わたくしは、いままでしていた仕事柄もありまして、お正月には新聞各紙の元日の社説を、読み比べるのを楽しみにしています。
そうしましたら、ここでも前に紹介したことのある、お茶の水女子大の数学教授、藤原正彦さんの、いまベストセラーほどに売れている「国家の品格」(新潮新書)を取り上げて、社説の中に引用している新聞がありました。
この新聞は、自分の側に、つごうのよいように、ものごとを取り上げることに巧みなことで知られていますが、こんどの「国家の品格」の引用の仕方も、自分の書こうとしていることに、つごうのよいところを引用している。これでは藤原さんが怒ってしまわないかと、気になりました。
(横道にそれますが、今年の元日社説、格調の高さということで出色は、S新聞でした。参考までにインターネットででも、保護者の方はぜひ読んでみてください。)
さて、「国家の品格」を、この冬休み、わたくしは、しみじみと読ませてもらいましたから、この新聞の社説への引用の仕方には、あまり良い気はしませんでした。「国家の品格」、これは別に「人間の品格」という題でもよいような、あるいは「日本人の常識」という題でもよいような、そういう本です。「ですます調」で書かれた、とても読みやすい本です。
で、藤原さんと言えば、「祖国とは国語」という本のことを、以前に、ここで紹介したことがありますが(これは、いま、新潮文庫に入っています)、きょうは、「国家の品格」の、実に面白いところを紹介したいと思います。ちょっと、長くなりますが――
<最近、アメリカ人と結婚してテキサス州に五十年余り住んでいる日本女性と会ったのですが、とても興味深い話を聞きました。
昔から、日本企業の駐在員の子供たちは、学校に通い始めた当初は英語がぜんぜん出来ずコンプレックスを感じる。しかし、算数だけは必ず一番になるので、それを支えにどうにか劣等感に耐えた。アメリカ人の子供たちも、日本人が転校してくると、「ラッキー」と喜んだ。算数の宿題をさっさと手伝ってくれるからです。
ところがここにきて、日本人の子供たちの算数能力がアメリカ人に並ばれてしまったと言うのです。要するに、日本の算数レベルがアメリカと同じレベルにまで落ち込んでしまった。「一体どうしたらいいんでしょう?」と、アメリカ国籍を取りながらも熱い祖国愛を捨てないこの女性は暗い表情で私の顔をのぞきこみました。
私がアメリカの大学で教ええていた頃は、向こうの州立大学一年生の数学のレベルは理系で日本の高校二年生の一学期程度、文系で中三程度でした。それがここ二十年にわたる「ゆとり教育」の徹底で、少なくとも小学生段階の算数では同じレベルになってしまった……>
と、藤原さんは書いているのです。で、このあと、いま、アメリカへ留学する大学生たちにも同じことが言える、という意味のことを続けています。
つまり、二十年の「ゆとり教育」が引き起こしたこと、それは算数だけですんでいることなのか、ということです。問題はそこなのです。国語も、まったく同じです。
わたくしは、いま、大学生に文章を書くということの授業をしていますが(身のほども知らずに、です)、偶然、きょう、一年間の授業を終えるに当たって、きみたちも、「ゆとり教育」の被害者だ、その仇討ちをしてやろうと、一年間、わたくしなりにがんばってきた、諸君の、試験に課した作文を読ませてもらうと、少ぅし、仇が討てたような気になっているよ、そんなことを話してきたばかりです。
じゃあ、小学生や中学生や高校生は、一体、どうしたらいいのだ、これは、ただ、ひとつ、「言葉の森」を一生懸命やるしかない、そう、思うのです。
「ゆとり教育」をやった文部省の役人どものことを、ここでも怒りたいのですが、これは後日にゆずります。
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枝 6 / 節 11 / ID 8920 作者コード:kamono
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