言葉の森新聞2019年7月1週号 通算第1569号
文責 中根克明(森川林)
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■■7月1日(月)から新学期
7月1日から新学期が始まります。
教材の説明は、課題フォルダの表紙の裏側に書いてあります。また、勉強の仕方の説明は、「学習の手引」に載っています。
http://www.mori7.com/mori/gate.php
■■7月15日(月)は休み宿題
今月、7月15日(月)は、祝日のため休み宿題です。
先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日9時~19時50分)
電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
課題の説明の動画「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/
オープン教育の掲示板「森の予習室」にも、学年別の予習のヒントが載っています。
■■言葉の森のオンラインスクール宣言――言葉の森は、作文教室を含めたオンラインスクールとなります
言葉の森は、これまで作文・小論文の指導を中心に行ってきましたが、現在、読解検定、暗唱検定、発表学習クラス、合宿教室、教育相談など、作文の枠を超えたものにも数多く取り組んでいます。
また、今回、自主学習をクラス単位で行うようにし、中学入試、高校入試も含めた全教科の学習指導をオンラインで行うようにしました。
言葉の森には現在60名の作文講師がおり、その多くは10年、20年以上の経験を持つベテランの講師です。
また、現在森林プロジェクトの作文講師資格講座を合格した講師が100名以上います。
これらの現状をもとに、7月から、言葉の森を「オンラインスクール」という形で定義することにしました。
したがって、作文指導も、「オンラインスクールの中の作文の指導」という位置づけになり、発表学習クラスや自主学習クラスも、オンラインスクールの中のそれぞれのクラスという位置づけになります。
当面の実際の指導運営は、これまでと変わりませんが、将来はオンラインスクールという面を更に大きく打ち出していき、授業時間の枠も午前中から夜間にまで広げていく予定です。
言葉の森に現在参加されている方も、今後、言葉の森を、学習塾や学校と同じようなものとして参加、活用していってくださるようお願いします。
具体的には、海外の方はオンラインの日本語補習校として利用できます。
国内での不登校の方はオンラインのフリースクールとして利用できます。
学校から帰ってひとりで家で留守番をしている方はオンラインの学童クラブとして利用できます。
学習塾に通っていた方は、言葉の森を新しい学習塾として利用できます。
そして、言葉の森を長年受講してきた方は、言葉の森の同窓会に参加することができます。
また、長年、言葉の森の生徒の保護者としてご子息の勉強を見てきた方は、その経験を生かして、言葉の森の講師の資格を取り、言葉の森これからの教育に一緒に参加していただけるとよいと思います。
子供たちの全面的発達を促す教育のためには、家庭との連携が欠かせません。
子供たちの成長に最も深い関わりを持つのは家庭だからです。
オンライン教育の利点は、子供たちが就学できる年齢になる前からの教育にも関与できる点です。
そして、子供たちの教育は、先生という職業の人がやるだけのものではなく、すべての人が社会生活の一部としてやるようなものになっていくのです。
最近は、経済や政治や自然環境の行き詰まりと同じようなことが、教育の世界でも起きているように思います。
簡単に言うと、勉強は昔よりもさせられるようになっているが、学力はむしろ低下しているようなのです。
子供たちがもっと自由に楽しく遊びながら、学力も向上するという方法があると思います。
そして、学力以外の文化度も向上する教育があるはずです。
それをオンライン教育として目指していきたいと思います。
■■STEM教育の先にあるもの
先日、面白い調査を見ました。
「STEM教育」という言葉を知っている人は、子供の教育に対する関心が高いという調査結果です。
私はSTEM教育というのは最近の本によく出てくる普通の言葉だと思っていたのでこの話は意外でした。
STEMとは、「サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティックス」の頭文字です。
これにアートをつけて最近流行っているのがSTEAMという言葉ですが、これはSTEMの本質とは別の概念を付け加えただけのもので、単なる思いつきのようなものです。
それはともかく、STEM教育という言葉から受ける印象の第一は、こういう訳の分からないアルファベットは使わないでほしいということです(笑)。
日本の教育が遅れていると思う最も大きな理由は、このように横文字が多すぎることです。
それは結局、日本の風土や文化に根差した教育というものを作り出せない教育者が、海外からのものをただ日本に移植しようしているからだと思います。
教育界は、戦後すぐのなし崩し的に欧米文化を受け入れた時代からほとんど進歩していないように思えます。
ところで、私はこのSTEM教育というものに、基本の80%は賛同していますが、残りの20%は何か不足しているものがあるような気がしていました。
それが、最近になって日本文化の根底に流れている重要な要素がないからではないかと思うようになりました。
日本にも、江戸時代から、STEM教育の長い歴史がありました。
だから、種子島の鉄砲もすぐに作ることができたのです。
しかし、そこにあるのは単なるサイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティックスではありませんでした。それだけなら、誰がやっても同じです。
話は飛びますが、戦時中の日本にも、原爆を開発する計画があったようです。
しかし、その計画を知った天皇が、たとえ戦争に勝つためと言ってもそういう兵器を開発してはならないと研究を止められたのです。
日本人であれば、この感覚はよく分かると思います。
このことに似た話は、日本の歴史には数多くあります。
サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティクスの四つの言葉だけでは、「敵に勝つとはためとはいえそういう非間的な兵器の開発はやめよう」という発想は出てきません。
