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言葉の森新聞2006年5月4週号 通算第936号 枝 0 / 節 1.001 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.5月29日・30日・31日は休み
  ■2.5・4週は清書
  ■3.通学教室で読解マラソン始まる(その1)
  ■4.3つの合わせわざ(モネ/いとゆ先生)
  ■5.どっしりと尻を据えたる南瓜かな(けいこ/なら先生)
  ■6.あのときかもしれない(しまりす/きらら先生)
  ■7.すごいしかけって? (はちみつ/おと先生) 
 
言葉の森新聞 2006年5月4週号 通算第936号
文責 中根克明(森川林)

枝 1 / 節 1.002 / ID
1.5月29日・30日・31日は休み 枝 4 / 節 1.003 / ID 9964
5月29日(月)・30(火)・31日(水)は第5週でお休みです。先生からの電話はありません。 枝 6 / 節 1.004 / ID 9965
作者コード:
2.5・4週は清書 枝 4 / 節 1.005 / ID 9966
 毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)

 清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。
 清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
 このほかに、(4)パソコンで入力する練習をする、(5)他の生徒の前月の清書に対して感想を書く、などに取り組むこともできます。
【注意事項】
◎清書は、黒いペンで書いてください。
(鉛筆だと薄すぎたり、濃すぎたりして、うまく読み取れない場合があります)
◎左上に、バーコードシールをはってください。
◎バーコードシールは、その月のものを、ページ順に、まっすぐにはってください。
◎絵や感想だけの用紙にも、バーコードシールをはってください。
◎1枚の用紙の裏表を同時に使わないでください。
◎独自の用紙を使う場合は、作文用紙と同じサイズにコピーを取り直してください。
(バーコードシールのないものや間違ってはられているものは、印刷日程の関係で翌々月のプリントになりますのでご了承ください)

 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
 清書は、2〜5人のグループ(広場のグループ)ごとにプリントして、翌月の4週に、「山のたより」と一緒にお渡しします。この清書は、インターネットの山のたよりでも見ることができます。
 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。色はプリントには出ません。
 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。
 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。

 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します)
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中
枝 6 / 節 1.006 / ID 9967
作者コード:
3.通学教室で読解マラソン始まる(その1) 枝 4 / 節 1.007 / ID 9968
 言葉の森には、国語の得意な子がたくさんいます。今、朝日小学生新聞や毎日小学生新聞の作品欄に掲載されている作品の多くが言葉の森の生徒によるものです。掲載されている割合は、たぶん全国でナンバーワンだと思います。それらの作品はすべて、子供たちが自分の力で書いて自主的に出しているものです。先生が手直しをして出しているものはありません。
 しかしもちろん、国語がそれほど得意でなかったり、中には国語だけが苦手という子もいます。
 これらの国語の苦手な子供たちに共通していることは、国語の勉強の仕方を知らないということです。
 また、国語の得意な子供たちも、なぜか知らないうちに得意になっていただけで、意識的にどういう勉強をしたらよいのかわからないという子がほとんどです。
 そこで、国語力を意識的につけるためのプログラムとして読解マラソンを企画しました。これは、ふだんの作文学習を側面から支える学習として位置づけていきます。
 読解マラソンは、言葉の森が独自に作り上げた国語理論をウェブで利用できるようにしたものです。
 このプログラムによって、国語の得意な子は超得意に、苦手な子は普通に、普通の子は得意になっていくと思います。国語力の基礎の上に、より豊かな作文力を身につけていきましょう。

 国語力の本質は、読む力です。読む力に支えられて、聞く力、話す力、書く力が育っていきます。
 もちろん、話す力、書く力には、独自の学習課題があります。しかし、基本になるものはあくまでも読む力です。
 読む力の本質は、言葉の背景にある文化を豊かに持つことです。
 例えば、ある人が、何かを伝えるために文章を書きます。読み手は、その言葉を文字のまとまりとして受け取ります。これは、話し手と聞き手の関係についても同様です。「国語力の本質は、読む力です」という文の場合、読み手は、「国語力の」という言葉を自分なりのイメージで受け取り、それに続く「本質は」という言葉もまた自分なりのイメージで受け取り、「読む力です」という言葉も自分なりのイメージで受け取ります。そのとき、読み手の頭に浮かぶイメージが言葉の持つ文化です。書き手は、書き手なりの文化的イメージで「国語力の」「本質は」「読む力です」という言葉を書いていきます。読み手が、その言葉をただ表面的に読むだけでしたら、だれが読んでも差はありません。そうではなく、読み手なりのイメージで言葉の意味を豊かにしながら読んでいくので、イメージの豊かな読み手は、書き手以上の感動をその言葉から感じ取ります。イメージの乏しい読み手は、消化できないものをむりやり食べさせられたときのように、形としては文章を読んだとしても、それが自分の中の感情とは結びつかない形で読み過ごしていくのです。
 言葉の文化は単一ではありません。いろいろなジャンルや階層に分かれています。日常生活のジャンルの言葉でも、レベルが上がれば人生論のような語彙を伴ってきます。ジャンルには、人生論のほかに、哲学、経済学、芸術論、生物学、物理学などさまざまなものがあります。その中には理数系の言語としての数式なども含まれます。したがって、国語力の中にある読む力は、単に文学を読む力ではなく、世界や自分を読む力として将来発展していくものなのです。

