言葉の森新聞2023年11月1週号 通算第1777号
文責 中根克明(森川林)
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■■11月3日(金)は「休み宿題」
カレンダーに記載してあるとおり、11月3日(金)は祭日のため「休み宿題」となります。
作文個別と作文クラスの生徒は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考に自宅でその週の課題を書いて提出してください。他の日に振替授業を受けることもできます。
「授業の渚」http://www.mori7.com/nagisa/index.php
「ヒントの池」http://www.mori7.com/mine/ike.php
作文以外のクラスの生徒も他の日に振替授業を受けることができます。
■■作文は、出力するもの。出力のもとになるのは、読書という入力――読書力をつけてこそ、作文力が伸びる
●動画:https://youtu.be/fcoU-5tgbf0
昔、言葉の森が通学教室をやっていたころ、子供たちの中に、「書くことがない」とか「書けない」とか言う子がたまにいました。
そういう子に共通するのは、本を読んでいないことでした。
ちょうど、お腹がすいているので、動く力が出ないという関係に似ています。
逆に、本を読んでいる子は、自然に書きたいことが次々と出てきます。
作文の上手な子に共通するのは、読んでいる本のリズム感が作文に出てくるということでした。
熱中して、本を読んでいると、その本の文体が、子供の書く作文の中に自然に出てくるのです。だから、書きやすくなります。
しかし、現在、人気のある本は、ビジュアルが優先されているのか、文章が少なくなっています。
文章は付け足しで、図や絵を見せるような形になっている本が増えています。
そういう本ばかりを読んでいると、知識はつくけれども、文章は書けないというようになってきます。
文章が書けなくても、日常生活は十分にやっていけます。
話をするだけなら、作文は書けなくても、誰でも同じように達者に話をすることができます。
しかし、話だけはうまくできるが、書く力がないということでは、リーダーの役を果たすことはできません。
みんなに説得力のある話をしたり、新しい提案をしたりするというのは、書く力がないとできないからです。
書く力とは、考える力と考えをまとめる力だからです。
これからは、みんながリーダーになる時代です。
だから、誰もが文章を読めるし、書けるという力を持つことが大切なのです。
従来の作文の指導法は、赤ペン添削が中心でした。
赤ペン添削というのは、対症療法的な勉強の教え方です。
大事なことは、根本原因から作文力をつけることであって、書いたあとの作文の誤字を直すことではありません。
では、なぜ対症療法の赤ペン添削が作文指導の中心になったかというと、それは、これまでの作文指導には、事前指導という方法がなかったからです。
事前指導を行うためには、子供の事前の準備、親の事前の協力、項目指導という方法、少人数クラス、個別指導の時間というものが必要です。
ところが、通常の学校教育や通信教育では、子供たちに一斉に作文を書かせて、あとで先生が一人ひとりに赤ペン添削をするという方法しか取れません。
だから、赤ペン添削は、先生が大変なわりに、それで力をつける子がほとんどいなかったのです。
これからの作文指導で最も大切なのは、読む力をつけることです。
作文を直すのではなくて、読む力をつけることによって、作文を自然に上手にしていくという指導法が求められています。
言葉の森では、毎週、子供たちに読書記録をつけるようにしています。
https://www.mori7.com/teraon/ds.php
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読書記録によって、子供たちの本を読む習慣がつくばかりでなく、互いにレベルの高い本を読むようになっています。
この読書記録をさらに充実させていきたいと思っています。
■■不登校の原因は、学校の授業が退屈なこと――すべての子供が主体的に参加できる授業でなければ、不登校は増えるばかり。しかし、その解決の方法はすでにある。
●動画:https://youtu.be/rJDVy54I40c
不登校の問題は、個人差があるので、一般論として論じることが難しい面があります。
ただ、私自身(森川林)も学校に行きたくなかったことはあるので、自分の体験をもとにしながら、どのように対処していったらいいのかということを話したいと思います。
