先月に続き、朝日新聞からの題材です。朝日を購読のご家庭では、目に留めて熟読なさったところもあるかもしれませんが、ネットで検索してみたところ、他紙ではほとんど採り上げられていなかったようです。(これもまた、興味のあることですが。)記事は朝日新聞東京版2006年2月9日です。一部抜粋しますね。
「ゆとり」から「言葉の力」へ。約10年ぶりに全面改訂される学習指導要領にすべての教育内容に必要な基本的な考え方として、「言葉の力」を据えることがわかった。……「言葉の力」は、確かな学力をつけるための基盤という位置づけ。学力低下を招いたと指摘を受けた現行指導要領の柱だった「ゆとり教育」は事実上転換されることになる。(中略)原案では「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤になる。」と説明している。
ふむふむ、なるほど。「言葉の力」を重視することが、どうして「ゆとり教育」からの転換になるのかはよくわかりませんが、これは朝日新聞執筆者の私見なので、とりあえずおいておきましょう。(私は、こういうツッコミをするのが大好きです。ちょっと意地悪です。)
正直言って、「今更何を?」というのが最初の感想です。こういうことはそもそもの大前提ではないのか? その証拠に「基盤」という言葉が何度も登場します。その基盤がしっかりしていて、その次にいろいろな方向性を選択するという段階があるはずです。こういう方針にしたことは間違っていないというよりも、むしろ当然のことで、今更敢えてこういうことをスローガンとして提示するというのは、文科省(および国の)「ごめんなさい」宣言に等しいと思うのは、意地悪すぎる見方でしょうか。
こういう私自身も、昔から「言葉の力は大切だ!」と信念を持っていたわけではありません。言葉の森と関わり、実際にたくさんの作文を目にするようになってから、そうなのだと思えるようになったのですから、自慢気にしていてはいけませんネ。ですから、「作文教室、どうかしら?」と思って検討・入会なさった保護者の方、そして、毎週がんばって作品を仕上げてくれる生徒たちには、本当に頭が下がります。
実際に、生徒の作品を見ていると、取り組みが進むにつれて、「他者を理解し、自分を表現し、社会と対話する」ことを実践できてくる、それがよくわかります。作文は、どちらかといえば華やかさは少なく、地道で効果の見えにくい勉強ではあります。しかし、だからこそ、目に見えるような変化が実感できたときには、「たまたま」ではなく本物の力が本人の中に宿っています。こういう取り組みが学校でできれば、言うことはありません。しかし、どうでしょう。「ゆとり教育」と同じでかけ声だけで終わったり、教える側の裁量に任せすぎたりして、公教育としての成果としては合格点は出せない……そして、また10年後に新たなスローガンを出すということにならないことを期待したいものです。
さて、言葉の森の学習の進め方には、音読や短文暗唱、要約などが盛り込んでありますが、笑ってしまったのは、朝日新聞の以下のコメント「各教科にどう反映させていくかについては、古典の音読・暗記や要約力の促進(国語)……」の部分。言葉の森の真似か? それとも、少し前に大ブームとなった「声に出して……」シリーズを参考にしたのか?(笑) またまた意地悪な見方をしてしまいました。
いずれにしても、言葉の森で学んでいる生徒たちは、指導要領が変わろうが変わるまいが、本当の力を育むべく日々取り組んでいるのですから、心配はいらないでしょう!
★付記★
この記事を書き終えて、たまたまつけていたテレビから流れてきた、朝日新聞のCM……
言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言 朝日新聞
そういうことでしたか。いえ、私は、別に宣伝しているわけではないのです。これが、朝日新聞が新指導要領案に大きく紙面を割いた理由かぁ。納得。
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枝 6 / 節 11 / ID 9117 作者コード:nara
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