小3までの部 しおりちゃんと遊んだよ オーロラ 63点
「何をして遊ぼうか。」
今日は私の家にしおりちゃんが遊びにくるのです。そして今、二人で学校から帰りながら、何をして遊ぼうかまよっているのです。
でも家に着いてまず楽しみなのはおやつです。その日のおやつはポテトチップスとジャガリコのサラダとポッキーでした。2日前にしおりちゃんと遊ぶときめてから、お母さんにたのんでおいたのです。私たちは喜んでおかしをほおばりました。おなかがすいていたから、すぐにほとんど食べてしまいました。
そしていよいよ遊びです。最初は、しおりちゃんの新しい携帯でフレーム写真をとって遊びました。私は、少し前に、その新しい携帯を見てから、そうやって遊びたくてたまらなかったのです。「おでんやさん」や「ニュース」やほかにもたくさんのフレームがあって、私たちは変な写真をいっぱいとりました。
それにあきたら、今度はサーカスごっこをしました。まずやったのは、ねこのぬいぐるみの足になわとびをまきつけて遊んだものです。ルールは、なわとびのまきつけていない方を持つ人と、ぬいぐるみを持つ人との二手に分かれて、どっちか一つを一人が持って、自分の持っているものを相手に投げます。同時に、
「せーの」
と言って、ねことなわとびを落とさないように投げるのだけれど、私たちは
「キャハハハハ!」
と笑ってしまって、なかなかうまくできませんでした。
次にサーカスごっこで遊んだ物は、暗い所で光るのびたりちぢんだりする、丸いつつのようなおもちゃです。私たちはそれをへやのはしからはしまでのばして、一人ずつはじを持って、電気をけしてリカちゃん人形を準備しました。さらに、とうめい人間のお客さんに向かって元気に
「これからこのリカちゃんをこの穴に通します!」
と、通すふりをして、そののばしたおもちゃの先にいるしおりちゃんに、そっとパスします。するとしおりちゃんは、すばやくキャッチして、リカちゃん人形を自分の手元のあなにしまいます。そうすると、まるで、リカちゃんが穴の中をうまく通りぬけてきたように見えるのです。
「はい、見事に通りぬけました! みなさん、拍手をお願いしまーす!」
などと言ってもりあがりました。
学校が終わってから遊ぶのは、今日が今年はじめてでした。すごく楽しくてうれしくて、私たちは笑ってばかりいました。やっぱり、しおりちゃんと遊ぶのは楽しいな。今度遊ぶときは、もっとおもしろいことを考えて、笑いころげるぞー!
小4の部 ある日の帰り道 ガンダム 77点
「あ、お兄ちゃん。お待たせ。」
と、掃除当番の僕が、待ち合わせをしていた学校の前庭までかけつけた。
お兄ちゃんは、僕が掃除当番の時でも、毎日学校の前庭で、掃除が終わるまで待っていてくれる。とても優しいお兄ちゃんである。
しかし、今はあと数日で入試なので、僕なんか待たずに、さっさと帰ってしまう。だから、この話は、少しだけ過去の出来事だ。
その日、ふと上を見上げると、空模様がとても怪しかった。今にも雨が降り出しそうだ。まぁ、そんな事は、気にしないでいいや。と、思い校門を出て行った。しかし、思った通り、校門からしばらく歩いたら、ポツポツと雨が降り出してきた。幸いまだ小雨だった。二人とも傘を持っていなかったが、学校に近かったので、傘を取りに戻ろうとした。学校には置き傘があるのである。しかし、お兄ちゃんは、僕の前に立ち、
「面倒くさいから、取りに行かなくていいよ。」
と言い、僕が学校に傘を取りに行くのを止めたのだ。そして、強引に連れ去られた。しかしそれは、不正解であった。
