毎年、この季節になるとなんとなく憂鬱な気分になります。でも雨の日もそれはそれで楽しみがあります。そのひとつには読書があります。雨だから出かけるのはやめて読書しようとか、作文を書こうとか、そんな気持ちにもなりますね。
さて、つい先日新聞のコラムにおもしろい記事をみつけました。「日本語の乱れをことさらに言い立ててかせいでいる人と、日本語をことさらに乱して商売にしている人とでは、どっちがエライか」という問いからはじまっています。言葉の森のヤマブキ4.3週の課題にも「ら抜き言葉」がとりあげられています。この「ら抜き言葉」は日本語の乱れについて語られるときにはいつも例としてあげられます。私も作文の中でら抜き言葉があれば、赤ペンで修正しています。職業柄(?)「日本語の乱れ」とくればよくないものという意識が私の中にはあるようです。 このコラムを読む直前まで、NHKのアナウンサーが書いた日本語に関する本を読んでいたので、よけいにそのことについて敏感になっていたのかもしれませんが、そんな私にこのコラムはとても新鮮でした。
このコラムの中で天野祐吉氏が取り上げている言葉は「軽くヤバイ」というものです。本来「ヤバイ」という形容詞に「軽く」という副詞はつかないのですが、これをあえてくっつけることで、微妙なニュアンスが生まれているというのです。まぁ、この「微妙」という言葉も本文では「ビミョー」と表記されています。このことばも最近子どもがやたら使うので、とても気になっている言葉のひとつです。ら抜き言葉といい、「軽くヤバイ」といい、「ビミョー」といいどれも学者さんに言わせれば、みんな乱れた日本語ということでしょう。
日本語の乱れについて議論されているときには、たいてい「言葉は変化するものだ」という考えも紹介されています。ヤマブキの課題の作者のように、「ら抜き言葉」はなんとしても許容できないという考えも、「言葉は変化して当たり前」という考えもどちらもよくわかります。私たちはふだんの生活で日本語を使っているのですから、どちらの主張についても「うんうん、そうだなぁ。」と思うところがあるでしょう。言葉が変化しているといっても、一ヶ月や二ヶ月で変化を遂げてしまうものではないのです。また、変化の背景にはかならず必然性があるのかもしれません。
しかし、学者でも言葉を駆使して商売をしている人間でもない、普通の言葉の使用者として、私たちはこの問題に対して少し無責任ではないでしょうか。もうすこし自分が使っている言葉について敏感になってもよいと思います。「ら抜き言葉」や「軽くヤバイ」という時代の流れの中で、なにも感じないでじわじわと大きな波にのみこまれるように、知らず知らずのうちにその言葉を使うのではなく、ちょっとだけたちどまって自分の日本語に対する感覚に照らし合わせてみてはどうでしょう。その上で自分で自分の言葉を選ぶという作業ができると言葉への関心がより深くなると思います。自分たちの言葉なのですから、大切にしたいですね。
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枝 6 / 節 17 / ID 8180 作者コード:sumomo
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