小学校4、5、6年生のころのことです。
私は、普通の小学生で、周りに悪い子はたくさんいましたが、それで、何か問題があったということではありません。
当時は、学校に行くのが当然という社会でしたし、私のうちは、真面目な家庭でしたから、学校に行かないという選択肢は思いつきもしませんでした。
いじめっ子も何人かいましたが、それは戦うということで対応していたので、特に問題はありませんでした。
学校に行きたくない日は、よくありました。
しかし、当時同じクラスに、なおこちゃんというかわいい女の子がいたので、その子に会うために自分は学校に行くのだと言い聞かせて、学校に通っていた記憶があります。
学校の何が嫌だったかというと、硬い椅子に座って人の話をじっと聞いている時間が何時間もあるというのが、苦痛だったのです。
だから、テストのときはほっとしました。
テストは、自分が主体的に行動できる時間だったからです。
つまり、学校が退屈だったのは、受け身でいる時間が長く、しかもそれが強制されているというところだったのだと思います。
ひるがえって考えてみると、言葉の森のオンライン少人数クラスの子供たちは、みんなよく喋ります。
クラスの定員が5人以内なので、誰もが十分に発表の機会があるからです。
しかし、学校では、まずそういうことはありません。
自分の言いたいことを授業中に突然発言したら、先生から注意されるのが普通です。
主体的に行動できないことが、退屈の最大の原因です。
だから、学校が退屈なのは、学校システムの問題なのです。
言葉の森のように、オンラインで全国の子供が5人以内で同じ教科を学ぶという教育をすれば、全員が主体的に参加できる授業になるので、学校の退屈さはなくなります。
小学生時代の勉強は、いつでも取り戻せます。
また、友達関係もいつでも作ることができます。
ただ大事なのは、読書については取り戻すことが難しいので、学校に行かない間でも家庭で読書機会を作っておく必要があるということです。
今は、YouTubeなどなどで時間を取られやすくなっているので、小学校低中学年のうちは、インターネットは禁止、小学校高学年からは、本人の自覚を促し、ネットの時間をコントロールしながら読書の時間を確保するのが大事になると思います。
さらに重要なことは、学校に行かない状態であっても、きちんとした生活だけは維持するということです。
例えば、朝決まった時間に起きるとか、朝のうちに決まった仕事をするとか、朝の決まった時間に勉強を始めるとかいう生活習慣です。
この朝のスタートが1日の雰囲気を決めるので、朝の時間帯をどのように過ごすかということが大事になります。
その場合、言葉の森のオンラインの午前中のクラスは、朝のスタートを始める。きっかけになると思います。
午前中の時間帯は、まだ希望者が少ないので、クラス数は限られていますが、希望する生徒がいれば、平日の朝7時、8時、9時ぐらいの時間はすぐに担当できます。
生活のルールを維持することと、読書の時間を確保するということが、学校に行かない子供の一番の対策で、そのための方法を家庭で確立していく必要があります。
現在の不登校の生徒の増加具合を見ると、いずれ学校教育の行き詰まりが、明らかになってきます。
そして、オンラインの少人数クラスによる教育が広がって行くと思います。
それまでは、家庭で、生活のルールと読書習慣を維持することを中心に子供を育てていくといいと思います。
▽参考記事
不登校過去最多「日本の教育」はすでに崩壊していると言える訳 大人の同調圧力が子どもを追い詰めている
https://news.yahoo.co.jp/articles/9adf36a88043b3baa7bb7a3672b0aae0c0c3997d
■■7月の森リン大賞(小6の部)――実例の豊富な作文は、小学校時代にこそ書ける。結びの感想も高学年らしい。
プレゼントを工夫する喜びが伝わってくる作文です。
実例の豊富な作文は、小学校時代にしか書けません。
これからも、楽しい作文を書いていってください。
結びのプレゼントについての感想は、高学年らしく書けています。
「人にとってプレゼントは、あげる人も、もらう人も、わくわくさせるものだ。あげる人にとっては、何をあげようかなと考える時間がわくわくするし、もらう人は、包みを開ける時、わくわくする。」
こういう大きい感想を書けるのが、小学校高学年の作文力です。
人をワクワクさせるプレゼント
あかさほ
