1ヵ月に一度、このコーナーの記事を書きます。月の1週目がすぎた頃、「今月のテーマは何にしよう」と、ネタ探しが始まります。
最近は、新書読みがマイ・ブームで、ここでも最近、読んだ何冊かについて取り上げました。今はちょうど、ベストセラーになっている『国家の品格』/藤原正彦 を読んでいるところです。国際人とは何か、論理の限界など、本来、数学者であるはずの著者の視点の広さに驚き(じつは藤原正彦さんは、有名な作家、新田次郎さんの息子さん。なーるほど、蛙の子は蛙ってやつですね)と、同時に、「人って、こういうふうに熟成されていくんだな」という別の感想も持ちつつ。
さて、私が著者に対して「熟成」と感じたのは、自分が高校生の時に読んだ、同じ著者の『若き数学者のアメリカ』を思い出したからです。
この本は、アメリカ滞在中に作者が味わった外国人学生としての孤独や友達づくりなどが、飾らないやさしい文体で、素直に語られています。地方都市の一高校生であり、海外留学など別世界の話だった私にも、興味を持って読めました。そして白状すると、小さな写真を見ただけで「この藤原という人は、すごくマジメそうだけれど、髪型と服装を整えればイケメン青年に変身するに違いない」と思っていました……。(……などつけてごめんなさい)
この『若き数学者のアメリカ』で、こういう内容の一節があります。
アメリカ社会はオーケストラ、アメリカ人をヴァイオリン、自ら(日本人)は、琴。
最初は、ヴァイオリンをライバル視して、共鳴できなかった。しかし、次第に打ち解けあい、ヴァイオリンを友達だと思えるようになったとき、今度は、自分もヴァイオリンになりたいと思った。しかし、そんな気持ちで参加したオーケストラで、自分はヴァイオリンの響きに深く共鳴することはできなかった。結局、ちゃんと共鳴できたのは、琴の音を自然に出せるようになってからのことだ。
つまり、外国に行って、言語や風習、考え方に努力してなじんだところで、それだけでは相手に認められることにはならない。日本人としての資質を自然な形で発揮することのほうが大切なのだ。こう述べているのです。
『若き数学者のアメリカ』が出版されたのは、今から約25年前(え〜、今、私の年齢を計算した人、いませんか!?)。それから四半世紀たった今、『国家の品格』には、「日本人としての資質を発揮することの大切さ」がさらに、確固とした価値観で強調されています。さらに、青年時代にあれほど共鳴したいと切望したアメリカに対して、厳しい目を向けています。
「20世紀の最後の頃から跋扈(ばっこ)し始めたグローバリズムは、冷戦後の世界制覇を狙うアメリカの戦略にすぎません。世界はこれに対して、断固戦いを挑まなければいけない。グローバリズムは歴史的誤りと言ってよいものだからです。
資本主義をアメリカ化するため、冷戦後に、アメリカ式市場経済、リストラ自由のアメリカ式経営……(中略)、経済がすっかり変わってしまい、どの国でも貧富の差が急速に拡大しつつあります……(中略)、その欠陥システムを世界は押しつけられているのです」
また、若き日々に学んだアメリカの教育についても、「(日本の)学校数学がアメリカに並ばれたというのは、私には恐ろしいことに思えます」と書いています。
そして、今こそ日本人が、題名にいう『国家の品格』を取りもどし、国際社会に貢献していくべきであり、そのための方策を武士道の視点で具体的に述べています。
同じ著者の年月を経た作品を読み比べてみると、時代やものの見方の変化がリアルに感じられ、興味深いものです。
今回とくに感じたのは、まさに25年という歳月が、国を変え、国同士の関係を変化させていくということ。そして、優れた観察・分析者であることは変わらないけれど、60代になった著者を照らすのは、見知らぬ体験が豊富にあった外国の光ではなく、自らの生まれた国の陽の光なのだなあ。そう思うと、まだ読書中ですが、このさっぱりとした装丁の新書が、ちょっと手に重く感じられるのでした。
ちなみに、藤原正彦さんの文章は、この教室の長文の課題にも取り上げられています。覚えている人はいますか? 「ニシキギ」の課題の「8月3週 ●国際人とは一体」(『数学者の言葉では』より抜粋)です。
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枝 6 / 節 13 / ID 10154 作者コード:huzi
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