「この坂はW坂というんだ。W字型に折れ曲がっているでしょう」
杉戸は説明してくれた。なるほど少し登ると折れ曲がり、また少し行くと折れ曲がっている。
「腹がへると、なんとも言えずきゅうと胃にこたえて来る坂ですよ。あんたも、あしたから、僕の言っていることが嘘でないことが判る。稽古のひどい時には、この辺で足が上がらなくなる。なんで四高にはいって、こんなに辛い目にあわなければならぬかと、自然に涙が出て来る」
九月の三連休に、先生は夫の赴任先である石川県へ行ってきました。金沢の町は、初めて訪れるところでしたので、とても楽しみでした。その楽しみのひとつは、実はこのW坂を訪れることでした。これは、先生の大好きな井上靖の自伝的小説、「しろばんば」 「夏草冬濤」 に続く「北の海」 の一説です。高校受験に失敗した主人公 洪作が、〈練習量がすべてを決定する柔道〉 という金沢の四高柔道部員の言葉に魅了(みりょう)され、浪人でありながら四高柔道部の夏稽古に参加し、この金沢で練習する日々を過ごします。寺町と犀川にかかる桜橋を結ぶこの坂道は、急勾配をジグザグの階段でつないでいて、その姿からW坂とよばれているそうです。そしてこの坂のちょうど折れ曲がった所に、この後半の一説が札に書かれていました。それを目で追いながら、先生の思いは、この「北の海」 に入っていきました。そばを流れる犀川の美しさを井上靖は、何度かこの小説の中に描いています。時代はずいぶん違いますが、隔たりのようなものは感じず、情緒に包まれながら坂を登っていきました。
九月に新政権になってまもなく、新学習指導要領の焦点の一つになっている小学校での英語必修化について、伊吹文部科学相は、「私は必修化する必要は全くないと思う。美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」と話し、否定的な見解を示しました。また、国際的な感覚を磨いたり、外国人に触れて文化的な違いを学習したりしている現状は是認(ぜにん)しつつ、「アルファベットから会話を教えるというのであれば、最低限の日本語の素養をマスターしてからでいいのでは」 とも述べました。先生は、この意見にとても賛成です。英語に関心を持ち、外国文化に触れることはとてもいいことです。けれど、まずは、小、中学校のうちに美しい日本語をしっかりと体の中に刻むことが大切だと思うのです。国際人とは自国語に堪能(たんのう)でなくてはなりません。
前にも学級新聞に書いたことがあると思うのですが、先生のお友だちで、とある所で英語の手紙の検閲をしている人がいます。事情があって、手紙の内容を検閲しなければならないのですが、時折、家族や知人からその人に送られた手紙を読んでいると、声をあげてしまいそうになるくらい涙があふれてしまうことがあるそうです。その友人のところへ英語を習いたいと、中高生が来るようですが、その友人は必ずその生徒に向かって言うそうです。「私は生徒に『英語がうまくなりたいの?』 と聞くの。『うまくなりたいんだったら、日本語の本をいっぱい読みなさい』 って言うんだ。英語の能力は最終的にはそこに行き着くのよね。」 と先生に話してくれました。
本をたくさん読んで、知識を蓄え、いろいろな想い、笑ったり悲しんだり感動したりして、心の中に美しい日本語を刻んでいく。言葉が略されたりする時代の中にいても、美しい日本語に触れていれば、きっと国際人になっていくと思います。先生が中学、高校と胸がキュッとなりながら読んだあの「夏草冬濤」 や「北の海」 の世界に、いつでも戻っていけるように、みんなにも心の中に残るものとの出会いがあってほしいなあ…。
W坂を登り終え、犀川を眺めると、しっとりとした金沢の町並みが広がりました。
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枝 6 / 節 13 / ID 10420 作者コード:sarada
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