1月の学級新聞から、ゆう先生の話を紹介します。
今日は「表現」にスポットをあてます。
文字や言葉だけでなく、あらゆる場面で表現することの大切さを身をもって感じています。伝えたいことがうまく伝わらないもどかしさも感じます。伝えたつもりが伝わっていなかった(誤解されていた)というときの悔しさも感じます。だから、表現することは何よりも自分自身のために大事なことなのだといつも思ってしまいます。
小学年の生徒さんは今「表現」の項目の中で「たとえ表現」を練習しています。中学校では「比喩(ひゆ)」として学習するものの予行練習ですね。

今日はまず、楽しいたとえ表現集です。何に?何を?たとえているのか、想像しながらお読みください。
「害虫を食べてくれるアイガモを、私は自然のそうじ機のようだ、と思いました」【小4・女子】
「(なわとびで)なんどやっても、なわがへびみたいにグルグルと手にまきついて」【小1・女子】
「外国人講師の声が響き渡り、外国人講師の倍はいる生徒は蚊の鳴くような声……。」【中3・女子】
「(オペラで)男の人のこえはひくくて、ぞうやかばがあくびをしているようなおもしろいこえでした」【小1・女子】

この表現が自由自在になったとき、私たちの意見は、より説得力を持って読み手に訴える力を有します。
ある中学校でのホームルームの時間の出来事を作文の題材に選んでくれた作品がありました。意見を持つことはすばらしく、それは自分だけで留めるものではなく、表現することによって、みんなと共有できるという一例です。共有から生まれるのは、共感共鳴する喜びでしょう。学校生活の中では小学校〜高校まで、「協調」という言葉を頻繁につかうものです。一人ではできなかったことが、他者との交わりによって新たな発見をもたらします。それは人数分の比例計算ではありません。10人の人がいるからといって、10通りの意見でストップすることはないからです。それ以上です。これを「可能性」・「無限」と表現してくれた彼(中1男子)の感受性に心を奪われました。
『 みんなで話し合うことでこれまでにない発見が得られるからだ。前回は、戦争について話し合ったが、「アメリカが戦争の犯人である。」や「私達が戦争の傷を治していくべきである。」など私では出せないような意見が出た。その結果、文学者でも考え出せないような意見にまとめることができた。みんなで考えることは、すばらしいのである。
よく「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、今回、初めてよくその意味が理解できたような気がする。そして私は、「考えることは大きい」と感じた。
(中略)
また若者が、もっと発言しなければ、これからの世の中、「発見」というものがなくなってしまうだろう。考えることは、大きく無限であるからだ。』【中1・男子】
毎週作文を書く生徒の皆さんは優れた表現者であります。
表現は容易い(たやすい)こともあれば、とても苦しむこともあるものです。何のために表現するか、という疑問には今は簡単にはお答えできそうにありませんが、表現の鍛錬が、必ずや皆さんの3年後、5年後、10年後のコミュニケーションの糧になることは間違いありません。不安に思うことなく、積極的に作文用紙に立ち向かうことです。「書いてやるぞ!」という心意気でも構いません!(笑)
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枝 6 / 節 8 / ID 5541 作者コード:yuu
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