私があげたプレゼントのリボンをほどこうとしている。私は、よろこんでくれるかなと胸がどきどきする。早く中を見てほしいけれど、どんな反応をするか、不安でもある。
毎年クリスマスには、祖父母やいとこと集まってパーティーをする。それぞれにプレゼントの交換をするが、手作りのものやちょっとしたものを贈ることになっている。一、二か月前くらいから、だれに何をあげたら良いかな、これが良いかな、と考えて、ワクワクする。この前会って話したことを思い出したり、電話で聞いたりして、相手が喜びそうなものを一生懸命に考える。良いアイディアが浮かぶと、とてもわくわくする。私が去年、いとこの二人にもらったのは、好きなキャラクターのねこのししゅうが入ったランチョンマットだ。手作りのランチョンマットに、同じとしのいとこの柊君が下絵を描いて、そのお姉ちゃんの風優ちゃんがししゅうをしてくれたそうだ。祖母からは、毛糸で編んだ、十センチメートルくらいの、私に似ている小さな女の子のお人形をもらった。かわいいお洋服やくつ、ぼうしまで着ていた。本体の人形はもちろん、お洋服まで全て手作りだったそうだ。私が柊君にあげたのは、自分の部屋のドアノブにかけておく、名前の入ったドアプレートだ。本体はフェルトでできていて、アイロンビーズで彼の好きなマインクラフトというゲームの剣などのアイテムを作った。それを、母が縫い付けて、名前をししゅうした。柊君が、
「これ、すごく良いね。」
と、予想以上に喜んでくれて、びっくりしたくらいだった。柊君は、同じ十一歳だけれど好きな、ものや遊びがちがうので、プレゼントを選ぶのに家族の中でも一番苦労する。マインクラフトというゲームが好きなことは分かっても、そのゲームのキャラクターが好きかは分からない。そう考えると、そのキャラクターのグッズをあげて喜んでくれるか、心配になる。それに、あげようとしているものに似たなグッズをすでに持っているかも知れない。このように、次々と問題点が出てくるので、プレゼント選びが難しいのだ。祖父母には、私がデザインした似顔絵をししゅうした布のお守りをあげた。とても喜んでくれて、祖父はすぐにかばんにつけて、祖母はいつも見られるように冷蔵庫につるしている。本当に喜んでくれると、時間をかけてプレゼントを考え、作ったり、選んだりして良かったと思う。それに、プレゼントの包みが開くまで、喜んでくれるかドキドキするから、とても安心する。完成品ではない手作りのものをもらっても、味があるし、心がこもっている感じでとても嬉しく感じる。それに、手作りだからこそ、相手が一生懸命に作ってくれたのかなと、想像するから、より嬉しさが増す。風優ちゃんの大好物なので、祖父母は誕生日のプレゼントに2キロのもち米をプレゼントしていた。(笑)この時みたいに、家族だからこそ渡せる、嬉しいプレゼントがあるから、家族でのプレゼント交換は楽しいなと感じた。
今年の六月の後半に、日光に修学旅行へ行った。お小遣いを持って行って、お土産を買っても良いことになっていた。父と母、祖父母にお土産を買って帰りたかった。好きなものなら喜んでくれると考えた。父はチョコレートが好きなので、おいしそうだった小さいチョコレートケーキを選んだ。母は、甘いものならなんでも好きなので、自分も好きなチーズケーキにした。祖父母はあんこが好きなので和菓子を買いたかった。でも、ぴったりとしたものがなかった。だから、母と同じチーズケーキにした。父と母、祖父母にお土産をわたしたら、とても喜んでくれた。自分も、だれかにプレゼントをもらったかのように、心が躍るみたいだった。仲良しのりんちゃんは、お父さんとお母さんにおはし、弟にりゅうが刀をもったかっこいいキーホルダーを選んでいた。みんなうれしそうに楽しそうに、お土産を選んでいた。みんなにとってもお土産やプレゼントを選ぶことは、楽しい、わくわくするものなのだろう。
人にとってプレゼントは、あげる人も、もらう人も、わくわくさせるものだ。あげる人にとっては、何をあげようかなと考える時間がわくわくするし、もらう人は、包みを開ける時、わくわくする。
今年のクリスマスには何を贈ろうかなと、楽しみにしている。
■■7月の森リン大賞(中1の部)――「カレーうどん」が面白い。聞いた話、調べた話が生きている作文。また、体験実例も個性的。書くことによって人間は成長すると感じられる。第4段落の意見の部分を長く書けるのは思考力があるから
●動画:https://youtu.be/G8Ja1xtn31E
中1のみさとさんの作文は、構成の見本のような文章です。(ただし、複数の理由ではなく、複数の実例になっていましたが。)
お母さんに聞いた話のレベルが高いです。