途中から、あたりは、ますます暗くなり、大つぶの雨が降り出した。矢のように突き刺す雨に、目のまわりが痛かった。突然の大雨に二人とも、まるで後ろから包丁を持ったヤマンバに追いかけられているかのように超特急で家まで走った。息が切れた頃、気がつくと、頭はずぶぬれ、身体は服を通して雨がしみ込み、冷たくて寒くて、とても気持ちが悪かった。家に入って鏡を見ると、まるで頭からバケツ一杯分の水をかぶったようにぐしゃぐしゃの僕たちが映っていた。その上、ランドセルのすき間から、雨が入ったらしく、中の教科書などもぬれていた。制服、教科書、ノートなどを乾かさなくてはいけないし、お母さんには叱られるし、さんざんな一日になってしまった。
こんなに被害を受け、大変な思いをしたのだから、空模様が怪しい時は、最初から傘を持っておくんだなぁとつくづく思った。この経験以来、二度と同じ事はやっていない。帰りに、雨になりそうな時は、ちゃんと置き傘を持ってから、校門を出ている。
今日は、晴天。学校の近くの公園には、もう梅の木に花が咲き始めている。そして、あともう少しで、お兄ちゃんの受験も終わる。また、楽しい会話をしながら、一緒に愉快に帰りたい。
僕は、雲ひとつない青空を見上げた。まだ冬とは思えないほどの日差しである。常緑樹もキラキラ輝いている。その中を僕は一人で家に向かっている。
小5の部 今日の社会見学 ウサリン 78点
わたしの学校の5年生たちは、今日の、1時間目から5時間目まで日産キャリアを見学しに行った。そのとき、ビックリしたこと、工夫していること、色々あったのでいくつか挙げてみる。
日産キャリアは、アムステルダムにある。わたしが通っている日本人学校から、バスに乗って約20分。とても近いところだ。
まず、ビックリしたこと。
わたしは、最初に車が船から出ているところを見た。船と港は鉄で出来た橋でつながられている。それを持ち上げているの、ロープを何十にもした太いロープ。わたしは、慎重に、慎重にそこを通ってみた。だが、ビクともしなかった。だから、わたしは「なんだ、大丈夫じゃ〜ん!」と思いながら、でも下を見て歩いていった。すると、そこにはなんとすき間が・・・・。その間に見えるのは海・・・・。とても恐かった。
また、わたしは次に2階、3階へと上がるために、階段を上ることにした。でも、エレベーターはある。では、なぜそれを使わないのだろうか?正解はとても狭いからだ。先生は見学に行く前にこのように教えてくれた。
「貨物船は、人を運ぶためではなく、荷物を運ぶための船。だから、乗りやすいように工夫されていないですよ。だから、1回に4〜5人しか乗れません。だから、上へ行くだけでも何十分もかかります。」
と。見てみると、本当に狭かった。マンションやホテルなどにある普通のエレベーターの半分ほどしかなかった。また、高さもとても低く、背の高いオランダ人はちょっとだけ足を曲げないと中に入ることが出来なかった。このような理由で階段にしようと決めたのだ。
実際に、マンションでいう約10階のところまで行ってみた。この高さはわたしが前住んでいたマンションの見晴らしに似ている。なぜなら、7階に住んでいたからだ。だから、ベランダから見ているようだった。でも、そこらには自動車や工場があったので全然景色は違う。
最後は、騒音の多さだ。エンジンルームに行ったとき、とてもうるさかった。お湯がわけたときに似ている音だった。そして、その隣にあるエンジン室の管理をする部屋に電話がなったとき、とてもビックリした。なぜなら、ふつうの家庭にある電話はトゥルルルル・・・・・となるはずなのに、非常ベルの音のようだったから。しかもそのとき非常ベルの話をしていたので「えっ!? まさか・・・。」と思った。そのあと、船員の方が教えてくれた。船の中は騒音だらけなので、これくらい大きくないと聞こえないと。
次は、工夫していること。
それは、デッキだ。デッキは今回のメイン。車を入れるところだ。そして、船の中では揺れるときに車と車がぶつかり合って、傷つかないのか?という疑問があった。だから聞いてみることにした。すると、床にあいている穴に4ヶ所ひもをひっかけて、固定していると教えてくれた。でも、もしものためにスポンジ、ラップなどが付いていた。日産キャリアの人たちは、少しでも傷つかないように、色々工夫していることがわかった。