 国語の勉強というと、問題集を解く形の勉強を考える人が多いと思います。
 しかし、この勉強法は、時間がかかるわりに実りの少ないものです。
 なぜかというと、第一に、普通は問題を解いて答え合わせをしてそれで終わりとなってしまうからです。国語の問題というものは、解けたものはもともとその問題を解く練習をしなくても解けたものですから、解いている間の時間は無駄だったことになります。高校生が足し算や引き算の練習をしても、勉強をしていることにならないのと同じです。何の困難もなく楽にできることは、時間の無駄以外の何物でもないのです。更に、あまりに簡単なことは本人が既に持っている力を低下させることがあります。例えば、小学校低学年の子供にとってはマンガも国語力のプラスになる面があります。しかし、高校生がマンガや軽い小説を読みすぎると国語力が低下していくのです。宇宙飛行士でも、地上の重力から解放された宇宙空間に長い間いると、筋力が低下します。人間は、自分が取り組んでいる課題に応じて力を発達させていきます。課題が易しすぎればそれに応じて力は当然低下していくのです。
 問題集を解くような勉強では、解けなかった問題を解けるようにする力をつけることが大切ですが、通常の答え合わせでは、そういう力はつきません。大抵の子は、そういう答えであることはわかっても、どうしてそういう答えになるのかはわかりませんから、また同じような間違いを続けます。つまり、解けなかった問題は、結局解けないことがわかっただけですから、この時間も無駄以外の何物でもないのです。
 国語の問題集を解くことに唯一価値があるとすれば、それは問題文を読む時間を取れるということです。しかし、問題文を読むだけなら10ページ読める子が、問題を解くという形の勉強の仕方をすると、同じ時間でせいぜいその5分の1から10分の1を解くのがやっとです。これほど能率の悪い勉強法はないのですが、国語の勉強というとほかに何も思いつかないから、問題集を解く形の勉強をする子が多いのです。(つづく)
枝 6 / 節 1.008 / ID 9969
作者コード:
4.3つの合わせわざ(モネ/いとゆ先生) 枝 4 / 節 1.009 / ID 9970
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  先日テレビで、あるビジネス専門学校の先生の話を耳にしました。鳥居徹也さんという、ニート(仕事についていない若者)を減らすための対策として、本を書いたり各地で講演を行ったりしている先生です。
 そのお話の中でとてもためになったのが、親が子供と向き合うために、大事な「3つの合わせわざ」があるという話です。これは、親子の間だけでなく、みなさんが友達とうまくつきあっていくためにも必要なことだと思うので、ご紹介しますね。
 
 1.言葉合わせ
 「昨日、宿題を忘れて先生におこられちゃったよ。」と友達が言ったときに、
 「それは、宿題を忘れた○○ちゃんが悪いよ。」などと、相手をせめないで、
 「そうか〜、先生におこられちゃったんだ。」と、同じ言葉をオウム返しにするということです。こうすることで「この人は自分の話を聞いてくれる人だ。」と、相手に信用してもらえるようになるそうです。
 2.鏡合わせ
 「相手と同じことをする」
 友達が読んでいる本と同じものを読んでみる、友達が好きな遊びをしてみる、学校から一緒に帰るなど、同じことをすることによって、その人のことがよくわかるようになるということです。 
 3.呼吸合わせ
 「相手と息を合わせる」
 運動会の綱引きや、ダンスなどの種目で「みんなで息を合わせて」などと言いますが、これは相手の考えていることや感情をおしはかって、気持ちを一つにするということですね。つまり、友達が何か話したそうにしていたら、「どうしたの?」と聞いてみたり、何となくつかれているようだったらそっとしておいてあげるというような心配りをすることだと思います。
 
