルな初対面。
子供たちも、「生身の先生を見た」などと言っていました。
そのあと、軽く運動のために、公園のログハウスで鬼ごっこ。
みんな、たっぷり走り回っていました。
▽途中でおやつ
ログハウスのあとは、おふろの王様へ。
つぼ風呂という狭い風呂に4人が詰めて入っていました。
お風呂から帰ったら、食事の前に作文。
名前・数字、会話、たとえ・ダジャレ・ことわざ、思ったことなどを入れて、学年の百倍の字数まで。みんな、しっかり仕上げていました。
これは、21日の発表会で使います。
そのあとは、夕食。いつものようにカレーライスです。
夕飯を食べたあと、夜の街に。百円ショップでおもちゃを買って、夜は大騒ぎをしました。
なぜか早く寝る子が多く、9時半ごろには大体の子が寝ていました。
そのかわり、朝は2時ごろから起きる子がいて、ほかの子もつられて起きて遊んでいました。
21日は、9時から作文読書発表会、10時から読解検定です。
その状態で、作文発表会と読解検定をやり、そのあとアスレチックに行ったのですが、みんな元気いっぱいでした。(トライアスロンかい)
今回も、上級生の男の子と女の子がとてもよく手伝ってくれました。
作文発表会も子供たちだけでやったのですが、約1時間、みんなしっかり発表していました。子供たちだけで司会やタイマー係をやってくれました。
子供たちだけでも結構できるのだと感心しました。
▽アスレチック
一般に、男の子は、考えずに、面白そうだとすぐ行動する子が多いです。
そして、かなりの確率で失敗します(笑)。
それに対して、女の子は、面白そうなことでもまず周囲のことや先のことを考えるようです。
しかし、その分、チャレンジが弱くなる傾向があるようです。
それぞれの個性ある子供たちが、一緒に泊まって遊んだり勉強したりするというのは、勉強の教科の枠の中には入りませんが、ある意味で重要な勉強になると思います。
■■令和元年に期す
「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」
意義や目的のような事々しいものではなく、情景描写の中から生まれた新元号に、日本の本来のあり方を見る。
新元号「令和」の出典となった万葉集は、日本の文化の古里だ。
偶然にも、発表当日に書いたプログラミングの記事の結びは、「新しい作文教育を世界に先駆けて発信できる国が、万葉集の伝統を持つ日本なのです」だった。
本居宣長は言った。
日本になぜインドや中国にあるような大思想が生まれなかったのか。
それは、日本ではそのような大げさなものを必要としない生活が既に根づいていたからだ。
自ずから正しい道を進むような新しい時代が、これからやってくることを予感する。
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