今日はとても勉強になった。わたしたちのためにパンフレット・資料も準備してくれた。明日、お礼状を書く。だから、感謝の気持ちを込めて書きたい。
小6の部 人生浪漫鉄道 東海道のてっちゃん 芳本卓也 85点
「出発進行!!」僕の鉄道マニアとしての本格的スタートは、1998年のことだった。
JR東海道線の沿線に住んでいたことから、以前から鉄道に対する興味はあったのだが、故郷である新潟に里帰りしていたときのこと。
僕は、信濃川の関屋分水に向けて自転車の車輪を回していた。信濃川と関屋分水路の分かれ目の地点がせまったころ、ふと新潟交通東関屋駅に人が集まっているのを見かけた。何事かと思い急いで駅の裏に向かうと、それは長い行列がバス車庫を占領しているではないか。どうやら、廃止された新潟交通の鉄道部品即売会が行われているようだ。僕は、父と一緒に行列にならんだ。自分の番が来ると、だいぶ客が減ってきたようでゆっくり見ることができた。売り場になっていたホームには、つり革や圧力計、ワイパー、ヘッドライト、テールライト、パンタグラフ、座席、スピードメーターなどの部品が山積みになっていた。僕は、黄色のかごに、ワイパー、スピードメーター、つり革を入れるとさっさとレジスターへ向かった。祖母の家に部品を持ち込むと、早速手入れをした。
あれから6年、僕は受験を間近にした受験生。そんな中、僕は東急ハンズで鉄道部品即売会が行われていると聞き、早速足を運んでみた。そこには、国鉄時代からの廃車の部品が並び、行先表示板、ヘッドライト、運転台機器、つり革、ヘッドマーク、SLナンバープレート、なんと電車のドアまでも売っているのである。僕は、圧力計や運転台機器、つり革を買った。ただ、どうも新潟交通の部品とは感じが違うのである。マニアックな話になって申し訳ないが、新潟交通の部品は、重みがあり、なおかつ鉄道独特のにおいがするのである。国鉄の部品は、どうもつくりが簡単である。でも、まるで金箔でも貼ったかのように金色に光る圧力計、光にかざすと輝きを増す運転台機器を見ると、どうも魅せられてしまうのである。
さてさて、てっちゃんの話はこれくらいにして別の視野からこの部品についても見てみよう。そもそも、僕が鉄道に興味を持ち始めたのは今から10年近く前のことである。当初、駅のKIOSKで売っている玩具の東北新幹線から始まった。ものごころがつくようになり、電車の形式を覚え始めると、機関銃のように喋るようになった。しばらくすると、父がNゲージ(レール幅が9?の鉄道模型の名称)のレールを買ってきた。昔から持っていた玩具をその上にのせて遊び始めたのが4歳くらいだっただろうか。5歳になり、Nゲージの車両を買って遊ぶようになりてっちゃんの道を歩むきっかけとなった。
僕は今中学受験を数週間後に控えている。4年生から塾へ行き始めた僕は、塾の先生に怒鳴られ、長い長い勉強時間という苦痛に耐えてきた僕の支えとなっていたのが、鉄道だった。
塾が終わって家に帰ると、模型をいじり、暇が出来ると部品をいじったり模型屋へ行ったり・・・。今思うと、鉄道がなかったら(鉄道に興味がなかったら)きっと受験戦争に乗り切れなかったと思う。僕が宝物にしている鉄道部品。人間、このように、「これは僕のもの」というような物や、「きれい」だとか、「かっこいい」というようなものがあると落ち着くのかもしれないし安心できるのかもしれない(包丁とかナイフを見て安心するのはちょっと恐ろしいが・・・)。これからさきいの長い人生の中で、きっといろいろな趣味を見つけ、いろいろな物を見て、いろいろな感情を抱くことであろう。
さあ、各駅停車の僕の人生は出発したばかり。次の駅に向けて「出発進行!!」