 これらの3つに共通することは、「相手のことをよく見る、よく知る」ということです。いつも自分のことばかりが頭の中にある人は、まわりの友達の様子をよく見ることができません。せっかくすばらしい友達との出会いがあるかもしれないのに、そのチャンスをのがしてしまうのは残念なことですね。
 もちろん、自分のペースを守って自分らしく生きるということも大切なことだと思います。でも、いろいろな人の考え方を知ることによって、自分の心も豊かになるし、人の持っている世界にふれることによって、自分のきょう味も広がっていきます。
 みなさんにとって、かけがえのない友達と出会い、その関係をはぐくんでいかれるような1年になりますよう、応援しています。
                 
枝 6 / 節 1.01 / ID 9971
作者コード:itoyu
5.どっしりと尻を据えたる南瓜かな(けいこ/なら先生) 枝 4 / 節 1.011 / ID 9972
 「どっしりと尻を据(す)えたる南瓜(かぼちゃ)かな」
これは夏目漱石の句で、東京の都立白鴎(はくおう)高等学校付属中学校の入試に使われました。この学校は、今、注目を集めている、公立中高一貫校です。問題は
 ・この句が表現している南瓜の特徴を説明する。
 ・他の野菜の特徴を俳句で表現する。
というものでした。さて、皆さんだったら、どんな答えを作るでしょうか。この問題では、よくある「俳句の解釈問題」というわけではなさそうです。

 まず、かぼちゃそのものについて。最近は、半分や四分の一にカットされた状態で売られていることが多いですし、もっと小さく一口大に切られて冷凍されたものもよく見かけます。丸ごと一個のかぼちゃを手に取って重さを実感したことがある人が、どのくらいいるでしょうか。そういう経験がないと、「どっしりと」「尻を据えたる」という表現がピンとこないのではないでしょうか。ものの売り方買い方の変化や食生活の変化が、文芸作品の鑑賞にも影響を与えていますね。そうだ! 皆さんは、この句はどの季節に作られたものだと思いますか? 旬という感覚も漱石の時代と今とでは、少し異なってきているかもしれません。

 そして、想像力と表現力が次のポイントです。この南瓜の表面は、どんな色をしているだろう。手触りはどうだろう。大きさや重さは? それは数字を使って説明できるかな。それとも、たとえがいいだろうか。この南瓜は、目の前にあるわけではありません。なので、想像力が必要です。頭に浮かんだことをより相手にわかりやすく伝えるためには、表現力が必要です。これらのバランスが整ったときに、この問題に対する「いい答え」が書けそうです。
 他の野菜を俳句で表現する……俳句は「五七五」という限られた字数で作るのが原則ですから、まずはその野菜の一番目立つところ・はっきりしているところを絞り込まなくてはなりませんね。これは、作文で言えば、中心を明らかにするということでしょうか。対象(相手)の一番特徴的なところを絞り込むためには、対象をよく観察しなければなりませんね。テストという場面でなければ、作文の形で答えてみてもおもしろそうです。
 これは、実は、普段の作文のときに、やっていることです。どんなことを書こうかな。どう説明しようかな。……ね。同じでしょ。なので、野菜以外を対象にしても同様に取り組むことができるということです。
 もし、この記事を読んで、「こんなふうに書いてみたよ!」というものができあがったら、ぜひ、先生(なら)に教えてくださいね。楽しみにしています。
 
枝 6 / 節 1.012 / ID 9973
作者コード:narado
6.あのときかもしれない(しまりす/きらら先生) 枝 4 / 節 1.013 / ID 9974
 最近、自分で詩をつくってみる機会があり、それがきっかけとなってある詩のことを思い出しました。中学生や高校生に、ぜひよんでみてほしい詩です。おとなになってしまった人や、おとなになろうとしている人がよむと胸がきゅんとなる詩ですが、小学生のみなさんもおうちの人といっしょによんでみてくださいね。

