結婚する前に主人とよく行っていたトンカツ屋。繁華街の路地を入ったところにある老舗といわれるその店は、十五年前と同じように地味にひっそりとたたずんでいました。
その店を度々訪れていたのは20才代前半のころ。メニューはカツレツと一口カツのみ。小さいお茶碗に軽く盛られたご飯は、店員さんが程良いタイミングで「おかわりいかがですか」と声を掛けてくれ、みそ汁と歯ごたえの良い千切りキャベツはあくまでもシンプル。最後は漬け物でお茶漬けをさっぱりといただく。ちょうど残さず平らげられるバランスの良さ。
何より好きだったのは、カウンターの中で黙々とカツを揚げている店主の姿でした。夕方店内に入ると、たいがい席はいっぱいで、カウンター席のうしろの壁に並べられている丸イスで順番を待ちます。その間、ただ静かに静かにカツを揚げ続ける店主の動きを、じっと眺めていたものでした。
結婚してしばらくは、少々値段が高めなため、ぜいたくに思えて遠慮していました。そうするうちに子どもが生まれて、さらに行く機会を逸してしまいました。
そして十五年。今や息子は、私の1.5倍は食べるようになり、行儀もわきまえられるようになりました。その日は家族で近くに用事があったので、「お父さんとお母さんの大好きなトンカツを食べさせてやろう」と3人で思い出の店へと向かったのです。
路地を曲がると、以前はなかった大きなキンキラキンのパチンコ屋が騒々しい音楽を流していました。あの店は変わらずにあるのだろうか……そんな不安がよぎったのでしょう。主人は小走りして先を急ぎました。
「あった!」 変わらぬたたずまい。そこだけ時が止まっているよう。戸を開けると「いらっしゃいませ。」というなつかしい声が聞こえました。十五年の年月で若かった私がおばさんになったように、店主も少し背中が丸くなったかな。しかし、凛とした風格そのままです。
家族連れだったからか二階のお座敷に案内されたので、カウンター越しに仕事が見られなかったのは残念でしたが、出されたカツレツは以前と同じスタイル。 そう、そうこの味。薄い衣であっさりとした味は、ひと口目、少し物足りなさを感じます。しかし、これがすべて食べ終わったときに、もたれず心地よい後味になっている。計算されつくされているのだと気がつくのです。
大正時代創業の老舗。私が初めてのれんをくぐったときにはすでに、店主は受けついだ味を何十年間も守り続けてきた名人でした。そして、この十五年間も、毎日毎日ただひたすらに同じカツを揚げ続けていた。変わらぬ味がその証拠です。
人はずっと同じではありません。年もとるし、取り巻く環境も変わっていきます。社会も変わります。また、変化を求めるのも人間です。 その中で何十年と同じであり続けるということは、変わっていくことよりずっと難しいのではないでしょうか。
現代はあらゆるものが、ものすごいスピードで変わっていきます。新しいことをした人がもてはやされ、そして次々と消えていく。変化に追い立てられているような時代。
店の外に出ると、パチンコ屋の店頭で若い女性がマイクを持って叫ぶように宣伝をしていました。おそらく宣伝している新作のパチンコ台も、数ヶ月もすれば次の新台に替えられてしまうのでしょう。だから大騒ぎをして短期間で稼がなければなりません。
そんなせわしない光景の中に、あの変わらぬ老舗がじっと静かに存在している。気を緩めたら飲み込まれてしまいそうな危機感を覚え、不安になりました。
常に新しいものを求める好奇心はすばらしく、最先端は確かに刺激的です。しかし、心の中に変わらぬ「本物」をどっしりと持っていなければ、ふと気づいたときに薄っぺらなものしか残っていない、そんな日本になってしまうような気がしたのです。
|
|
枝 6 / 節 14 / ID 9904 作者コード:yuta
|