むしろ、日本以外の外国の常識は、「目的は手段を正当化する」です。
日本は違います。「君子財を愛す、これを取るに道有り」の文化です。
手段にも、人の道というものがあるのです。
話を戻して、合理的ではあっても人間味のないSTEM教育を緩和するために付け加えられたのが、アートという概念ですが、それはSTEM教育の本質とは結びついていません。
たとえば、兵器の開発へと進んでしまうような科学技術の進化をコントロールする力は、アートという概念にはないのです。
これに対して、日本には、明治時代の初めから和魂洋才の精神がありました。
STEM教育は、今の文脈で語られる限り人間の幸福のための教育にはなっていません。
科学技術という洋才の外枠をコントロールする和魂という中心がないからです。
しかし、和魂は、平和とか人類愛とかいうような空虚な言葉ではありません。
日本文化における和魂の精神を支えてきたのは、言葉ではなく所作だったのだと思います。
身近な例で言えば、玄関で靴をそろえるというのは、あとから来た人が気持ちよく入れるようにするためです。
靴をそろえるときの人間は、平和や人類愛などという言葉を考えているわけでありません。
しかし、その所作を繰り返す中で、自然にその場にはいない他の人に対する思いやりが生まれてきます。
目的は手段を正当化するという考え方からは、正しい目的であれば、手段は汚くてもかまわないという考えが自然に生まれるでしょう。
動作や所作を美しくする文化からは、手段の美しさを基準にして目的をコントロールする考え方が生まれます。
この世界には、競争や勝敗があります。
競争に勝つことは第一の目的ですが、その目的と同じくらい大事なのが、競争する相手に対する共感や思いやりです。
その共感や思いやりは、目的においてではなく方法において現れてきます。
オリンピックでドーピングが話題になることがあります。
また一方、日本の選手やサポーターが、試合のあと自分のいた場所をきれいに片付けて帰ることが話題になることもあります。
部屋をきれいに片付け、グラウンドに一礼をして帰る人が、次はどのように見つからないように反則をするかなどということは考えつきもしないのが普通です。
落とした財布が返ってくるのは、そういう法律があるからでも、罰則があるからでもありません。
すべて日常的な所作の延長に、自然にそのような姿勢が生まれてくるのです。
ここに、単なるSTEM教育の、サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティックスだけではない、新しい日本的な科学技術教育の可能性があります。
日本では、STEM教育を普及させようとい声が生まれていますが、本当はもっと先に行く必要があります。
なぜなら、サイエンスも、テクノロジーも、エンジニアリングも、マセマティックスも、既に日本にはあり、むしろその限界を多くの人が感じているからです。
その限界とは、ひとことで言えば、心のない科学が発展しても、世の中はよくならないということです。
しかし、心とSTEMは対立するものではありません。
もっと大きな枠の中で一致するものなのです。
科学技術教育は大事ですが、それ以上に大事なのが科学技術を支える心の教育です。
しかし、心の教育は、抽象的な道徳の話としてではなく、科学技術の実践の中で行われるものなのです。
言葉の森では今、発表学習クラスで、理科実験や社会調査をもとにした自由研究の発表を行っています。
発表学習で大事なことは、ただ受け身で知識を吸収することではなく、自分から進んで調べたり実験したり経験したり工夫したりすることです。
つまり、そこにある行為(所作)の中に、日本文化を伝えることや、心の教育のきっかけがあります。
これから、単なるSTEM教育ではない、日本的な文化科学教育として、発表学習クラスの教材を作っていきたいと思っています。
■■教わらないが、いつでも質問のできる勉強が最も効率がよい
言葉の森の自主学習クラスは、基本的に自分で学ぶ勉強です。
先生が、何かを教えるわけではありません。
これまでの勉強に慣れた人は、それを物足りないと思うかもしれません。
しかし、人に教わる勉強ではなく、自ら学ぶ勉強が最も効率がよいのです。
私のうちの子が中学3年生だったとき、数学の力がまだ不十分だと思ったので、夏休みに教室で一緒に勉強することにしました。
中1から中3までの3冊の市販の問題集(A5サイズで各300ぺーじほど)を用意して、それを順番に解いていく勉強です。
問題を解いて答え合わせをして、間違っていれば解法を理解して×印をつけておき、1冊が最後まで終わったら、あとでまた繰り返すという勉強です。
本人がただ黙々と勉強しているだけなので、こちらは何もしません。
そして、1日のうちに1回か2回、解法を見ても理解できないことがあるというので質問が来ます。
その質問に、やはりこちらも解法を見ながら考えます。
時間はせいぜい10分か15分ほどです。
このようにして1日に5、6時間数学を中心にした勉強をやっていました。
3冊の問題集を4回か5回繰り返すころには、できない問題が1問もないという状態にまでなりました。
その結果、夏休みが終わるころには数学はほぼ完璧にできるようになったのです。
そして、その副産物として、質問に答えていた私自身も、高校入試の私立の難しい図形の問題がほとんど解けるようになりました。
これがもし、数学の先生がその問題集の中身を順番に教えるような形の勉強であったとしたら、夏休み1か月かけてその3冊の問題集をひととおり終えるのがやっとだったでしょう。
そして、その場合は、実力はたいしてつきはしなかったはずなのです。
自分でやる勉強であれば、間違えたところだけを繰り返して解き直すことができるので、誰かに1回教わる時間で自分で5回以上繰り返すことができます。
そして、そのように繰り返すことによって、その問題集が完璧に自分のものになるのです。
ただし、自分でやる勉強は能率がよいのですが、もし質問できる人がいなければ、解法を見てもわからない問題は何時間もかけて自分で理解しなければなりません。
それは、逆の意味で、やはり非常に無駄の多い勉強です。
人に教わらずに自分で問題を解き、自分で分からないところだけ質問するという勉強の仕方が最も効率がよい勉強です。
それを、自主学習クラスの中でも生かしていく予定です。
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