小学校高学年以上の生徒の保護者の方は、子供に似た話を聞かれた場合、子供の考え方のプラスになるような体験談や感想を話してください。
調べた話は、その場で調べると時間がかかって大変ですが、この作文の神仏習合の例のように、中学生以上の人は、できるだけ身近な体験実例を離れた、より大きな社会実例を探していきましょう。
第四段落の意見感想の部分を長く書けるのは、考える力があるからです。
森リン点の思考語彙は、この感想部分の長さによって決まります。
そのためには、日常生活の中で、親子で話をすること、説明文の本を読むことが大切です。
作文は、単に書く技術ではなく、それまでの知識や経験が総合された勉強です。
作文の力をつけるためには、豊富な体験、親子の対話、説明文の読書が必要です。
タイトルと最後のひとことの「カレーうどん」が、笑えます。
私たちの個性~カレーうどん~
みさと
日本人と呼ばれる私たちに求められている進化はなんだろうか。これまで私たちの祖先は、沢山の様々な文明を開花させてきた。現在世界で多く活躍している割合が高い欧米の方は、進化の過程の中で世界の中心に立ち始めた人たちを祖先に持っている方だ。ついこの間、G7サミットが広島で行われた。ここで驚くべき内容は、日本がG7、主要7か国に入っているという事だ。戦争後の高度経済成長期があったとはいえ、元から日本人の感性が素晴らしいものであり、戦争という悲劇から終結したみんなの力によってここまで成長できたのだと考える。昔から紛争が起こり、たくさんの命が重なっているこの地で生きる私たち1人1人には大きな課題が課されている。
島国の日本からすると、他の地からくるものは珍しい。例えば会社などのロゴをかっこよくしたいと思ったら、英語の崩し字?のようなものをよく使う。外来語をいれるとなんだかかっこよくなるように感じるものだ。これは憧れもあるのだろうか。
母にこの題材についてのインタビューをしてみた。すると、「単に憧れだけで外来語を使っているわけではないのでは?」と言った。昔の話になるが、平安時代などでは、公的な文章は中国語、つまりは漢文だった。日本独自の文字、かな文字は、女性の使う言葉だとされ、親しい人との会話などの、内向きな用途に使うという風になっていた。最近の若い世代の言葉も、「伝わればいい」という意識のもと、変化に抵抗がないのではという意見である。逆に言えば、だから英語が苦手な人が多いのでは?ということなのである。それはすなわち、コミュニケーションを大事にしているということでもあるのだ。
先ほどの続きになるが、日本人というのは、チャレンジ精神が知らぬ間に身についているという風にも言えるだろう。強要されなくても、まず取り入れてみる、という日本人特有のアイデンティティ、つまりは柔軟さがあるだろうということだ。そして「みんなそうだろう」と思っているから、外国の人が「それは文化盗用だ!」と言ったときに、盗用されたと言われている張本人でも「え、そうなん?」と思ってしまう。
それは、日本の宗教、神仏習合にも言えることである。神仏習合は、日本のアニミズムの考え方から生まれた神道と、中国から来た仏教が混ざった、これこそ日本特有の宗教である。実際は風土に合わせたら変わったというだけなのだが、あくまで神道だけではなく、「神仏習合」になったのだ。年末には除夜の鐘をうちに寺へ行き、正月には神社に行って手をあわせる。
みんな大好きカレーうどんもそうだ。カレーという外国の文化と、うどん・出汁という日本の文化を合わせて、オリジナルの文化を創り出した。私たち日本人は、知らず知らずのうちにそのような意識が芽生えているのではないだろうか。
このように、日本という国に住む私たちは、これまで先祖たちが作ってきてくれた文化・文明、そして気付かないうちに身につく「意識」を続けていくべきである。それが、自分なりに消化してから、物事を取り入れることなのである。文化という大きな観点で見ると、風土に合うように変化を重ねているということ。これは、それぞれの国・地域の文化すべてに応用されることだが、それをたくさん応用しているのが日本人だ。島国に生まれ、島国に育つ。島の外の世界から入ってくるものは、もちろん数えきれないほどたくさんある。また、島の外の世界に憧れを持っているのも事実だ。完全にまねするのではなく、身内で一番「伝わる」ことを意識する。その分「海外進出」の可能性は低くなるかもしれないが、私たちには素晴らしい感性があるではないか。これは私たちの個性だ。カレーうどん。
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