  あのときかもしれない (四)
                         長田 弘
 「遠くへいってはいけないよ」。子どものきみは遊びにゆくとき、いつもそう言われた。いつもおなじその言葉だった。誰もがきみにそう言った。きみにそう言わなかったのは、きみだけだ。
 「遠く」というのは、きみには魔法のかかった言葉のようなものだった。きみにはいってはいけないところがあり、それが、「遠く」とよばれるところなのだ。そこへいってはならない。そう言われれば言われるほど、きみh「遠く」というところへ一どゆきたくてたまらなくなった。
 「遠く」というのがいったいどこにあるのか、きみは知らなかった。きみの街のどこかにそれはあるのだろうか。きみはきみの街ならどこでも、きみの掌のようにくわしく知っていた。しかし、きみの知識をありったけあつめても、やっぱりどんな「遠く」もきみの街にはなかったのだ。きみの街にはかくされた、秘密の「遠く」なんてところはなかった。「遠く」とはきみの街のそとにあるところなのだ。
 ある日、街のそとへ、きみはとうとう一人ででかけていった。街のそとへゆくのはむずかしいことではなかった。街はずれの橋をわたる。あとはどんどんゆけばいい。きみは急ぎ足で歩いていった。ポケットに、握りこぶしを突っこんで。急いでゆけば、それだけ「遠く」に早くつけるのだ。そしたら、「遠く」にいったなんてことに誰も気づかぬうちに、きみはかえれるだろう。
 けれども、どんなに急いでも、どんなに歩いても、どこが「遠く」なのか、きみにはどうしてもわからない。きみは疲れ、泣きたくなり、立ちどまって、最後にはしゃがみこんでしまう。街からずいぶんはなれてしまっていた。そこがどこなのかもわからなかった。もどらなければならなかった。
 きた道とおなじ道をもどればいいはずだった。だが、きみは道をまちがえる。何辺もまちがえて、きみはわッと泣きだし、うろうろ歩いた。道に迷ったんだね。誰かが言った。迷子だな。べつの誰かが言った。迷子というのは、きみのことだった。きみは知らないひとに連れられて、家にかえった。叱られた。
 「遠くへいってはいけないよ」。
子どもだった自分をおもいだすとき、きみがいつもまっさきにおもいだすのは、その言葉だ。子どものきみは「遠く」へゆくことをゆめみた子どもだった。だが、そのときのきみはまだ、「遠く」というのが、そこまでいったら、もうひきかえせないところなんだということを知らなかった。
 「遠く」というのは、ゆくことはできても、もどることのできないところだ。おとなのきみは、そのことを知っている。おとなのきみは、子どものきみにもう二どともどれないほど、遠くまできてしまったからだ。
 子どものきみは、ある日ふと、もう誰からも「遠くへいってはいけないよ」と言われなくなったことに気づく。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。

                    (『深呼吸の必要』晶文社より)

 
枝 6 / 節 1.014 / ID 9975
作者コード:kirara
7.すごいしかけって? (はちみつ/おと先生)  枝 4 / 節 1.015 / ID 9976


 先日、久々に本屋さんに立ち寄ることができ、たくさん買い込んでしまいました。読みたい本がいっぱいです。その中にふと目を引くタイトルが。表紙も鮮やかな赤で目立っていて、思わず手に取っていました。

 社員のやる気を起こすための「かんたん、ばつぐん、らくらく」 し・か・け だそうです。複雑なことではなく、シンプルな。それは「やりたいことをやろうという」とか「お笑い円卓会議をする」というユーモアたっぷりの提案がしてあります。私たち、実際にはなかなかやりたいことはやらせてもらえません。それに平凡な自分が馬鹿なことを提案したり、発言するとまずいのではと黙っていたりします。または見下されていると感じていたり。

 ところが認めてもらったり、みんなの前で評価されたり、第三者に誉められたりすることは、やっぱり面白いくらい絶大な効果があるというのです。そんな環境を作ろうというものでした。これは、会社でなくあらゆる場面で言えることだなぁと思いました。家庭で、学校で。人は誰でも認められたい。周りのみんなに認められたいもの。

 そしてまた「結論から先に言え」ということで理論的に考え、言い訳でなく、肯定的に結果を導き出す方法を考える力を身につけることができるというのです。なるほど、「結果は○○です。理由は××だからです。」「結果は○○です。実現するには××と××の方法があると思います。」と言うほうが、だらだらと「〜〜なんですけど、〜〜で、だめでした。」と言うより分かり易く、次のステップに進みやすいですよね。私もついくどくなるので、この癖をつけてみようと納得したところです。

 続いて「あなたはどう思うの?」と聞く。「なんで」と言わない。代わりに「どうすればできると思う?」というところ。「上司がなるほどと理解し、失敗して、反省する」というところなど。親としても、人と接するときは同じだなぁと思い、反省しました。全部反対のことばかりしてきたからです。

 具体的な言葉で改めて示されると、「できそうだな」と思えますよね。なるほど、人気がある本で売れているはずだな、と納得した1冊でした。
 
枝 6 / 節 1.016 / ID 9977
作者コード:oto
枝 9 / 節 2 / ID 9977
 
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