昨年の末は、ことのほか寒波がきびしく、私の住む町でも約90年ぶりにまとまった雪がつもりました。あちらこちら、建物のすみにちょこんとならんだ雪だるま。雪がめずらしい土地に住む人ならではの、遊び心ですね。
さて、先月の“ふじばたけ通信”で、海外の名作の新訳を手に取ってみようとおすすめしたのを覚えていますか? もう読んでみたという人がいたら、うれしいな。
私は、年始に家族で父母の住む家をおとずれました。高校生の娘もいっしょです。お正月料理を食べたり、たわいないお正月番組をちらちらと見たり、どこの家でもよくあるお正月の風景。娘はすごく退屈そう……やがて、別の部屋にひきこもって出てこなくなりました。
その部屋は、昔、夫の亡き父が使っていた本棚のある部屋です。重たい書棚があり、古い本がたくさんならんでいます。茶色く変色した表紙の本は、「世界名作全集」をはじめ、今どきの子どもたちはあまり手に取らない題名ばかり。することがない娘はそういう本を引っぱり出してきて、ひたいを埋めるようにして読みふけっている様子です。題名をのぞくと『アッシャア家の崩壊』と、ありました(「シャア」の表記に古さを感じるなあ)。
「あれ、めずらしいのを読んでるね。ハウス物ホラーだと思った?」とよけいな口をはさむと、「でも、意外におもしろいねんで」(関西弁)と、また本に顔をもどして読み続けています。田舎の家の南向きの縁側でねそべって、結局、おいとまするまでの数時間、ほとんど同じ姿勢で読んでいたようです。帰るときには、おみやげに、全集のうちからお気に入りを数冊。それから、もう20年も前の文庫版の司馬遼太郎の『竜馬がゆく』全8巻。お年玉ももらって、ホクホク顔の娘。帰宅後も、再び読書タイムスタートです。
そのようすに、私は心底、「うらやましいな」と思いました。おみやげに本をたっぷり手にできるから、お年玉がもらえるから。それだけではありません。
本「だけ」とつきあえる時間があるからです。
ほとんどの大人がそうだと思いますが、私も、みなさんに読書をすすめる立場でありながら、本に心底没頭して読む時間はほとんどありません。読むときは、必要に迫られて、関心にひっぱられて、です。自分主体の読み方といえば聞こえはいいのですが、偶然の出会いで全然知らない世界の中に放り込まれて、われを忘れるような気持ちになるような読みかたは、ほとんどできていません。大人になると、読書だけをしていればよいという時間のすごし方は、あまりできなくなるのです。それでもまあ、読書は趣味のひとつだから、しばしば図書館に行って本を借りてくる。しかし、悲しいことに半分も読めないうちに、返却日が来てしまう。じつは昨年は、このくり返しでした。なんだか、ものすごくおいしそうな珍しいごちそうが目の前にあるのに、準備や片づけを気にしながら、一口食べただけで下げられてしまう……そんな感じ。1度はおなかいっぱいになるまで食べて、あとはのんびり余韻(よいん)を味わいたいな……それじゃ牛みたいに太ってしまうけど。(笑)
というわけで、今年最初に考えたのは、「濃く深く長い読書をしたいな」、ということ。かといって現実にはさまざまなスケジュールがスタートしているわけで、この目標は夢といってもいいかもしれません。初夢、正夢となるでしょうか。
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枝 6 / 節 10 / ID 8949 作者コード:huzi
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